14話 姫君の家出
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 荷造りを終え、降り積もろうとしている雪の中をはしゃぐキーディアとノーラを呼び寄せようとしたときだった。
『ハウル〜!』
 ポケットの中の貝殻が音で震え、ラァスの声が響く。
「どしたぁ?」
 いつもの脳天気を装った声ではなく、せっぱ詰まった雰囲気がある声に、ハウルはわざと間延びした声で応えた。
『アミュ知らない!?』
「アミュがどうした」
 まさか仕事で行方不明になったなどと言うのではないだろうなと思いながら、ラァスの言葉の続きを待つ。
「姫様達と一緒に家出しちゃったぁっ!」
 ハウルはその場に崩れ落ちた。安堵もしたが、ラァスの気の抜けた叫びがどうにも力を抜く。
「達……って、あの神官二人も?」
「ううん。ファーリアさんとリオさんの四人。僕ら仲間はずれで探しまくってるの」
 お付き二人を思い出し、その上アミュまでいるのなら安心だ。身の心配もなければ、浅はかなことをする心配もない。ファーリアとリオは彼女の周りでも比較的まともな部類だ。
「別にいいだろ、それぐらい」
『よくないよぉ。僕が原因だもん』
「なんで」
 アミュが家出するほど怒るようなことは考えられない。たとえラァスがどんなに悪くとも、彼女は家出などしない。サメラが中心なのは間違いないが、彼女とはそれほど親しいわけではない。
『原因は姫様のお父様なんだけどねぇ。さすがに公爵閣下に恨まれたくないよ』
「何したんだよ。まさかサメラに何かしたのか」
『まさか!』
 天地がひっくり返っても、彼がサメラに危害を加えることはないだろう。女神であり、好きな女の上司だ。逆らえない。ラァスは長い物にはとりあえず巻かれてやるタイプだ。
「どうしたんだい。ラァスかい?」
 アヴェンダとカロンがやって来た。遊ぶ二人を連れに来たのだろう。
「なんか、ラァスがサメラに──公爵家の姫君になんかして家出されたらしいんだ」
 聞いた二人は顔を顰める。
『何もしてないよ! ただ、姫様のお父様がずっと僕のこと女の子だと勘違いしてて、男だと知られたら激怒して追い出されたんだ。それに姫様が怒って家でしたの』
 聞いた三人は何とも言えぬ曖昧な表情を浮かべる。
 大変なのだが馬鹿らしく滑稽だ。
「で、探していると」
『ネフィル君が半狂乱』
「ザインなら探し出せるだろ」
『出てこないから危険無しって事じゃないのかな。問題なのは、お父様の方だよ』
「まさかお父様なんて言ってないだろうな」
『姫様のお父様とは言ったね』
「それが一番最悪だ」
『可愛い妹の忘れ形見なものだからよいけに可愛いみたい。近づく男は全滅。だからみんな脅えて姫様健康になってもずっとフリー。睨まれちゃって姫様を連れ帰らないと後が恐い恐いのぉ!』
 最後の方には余裕が出てきていつものふざけた調子になる。
 一度も会ったことはないが、あれだけ見栄えのいい娘だ。しかも最近まで病に倒れていた。可愛くないはずがない。
「わかった。見かけたら知らせるよ。メディアにも伝えたか?」
『今から。とりあえず頼りそうな人には全員知らせるつもり』
「頼む相手は選べよ」
『分かってるよ。メディアちゃんじゃなくてカオスさんに頼むよ。メディアちゃんならかくまっちゃうからね』
 その通りだ。相手は本当に選ばなければならない。ラァスの味方になって得をする者。カオスなら間違いなくラァスを選ぶ。御利益もない女神よりも、人間の未来の権力者。それが利益を考える物の答えだ。
「まあ、がんばれや。俺達そろそろ別荘に行くから」
『嘆きの浜? もうそんな時期?』
「今年はもう雪が降り始めやがった。ルートがもう十分大きくなったし今年は起きてるって言うからさ、これ以上ここにいるとまた眠っちまう」
『そうなんだ。ルートもちょっと大人になったんだね。おめでとう。あ、僕忙しいからまたね。見かけたら本当にお願いね』
 慌ただしく言ったと思えば、貝殻に帯びていた魔力が途絶えた。ハウルはポケットに戻し、遊ぶ二人に声をかける。
「おーい、もう行くぞ。ついてこないと置いていくからな」
