14話 姫君の家出
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森を抜けるとそこには白い砂浜と青い海が広がっていた。
「おお、いい感じの場所じゃねぇか」
カリムは海を見て走ろうとする部下のマントをひっつかみ、なんとかその暴走を止める。
「屋敷がありますよ。どこかの金持ちのプライベートビーチじゃないですか?」
「ちっ、贅沢なこって」
この中で一番裕福な家に生まれたはずのライアスがツバを吐いて言った。彼は何が不満なのだろうか。カリムの実家は爵位はそれなりだが、金はない家だった。だからこの微妙な立場を押しつけられたのだ。皆と給金はそれほど変わらないのに、仕事だけは皆の分まで押しつけられる。身体は鍛えなければならないし、なぜか反省文の代筆をさせられるし、しないと叱られるのはカリム自身だし、誰かが問題を起こしても叱られるのはカリム。この隊に配属されて、ストレスがたまるようになった。流砂一人と遊ぶのも大変なのに。
割に合わないような気がするのだ。
「あれだけの屋敷なら管理人がいると思います。無事かどうか心配ですし、聞き込みに行きますよ」
「はいはい」
金持ちにつばを吐いたくせに、それでもライアスは浮かれながら屋敷へと向かう。
若い娘でもいればラッキー、とでも思っているのだろう。野宿を覚悟していたから、カリムにとっても天の助けだった。色々と言いくるめて屋根ぐらいは貸して貰おう。
何せ彼らは紛れもなく聖騎士だ。なぜそうなったか今でもよく分からないのだが、彼らのいる班が聖騎士であるのに間違いはない。
「しかし、綺麗な海ですね。流砂がみたら喜びそうな綺麗な砂浜だ」
彼は地精だけあって、いい土地に来ると生き生きする。畑など大好きだ。カリムが実家に戻ると、当たり前のようについてきて嬉々として近所の畑を手伝いに行く。
「こんな所に来てまで厄介な精霊のガキのことなんて考えるなよ。解放されたら素直に喜べゃいいんだよ」
「別に束縛されているわけじゃ……」
気付いたら周りをちょろちょろとして、騎士になって中央に来たら実は地神に直属のかなりの精霊だと知って驚いた。「束縛されてるだろ。お前は普通にしてればそれなりにもてる事もあるはずなのに、全部つぶされてるだろ」
「そりゃそうですけど、本当に好きな人が出来たら何が何でも黙らせますよ。精霊は年を取らないから、周りの人間だけ変わっていくのが寂しいだけだと思いますから」
流砂は人間が好きなのだろう。だから各地を周り、それを観察している。その中でも相性のよかったのがカリムで、だからずっと付きまとっている。時間の感覚が鈍いのか、何一つ変わらぬまま、カリムだけが成長した。
もしも逆の立場ならカリムも似たようなことをしてしまったかも知れない。
「ったく、真面目すぎるんだよお前は。
よし、今度合コンでもするか。クレメントで釣れば女は集まるしな」
彼らの中で一番聖騎士として祖手に出しても恥ずかしくない男を思い出し、ため息をつく。彼も女性受けする外見の割に奥手なため、皆に利用されるだけ利用されるのだ。
「そういうことをすると、流砂が大人の姿になって女性を全部かっさらっていくんですよ」
子供の時は性別不明の黙っていれば何でも買ってやりたくなるほど可愛い子だが、大人になればライアスを本気で夢中にさせるほどの美女にも(正体を知った後、一ヶ月ぐらい沈んでいた)、ナンパを邪魔して女の子を持って行ってしまう。そんな美人で男前に化けてくれる。
「あいつには内緒だぞ。絶対に内緒だぞ」
「はいはい」
目映いばかりの白い砂浜を横目に歩き屋敷へとたどり着くと、これまた浮かれた様子のアリオンがノックし、うきうき足を弾ませて様子で待つ。ドアが開くと、初老の執事が現れた。
