12話 エインフェに集う聖人

3
 
 鏡に映る自分を見て、少しばかり不満に思う。
 手直しをしてみるが、やはり元来の自分のようにはいかない。
「エヴァさん、手伝ってぇ」
「かしこまりました」
 エヴァリーンはラァスの手から道具を受け取りさっと手直しをする。器用な指先で、女の子になったラァスを男の子らしく修正する。顔というのは、分からないほどの微妙な陰影でも印象が変わるのだ。元々女顔であるため、女女した印象から少しでも離れられればいい。
 目立たない化粧品で印象を少しだけ変えるのだが、目立たなくそれをするのはなかなか難しい。いつもとは勝手が少し違うので、納得のいく出来にならない。目立たない色で少しでも男を感じる陰影をつけるというのは、もう職人技だ。エヴァリーンはそれをささっとやってのける。
 さすがに長く生きているだけはある。
「いかがでしょうか」
 鏡に映った自分を見て、ラァスは満足して頷いた。
「さっすがエヴァさん。ありがと」
 化粧直しが終わり鏡をしまうと、ラァスは立ち上がりドアへと向かう。
「どちらへ?」
「ハウルまだかなぁって。
 退屈だからハウル達が来たらミンスとルートの所に行きたいから。あ、イレーネも行こうよ。すっごく可愛いよ」
 ラァスの言葉にイレーネは目を輝かせた。実家では可愛らしい生物とは無縁で、だからこそ他所に来るとそれを求めてしまう。危ないのでこの敷地内から出るなと言われている彼女にとって、またとない娯楽に違いない。
 手袋をして日傘を手にした彼女は、貴婦人の笑みを浮かべて促した。
「さあ参りましょう」
「いや、せめて護衛の人が来るのを待とうよ。僕らが先に行ったら、困っちゃうよ?」
 なにせいるのは聖人二人と吸血鬼二人。そして隣室にいたメディア達。ハウルはまだこちらに向かっている最中どころか、まだ連絡が行っていない可能性もある。
「いいじゃない。向かうついでに止めれば。
 来た道を戻るなんて二度手間よ」
 メディアが言い部屋のドアを開ける。アルスが補習に行って、ミンスもルートをかまいに行き、カルはハウル達を探しに行って、友人達はそれぞれ勝手にどこかに行ってしまった。その上ハランはカオスと明日からのことで話をしている。だから一人でほっとかれることになり、少し機嫌が悪い。
 そんな不機嫌な彼女は返事も待たずに部屋を出て行ってしまう。ラァスは肩をすくめてすれ違ったときのために書き置きをしてから、先に行った皆を追いかけた。
「ルートも可愛いかも知れないけど、他にも可愛い生物はいるわ。かなり特殊だけど」
「まあ、素敵。ぜひ案内していただきたいわ」
 それにはラァスも興味を持った。去年は授業に参加までしていたので、生徒が行く範囲しか見ていない。ダーナへのいい土産話になるかも知れない。
「癒しは大切だよね」
「ええ、明日からは拝み倒される数日間が待っていますもの。可愛い子供達が相手ならいいんですが、相手は大人ですものね。老人とはいえ男性が触れてこようとするのは不快です。それを理解してくださらない方がとても多くて」
 女王のイレーネですら、そんな被害に遭っていると思うとぞっとする。平民生まれのラァスなど格好の餌食ではないか。
「聖人は触れさせてくれて当たり前だと思っている人もいるよねぇ。断ると怒るんだ。汚い手をイヤだと思うのは、こっちの勝手でしょって感じ」
「ええ、分かります。子供相手なら微笑ましくもあるのですが、いい年した大人が何を甘えたことをと言いたいものです。幸いわたくしは女王という身分があるので、触れようと近づく者は一日ほど牢でお泊まりしていただいていますの」
「女王でなくても、女の人に勝手に触れようなんて男は牢屋行きで当然だよ」
 下々の者が穢れた手で聖人に触れようという気持ちが理解できない。当事者になる前は、そんなご立派な人間に触れるなどとんでもないとラァスは考えていたものだ。
「ああ、深淵の森とか嘆きの浜とかが懐かしいなぁ」
 自然豊かで可愛らしい生物も生息していた。あの頃は平和だったなと、今だから輝いて見える日々。過去が美しくなるというのは本当のようだ。
「いこっかぁ」
「はい」
 大自然はなくとも、癒しは目の前にある。女の人に囲まれて可愛いものを見るなど、最高の癒しではないだろうか。アミュが合流したら、まさに天国。
