15 女王様の家出

1
 玄関からノックの声が聞こえて、ハウルは玄関へ向かっていた。
 ハディス達が昨日来て水中でお泊まりしていくと言っていたので、彼らが陸に上がってきたのかも知れない。
 もちろん今年は釣っていない。あの化け物騒動で釣りがまだできていない。釣りをするのではなく、狩りをしている始末である。ゲイルが来たことにより、気配を感知することに長けた魔物を呼び出したので効率は上がり、さらに彼女の命令を忠実に守る魔物を浜辺や陸に上がれそうな場所に配備して、もしもの時に備えた。
 魔物使いというのは、こういう人手のいるときは実に便利である。あれは生まれつきの才能のため、身につけたいと思って身につけられない。普通の魔道士でも契約して召還するまではさほど難しくないが、使役するとなると難しい。彼女はその使役するという点で優れているのだ。魔力で束縛しなくとも、魔物は力を貸してくれる。
 再びノッカーががんがん叩き付けられる。
 もしもこれがゲイルならそろそろしびれを切らしているだろう。そもそも玄関から入ってこない。またサメラが家出でもしたのだろうかと少し恐れながら玄関を開くと、日傘が見えた。
「ごきげんよう、ハウル様」
 傘を閉じ、柔らかに微笑んだのはイレーネ。
「ど、どうしてここにっ?」
 声がうわずった。思いがけない来客に、寝起きのままの姿のハウルは慌てた。髪ははねているし、服装もだらしない。ハディスとゲイルだと思ったからこそ、トイレから部屋に帰る途中だったハウルが出たのだ。
「申し訳ありません、こんなに朝早く」
「いや、俺が寝坊しただけだし」
 昨日はつい夜遅くまで起きて、いつもならとっくに起きている時間だ。朝食も皆は食べてしまっているだろう。
 だらしがないハウルが悪いのだ。
「入ってくれ。とりあえずこっち」
 ハウルは恥じ入りながら彼女を客間へと案内する。途中キーディアが何か見えないモノを追っていたので呼び止め、ヨハンに伝えるよう言い聞かせ、決して途中で忘れて変なモノを追ったりしないように釘を刺して見送り、再び歩く。
 客間につくと、彼女が羽織っていた高そうなコートを受け取り、ハンガーに掛ける。
「こちらは朝でもこんなに暖かいんですね。モルヴァルは北の方にある国なので、もうずいぶんと寒くなりました」
「雪とかたくさん降るのか?」
「場所によります。王都はあまり雪が降りません。雪で麻痺するような場所には、王都を置いたら大変ですから」
「そうなんだ。魔石や技術のことばかりで、そういうことは知らなかった」
 イレーネは当然だと笑う。
 今日は黒みがかった渋い色味の赤いドレスで、相変わらずのスタイルの良さを控えめに主張するようなデザインだ。胸元を彩る金の台座に青い魔石を乗せたブローチは、やはり魔石なのだろう。
「俺、ちょっと着替えてくるから。話はそれからでもいいか?」
「はい。お待ちしております」
「その前に一つだけ聞きたいんだけど、今日は一人なのか?」
「はい。マディアスにニンニクエキスを振りかけて逃げてきましたの」
 そういえば、香水の香りに混じり、それらしき臭いが混じっているような気がする。
「な、なんで?」
「恥ずかしながら、家出を」
 口元に手を添え、恥じらうように可愛らしく告白する。
 普通、女王が一人で家出をするものだろうか。しっかりと旅行鞄は持っているが、女王陛下の荷物にしては少なすぎる。舞踏会もなければ、誰かに姿を見せるわけでもないので十分なのだろうが、そう考えても少ない。普段着でも彼女のような高貴な女性はよい物を日替わりで着るのだ。
「別にいいけど、どれぐらいいるつもりだ? うちはぜんぜん構わないけど、あんまり心配かけるなよ。マディアス以外に」
「大丈夫です。見つかってもいいようにここに来ているので。マディアスにあてた置き手紙には、気になるとても強い殿方のお屋敷に参りますと書いてあるので、皆は安心していますわ。マディアスに恋路の邪魔をされて可哀相にと応援されていると思います」
 それはひょっとしたら、見つかったときにハウルが危険なのではないだろうか。
 それもイレーネのためと思えば問題ないが、見つかっていけない場所であろう遊園地を思い、小さくため息をつく。
