11話 友達以上恋人未満
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「出てこないねぇ」
呟いたラァスは、迷路の家をちらと横目で見る。彼が出てきた人に尋ねてみれば、おそろしく難解な数学の問題ばかりが残って諦めたと言っていた。
アミュは数学など遠い存在であり、きっとちんぷんかんぷんですぐにリタイアだ。それはラァスも一緒だろう。ヴェノムに計算は習ったが、買い物をするときに騙されないほどである。生活に必要のないことまで学んでいる時間はなった。
「イレーネ様が簡単に解いてるのかな」
「イレーネ様はすごいものね」
「マディアスさんってのが、ものすごく頭のいい人なんだって。イレーネ様にも自分のレベルを押しつけてスパルタ教育したらしいから。で、満足させるために自分が得意だった分野でマディアスさんを凌駕して、ようやく解放されたらしいよ」
「得意だった分野? 数学?」
「暗算」
「暗算?」
「なんか大きな暗算の大会で優勝したらしいよ。その道では有名なんだって」
イレーネもラァスのように理解を越えた特技があるようだ。とくに特技といえるものを身につけていないアミュは、小さくため息をつく。お菓子作りは時々しているが、ヴェノムのようには上手くいかない。料理は料理人達の足下にも及ばない。
「どうしたのアミュ。急に落ち込んで」
「なんでもないの」
「何でもないことはないよ。何か悩みがあるんだったら言ってね。それとも、僕が何かしたのかな?」
女の子なのに男の子に見えるラァスは、不安げに問うてくる。女装するときとは逆に、くびれを消すために腰に詰め物をしているらしい。どうすれば男に見えるか、どうすれば女に見えるか、彼はよく知っているのだろう。だから男装することも難しくはないようだ。
「私って、何も出来ないなぁって」
「は?」
「みんな中途半端で、秀でた部分がないなから」
「いや、アミュ、それ人に言うと嫌みっぽくなるから言っちゃダメだよ」
「え?」
ラァスはぱたぱた手を振って苦笑いする。
アミュの父親は特別で、そのおかげで彼女は女神と呼ばれている。腹立たしいことに、彼女の秀でた部分はそれだけだ。それを彼女が長所として認めるのは、自尊心が許さない。
「アミュはとっても可愛いんだから、存在だけで輝いてるの。昨日も言ったよね。あれは僕の心からの気持ちだよ」
ラァスは臆面もなくとんでもないことを言う。昨日とは、練習台になったときのことだろう。思い出すだけで恥ずかしくなる。ちらと彼の顔を見ると、顔色一つ変えていない。
「…………ラァス君は、やっぱりプロだね」
「僕は他の人にはこんなこと言わないよ。言わせることはあるけど、僕は言わない」
真剣な目をして静かに言う彼の言葉は、どこまで真剣なのか予測がつかない。慌てたアミュに、笑いながら冗談だと言って欲しいのだが、彼はそんな冗談を男性にしか言わない。
アミュはううと唸って、早く二人が出てきてくれることを祈るしかなかった。
「別に真剣に考えなくてもいいよ」
「え」
「考えてくれるなら嬉しいけど、僕はアミュに何も求めないから」
何かを求めて言っているのではなく、何も求めず言っている。理解を超える言葉にアミュは混乱した。
「君は言わなきゃ分かってくれないからね」
「ラァス君が私を嫌ってるなんて思わないよ」
「僕が君を大好きだとは、思わないでしょ? 僕は君のことが一番好きだよ」
彼が心から笑うと、回りの精霊立ちの喜ぶ気配に満ち溢れる。のぼせてしまいそうな暖かさの中、アミュはどうしていいのか分からずふわふわとする感覚に身をゆだねて考えることを放棄した。
ハウルやヴェノムの側にいる精霊達は彼らがすごすぎて少し緊張しているが、ラァスの側にいる精霊は皆が穏やかな心で見守っている。
「私ね、ラァス君と一緒にいるととっても落ち着くの」
「それは嬉しいよ」
「精霊もそうみたいだよ」
「美少年の癒しパワーかな」
「ラァス君は面白いね」