 幸せだ。


 イゼアは笑顔で通路の奥を指し示す。
「こちらが塔の名物、一人で入ったら命が危ない、魔道士なんて信じるな、信じたら実験台にされるぞ、とまず教えられる研究棟です。子供達はおびえて、脱落していく恐怖の元になっています」
「…………」
「ここから先は、研究を盗まれるのを恐れる頭のねじが外れた気の狂った人がいっぱいいるので、案内できません」
「なんでそんな所を案内するのよ」
「名物の一つだし、危険地域に入り込まないようにと。まあ、彼女は大丈夫でしょうけど。きっと捕食者として認識されますから」
 ちらとキーディアを見て言う。この一族がこの施設内でどのような立場かよく分かる台詞だ。
 少し戻り、渡り廊下を通って別の棟に行く。今までは学生はあまりいない場所だったが、その棟には生徒がたくさんいた。ここが学棟のようだ。隅にある食堂付近には足を踏み入れたが、ここは教室が近いらしい。
 外観はずいぶんと古くて立派だったが、こうしていると学校というのはどこもそれほど変わらないのだと実感する。
「授業はしてるのに、生徒が普通に塔の外にもいるのはどうしてだい?」
「今は祭りがあるから今日から授業は義務じゃないんですよ。ここは寄宿舎への通り道になりますから、人通りもけっこうあるんです」
「その割には授業を受けている生徒が多いね。さぼる口実になるのに」
「店を出したりとか、何かをしないといけないからですよ。魔道士は商売下手が多いから、こういう事も学ぶ場を設けているってことらしいですけど、面倒ですから嫌がるんです。まあ、だからチャンスを生かそうって人は半々ですね」
 頭でっかちになって人に騙される学者は多い。商人が入り乱れる場所で商売をするのは、彼らにとってはいい機会だろう。技術の発表の場であり、趣味の場にもなる。貴族も多いので、悪くない試みだ。
 通りすがる生徒達は、イゼアを見ては囁き合う。元々塔で学んでいたと本人が言っていたので、顔見知りでもおかしくない。
「あ、チビ君また練習してるんだ。可愛い」
 窓の外を見て、イゼアが呟いた。贅沢に使われたガラス越しに外を見ると、ルートと大人の白竜が並んで遊んでいる。近寄れば十分大きなルートも、大人と並ぶ室内用の可愛らしいサイズに見える。
「何だアレは」
 塔の住人であるアランが顔を顰めて窓に張り付いた。
「塔長様が卵から孵した始祖の竜です。小さな方はハウル様が孵した白竜。
 というか、大きな方はアランも毎日のように見てるはずのミンスさんですよ」
「……メディアは、あれを顎で使っているのか」
 あの巨体を見ると、少し衝撃だ。
 ミンスとは、メディアの後をちょろちょろついて歩く白っぽい印象の少年のことだろう。あれがああなるとは世の中は分からない。
「毎年ああやって遊んで……練習しているんですよ。大きくなったり、小さくなったり、人型になる練習」
「人型に……」
 ハウルが外出するとき留守番の多いルートにとって、その技術を身につけることは大きな意味があるだろう。育ての親で兄であるハウルと、一緒にお出かけしたいのだ。飼い主に似ず健気なものだ。
「ある意味この時期の名物ですよ。ルート君がとっても可愛いって、評判がいいんです」
 実に微笑ましい光景だ。よく見れば、その足下付近に知人達が集まっている。
 ラァスも。
 ため息一つついてアヴェンダは窓から視線を外した。
「あちらには塔特有の施設がいっぱいありますよ」
 気を落としたのが伝わってしまったのか、イゼアがアヴェンダの手を引き笑みを浮かべる。女だと分かっていても、胸のときめきを覚える美少年ぶりだ。線が細いのに、彼女は男らしい。目元に力があるからだ。今は成長途中だから少年にも見えるが、将来はさぞ美人になるだろう。
 自分の回りには女ばかりだ。しかも美人がそろっている。
「あっれぇ、何でこんな所に脱落者がいるんだよ」
 知らぬ少年がこちらを見て言った。正確には、イゼアを。
「いいよなぁ、勉強から卒業した暇人は。女の子と遊ぶ時間まであるのか。まあ立派なふしだら男になったもんだ。色男」