「ええ、待ってください」
「いやだ行く」
 ハウルには理解不能なキーディア流の遊びをしていた二人は、慌てた様子で立ち上がる。
 いつの間に、二人はこれほど仲良くなったのだろうか。しかし一人遊びや死霊と遊ぶよりもよほどいい。
 慌てて戸口に回る二人を見て、ハウルは魔法陣へと向かった。
 忘れ物はない。忘れたとしても数日後にでも取りに来ればいい。数日ではさすがに雪に埋もれてはないだろう。雪に埋もれていなければ、それなりに気安く帰ってこられる。
 ただ、あまり頻繁な往復は出来ない。
 同一人物が同一の魔法陣を使って頻繁に往復すると魔素が歪む。本来なら恐ろしく複雑で繊細な術なのだが、それを正確に彫り込むことによって安定させている。場が歪めば、出口ではない場所に放り出されてとても危険なのだ。この世の中、安全な場所よりもそうでない場所の方が多い。高い場所に出たり、地中に出たり、海洋のど真ん中に出たりすることの方が多い。
 理力の塔ならそれを防ぐために複数の魔法陣を用意したりそれを封じる設備があるのだが、個人が持つ避暑地として作られているここにそこまでの設備はない。
 ──というか、理力の塔が馬鹿みたいにすごいんだよな。
 要所要所に採算度外視した魔法陣を敷き維持しているのだ。
「嘆きの浜か。一年たつのもあっという間だねハウル君。もうすぐラフィが一歳だ」
「だな。どう見てももっと大きいけど」
 一歳の誕生日なら、何か用意すべきだろう。しかし難しい年齢だ。本人の好みがはっきりしない年齢で、馬鹿親がなんでも買い与え、その上玩具のモデルになっているため女の子が好みそうなグッズを大量に持っている。
 やはり買うのではなく、手作りがいいだろう。
 向こうについたらアヴェンダに相談してみることにする。小さな子供と一番接触する機会が多かっただろうから、きっといい案を出してくれるだろう。


 身を包んでいた冷たい空気が散り、暖かな空気へと入れ替わる。
 もちろん暖かいというほどではないが、雪が降るほどの気温と比べると、そこにいるための装備ではすぐに暑くなるだろう。
 魔法陣がある地下から出ると、窓の外には海が見えた。
「海」
 キーディアとノーラが窓に張り付き、じっと見つめる。
「ノーラはともかく、キーディアは海ぐらい見たことあるでしょう」
 子供らしい反応に少しばかり喜びながらアヴェンダは二人に声をかけた。
「嘆きの浜、初めてです」
「えらい名前だね」
「人魚がいるから、人間がいっぱい死んでいます」
 海ではなく、死霊に喜んでいたようだ。これから真冬になろうという時期に、いくら雪が降らないほどには暖かい地方とはいえ、海に入るようなことにはならないだろうから安心だ。
「あとで泳ぐか」
「泳ぐの!?」
 ハウルの言葉にアヴェンダは耳を疑った。いくら暑さに弱く寒さに強い男といえども、信じられない。
「水中なら体温調整する薬があるからな」
「悪霊のいる海を!?」
「大丈夫だって。足つかまれたりなんてしねぇから。ラァスも知らずに泳いでたし」
 ハウルは気楽に言う。知らないというのは幸せだ。しかし幽霊が出るかも知れないから怖いと言って震えているのも女が廃る。場の空気を壊すのも大人気ない。
「ハウル様、先客がいらっしゃるようですが、あの方々はどなたです?」
「ここの管理人のヨハン……なんかいっぱいいるな」
 ハウルは顔をしかめて砂浜で遊んでいる者達を見る。はっきりと分からないが、三、四人いるように見えた。小さな望遠鏡を取り出し、窓を開けて見る。
 男女が一組立っていて、その視線の先に──
「アミュがいるよ」
「ほ、本当だっ。アミュ!」
 ハウルは荷物を投げ出し、窓から飛び出た。
「ちょっと!」
 アヴェンダもそれに続き窓から飛び出る。
 先ほど聞きかじった話からすれば、アミュと遊んでいる少女はかなり位の高い貴族のお姫様。ハウルなどを突撃させたら、何を言うか分かったものではない。
「あん、待ってくださぁい」