アミュはくすくすと笑いながら、冷たいお茶が入ったグラスに口を付ける。氷がたくさん入っているのは、さすが魔道都である。
ラァスはグラス片手に迷路の家を見て肩をすくめた。
「しばらくかかりそうだね。ついでに甘い物でも食べる?」
「うん」
ラァスはアミュが頷くと、店員を呼んでデザートをいくつか頼んだ。
あくびが漏れそうになり、あわててアーソルドはそれをかみ殺す。
目の前にある白い箱庭を無言で眺め、ぽてぽて倒れていく問いを示す旗を立てる。
「ああ、忌々しいっ!」
テーブルを挟んだ先でくぐもった荒い声が響く。太りすぎたせいか、声に濁った音が混じるのが正直なところ気色悪い。しかしこれでも彼は班長であり、先輩だ。腕も悪くないし、身分も彼と同等だ。
「ロッター先輩、怒ってるだけなら代わってください。この地道な作業は寝不足にはきついんですが」
元はと言えば、この男が提案したものだ。手伝ったのは問題作りと資金提供だけで、地道に箱庭を作ったのも、それを具現化したのも、ほとんどアーソルドとその手伝いである。
幸い、自称修理工の優秀な魔動機職人が知り合いにいるので、相談に乗ってもらうことは出来た。仕事をしながら口を動かす様を見て、頭の中身の違いを思い知らされた。
「そんなもの、自動で戻るようにしておかないお前が悪い」
「そんな時間なかったんですよ」
どれだけ難易度の高いことをしているか、彼は理解しているのだろうか。簡単な部分だけ手を出して、難しい部分は丸投げ。しかも提案者が。この人は将来人の上に立ったら徹底的に疎まれることだろう。
来年には関係の無くなる人物であり、一年の我慢と自分に言い聞かせる。呪いの魔女に関わらなければ、好きにすればいい。呪いの魔女が関わるなら、単位を落としてもいいから逃げるが。
「一体どういう理由でお怒りなんですか?」
放置が一番だが、そろそろうるさいので解決すべく尋ねた。
「見ろ、次々と問題が解かれていく」
「そりゃそういうゲームですから」
「ここなど私の自信作だったのに」
アーソルドはくっと呻き脱力した。
「なんか半分ぐらいで諦める者が多いと思ったら……」
ため息しか出ない。ませかっきりにした己が馬鹿だった。夜になったら点検して、無理だと思う問題は取り替えよう。このように頭のいい博識な人間ばかりではない。
問題を考えながら次々と倒れていく旗を立てていくと、裏口がノックされしぶしぶと立ち上がる。
「はい」
ドアを開けると、死霊術師のアランが立っていた。従妹の半ストーカーと化しているためここに来ることなど期待していなかった男だ。これが来るのに、他のメンバーが遊び歩いているのは許し難い。
「どうした」
「サディがエステに行った」
「…………仮面取るのか?」
「さあ。私はもう五年以上そんな姿は見たことはないが、顔を洗うときぐらいは取るだろうから取るんだろう」
年季が入った仮面具合である。
彼はひっついている相手が入れないところに行ってしまったため、時間が空いたら来いという言葉に従って律儀にやって来たようだ。
「そういえばさっき、紙もペンも資料もないのにあんな問題できるかと怒鳴りながら出て行った集団がいたが」
「ああ、ロッター先輩の作った問題が難解らしい。あとで一般的な問題にすげ替えるから、お前も考えてくれ。もちろん死霊術以外で」
「了解した」
「おいっ」
ロッターが何か言っているが、誰一人到達できない迷路など意味はない。裸の王様もいいところだ。
「あと、問題倒れたら元に戻してくれ。なんか一組ものすごい簡単にずんずん進んでいくのがいるから、退屈はしないぞ。とりあえず私は寝る。昨日は二時間しか寝ていない」
アーソルドはうつぶせになり、あっという間に眠りの世界に入っていった。
イレーネはきょとんとして問題を見た。いままでもそんな感じですぐに答えを出していた彼女が、今回ばかりはほんの少し考える。
「進むと難易が上がるのは定跡ですが、何でしょうねぇ、これは。紙もペンもないのに、これを解けとは」
「難しいのか?」