 少年はまだ何か言おうと口を開いたが、そのまえにイゼアが何かを放って吹き飛んだ。突き飛ばされた程度の力なので、怪我はしていないがついた手が痛かったのか、顔を顰めて手首を振っている。
「お前、魔術は使えない体質じゃ無かったのか!?」
「塔長様よりも魔力だけは高いらしくて、魔力だけでも衝撃波にはなるんですよ。魔動機で変質させれば、呪文を唱えることなく魔術と同じようなことが出来ます。不自由はしていません」
 笑みのまま、怒りを込めて。
「勉強をやめた覚えもありませんし、魔に関わる理論については今でも貴方よりも上です。魔動技師っていうのは、魔の知識があることが前提なんですよ。魔法がない代わりに、知識で補うんです。専門家を舐めないでください」
 そのまま親指を床に向けた。笑顔だが、彼女の周囲に黒いモノが見えたような気がした。
「好きな子が私に夢中だからって、嫉妬しないでください平凡顔の人」
 アヴェンダは思わず頷いた。この男よりもイゼアの方が女にもてそうだ。彼女が表現したとおり、彼は平凡顔だから。しかもこんな短絡的な行動に出る。
 イゼアは男女と言われたのがよほど頭に来たのだろう。美形にも美形なりの悩みがあるようだ。髪飾りで少しだけでも女らしく見せようとしているが、成功していない。
「さっさと行くよ。可哀想なおつむの弱い男にかまってるほど暇じゃないだろう」
 アヴェンダはイゼアの手を引いて歩く。キーディアが少年を見上げて、指を差してヒルトアリスに何か言っている。どうせ死霊がどうのと言っているのだろう。
「あーあ、やだねぇ。男は陰険で」
 女は陰険だとよく言われるが、他人を攻撃するときの男はもっとえげつないものだ。しかも女ほど隠そうとしないから分かりやすいようにねちねちとやる。
 だから分かりやすく言ってやらなければならない。
 周りの女達の熱い視線はとても分かりやすいのだが、あの男に伝わったかどうか分からない。しかしイゼアがいなくなった後で、何とでも言ってくれるだろう。
 視線と囁きだけで分かる。
 イゼアは女性にもてるのだと。
「ヒルトもイゼアを見習ったら?」
「どうやったらいいんでしょうか? 髪を切るべきでしょうか?」
 アヴェンダは振り返り、どこをどう見ても女性であり、髪を切って男装しても似合うだろうが女性になりそうな物腰のヒルトアリスを見て、無駄だと思い肩をすくめた。


 理力の塔というのは、人魚であるセルスにとってはとても不思議な場所だった。人間の街には少しは慣れて、ラァスには大きなデパートや劇場にも連れて行ってもらったため、ある程度のことには慣れたはずだった。しかしここは不思議だ。噂に聞く学校というものに近いらしいが、それも知らないのでとにかく楽しかった。
 手をつないでくれているのは、とてもとても綺麗な女の子だ。人魚にはないヴェノムのような綺麗な黒髪で、とても強い。
 イゼアという男の子のような女の子のようになりたいと思っているようだが、きっと彼女が剣士だからだろう。
 人間の女性は男性よりも肉体的な能力で劣っているため、弱い存在として扱われる。それはいい意味でも悪い意味でも。見た目が小柄なセルスも弱者のように扱われるため、セルスにはその気持ちが少しだけ理解できた。
 まだ年若い人間の心はとても繊細であり、対応を間違えないように気をつけよう。
「セルスさん、楽しいですか?」
 考えていた最中にヒルトアリスに問われ、セルスは反射的に頷いた。
「はい、とても」
 ヒルトアリスの微笑みは春風のような心地よい暖かみを感じる。本当に綺麗な人だ。目は悪くないのにかけているメガネは、彼女の見えすぎる視界を制限するためにカロンが作ったらしい。このように魔力が溢れる土地で何でも見えてしまうのは辛いだろう。実際にあるものと、本来目に見えぬ物の境がなくなり、人からは奇異に見られてしまう。
「人間はああやって魔法を作っているんですね。私達は何となくしているだけだから、驚きました。だから人間は肉体的には弱いのに、これほど繁殖したんですね」
 だからヴェノムも弟子を取り、力の使い方を教えているのだ。本能で力を使う妖魔は、だから人間に狩られてしまう。自然界でも強者が勝つとは限らない。
 歩く内に一階の廊下に出て、右手の庭でルート達が練習をしていた。