 あの時は逃げたが、今度は逃げる場所もない。
「だったら別にいいけど、王様が国を長く空けると困るんじゃないか? 治世とか」
「私は魔石を作っていれば仕事をしていることになりますもの。世間が思っているほど、王に政治の手腕など必要ありませんのよ。女王など、必要なときだけ必要な風に微笑んでいればよいのです。王がいなくて国が回らないなど、どんな無能揃いの国でしょうか。そんなろくでもない国、他国に吸収された方がよほど民のためになります」
 彼女はころころと笑う。部下を信頼しているようだ。
「そういうもんなのか?」
「ええ、そういうものです。王がすべきは、その見極めだけです。見極め損ねれば、最悪首が飛ぶのは王ですから。でもわたくしの国はそういうのはあまり縁がありませんので、王というのも魔石が出ればお飾りで良いんです。
 ということですので、しばらくご厄介になってもよろしいかしら? それ以上のご迷惑はおかけしまんわ。もちろんヴェノム様にはたっぷりと土産をお持ちしていますの。ああ、わたくし菓子を焼いてきましたの。おやつの時に皆でいただきましょう」
「そりゃ楽しみだ。着替えてくるから、ちょっと待っててくれ。着替えたらこの辺案内するよ」
 ハウルはひらひらと手を振り部屋を出る。
 彼女は王族とは思えないほど気さくで、付き合いやすい。カロン以上に気さくで話しやすい『王』というのも実に珍しい。


 綺麗な砂浜だ。
 ここに立っているだけで心が洗われる。
「素敵なところ。夏も過ぎているのが残念ですね」
 たまには、日焼けも気にせず海で遊びたいものだ。ただマディアス達が海を嫌うため、行かせてもらえない。他の護衛を連れて行くと言えば、日に焼けるからだめと言う。水で落ちない日焼け止めが出来ても、水着など嫁入り前の娘が着る物ではないと我が儘を言う。海は見るだけだと言って、ようやく悪い虫が付いたらどうすると素直になった。
 そういう理由で、海など水場には遊びに行ったことがない。その他の──吸血鬼達を連れて行ける場所なら許してもらったが、夏は寂しいものだった。
「ごめんな。今、海の中は変なのがいて危ないんだ。来年だったら一緒に泳ごうって言えるんだけどな」
「まあ、素敵。わたくしは色の白さだけが取り柄だから、マディアスが許してくれませんの。だからこんな所に来たのも始めてで」
「イレーネ、肌綺麗だもんなぁ」
「ハウル様の肌の方がお綺麗です」
 実際になんともきめ細やかな肌をしている。マディアスの不健康な美しい肌と違い、彼は健康的な肌だ。
「イレーネも大変だな。愛されてて」
「愛されていれば、せめてもの救いなのですが。
 彼が愛しているのはモルヴァルという国と、魔石に関わる力を持つ者だけです」
 イレーネが魔石を作れなければ彼は見向きもしなかっただろう。多少の力を持って、生まれたときから王族として生きていても彼はイレーネには興味を持たなかった。人を物と扱えるほど、彼は長く在りすぎている。美しくもなければ、魔道士としての才能も、何か一つでも突出した才能などない女には興味を持つことはない。
「愛されてるだろ、あれは」
「そうでしょうか」
「じゃなきゃ、あの態度はないって」
 ハウルはくすくすと笑って言う。
 彼は本当に見ていて気持ちのよい少年だ。初めの頃ほど意識をしなくなったようだが、ほんの少し揺り動かすと、やはり初心に赤くなる。下心たっぷりの男達にしか声をかけられないイレーネにとって、彼は本当に話していて楽しい。
「ハウル。イレーネ様をいつまで立たせているのですか」
 背後から、パラソルを立ててランチの準備をするヴェノムが声をかけた。
 今日は天気がよく暖かいので外で食べようとヴェノムが提案したのだ。ヨハンという執事が作ったお弁当は、イレーネが久しく食べていない、手が込んでいるが家庭的なものだ。最後に食べたのは、ミスティックワールドで販売する予定の料理の、最終選考のときだった。あれは豪華なフルコースから、立ち食いできる簡易食も混じっていた。
「陛下のお口に合えばよろしいのですが」
 ヨハンは立ち姿凛々しく、社交辞令の言葉もおかしいほどに自信に満ちている。