「いえ、答えは出せますよ。ただ、私はこういうのが得意ですからいいんですが、普通はできませんよ」
と、彼女はそこで言葉を切り、指を使い考え、答えを言って前に進む。
ハウルには暗号にしか見えない問題なのに、イレーネにとってはほんの少し考えるだけで答えが出るようだ。
「魔道に関する問題もそうです。誰が名前まで覚えているんでしょう。わたくし、数学者の名前など一人二人しか知りませんのに」
ハウルがそれを知っているのは、ヴェノムの徹底的な教育の賜である。ヴェノムやカオス位にならないと実戦することも困難な複雑な術の展開式までしっかりと覚えていたハウルは、自分の受けた教育は他と方向性が違ったのではと腕を組んだ。
おそらく理力の塔の魔道士は、理数系の問題で脱落したのだろうが、城での暇つぶしの大半が畑を手入れするか本を読むかだったハウルは、人よりは知識があるだろう。そして隣には計算に強いイレーネがいる。
「……何なんだろうな、この問題」
「よっぽど高額な景品なのでしょうか。作りが大がかりですし」
「そうだな。いくら何でも、景品出したくない感じだよな」
「入場料で元手など取れそうもありませんし」
「問題が難しすぎて、逆に客が引くよな。本当に難しいのは最後の方だけにすればいいのに」
「まったくです。また挑戦しようという気持ちを起こさせるような適度な駆け引きが重要です」
「経営者は発想が違うな」
彼女はこの大陸でもっとも伸びている企業の頭である。
「あ、見てみろ。これ、ヴェノムの兄貴のウィトランことだ」
正解だったらしく、今ので立ちふさがる扉が消えた。
「まあ、さすがはヴェノム様。お身内まで歴史に残っているなんて」
「っても、歴史の裏というか、まだ生きてるし」
「生きていらっしゃるから、現時点での世界最長寿なのでは?」
「んだな。五十年前までは八百年ぐらい生きていた奴いたらしいけど、熱病で死んだらしいからなぁ」
長く生きても人間は病気には敵わないのだ。
「わたくしの祖母も長く生きていらっしゃいましたが、病死だったそうです」
「あ、そうなんだ……」
「ヴェノム様もお体にはお気をつけ頂かないと」
「それは大丈夫だ。親父と出会ってから病知らずらしいから」
病死がなければ事故死である。しかし彼女が事故死するなど、想像出来ない。
イレーネはくすくすと笑いながら、先ほどよりもかなり苦戦して、しかし傍目から見ればあっさりと問題を解いて足を踏み出し──ぱん、とクラッカー鳴り、イレーネの頭に細く切られた紙が降り注いだ。
「おめでとうございます」
暗い調子で言う男は、どこかで見たような気がした。どこだったかと悩んでいると、男はイレーネを見てぽかんと大口を開いた。そして次の瞬間、不機嫌丸出しで立っていた肥満の男の首根っこを掴み、それを床に叩き付ける。
「ぐがっ」
咄嗟のことに抵抗できなかった肥満の男は、惨めに床とキスをする。
「女王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう、恐悦至極に存じ……」
跪いて長くなりそうな台詞を吐き始めた男の口を、イレーネがそっと塞いでそれを止めた。
「今日はわたくし、商人のイレーネとして来ていますの」
「…………」
デートだったのではと口にしかけて、慌てて飲み込む。デートだと思っていたのは一方的だったのだろうか。確かに彼女の目は喜ぶ少女というよりも、商売人のそれをしていたが、気持ちはデートの方が強かったと本人は思っていた。
「まさかイレーネ様がかようなむさ苦しいところにおこしとは思いもせず、ろくなものをご用意しておりませんが、どうぞ腰を下ろしてお休み下さい」
「ありがとう。そろそろ歩き疲れていましたの」
肥満男は意外に素早く起きあがり、背の高いやせ型の男につかみかかる。
「何をする!?」
「控えろ。このお方はモルヴァルの女王陛下であらせられるぞ」
「じょ……本気か!?」
本当か、ではなく本気というのが、この男の普段の態度を物語る。