管理人の老夫婦など予想していたため、しっかりとしたスーツを着た彼を見て少し驚いた。おそらく主がいるのだろう。だとしたら、ライアスの希望も叶うかも知れない。
「何のご用でしょうか」
「いや、こっちの方に魔物が逃げてきたんですよ。何か変わったことはありませんか?」
「魔物?」
「はい。トカゲのような姿をしているんですが」
彼は顔を顰めて考え込む。
「心当たりが?」
「それは陸上の話ですか?」
「はい。街に現れ人を食い殺しました。
ああ、申し遅れました。僕らは地神殿の地神様直属の聖騎士で、助けを請われて派遣されました魔物退治の専門家です。
ここが一番危険だと思うので、おじゃまさせていただけないでしょうか?」
彼はどうぞと言って皆を屋敷に入らせ、ドアが閉まると奥へと向かった。歩き方の綺麗な男性で、昔はかなり女性にもてただろう。いや、今でも若い女性だろうと口説き落とせそうな美丈夫だ。貴人に仕えるには、彼のように見栄えも大切なので、主は実に趣味がいい。
人の話し声の聞こえる部屋の前まで来ると、彼はノックをしてドアを開いた。
「クロフィアの聖騎士の方々をお連れいたしました」
「聖騎士?」
顔を顰めこちらを見つめるその美貌は、彼らになじみの優しい教官、ファーリアの物だった。その傍らにはリオとサメラ。
「そなたら何をしに来たのじゃ」
「いや、魔物を追ってきたら屋敷があったんで……」
ライアスが後ろ頭をかいて言う。
「ここはぁ……姫さんの屋敷で? いいところっすねぇ」
「ヴェノム殿の屋敷じゃ」
ヴェノムの弟子達がくつろいでいる。サメラの屋敷に彼女たちが招かれているのだと思ったが、逆のようである。
「なんだ、心配する必要ねーじゃん」
この顔ぶれがいては、襲った方が襲われることになる。
「何を言う。明日はアミュが海に沈められるのじゃぞ」
「は?」
沈められるとはどういう意味だろうか。火属性のアミュは水中で何かできるとは思えないし、沈めて何になるのかも分からない。生贄だったらこんなにくつろいでいないだろう。
「ところで、魔物というのはどういった姿をしているのですか? まさか蛙とか?」
優しい口調でファーリアが尋ねてきた。いつ見ても穏やかな女性だ。彼女は彼らの太陽だった。
「蛙……というよりは、イモリとかそっちの系統でしたよ」
「ヨハン様。あれを彼らに」
ヨハンと呼ばれた執事の男は、彼らを手招きしてキッチンの床下収納を開ける。なぜか冷気が溢れ出て、その中を見るように指示されて、皆はすぐに目を反らした。
「それは、これが成長した物ですか?」
「た……たぶん。もっとスマートな感じでしたが」
あまり見たくない物だが、もう一度見ると雰囲気は似ていた。どちらにしても本で見たこともない魔物だ。最近は魔物の勉強をさせられているので、図鑑は一通り目を通しているが、記憶にない。
「それはつがいでしたか?」
「ああ、二匹いましたよ。つがいかどうかは分かりませんが、森の中に逃げ込まれて、このあたりで見失ったんです。街の方には何人か置いてきているから、戻るようなことはないと思います」
ヨハンはため息をついて、なぜか保冷機能のある床下収納を閉めた。
「ヨハン様、親の問題もどうにかなりそうですね」
「そうですね。ファーリア殿、私はその辺を少し歩いてきます。皆さんのことはお任せします」
「はい。日が暮れる前にはお帰り下さい。今夜は私が手料理をご馳走します」
「それは楽しみですね」
ヨハンはキッチンを出て行き、ファーリスはそれに小さく頭を下げる。彼女がここまでする相手が、なぜ執事然とした格好をしているのか、理解に苦しむ。
「ファーリアさん、今の誰?」
「元カーラントの騎士のヨハン様です。幼い頃に一度手合わせして以来、ずっと憧れていたお方で、こうして一つ屋根の下にいると思うと、身に余る光栄で……」