 バケットに好きな具材を乗せるオープンサンドだ。今はほとんど風もないので、海を見ながらの食事というのは心安らぐ。
「ハウル、お前ももう少し気の利いたことを言いなさい。口説かれ慣れているイレーネ様だから笑って流してくださいますが、並の女性相手にそのような事を言っていては相手にしてもらえませんよ」
「なんでババアにそんなこといわっ」
 ヴェノムが持っていたナイフを投げ、ハウルは言葉を切ってそれを必死の形相で受け止めた。
 素晴らしい。ここが本当に素晴らしい。彼ならマディアスの嫌がらせも乗り越えてしまうだろう。女王の伴侶に相応しい男を求めすぎて、奇跡的に優れた男性以外とは結婚できそうにもないイレーネにとって、若い内に彼のような男性に出会えたのはかなりの幸運だろう。
「仲がよろしいのね」
「今のを見てどうしてそんな言葉が」
「わたくし達よりは、よほど心が通っていますわ。羨ましい」
 マディアスがヴェノムほど表情がなくても、ヴェノムほど愛情を見せてくれれば、これほど悩むことはない。彼がそれらしきものを見せるのは、決まって人の恋愛を邪魔するときだ。
 身を焦がすような恋などしていないが、伴侶は必要。分かっていて邪魔をする。そのくせ口先では伴侶を見つけろと言う。
「イレーネ様、お悩みでしたらどうぞお話し下さい。彼の事は私も多少は知った仲。よいアドバイスが出来るかも知れません」
「マディアスとはどのような?」
「私の弟子が彼の可愛い王族の伴侶になったことが二度ほどあります。あの時は大変でしたよ。
 ですからイレーネ様も、私にとっては可愛い弟子の子孫です」
 さすがは長く生きているだけはある。二度も説得に成功したなど、頼もしい限りだ。長く生きている上に女性。マディアスを口先で黙らせることぐらい容易いのかも知れない。
「ハウル以外の誰かを好きになったとしても協力いたします。イレーネ様は私にとってはビジネスパートナーでもありますから」
「その節はお世話になっています。本当にヴェノム様は強く美しくて商才もおありになる。なんて頼もしいんでしょう。やはりここを頼って正解でした」
 彼女との関係があるから、断られないと分かってここに来た。そしてマディアスには男と説明できる。まさか男の祖母と商談をしたことがあるなどとは思わないだろう。彼は古くさい考えの持ち主で、女性に大きな商売は向いていないと思っているのだ。
「あの方のことがあっては、イレーネ様もまともな伴侶選びが出来ないでしょう」
「はい。国にはわたくし以外に魔石を作れる者がいないというのに、こまったものです」
 とは言っても、何度も繰り返されてきたことだ。いつもいつも、彼は彼女の家系の血筋を気にして結婚の邪魔をしているらしい。
 吸血鬼にとって血こそ全てなのだろうが、だけで判断されるのは少しだけ寂しいものがある。
 血のために拾われて、血のために生かされている。
 この血がなければ、彼はイレーネになど見向きもしなければ、生死すら関係ない。目の前で死にかけていても、笑って見捨てるだろう。中身は関係ない。必要なのは血。
 だから時々、無性に自分の血を汚してみたくなる。
「あの方に流されていてはなりません。人を捨て、人でない、人の心を持たない方ですから。私の弟子の伴侶達も、同じ事を悩んでいました」
「はい」
 イレーネは無難に微笑み、曖昧に答える。
 分かっていることだが、他人に言われると、少しだけ辛くなる。
「イレーネは、本当にマディアスが好きなんだな」
 ハウルの優しい言葉に、イレーネはまたはいと一言で答えた。


 椅子に座り、満腹感と窓越しの暖かい日差しがきいたのか、うつらうつらとアヴェンダが船をこいでいる。それを見てキーディアが声を潜めて膝の上のラフィニアに絵本を読んでいる。その隣で、絵本の朗読に聞き入るノーラ。ヒルトアリスはおそらく『恋人』であるセルスのところ。
 そしてハウルの隣ではイレーネがオカルト本を熱心に読み、ハウルはその様がおかしくて微笑する。
 カロンは机に向かい、ノーラの維持のために必要な薬を調合する。
 直接飲ませるのではなく、眠るときに注射する。眠るのを彼女は嫌がるが、人間でも眠らないと死なないかも知れないが幻覚を見るようになって眠るというと、渋々眠る。