 ヒルトアリスも窓から出てきて、あっという間にアヴェンダに追いつく。足下まで裾のあるドレスを着ているのに、ズボンをはいているアヴェンダよりもずっと軽やかな走り方をする。徐々に砂が増え、足を取られて走りにくくなる。
 向こうもこちらに気づき、アミュが手を振った。
「なんでお前らここにいるんだ!?」
 ハウルはアミュと砂のお城を作って遊んでいた少女へとくってかかる。
 膝が見えるほどの短めのスカートをはいた、少しノーラと雰囲気の似ている儚げな美少女だ。触れたら消えてしまいそうだと思うほど、幽玄な空気を纏う美少女である。さすがはハウルの知り合いだ。
 呆れ半分に感心していると、美少女は
「久しいのハウル。息災かえ。まあ、そなたが息災でないことなどないであろうが」
 と軽口を叩いてほほほほ、と笑う。
「あのなぁ」
「ヴェノム殿はいつでも遊びに来て良いとおっしゃった。家主がよいと言うのじゃ。そなたにとがめられる覚えはない」
 アヴェンダはこの少女を一瞬でも儚いと思ってしまった己を恥じた。
 見た目と中身が等しいことなど稀であり、しかも姫君ともあれば高慢でも仕方がない。
 カロンほどぎりぎりの線での裏切りでない分、分かりやすくていいではないかと自分を納得させる。
「ハウル、頼まれてたんじゃないのかい」
 アヴェンダの言葉で我に返った彼は、貝殻を捕りだし呼びかける。
「ラァス。おい、らぁ……」
 ハウルが呼びかけている最中、姫君が彼の前に立ったかと思うと、いとも簡単に貝殻を奪い取り、砂に投げつけ踏み砕く。
 仮にも魔具だ。ハウルのような半人前が作った物でも、売ればかなりの値段になる。
「お……おま」
「早々に言いつけようとは腐った男じゃ」
「お前……人の思い出とか友情とか、そういう輝かしい記憶となろう青春の一ページを」
「未だ過ぎぬ事を思い出として残そうというのか。女々しい事よ。
 思い出の品というのは、時が過ぎた後にこそ意味がある物。いまからこだわってどうするのじゃ」
「人の友情を踏みつけにしといて偉そうなこと言ってんじゃねぇ!」
 ハウルが失礼なことをしないかと心配になったのだが、失礼なことをしても問題なさそうな相手である。
 彼女の父親もラァスのことでこの娘のことを心配するなど馬鹿らしいとは思わないのだろうか。
 むしろ将来有望な年の近い美形だ。王族との婚姻も可能性としてはあるような相手だ。普通は追い返すどころか、快く思うのではないだろうか。
 この姫君に仕えるのも大変だろうにと、従者らしき二人を見た。
 主が主なら、使用人も使用人。揃って美形と、見た目重視の様子だ。
 大柄だが笑みの柔らかな美女と、線の細い美青年。二人とも剣を腰に下げていることから護衛だと見て取れる。
 一人は男だが、残る三人は女性ばかりで、そろそろヒルトアリスのいつもの病気が始まるだろう。
「お……お姉様?」
 予想していた声にアヴェンダは苦笑する。
 理力の塔で見つけた恋人候補の事など忘れ、彼女は相変わらず素敵な方、お姉様を繰り返している。彼女の性別が女だからいいものの、男だったら殴り倒していたところだ。心移りのはやいナンパ男は殴るべし。
「やはり、リオラお姉様っ!」
 護衛を見て人名を口にするヒルトアリス。知り合いなのだろうかと、背の高い女を見る。
「リオラお姉様っ」
 瞬く間に涙を流し、護衛へと飛びつくヒルトアリス。護衛の、男の方へ。
「ヒルト、どうしてここに」
 男ではなく女性らしい。
 最近は男装の女によく出会う。
「私はこのお屋敷の持ち主の魔女に師事しています。お姉様はどうしてここに? 音沙汰無もないから、ずっと心配していました」
 男装の女をよく見る。
 黒髪に綺麗な顔立ち。髪は短いし顔つきはりりしいが、なんとなく似た印象がある。
「やっぱ……家出した姉ってのは、リオのことか」
 ハウルが無惨な貝殻の欠片を未練がましくいじりながら言う。
「ハウル様、ご存じでしたの!? なぜおっしゃってくださらなかったんですっ!?」
「や、なんとなく聞いたような話だなぁって思ってはいたけど」
 ハウルはちらとリオを見る。
 ヒルトアリスの話では、女らしくてヒルトアリスなど足元にも及ばない美しく強い才女で、王子から求婚を受けていたという話だ。