ファーリアは珍しくそわそわと浮かれて語り出す。いつも穏やかで冷静な彼女が、今は夢見る少女のように見える。カーラントの騎士といわれて、カリムも思い出した。名前は忘れたが、いくつもの伝説を持つ有名な騎士がいると聞いたことがある。太陽神の加護にあるカーラントの騎士のため、太陽の騎士と呼ばれている。闘神が太陽神の配下であるため、闘神の加護を受けているのだとも聞いたことがある。幼い頃から剣を友としてきたらしいファーリアが憧れるのも無理はない。
「肉体は衰えても、剣の筋は衰えることなく、鋭さを増しています」
女性でもさすがに剣士だ。強い男性が好きなのだろう。しかも老いてもハンサム。憧れるのも理解できる。
「でもそんなすげぇ人までいるんなら帰るか?」
「あら、そんなこと言わないでください。女性ばかりで不安ですもの」
「や……守りがいのある女がいねぇし」
ライアスは軽口を叩いてファーリアの肩に手を回そうとし、それをさらりと払いのけられる。
「まあ。姫様のような可憐な姫君のどこが守りがいがないのです」
「病弱な姫君してた頃ならともかく、今は元気溢れすぎてますよ。もうちっと男の幻想を壊すようなことをしないように言ってやってくださいよ」
「あら。元気な姫様はとても愛らしくていらっしゃるわ。少女の溌剌とした姿を見て、守りたいと思わないのは聖騎士としては失格ですよ。せっかく見本であるヨハン様がいらっしゃるんです。しっかりその姿を見ておきなさい」
「そのご立派な騎士様がなんで執事なんてやっているんすか?」
「自然の中で気ままな老後生活を送りたいそうです。ヴェノム様はカーラントの出身だそうですから、なんらかの理由があるのではないでしょうか。楽しそうにしておいでなので、詳しくは聞きませんでしたが」
確かに何か醜聞があったわけでもないのに、望みもしないでこのような場所にはいないだろう。国の英雄をし続けるのは、気苦労も多そうだ。このような自然の中で暮らしてみたいと思うのも理解できる。
「ファーリアさんは年上の男性がお好みですか?」
「カリムさん、これは尊敬であって恋心ではありません。私のような小娘など、相手にしてくださいませんわ」
「すみません。ファーリアさんが可愛らしく見えたもので」
ファーリアはくすくす笑いながら、食器棚からカップを取り出した。
五人分をトレイに乗せて、さあ行きましょうと促した。
訓練以外で彼女とこうして話すのは初めてだと気づき、言われたとおり本当に女っ気がないのだと再度自覚し苦笑した。
翌日、砂浜にパラソルを立てて椅子に座る少女達を見ながら、ファーリアは傍らに立っていた。
サメラが心配して見に行くというのだが、さすがに危険だからせめて砂浜にしてくれと説得した結果である。ここなら見晴らしもいいし、何が来ても対処できる。ヨハンも今日は長剣を持っている。
騎士達は事情を知らないようで、今帰してしまうと非常にまずいためとりあえず使わなくてはならないと、クロフとヒルトアリスについてきた精霊達と一緒に森の捜索をさせている。彼らがいればうかうかとさぼることも、帰ることもないだろう。
しかし、昨日はまさか好みなのかと聞かれるとは思わなかった。もしも本当に女性だったら、きっと恋に落ちていただろうが、どのみち手の届く方ではない。
「ところで、ハウルが行って何の役に立つんだい?」
「アミュは寂しがり屋だからね。それに運動が苦手で、ろくに泳げないのだよ。もしもの時に困るだろう。彼は保険だよ」
アヴェンダの疑問にカロンが答える。
アミュは動かなければそれはもう優秀なのだが、下手に走り回るようなことをさせると使えなくなる。身体能力の方は普通の少女並でしかないのだ。
「なるほど。確かに運動は出来なさそうな子だね。男にしてみりゃ、それぐらいの方が可愛いんだろうけど」
「アミュの場合は何もないところで転ぶほどだからね。顔立ちはヴェノム殿に似ているのに、実にかわいげがある」