 妖魔や竜でも、力の使い方ぐらいは年長者に教わる。学問ではなく感覚的なものだから、人間が教わるのとはまた違う。元々人の姿である人魚族には理解できない練習だが、皆が微笑ましいと思うのは理解できた。
「どうしてそんなに人型になりたがるんでしょうね」
「人型は器用。便利」
 セルスの呟きにキーディアが答えた。人型だと地上に上がったときに背が届かない場所があって不便なのだが、道具を使うのには便利だ。
「おーい、何してるのぉ?」
 ラァスがこちらに手を振って跳ねた。いるのはラァスとメディアとイレーネと吸血鬼達だけで、他の知人達の姿は見えない。
「イゼアに案内してもらってたんだよ。これから珍しい生物がいるところに連れていってもらうんだ」
 アヴェンダは笑顔で近寄るラァスに答えた。心なしか声に先ほどまでの張りがない気がした。
「ああ、君たちも?」
「そっちもなの?」
「ハウル達を待ってるんだけどなかなか来なくて。だから他の人に探しに行ってもらってるんだ。護衛にもならないねぇ、ホント」
「あれに期待する方が間違ってるんじゃないかい。せっかくだから、一緒に行く? ルートも見られてても緊張するだろうし」
 うんうん唸っているルートは、時折気になるのかこちらを見ている。それを見たラァスは肩をすくめてルートに手を振った。
「僕らちょっと他の所に行ってくるね」
「ヒルトがいるなら安心だね。分かったよ」
 ルートは頷いて、ラァスを見送る。竜といえば神をのぞく生物の中で最強と呼ばれるが、彼らを見ているとそんな恐ろしい印象も薄れる。生き物なら、強きも弱きも関係なく、様々なタイプがいるのだ。先ほどの少年のような敵対者に対して牙をむき出しにする人魚もいれば、最後まで牙を隠す人魚もいる。
 ラァスは後者のタイプだということは、短い付き合いながらも分かっている。
 ヒルトアリスは純粋無垢に見えるのだが、実はラァス並みの強かさを持っていたりするのだろうか。それでも、助けてくれた精霊に好かれる人間だから、いい人には違いない。
「セルス、鼻の下伸びてるぞぉ」
 ラァスが近づいてきて、ヒルトアリスとつないでいるのとは反対側の袖を引いて囁いた。
 そんなにだらしのない顔をしていたのだろうか。
「ら……ラァスはアミュと一緒じゃないんですか?」
「アミュもハウル達と一緒だよ。どうせどっかでのんびりお茶飲んでるよ」
 彼も本当はアミュと二人でいたいのだろう。最近では人間のシステムのせいで聖人とかに認定されてしまい不自由な生活を強いられているらしい。
「前から思ってたんですが、聖人というのは何なんですか?」
「根本的なところから分かってなかったんだね」
「人魚には、そんなシステムがないので」
 メディアの母親のアルスは母神に関する魔法を使えるらしい。力を導くだけでもすごいので、理解できた。アヴェンダと談笑しているイレーネは、魔石を作れるらしい。なんとなくそれっぽいので理解できた。
 しかし聖眼が当てはまるのなら、人魚から見ればヴェノムも聖眼であり、聖人ということになる。しかし実際は邪眼と恐れられている。
「奇跡を起こす人達だよ」
「聖眼は奇跡なんですか?」
「違うよ。聖眼だけなら聖人じゃないよ。聖眼を使えることが前提。聖眼でも力の強弱があるし、あとは精霊にどれだけ好かれているか。
 言い方を変えると、精霊をどれだけ使役できるかだね。で、精霊を神様から引き離すほどになれば、立派な聖人。神様の命令を背かせるっていうのは、本当に従えてるって事でしょ」
「背かせたんですか?」
「まさか。そんなひどいことしないよ。可哀想。でもクリス様の命令より、僕の命令を優先してくれる子ならたくさんいるよ。
 まあ、聖眼が聖人になるのを世間に証明をするのは神様なんだよ。聖眼の人を自分の神官にする。そうすることで裏切られるのを防ぐんだ。
 世間のシステムに組み込むことで、いい使いっ走りにできるし、世間の目があるから自分から離れない」
 つまりは、聖眼で神様に気に入られたら聖人になるということだろう。逃げられないように束縛されて。
「じゃあ、ヴェノム様も神官になれば聖人なんですか?」
「そうだね。でも、邪眼を受け入れるのは火神殿ぐらいだけど、師匠は絶対に行かないから」