 美人だが、人物像は一致しない。それどころか顔立ちだけを意識して見てもヒルトアリスの方が美しい。
「あんたが美化しまくった話をしたからでしょう」
「昔のお姉様は男性の格好などしていませんでしたもの。でも、男装のお姉様もとっても素敵です」
 姉相手に頬を染めるヒルトアリス。
 リオラは微笑み妹を抱きしめた。
「申し訳ありません。ヒルトの事だけが心配でしたが、立派になりましたね」
 やはり心配をかける妹だったのだ。
「リオの妹か。ほんに美しい娘じゃの。よいよい」
「お前さ……一応はガキなんだからオヤジ臭いこと言うなよ」
「わらわは美しく強い者が好きじゃ。
 しかし、リオの妹がそなたらの所にいるとは、運命を感じるの」
 ハウルは鼻を鳴らして悪態をつき、美少女姫はほほほと笑う。
 また変な知り合いが増えてしまった。ヒルトアリスの姉なら、彼女もきっと変人だ。男装などしているから、普通ではないだろう。ひょっとしたら彼女も女性が好きで男と結婚するのを嫌がって家出した可能性もある。
「お姉さまは何をなさっておいでなのですか?」
「私はこのサメラ様の護衛をしています。姫様。わたしの妹のヒルトアリスです」
 ヒルトアリスはサメラへと礼をした。
「アヴェンダさん。私の行方不明の姉、アリスリオラ姉さまです」
「ほんとうにみんなアリスがついてるんだねぇ」
「ええ。本家の者は皆ついています」
 つまりヒルトアリスに子が出来たらつかない。
 そうもアリスがいては、アリスと呼ぶなという主張も理解できる。
「お姉さま、そちらの背の高いお姉さまはお友達ですか?」
「私と同じ姫様の護衛をしているファーリア様です」
 ファーリアは引きつった笑みを浮かべて、頭を下げる。ヒルトアリスはずっと女性が好きだというのは隠していた。姉の方は男嫌い以上を知っているはずもないし、知っていても他人に言いふらすようなことは普通しないだろう。
 つまり彼はヒルトアリスに対して顔を引きつらせているのではない。
 それほどまでに彼女も姉も普通ではないのだろうか。深く考えると恐い。
「どこかで……お会いしたことがある気がいたします」
「さぁ。ヒルトさんみたいなお綺麗な方にお会いしていたら、忘れることもありませんし、きっと他人のそら似ですわ」
 顔を引きつらせていたくせに、声をかけられるとそれを引っ込めて自然に言った。
 アヴェンダは彼女をじっと見つめて、あることに気付く。
「ハウル」
「ん?」
「あれ、男かい?」
「よく分かったな」
「よく見れば誰だって分かるでしょ」
 ハウルは肩をすくめてファーリアを手招きする。彼女──彼はにこやかに歩み寄ってきた。ハウルは彼の隣に並び、首に腕をかけて顔を寄せる。
「まあ、分かってるとは思うけど、絶対に男だとバレるなよ。お前のせいで男嫌いが強くなったんだからな」
「もちろん言えませんわぁ」
「俺がそのせいでどれだけ苦労したか」
「や、やはり嫌われているんでしょうか……」
「身元がばれたら切られるぞ。姉妹だけあって、ヒルトは強いぞ。異常なほど精霊に好かれてるからな。たぶんリオよりもヤバイ」
「そんなに……」
「嫌われているのを通り越して、恨まれてるからな」
 彼は何をしたのだろうか。ヒルトアリスのようないい意味でのほほんとしたお嬢様に恨まれるなど、尋常ではない。
「ハウル様、どうされたんです?」
「何でもねぇよ。お前は姉妹の再会を喜んでろ」
「はい」
 素直なヒルトアリスは姉へと質問攻めを開始した。よほど嬉しいらしく、ひっついて離れない。
 姉だけを見て、他は見ない方がいいだろう。彼女が怒り狂う姿も見てみたい気もするが、後が恐いのでやはり見たくない。
「アミュ、そろそろ屋敷に戻るかえ」
「うん」
 姫君達がマイペースに行動を始めたので、アヴェンダも荷物を取りに出てきた窓に戻る。大人達は慌てず騒がずこちらをただ観察していた。走るのが面倒だったに違いない。
 荷物を用意された部屋に運び片付けるのもそこそこに、ハウルに昼食だと言われて食堂に向かう。
 屋敷は古く広いがよく管理されている。本当に貴族の別荘のようだ。