カロンはねぇ、とラフィニアの頬を突いて微笑みかける。そんな彼の肩に、ヴェノムが手を置いた。
「それでは私にかわいげがないようではないですか」
伝説にまでなるほど長く生きるヴェノムでも、可愛げがあると言われたいのだろうか。カロンのような小童に何が分かるのだと言いそうな年齢のはずなのに。
「ヴェノム殿ほど完璧な女性は、普通の男には手が届かないという意味だよ。あなたは男にとって高嶺にある決して手の届かない花だ」
彼女の手を取り、とろけるような笑みを向けて囁くように言う。
相手がヴェノムでなければ、冗談では通じないだろう色気を纏った仕草と声は、見習うべき所があると感じた。ファーリスとしての自分は、昔から女性に堅物と言われていた。この姿になってから、ずいぶんと柔らかくなったものだが、男の自分に戻るとこれが維持できるかどうか怪しい。
最近、ふと不安になるのだ。
いつかは男に戻りたいが、戻れる日が来るのか。戻ることをリオが許してくれるのか、リオが傷つかないか。
その時、彼女の兄や妹に斬り殺されないかも心配だ。兄の方はどれほどの腕か知っているし、この妹も剣の腕抜きにしても精霊使いとしてリオの上を行っている。
今思うとどうせ断れないのなら自分に非があるような理由を作ろうなどと軽く見ないで、もっとまともな理由で家を出ればよかった。心から後悔している。後悔とは、後で悔やむから後悔なのだが。
「ファーリア、どうした。浮かない顔をして」
「何でもありません姫様。それよりも、お寒くはありませんか? 膝掛けを用意してありますが」
「よい。海の中はもっと寒いじゃろう」
「姫様はお体がそれほどつよいわけではありません。病気は直っても、身体の弱さは直っていないんですよ。風邪をひいてはアミュが気にします」
「よい。寒くはない」
サメラはじっと海を見つめていた。
ネフィルと違い、彼女は分かりにくい。
このようなところに偶然で彼女が来るとも思えぬため、何らかの関わりはあるのだろう。だから不安はないが、サギュになると自身が人の身体であることを忘れる。そのくせファーリア達まっとうな人間には被害が出ないよう、危険と感じれば安全な位置に置くように仕向ける。
あの常人離れした二人と同じ扱いをされても困るが、もう少し普段の護衛以外でも信用して使って欲しいものだ。剣士としては腕を振るう機会も少なく、少しばかりつまらない思いをしている。もちろんサメラの世話をしているのも楽しいが、なにせ彼は女装をしているだけの男である。女性でないので全ての世話ができないという、悲しい現実が目の前にあるのだ。
最近は騎士達と遊んで、彼らが少しずつ使えるようになっていくのも楽しいが、ファーリスとして望んでいることは彼らの仕事だ。
なんとも複雑な気持ちである。
もちろん、何も起こらないのが一番だということには変わりない。
一瞬で周囲が熱を持ち、ハウルは自身の周りだけを冷気を維持し、それらが浮かんでいくのを眺めた。
アミュの顔色は悪く、目をつぶったままハウルが合図をすると熱を回収していった。
暖めるも冷ますも、彼女にとっては難しいことではない。この規模でするとさすがに疲れるだろうが、ハイキングに行ったときの方がよほど死にそうな顔をしていた。
ハウルは自分達が入れられている檻にひっかかった『それ』を魔力で動かし、完全に周囲が綺麗になると、海面へと目の眩むような光を放ちアミュの肩を叩いた。
「上は見ないように目を開いていいぞ」
「う、うん」
さすがのアミュもあれが大量にいると気持ちが悪かったらしく幽霊を前にしたラァスほどではないが脅えていた。今頃はセルス達があれの死骸を片付けているだろう。これでかなりの数が減ったので、群れに襲われるということは少なくなるはずだ。これを何度か繰り返せば、人魚達が地道に駆除していくだろう。