 つまりは好きで聖人になっていないだけ、ということだろうか。
「師匠は神様と関わりすぎているから聖性主義者も狙わないぐらいだしね。でもそのレベルになったら、人間終わりだなぁって思うよ」
「なぜですか?」
「人間の範疇を越えるって事。部下以上にはなりたくないね」
「なるほど」
 なんとなく分かるような気はする。ヴェノムは色々と苦労が多そうだ。
 人間のシステムはややこしくて難しいので、組み込まれると大変そうだ。人魚であるセルスには無関係で、それが少し寂しくもある。
 前方で、案内していたイゼアが振り返った。
「人間ではない方には、少し不快な場所かも知れませんがいいですか?」
「魔物がいるからですか? 弱者をカゴに入れて飼うのは人間だけではありませんよ」
「そうですか」
 セルスの言葉を聞くとイゼアは前を向く。彼女が向かう先には、また別の建物があった。他の建物とは少し雰囲気が違う。強い結界と有刺鉄線が張られている。
「……何あれ」
「電流が流れてるのよ。あ、別に危険な場所じゃなから安心なさい。どちらかというとドロボウ除けよ」
 メディアの言葉に、セルスは納得した。魔物というのは人間の間では高値で売買されているというのを身を以て知ったばかりである。だからああやって守っているのだ。
 好奇心が湧いてきて、早く見たくてうずうずた。
 どんな生物を飼っているのだろうか。可愛いといっていたので、きっと小さな生物だろう。人間は小さな生物を好む。しかし大きくとも美しい生物を愛玩用にすることもあり、想像もつかない。
「やぁ、メディア、イゼア」
 見上げると、二階建ての屋根の上に一匹の白い馬が立っていた。
 馬が。
「……なんで馬が屋根の上に」
 馬とは大地を走る生物だ。いくら魔物とはいえ、どうやって登るのだろうか。
「またそんなところに登って。本当に馬鹿は高いところが好きね」
「馬鹿なことしていないで、さっさと降りてきてください」
「了解っと」
 馬は屋根を蹴り、柵を飛び越えてメディアとイゼアの元までやって来た。
「今日は乙女をたくさん連れてきたな」
「あんたはどうでもいいのよ」
「そうです。勝手に家から出ないで下さい」
「いつもの事じゃないか」
 馬はイゼアの手に頬をする寄せて言う。
 その額には角がある。
「ユニコーンだ! すごい! 綺麗! 僕も触りたぁい」
 一番こういうのを好みそうなラァスが真っ先に走った。しかしユニコーンの方はラァスを見ると後退して威嚇する。
「男が触れるな!」
「ひどぉい! 僕女の子なのにぃ!」
 角を突きつけるような体勢を取るユニコーンに、間を置くことなく返すラァス。瞳に涙を浮かべ、ふるふると首を振る。それを見てユニコーンはラァスを見つめて威嚇を解いた。
「女の子が僕などと言ってはいけない」
「癖なんだもぉん」
「悪かったから泣くな」
「じゃあさわってもいい?」
「よい」
「わーい、本物のユニコーンさんだぁ。きれぇ」
 ユニコーンは頭を突き出しラァスに触れさせる。ラァスは躊躇いなく触れ、たてがみを撫でる。
「……なあ、ユニコーンの乙女好きってのは、ただの選り好みなのかい?」
「ぶっちゃけ、男の人に触られても本人が不愉快なだけで伝説のように弱ったりしませんよ。完全に彼らの趣味です」
 アヴェンダがイゼアに尋ね、その会話を耳にしていたユニコーンがラァスを凝視する。
「ひどい。まだ疑うの? 小さいけど、胸だってちゃんとあるもん!」
 今だけだが、女の子の身体であるのは間違いないので、彼は楽しむようにこぶしを口元に当てて女の子らしく振る舞う。それを見てイレーネもユニコーンに近づいた。
「わたくしユニコーンは初めて見ますわ」
「君は魔石の芳醇な香りがするね」
「ユニコーンは魔石が好物でしたね」
 イレーネはバックからケースを取り出し、中から光る石を取りだした。魔石のようだ。海には落ちていないので、セルスは一度も手にしたことがない。
「これでしたら使うこともないのでどうぞ」
「これはモルヴァル産だね。いいのかい、こんな高価な物」
「属性なしの魔力だけしか持っていないくず石です。色もくすんでいますし、爆発的な魔力が必要になることなどほぼありませんから、どうぞ」