ハウルはちらとイレーネを見ると、彼女は笑顔でそれに気付いてくれた。
「彼はアラン=トール。キーディアの従兄です」
「ああ、そういえば昨日少し見たな。姉の方が強烈で忘れてた」
「サディは愉快ですものね」
ハウルはイレーネの手を取ろうとしたが、アランが行った先には懐かしい木材の壁が見え、狭そうだと思いそれをやめた。
「起きろアーソルド。邪魔だ」
控え室なのだろう。白い迷路の模型の前で眠っていた男を、アランは迷わず蹴り落とす。アーソルドと呼ばれた男は眉をひそめたくなるような音を立てて床に倒れたが、それには気にもせずアランはイレーネに椅子を勧めた。その位置が、テーブルの空きが一番大きかったのだ。
「これが今の迷路ですか?」
イレーネは椅子には目もくれず、入り口当たりでぽてっと旗が倒れた迷路を見た。アランは倒れた旗を見て慌てて起こし、倒れていた他の旗も次々起こす。
「こうして問いを元に戻します。人力なのは時間がなかったためだそうです」
「これを誰が?」
「これです」
痛い痛いとのたうつ男を指さした。床の木材は、堅いと評判の物であり、痛いのは当然である。
「まあ、大変。大丈夫ですか?」
今まで見向きもしていなかった男へと、イレーネはころりと態度を変えて手を差し伸べた。
ラァスと気が合うはずだと少し思いながら、その様子を眺めるハウルは、ほんの少しの切なさを覚えた。彼女は金持ちのオヤジを相手にするラァスと、ほんの少し似ていた。
もちろん非情だから見向きもしていなかったのではなく、好奇心の方が上回っていたからである。
「だ、だれだあんた」
「モルヴァルの女王、イレーネです」
実にあっさりとした名乗りである。やはりアーソルドもぽかんと口を開けてイレーネを見つめた。
「あれを作ったのは貴方だと聞きました」
「あれって……箱庭か? 確かにちまちま作ったのは私だが、大半は具神が知り合いに持ってきた道具を使っただけだ。修理屋に手伝ってもらったしな」
「マナラにですか。ああ、だから彼女はここを薦めたんですね」
彼女の中で、マナラが欲しいという思いはふくれあがっているようだ。ちなみにこの男の方もかなり危険である。狙われている。
「とても面白い試みでした。あれをもっと可愛らしい色で作ることは出来ますか?」
「白くしたのは、理力の塔らしい色だからそうしただけで、こっちの模型の色を変えれば可能だ。本来は絵に書かれたものをそこにあるよう触れられるようにする道具を使って、その効果を少し歪ませただけだからな」
彼は頭をさすりながら起きあがり、呪文を唱えて手の平から冷気を放って打った場所に当てる。眠っていたので受け身も取れなかったようだ。
「でも、あの問題はいただけません。わたくしが悩むような問題では、よほどの高等教育を受けている必要があります。その上魔道の知識まで兼ね備えている方なんて、天才ですよ」
「ああ、カロンぐらいだろ。あいつはそこそこ強いけど頭脳派だしなぁ」
「ハウル様にとっては、彼はそこそこ止まりなんですね」
「だってあいつ、とろいぞ」
一般人と比べれば、護身術でも習っていたのか幾分かマシだが、それだけだ。その分とばかりに頭がよくできている。知識の獣に選ばれるほどの頭だ。ヴェノムやカオスもそうだが、頭がいいから選ばれたのではなく、選ばれたから頭がよくなったという可能性もある。カオス達は元々頭がよかったようだが、今のレベルが先天的なものとは限らない。
「やはり、難しかったか……。気付いたのがさっきで、変更は明日からにしようと思っていたんだが……問題は全部人任せだったから、今から徹夜で作ろうと思っていたところだ」
「また徹夜するつもりか。そのうちお前もマナラとイゼアの二の舞になるぞ」
「今だけだ。こんなこと毎日出来るかっ! あと、イゼアは睡眠時間はそれなりに取っている!」
「そうなのか。事故って死んだら死体をもらおうと思っていたのに。あれだけの魔力があれば、悪魔も作れるかも知れないのに」
「……あのなぁ」