ただ、奴らが潜んでいることの多いという水底は、他の移動できない生物も多くいるため、熱でさらうことはできない。
「可哀相だけど、仕方がないって。まさかこれ以上増えたら困るだろ」
「うん」
ハウルも上を見る勇気はない。
あれがどうにかなってから、セルスの指示で引き上げて貰う。それまではアミュと二人きりだ。
「思えば、こうして二人だけで話すのも久しぶりだな」
「うん」
昔はよく二人きりで話したが、今ではもう懐かしい。
「上手くやってるか? 都会に住んだことないから、戸惑うことも多いだろ」
「大丈夫。サメラちゃんやラァス君が気にかけて、色々なところに連れていってくれるの。
ネフィル君のお友達とも知り合って誘ってくれるけど、なんでかみんなが断れっていうの」
「……まあ、そりゃ断らせるだろ」
「どうして? サメラちゃんに取り入ろうとしている人ばかりじゃないのに、サメラちゃんにとってはどちらにしても皆同じみたいだけど」
「アミュを誘ってるのにサメラ目当ての奴なんているのか」
「だってサメラちゃんに近づくには兄よりも友達と近くなる方がいいでしょう。サメラちゃんは美人の上に家柄もいいから、とっても大変そうなの」
それはそうだろう。条件が良すぎる。だから彼女の父親も彼女を大切に大切にしているのだ。悪い虫がどれだけ多い知っていて、心配しない親の方がどうにかしている。
しかしそういうことは本人が一番よく分かっているから、あの娘を心配するだけ無駄である。
自分の活動の益にならないことはしない。理解のない男は選ばない。無能な男は選ばない。
「ラァスは変わらずか?」
「お兄さん、この前会ったのに」
「アミュの目から見て」
「……私の前では相変わらずよ。
でも、知らないところでは……逞しくなっているみたい。
ラァス君の悪い噂聞かないの。みんないい子だって。気さくなのに気品があって、シーロウ様の若い頃みたいだって」
アミュは嬉しそうに話す。
ラァスは今頃必死になって探しているのだろう。悪いことをしているような気もするが、もう少し必死になれとも思う。ラァスは幸せなのだから。
「お兄さんは変わりない?」
「変わりないな。新しい弟子は増えたけど、昔から入れ替わりしてるのを考えれば、少しも変わらない」
変わりたいとも思うが、変わるのも恐い。
大人になるのは楽しみだが、ヴェノムが変わらないから少し恐い。
ずっと変わらずにいたくもあり、もっと頼られる存在になりたいとも思う。
ハウルが苦笑いした瞬間、彼らの入っている檻が揺れた。
上を見上げると、総動員してとりあえず海面の片付けだけは終えたらしく、見上げたところには死骸はなかった。見回せばあるのだろうが、アミュに目をつぶらせて、自分も目をつぶり、身体に空気を感じるまで、ハウルは身動きせずにただじっとしていた。
プカプカと大量に浮く死骸を、人魚達は網で効率よく回収していく。
彼らも彼らなりに計画を立てたようだ。
「ああ、セルスさんがあのような」
隣でヒルトアリスが泣いている。
アヴェンダはため息をついて、指揮を執り、自らも働くセルスを眺める。
兄も姉もいるらしいが、彼女が次の王になるらしい。実力主義というのは、分かりにくいし争いも起こるのでどうかと思ったが、水妖である人魚達にとってはそれは争うようなことではないのだろう。
あらかた一が所に集めると、彼らはこちらに合図した。
それを見てヴェノムが立ち上がり杖を構える。浮きに巻き付いたついた鎖が宙に持ち上がり、しばらくすると海に沈んでいた檻が姿を現した。外に出た瞬間にアミュが腕を振り、二人の周囲に水蒸気が昇る。
檻は砂浜まで引き寄せられ、がしゃんと音を立てて落ちるとカロンが持っていた鍵で二人を外に出す。
作業は無事に終わったらしい。
「あの場所にいた大きいのはあらかただろうけど、明日は場所を移動してやらねーとな。