「っわきゃ」
 突然、斜め前方でうたた寝していたアヴェンダが顔を上げた。驚いて危うく完成間近の薬をひっくり返すところだった。魔力を放つ薬品の数々は高価で、ひっくり返したと思うとぞっとなる損害である。
「どうしたんだい。最近ずっと顔色が悪いようだが」
「なんでもない。ちょっと夢見が悪くて、よく眠れなくてね」
「薬は?」
「飲んでるけど……熟睡できてないんだよ。変な夢見て飛び起きて。場所が変われば治るかとも思ったけど、この屋敷に来てからひどくなった気がするんだよ。何かストレスたまってるのかねぇ」
 彼女は疲れた様子で首を回す。
 いろいろと薬を試しているのだろう。それでも睡眠が少なければ疲れはたまる。
「イレーネ。何か良い魔石はないのかい?」
 オカルト本を熱心に読んでいた彼女は、顔を上げて困ったように眉を寄せる。
「夢……ですか。悪夢を払うといえば夢神です。それに関わる術を得意とする方は知り合いにいなかったものですから。
 ああ、心を安らげる魔石ならあります。代々受け継がれているものなので差し上げることは出来ませんが、滞在中はお貸ししますよ」
「いいんですか、そんな大切な物」
「魔石は簡単に傷ついたりしませんから」
 イレーネはいくつか身につけている指輪を苦戦しながらなんとか外し、アヴェンダの元へいくとその手を取って指にはめる。
「あら、すこし大きい。細くて綺麗な指ですね。わたくしだとなかなか外れなくて」
「身長差がありますから、手の大きさが違うんじゃないですか。イレーネ様はくすみ一つない白い手で」
「幼い頃からお金をかければ誰だってこうなります。本当に凄いのは、ヒルトアリスさんのように、日に当たっても白い方です」
「あれは化け物的新陳代謝の賜です」
 イレーネはうらやましいとため息をつく。
 あの美貌と魔力と身体能力だ。彼女はヒルトアリスが男性でないことを惜しく思っているに違いない。
 廊下でどたばたと走る足音が響き、ドアが開く。
「おっやつだよん」
 ゲイルとハディス、そしてヒルトアリスとセルスが部屋に入ってくる。ハディスが一人で茶器から全部乗ったトレイ持ち、それをテーブルに置くと首を回した。
「疲れた。なんなんだ今年の海は」
 二人は海の平和のために活動している。今はもう小物ばかりだが放置できる存在ではないため、彼はずいぶんと辛そうだ。
「イレーネ、こんにちはぁ」
「こんにちはゲイルさん」
 ゲイルはイレーネの隣に飛び込むように座り、ハウルが顔をしかめた。
 その様子を見て、疲れた顔をしたハディスがトレイをテーブルに置く。
 呪文も唱えずにポットに水を湧かし、呪文を唱えて湯を沸かす。水の関係はハウルと同じで呪文がいらないようだが、熱を扱うものは別らしい。
「イレーネ家出してきたんだって?」
「ええ」
「お姫様でも家出するんだねぇ」
「国が困ることがないように事前準備をしてきたので」
 女王であるとは訂正しない。彼女にとってその差は些細なものである。それに関して逃げ道がないから、他を探って活動しているのだ。現実からの逃避ではなく、マディアスへの不屈の対抗心。
 楽しくおしゃべりを始めたゲイルを横目に、男のハディスがお茶の準備をしている。
 二人の日頃が伺える。
「ありがとうございます、ハディス」
 差し出されたティーカップを受け取り、イレーネは微笑みを向ける。
 すでにそれが張り付いてしまっているのか、彼女はいつも微笑んでいる。昔はぎこちなかったのに、今では完璧だ。人を騙すときも同じたたき込まれた笑顔。それに気づく者はあまりいないが、彼女の強さがそれに痛々しさを感じさせない。
「ゲイル。あまり騒いで迷惑をかけるなよ」
「ええ? ボク迷惑?」
「いいえ。賑やかで楽しいわ」
 彼女は舞踏会以外の賑やかな場所が好きだ。よくしゃべるが嫌みのないゲイルは彼女にとって好ましいのだろう。口が達者な嫌みや含みのある者には飽き飽きしているはずだ。
「かしこまられるのはどれだけ慣れても苦手なの」
「そうなの? ボクそういうことないからよくわかんない」
「普段はどちらに?」
「山を一つ越えたところにある砦」
「カーラントとの国境付近でしょうか」