本気で少ししょんぼりとしたアランは、さすがキーディアの従兄といったところだ。死んでからの方が親しくなれそうである。
「まあ、アランったらいつまでたっても無邪気なんだから。よければその問題、わたくしが作りましょうか」
「イレーネ様にそのような事をさせるわけにはいきません」
「まあ、何を言うの。適切な難易度を保たなければ、イベントとしては失敗です。こういった場で、どれほどの益が見込めるか見てみたいのです。それには自分で操作する方がいいでしょう。ここは元手がかかりすぎているけど」
しかしイレーネが作れば、元手などあってなきに等しくなるだろう。彼女自身が魔石生成をできるのだから。
今度はこういう体験型アトラクションもいけるのではと思っていることだろう。持っている石に反応して問題が変われば、子供から大人まで楽しめるようなアトラクションになる。
「そ……そういうことでしたら」
アランも彼女の商売熱心さを知っているのか、たおやかに微笑みながら内心で燃えているイレーネを見て、こくこくと頷いた。どことなくサディと仕草が似ている。ひょっとしたら彼女はこの手の顔立ちをしているのかも知れない。本当なら、きっと美少女としてもてはやされているのだと、ハウルは疑いもせずに思う。
「ハウル様。わたくし魔法のことはあまりよく知りませんの」
「え、お前の保護者教えなかったのか?」
「だって、魔法は一切使えないんですもの。だから学問としては習いましたから、理論的なことは分かりますけど、本腰を入れて学んではいませんから。そのために、カロンにお金と魔石を渡していますの。国の研究者も優秀ですが、さすがに賢者と同等を求めるのは酷ですから」
「ああ……そうなんだ」
カロンのパトロンの一人がイレーネであることは知っていたが、そういう理由で、もしもそういう理由がなければ自力で行いそうなことを言うのが、実に彼女らしい。
「たっだいまぁ」
元気な声で挨拶をしたラァスを見て、アヴェンダは顔を上げた。
「あ、アヴェンダちゃんどうしたの? お肌が輝いてるよ」
マッサージとともにあれだけ色々と塗り込まれれば一時的にとはいえ肌の調子はよくなるに決まっている。匂いからして、さすが王族専用と思うような高価な材料で作られた軟膏や油だった。売り物としてなら作りもするが、自分で使う分には無理である。
「他人の金で受けるエステは格別だったよ」
「やーん、いいなぁ。アヴェンダちゃんもともとお肌綺麗だから、うらやましぃ〜」
背後に騎士達を引き連れているせいか、男装していても女言葉を使ってぶりぶりと拳を口元に手を当てて首を振る。これが似合ってしまうところが恐ろしい。普通なら、鬱陶しいと殴り倒したいところなのだが、彼がすると男だと分かっていても平常で見られるのである。
「おい、ラシィ。ラァスの格好でそういう気色わりぃことすんなよ」
「ひどい! お兄さまがやっても似合うのに!」
「いや、似合うとかそういう次元の問題じゃなくてな」
ラァスはぷくりと頬をふくらませ、ライアスとかいった男を睨み付ける。それを見て、アミュはくすくすと笑い出した。
やはり男は、こういうのんびりとした穏和な女の子が好きなのだろう。もしくはラシィのような憎めない活発な女の子。
「ところで、ハウル達は? つけてたんでしょ?」
「ああ、なんか迷路に入ったっきり出てこないからさぁ。きりがないからやめて買い物して帰ってきたの。ほら、アミュとおそろいの髪飾り。これなら普段使いも、ちょっとしたパーティにもつけられるよ」
シンプルな色のコームを見せた。シンプルだからどこにつけていっても嫌みにならず、浮かない。これで髪をまとめて飾りを付ければ、十分にパーティでも使えるだろう。
だが、ラァスがそんなものを買ってどうするのだろうか。彼はそこまで髪は長くないし、何よりも不要である。
「本当は自分でつけたいけど、私は髪が短いから姫様へのおみやげなの。アミュを独占してばかりじゃ怒っちゃうから」
アミュはやんごとなき姫君に仕えているらしいが、よほどその姫君に気に入られているようだ。アヴェンダなど、怒らせてそれでさようならに違いない。姫君の相手が出来るような忍耐も度量も教養もない。