アミュがいる内に、大まかな掃除はしないと」
ハウルは檻から出てきて言う。
疲れた様子のアミュを支えて、空いている椅子に座らせた。
顔も良くて、気遣いも出来て、力もある。
この男がなぜもてないことで嘆いているのか、時折理解に苦しむ。ふざけたところもあるが、この容姿ならそれも魅力になりそうなのに、実に不思議だ。
「アミュ、疲れましたか」
「水の中で範囲を限定して温度を上げるのは難しくて。冷ますのも難しいし。
でもそうしないと他の生き物がたくさん死んでしまうから、難しいね」
ヴェノムの差し出したジュースを飲むと、アミュはほっと息をつく。
顔色が悪い。アヴェンダは荷物をあさり、薬の包みを差し出した。
「アミュ、これを飲みなよ。苦いからそのジュースで飲むといいよ。疲れが取れる薬だ」
「ありがとう、アヴェンダちゃん」
「材料は先生からタダでもらったものだから気にすることはないよ。身体が熱くなるかも知れないけど、肌寒いからちょうどいい」
彼女の微笑みは、静かに真面目な顔をしている時と違い、とてもとても可愛らしい。ヴェノムのような静かな美しさに、愛らしさまで兼ね揃えている。
男なら、彼女のような女に惚れるだろう。当たり前だ。性格のいい美少女だ。
彼女は丸薬を口に含むとジュースで喉の奥に流し込む。
覚悟を決めた様子で口に含んでいたが、その覚悟ほどではなかったらしく、少し驚いたような顔をしていた。
「飲みやすかったです」
「少し味と匂いをつけてるからね。口当たりが悪いと、それで気分が悪くなる。身体が弱っているときこそ飲みにくいしね」
「アヴェンダちゃんは本当に気配り上手だね。いいお医者さんになれると思う」
「あたしは医者じゃないよ。薬師ってのは、医者でもあるけど呪い師でもあるんだ。他人の色んな相談にも乗るし、手広い商売もする何でも屋さ。医者ってのは治療だけに専念する」
「ふぅん。アヴェンダちゃんはしっかりしてるからすごいね」
アミュがそういうのとは縁がなさ過ぎるだけだ。商売には向かないタイプである。金銭に執着がなさそうだから、強く出られたら押し切られる。
「向き不向きがあるからねぇ。世の中に商人に向いた人間ばっかりになって貰っても困るよ。
「そうね」
アミュはくすくすと笑い、それから静かに海を見る。
そして突然立ち上がり、森を振り返った。
「来たようじゃな」
サメラも呟き立ち上がる。
騎士達が仕留めてきたのかと思えば、目を凝らして見えたのは、白馬に乗った金髪の──ラァスと他一名。
彼は目当ての人間達を見つけ出し、顔を輝かせて馬を走らせる。
「アミュ!」
側まで来ると馬から飛び降り、アミュへと駆け寄った。抱きつくかと思ったが、白い服が血で染まっているのでそれを留まる。
──血?
「なんで血だらけなの?」
「え? ここにくる途中で変な魔物に襲われてさ。水辺にいそうなくせに、なんでか森の中にいたんだよねぇ。辞典で見たことないからよくわかんないけど、あんなのがうろついてるなんて、姫様を連れてくるには物騒だよ」
騎士達もこれでは立場がない。戻ってきたときの顔が見物だ。
「サメラっ。どうして何も言わずに出て行ったりしたんだ。父様がどれだけ心配していることか」
もう一人の人物、サメラの兄とおぼしきいかにもいいところのお坊ちゃま然とした少年が、サメラへと駆け寄る。
「父上には反省していただかねばならぬ。何も思わなかったらこの行いの意味がない」
「僕だって心配したよ」
その言葉でサメラの目つきが変わり、鋭くなる。
「ザイン」
「……なんでしょうか」
サメラは少年に指を突きつける。
「もう一度言う」
「…………ですから、それは」
「わらわに求婚せよ」
アヴェンダは意味が分からず顔を顰めた。
兄妹ではなかったのだろうか。ハウルに尋ねようとすると、そのハウルはまるで兄をサメラから守るように二人の間に割って入った。