 食堂に着くと、老人というにはまだ若く見える男が食卓を整えていた。
「ヨハン、久しぶり」
「お久しぶりですハウル様。ますます逞しくなられましたね。
 お嬢様方はじめまして。この屋敷の管理をしておりますヨハンと申します。この屋敷の使用人は私しかおりませんので、何かありましたら私にお申し付け下さい」
 一人で屋敷を管理しているとは、大変な仕事だ。手を抜けば楽なのだが、手を抜いては広い屋敷などあっという間に見るに堪えないものとなる。
「アヴェインのアヴェンダに、リオの妹のヒルトアリスに、アーラインのキーディア」
 ハウルが紹介すると、彼はにこりと微笑んだ。
「アヴェインの。当代には昔よく世話になりました。彼女はお元気ですか」
「祖母は無駄に元気ですよ」
 彼女と友人であるなら、ひょっとしたら見た目よりも彼は歳をとっているものかもしれない。
「ヨハン、アヴェンダのばーちゃんと知り合いなのか?」
「ええ。ヴェノム様経由で知り合い、薬を分けていただいていました」
「騎士やってたときか?」
「ええ」
 ぱっと見は分からないのだが、ほどよく鍛えられた身体をしている。昔の習慣から鍛練を続けているのだろう。
「騎士ってことは、貴族じゃないのかい。それが何でまたこんな所に……」
「隠居生活したかったんだって。正しい選択だったんだろうよ。今、カーラントの都市部なんてくだくだらしいし」
 今、様々な国で問題が起こっている。その中で一番厄介なことになっているのがカーラントだ。地方は平和なのだが、中央がどうしようもないことになっている。田舎に住んでいる庶民が現状を把握することなど不可能なので詳しくは分からないが。
「何をしておる。入り口に固まるでない」
 可愛らしいが高飛車な調子の声が後ろからかかる。姫君のために道を空け、ヨハンは彼女のために椅子を引く。
「よい香りじゃ。ほんにそなたは一人で何でもしてしまう。我が家の家令にも見習わせたいものじゃ」
「一人しかいなければ、一人で出来ることをするのは当然です。他に人がいれば私も分担作業を致します」
「出来ることが大切なのじゃ。自分に出来ぬ事を部下に命じても、部下は快くは思わぬじゃろう。人に命ずることだけに慣れただけの貴族が偉そうにしているのを見ると……首を言い渡したくなるものじゃ」
 言っていることに間違いないが、姫君が言うべき言葉ではないだろう。彼女に炊事洗濯が出来るとは思えない。
「家のことがそんなに不満なのか?」
「不満……不満のぅ」
 彼女は銀の髪をかき上げ、目を細める。
「お前も今まで散々心配かけてきたんだから、あんまりこういう事するなよ。親父さんが心配して当然なんだから」
「それは分かっておるが、度が過ぎる。雇う使用人の質も低下しておるし、悪い友人のことを忠告しても聞く耳持たぬ。ただでさえ今まで散々騙されてきた実績があるのに、それを自覚しておらぬのじゃ。
 万病に効く薬というただの酒に大金を出したり、病を治す壺に大金を出したり、子供でも詐欺と分かるだろうに……。
 今は占い師を信じて、わらわの周囲の男を追い立てて、わらわ自身の財産で雇っている使用人まで目の仇にされておるぞ」
 この姫君が家出をした理由はよく理解できた。
 可愛がってくれるのはいいが、自分のためにと愚かな姿をさらされれば、当然子としては何とか目を覚まさせてやりたくなるのだろう。
「しゃあねぇなぁ。でも、せめてネフィルぐらいには言っておけよ」
「兄上はすぐに顔に出る方じゃ。その上押しに弱い」
 ハウルは肩をすくめて席に着く。
「一週間ぐらいにしておけよ」
「もちろん長々と居座るつもりはない。本気で家を出るなら相応の準備をしてから出て行く」
 行動力のある姫君だ。
 アヴェンダも空いている席について料理を見る。
 大皿に盛られた、上品とは言えないが家庭的な料理。男性一人が大勢の分を作るなら、こうなっても仕方がない。
 洒落た料理よりも、こういう料理の方がアヴェンダは落ち着く。

 

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