思わずため息をついて、アミュを見つめた。彼女は視線に気付き、にこりと微笑みを返してくれる。
「アミュなら何でも似合うだろうねぇ」
憎らしいほど何でも似合って、男達を魅了するだろう。今はまだでも、将来はそうなるはずだ。
確実に、前に見たときよりも綺麗になっている、これからどんどん綺麗になる少女を見て、ただただため息をつくしかない。
「アヴェンダさん」
「何だい、キーディア」
「大丈夫ですか? ゾンビいりますか? 可愛いお人形とか」
「大丈夫だよ」
いくら何でもゾンビやら死霊いりの人形に話しかけるような可哀想な人間には落ちぶれたくない。どちらも同程度にできれば一生涯避けたい選択である。
「そうだアヴェンダちゃん。傷薬作れるかな?」
ラァスの問いにアヴェンダは首をかしげた。今は力を封じられているとはいえ、彼は聖人となるべき魔力の持ち主で、傷薬など一生頼ることはない身分なのだ。理解できずにいると、彼は背後の騎士達を指さした。
「こいつらに魔法なんて甘えたものを使うと、訓練にならないから」
「ああ、痛みに耐えるのも訓練の一環だね」
痛んでいても変わらず活動を続けられる精神というのは、彼らにとって必要不可欠だろう。本当に彼らが必要になった場合。
「いいよ。材料はここにあるだろうから、作り方を教えるよ。鎮痛効果のない薬に、即座に痛みが消える薬。役に立ちそうな調合をいくつか」
「いいの?」
「いいさ。料理だって、レシピを見たからってプロの料理人の味を再現できるわけじゃないよ。薬の調合だって同じ事」
いじけていても何も変わらない。いじけて沈んでいるよりも、せせら笑って斜に構えている方が自分らしい。なるようになるしかないのだから。
「あと、このお馬鹿さんが怪我したんだ。新薬の実験台にでも何にでも使っていいよ」
「ちょ!」
彼の背後に控えていた背の高い男を見上げた。背が高すぎて視界に入っていなかったのだが、よくよく見ればアヴェンダよりも少し年上といった、まだ少年の域を抜けていない若い男だった。
「怪我?」
「ほら」
よくよく見ると、腕にうっすらと切り傷がある。
騒ぎたてる傷ではない。女性なら傷跡が残るのではと騒ぐかも知れないが、こんなに大きな男が騒ぐ傷ではない。
「そんな傷、自分で洗ってなめといで」
「ええ!?」
少年は声をあげてがくがくとラァスの肩を揺さぶった。
「まあまあアヴェンダちゃん。これでもエリートだよ。超お金持ち。顔もそこそこだしなかなかいい物件」
アヴェンダはじとーっと少年を見上げた。年が近いのはいい。年が離れているのは苦手だから。
「デカいねぇ。側にいるとうっとうしそうだ」
身長差は少しは欲しい。アヴェンダは小柄な方で、後ろ姿だけだと子供にも見えるらしい。だからアヴェンダに近い身長の男など、冗談ではない。しかしそれは大きすぎると話は変わってくる。
「ごめんねぇ、アリオン。君の最大の長所を全否定されちゃった……って、どこに行くの!?」
ラァスは走り去る少年に手を伸ばすが、もちろん止まる気配はない。
「何あれ」
「前に会ったとき君に一目惚れしたんだって。あいつ自分が大きいから、小柄な子が好きなんだ。気が強いともっと好きみたい。アヴェンダちゃん可愛いし」
「はぁ……」
一目惚れという言葉に、アヴェンダはため息をつく。彼女もラァスにまさしく一目惚れしたのだ。自分だけが不幸なよりも、他人も一緒に不幸な方が気が晴れる。どいつもこいつもイチャイチャらぶらぶしているので、そう思うとすっとした。走り去っていった彼には悪いが、気が強い女が好きならこれくらいで泣いて帰っているようでは問題外だ。
「さて、色惚けはほっといて仕事でもするかい。キーディアも来るかい?」
「はい」
一度彼女の傷の様子を見たいと思っていたアヴェンダは、とりあえず誘うと即座に頷いた。
あたしには薬研と向き合っている方が似合うさと、内心で自虐的に呟き部屋を出た。