「サギュ! いくら何でもザインとネフィルにだって選ぶ権利がっ」
ハウルはサメラに股間を蹴られ、うずくまって悶絶する。
容赦ない。女の身ではその苦痛の程は理解できないが、実に痛そうだ。
「痴れ者が。この絶世の美少女に向かって何を言う」
「数年もすれば娘可愛い父上が、せめて最良の夫をと遠い場所に嫁がされることになる。
それを防ぐには身近な者との婚姻が必要じゃ。
妥協してラァスに言えば、冗談として笑い飛ばす無礼っぷり」
ラァスが素っ頓狂な声を上げる。本気だとは思っていなかったのだろう。
「クリス兄上の持ち物に無理強いは出来ぬから最終手段として命令したのに、主の命令から逃げるとは何事じゃ。
人としての生活が長すぎて、神としての本分を忘れたかっ」
「しかし、私達は兄と妹。実際にはいとことはいえ、世間体が……」
「いつから神が世間体など気にするようになったのじゃ。ネフィルの日頃の溺愛ぶりがあれば、世間は十分納得する。美談として広めて見せようか」
ザインはふるふると首を横に振る。
よく見ると左右で瞳の色が違うオッドアイだ。あまり似ていないし、似合いの夫婦になれるだろう。
がだ、理解できない点がある。
「先生、なんだいあの二人」
「時の女神サギュ様の現身と、その使いです。どうやら二人が離れると仕事に差し支えが出るので、人としては夫婦になって仕事に専念しようとしているようです」
さすがは邪眼の魔女。
とんでもない知り合いがいるものだ。
「あの、ザイン様」
サギュとザインが、恐る恐る呼びかけたアミュを見た。
「ネフィル君は、サメラちゃんのことをどう思っているんですか? 主従関係無しで。結婚はあり得ないんですか?」
「サメラのことは目に入れても痛くないほど可愛いし、群がる男は憎らしいが、自分が結婚となるとわからない」
妹として見ている相手に結婚を意識するような男は、兄としては最低最悪だ。彼が正しい。
「姫様。そんなことに悩んでいましたの? なぜ私に相談してくださらなかったのです?」
「そなたの身分は申し分ないが──むしろそれが邪魔で婿にも出来ぬ。用はない。リオには相談するだけ無駄じゃ」
あっさり切り捨てられる護衛二人。
「婿?」
ヒルトアリスがサメラの口にした単語に疑問を持つ。
あまり目立たないのど仏をさらにスカーフで隠している。細身だが筋肉のついた引き締まった身体を、服のデザインで誤魔化している。
しかし気付く者なら気付くだろう。
「ファー……リ」
ヒルトアリスが震えながらファーリアを指さした。
「ファーリス! ラシスタのファーリス様!?」
どうやら正体がばれたらしい。
「なぜ女性の姿に……」
それは汚らわしい物を見る目だった。女が男装するのは可愛らしく美しいが、逆はかなり偏見の目で見られる。
「お姉さまっ、なぜこんな男と!?」
「ヒルト、ファーリア殿は女性。そのようなことを言うものではないよ」
「でも、お姉さまはあの男のせいで良くない噂を……」
「かまわないわ。今は毎日が楽しいのよ。ファーリア様はとても良くしてくださるわ。彼女は私の大切な友人よ」
「お姉さま……」
友人のあたりで、笑みを保っていたファーリアは目を反らした。ラァスとまだ少し顔色の悪いハウルがその背中を叩いて慰める。
「元気出しなよ」
「そうだって。ヒルトの姉だってんなら一生伝わらないと思うけど、友達なんだからいいだろ」
「一生……」
「だってあれと同じ血を引いて、同じ環境で育ってるんだ。ヒルトは鈍いぞ。真っ直ぐすぎて周りが見えない」
ひどい言われようだ。否定は何一つ出来ないが。
「ハウル様、今呼びました?」
「お前が女扱いしてくれないことを謝ってたんだ。
自分だってほぼ同じことをあの王子様にしたのに、心の狭い」
「あれは事前に拒否しましたのに、誰一人私の言葉には耳を貸してくださらなかったんです! ご本人にも当たり障りのない言葉で拒絶しました。