 ころころと笑いながら、魔石を差し出した。ユニコーンはイレーネの手から直接魔石を貰い、美味しそうに食べる。堅そうなのに、噛んでいる。
「……これ、ひょっとして女王陛下が作られたものじゃないのか?」
「あら、そんなことまで分かるんですか?」
 イレーネはユニコーンを撫でてふふっと微笑む。
 イゼアは肩をすくめてユニコーンの額をに軽く殴った。
「イレーネさん、餌付けは禁止されているんで」
「まあ、そうでしたの。申し訳ありません」
「いえ、甘やかすとつけ上がるんですよ。高い物を食べさせると、普通の餌を食べなくなるんで。最近はお腹がすくとうちに来るんですよ。鬱陶しいからってマナラさんが魔石あげちゃうから」
 どこまで脱走しているのだろうか、このユニコーン。
 彼のような希少種は、人間に保護されているのだ。彼の角を狙うのは人間ばかりではない。知能のある種族なら、有用なことを知っているので、見つけたら狩ろうとする可能性が高い。人魚だってそうだ。油断していると、陸の妖魔に食われてしまう。
 だから陸の妖魔は、彼のように人間に保護されていることは珍しくないと聞く。
「まあ、そんなに質素な生活をしているのですか。確かに、この地で魔石は高価ですものね」
「いや、モルヴァルでも高いでしょう」
「二割ぐらいは安く売っていますわ」
 魔石の価格がさっぱり分からないセルスは、その差について理解できなかった。海には高価な物がたくさんあるので、金銭のことで困ったことはないため、余計に分からない。
「イレーネ……君は、女王陛下か?」
「わたくしをご存じ?」
「失礼を致しました陛下」
 馬が器用に傅き、角の先端をイレーネの足下につける。彼なりの礼の取り方らしい。
「噂に違わぬ清らかさ。一目見てまさかとは思いましたが、よもや真に女王陛下とは」
「公務の一環で来ています。気になさらないで」
 彼女は王族のようだ。人間の王族は滅多なことでは人前に姿を見せないのだと思っていたのだが、カロンといい案外気安いようである。
「え、本当に女王陛下なんですか?」
「はい。イレーネ様は女王陛下です」
「うえええっ!?」
 イゼアは知らなかったらしく、ヒルトアリスに問うてぎょっとした表情を浮かべた。この慌てようからすると、やはり世間的には王族は気安くないのだろうか。
「大丈夫だよ。イレーネは自分で遊園地作って働く庶民派だから」
「まあ、王族の方とは夢にも思いませんでしたけど……」
「ただの道楽金持ちだと思ってればいいよ。本人にも女王の自覚無いから」
 イレーネがラァスを見ている。微笑んでいるが、何か言いたげだ。しかしすぐにユニコーンへと視線を戻す。
「ユニコーンさん、お名前は?」
「ファーンです、陛下」
「素敵なお名前ですね。
 わたくしのお城に遊びにいらっしゃらない?」
「いいのですか?」
「ええ。ぜひ」
 セルスはユニコーンを羨ましく思う。
 人間の王宮はとてもすごい場所だと聞く。一度行ってみたいものだ。
 ひょっとしたらラァスに頼めばクロフィアの王宮には入れるかも知れない。夜にでも相談してみよう。
「陛下は見物なさりに来られたのですか」
「ええ。可愛らしい生物がいると聞きました。創作意欲が湧くような可愛らしい子はいるでしょうか」
「ではご案内いたしましょう。ああ、手は出されないように。小さくとも凶悪な輩もいるので。
 陛下は馬には?」
「ごめんなさい。わたくしの周囲は過保護で、怪我をする可能性があることはさせてもらえないの」
「そうですか。残念です」
 乙女を背に乗せたがるのがユニコーンだが、相手が女王であってもその対象とする彼の思考に舌を巻く。種族の差で、これほどまでに考え方に違いがあるのだ。
 セルスはふとヒルトアリスを見た。
「ヒルトさんなら、馬に乗れるんじゃないですか?」
「乗れますけど、あの方は嫌です。なんだか人間の男性のようで……」
 下心丸出しの様子に脅えたヒルトアリスに振られ、ファーンの顔が強張った。そんな彼の背に、アヴェンダの手を借りてキーディアがファーンの許可を得ずによじ登った。小さいながらも乙女は乙女であり、ファーンは小さくため息をついて歩き出す。
 キーディアはとても楽しそうだった。

back      menu       next