その方は一言もなく、いきなりです。もっと他に穏便な方法があったでしょうに」
珍しくまともなことを言っている。いつも女が絡むと支離滅裂なのに、まっとうな主張だ。
事情は分からないが、どっちもどっちとしか思えない。
「そなたら、主が将来を語り合う横でくだらぬ騒ぎを起こすでない」
逃げ腰の兄であるはずの少年の襟首を掴むサメラが、落ち込む部下と何も気付かない部下に言う。
「私としては、痴話喧嘩をするなら、家に帰ってからしていただきたいのですが」
ヴェノムは言うと重そうなパラソルをいとも簡単に持ち上げてラァスに渡し、自分はバスケットだけ持って屋敷に戻っていく。
今のどこに「痴話喧嘩」があったのかアヴェンダには分からない。
痴話にすらなる段階ではないのだが、馬鹿らしさという点では似たようなもの。
「キーディア、ノーラ、話なんて聞いてても時間の無駄だから行くよ」
「まったくだ」
「はい」
子供達は実に素直で、カロンもうとうとはじめたラフィニアを抱えて屋敷に戻ろうとし、足を止めた。
「ああ、ヨハン殿。できればラァス君と一緒にあれの死骸を確かめて欲しい」
「かしこまりました」
「あと、あの騎士達の回収も」
「信号弾を放ちましょう」
「頼む」
これで全ての問題は片づいた。残る問題は、地道に解決していけばいい。
幸いなことに、水中だけで繁殖するような生物ではないらしいから、何とかなるだろう。時の女神だというのが本当なら、何とかなるはずなのだ。
ハウルは新しく作った──というか、元々作っていた通信機の端末を持ってリビングにいた。
イレーネに貰った一対の魔石を使い、カロンに頼りながらも自分で作ったものだ。今度は強度の強い金属で、腕輪に仕込んである。
これなら奪い取って踏みつぶすなどと言うことは不可能である。
壊れやすそうなのは分かっていたから用意していたら、まさかサメラのせいでこれをラァスに渡すことになるとは思わなかった。
実はラァスにこれを手渡したとき、もう一つの端末もちょうだいなどと言われて彼を殴ったのだが。
「ラァス。ラァス」
今度は魔力を込めなくてもいい。魔石に触れながら声を向けると、対の魔石が反応して向こうに届く。音が小さいために増幅させるのに少し苦労した。カロンからすれば簡単なのだろうが、この手のこととは縁のないハウルにとってはなかなか難しかった。
それをアミュとおそろいが欲しいからとくれというのもひどい友人だ。これはアミュと連絡を取りやすくするためにもラァスに渡している部分もあるというのに。それにアミュはこう言うのを家に忘れていくタイプで、持っていてもそれほど役に立つとは思えないのだ。
『何? 今姫様一家の修羅場なんだけど』
サメラの叱りつけるような声が聞こえてくる。
「いや、離れててもちゃんと機能するかテストしたかっただけだ……けど……その、収まりそうか?」
『うーん。なんか僕が姫様の居場所突き止めたから、ややこしくなったみたい』
魔具が破壊されたときに彼は可能性の一つとして考え、この屋敷の主とは知り合いであるネフィルも連れてきたというのが大体の流れだろう。サメラとの絆などないし、探り出せたのは彼の直感だ。
「まあ、頑張れ」
『頑張るのはネフィル君だよ。これから妹にプロポーズしなきゃいけないんだから』
「あいつも、大変だなぁ。完全に別人格なだけに」
『姫様はそのまんまなのにねぇ』
もう笑うしかない二人の状況である。ハウルに出来ることは何一つなく、ラァスにだって出来ることはほとんどない。
つまりは、あの二人の神に振り回されて、散々な目にあってあの二人だけハッピーエンドなのだろう。
幸い、ハウルは遠く離れた海辺にいるため、これ以上巻き込まれることはない。
「ま、頑張れ。今度は暇そうなときに連絡するな。じゃ」
なにせ他人事なのだから。