「うん。ボク元々はカーラントの生まれで、ご主人様から逃げてきたの。だから子供の足で行けるぐらいのところだよ」
「に……逃げ?」
 さすがにイレーネの笑顔が固まった。
「うん。女の子だってばれちゃったから、売られそうになって」
「まあ……」
「昔から魔物はボクを襲わなかったし、国境が近いから楽勝って思ってたら、怪我して動けなくなったところを、ボディス様に助けてもらったの。すっごく格好いいの」
「ボディス……ああ、マディアスの口から聞いたことがあります。
 同じ不死でも制限がほとんどないから腹が立つと」
 彼らしいといえば彼らしい。ボディスは自分自身で実験して成功させたが、マディアスは確立された方法に手を出した。ボディスがしたこと比べれば手頃だが、天才だからこその方法だ。彼の息子がこうしてここにいるのが、奇跡のようなものである。
 マディアスが日の光をまともに浴びることが出来ないのは、元々そういうタイプでなかったとしても失ってみると惜しいような気がするのだろう。無い物ねだりだ。
「才能ある方なのでしょうね」
「そう。天才なの。格好いいし、頭もいいし、強いし」
 彼女は相変わらず恋しているようだ。哀れなハディス。
 イレーネも彼の視線に気づき、聡い彼女はその意味を悟ったように彼に同情の目を向ける。
「ところで、ボディス達は結局来ないのか?」
 ハウルが話題をそらそうと、あまりそれていない話題を出す。
「さあ。ヴェノムさんもいるし、そのうち来るんじゃないかな」
「まあ、楽しみ」
 今イレーネの頭にあるのは、魔石のことばかりだろう。
 カロンは彼女にノーラの魔力──時の力を売って、ノーラに必要な上質な魔石を手に入れている。少しでも珍しい物が手に入る可能性があるなら、ボディスが来るのは願ってもいないことだ。
「ボディス様はボクとメルさんのものだよ。イレーネは別の人を見つけてね」
「…………複雑な家庭環境で」
 彼女は再びちらとハディスを見る。
 彼の魔力も欲しいのだろうが、さすがにゲイルの前では言い出せないようだ。ただでさえ端から見れば誰でも分かるほどの複雑な関係で、好きな女の前で頬にとはいえキスをさせてくれとは言えない。
 ゲイルは理力の塔で既に魔力をもらっているのだろう。
「そうだイレーネ。ゲイルの魔力で作った魔石があるだろう。あれは今持っているかい?」
「ええ、もちろん。魔力をいただいた方には、魔石として一部をおかえしすることにしていますから、出来たばかりの魔石は常に持ち歩いています」
 イレーネはバッグから巾着を取り出し、その中に無造作に入れられている魔石を見せた。
 さすがに女の子かつラァスの親類であるゲイルは目を輝かせた。
「すごぉい」
「この猫目石のような石が、ゲイルさんの魔力で作った魔石です。いくつ作ってもこうなるんですよ。ご本人の神秘的な可愛らしさが現れているようです」
「へぇ、ボクの石可愛い」
「ええ。若い女性にも、男性にも身につけやすい石です。そうだ。せっかくだから、ハディスさんがこれを持ってはいかがですか。ハディスさんの魔力も上質ですから、それで出来た石をゲイルさんが持つというのは。自分の魔力そのものの石を持っているよりも、役に立ちますもの」
 強引に自分の欲望の方向へと持っていった。さすがはイレーネ。魔力に対する貪欲さは底がない。
「ハディスの石か。きっと透明で綺麗だね」
「ええ。こういう方の石はなぜか透明で綺麗な石が出来ます。とても美しい清水のような石が出来るでしょうね」
 カロンの石は深い深い知性の緑。ノーラの石は淡い淡い紫。ラフィニアの石は真珠のような愛らしい真白。
 そしてハウルは金剛石と見まがうばかりに光を散らして輝く石。
 実にハウルらしいそれに、カロンは思わず笑みをこぼしたものだ。
「ハディス、やってもらいなよ」
「お手を拝借できるかしら?」
 ハディスは戸惑った様子で左手を差し出す。その手を取り、手の甲に唇を押しつけた。頬にするより効率が悪いため、キスをしていると思うと異様に長い時間、魔石の材料を採取していると思うと短い時間。ゲイルは浮かれた様子でうきうきとそれを眺め、ハディスはため息をついている。
「ありがとうございました。数日中にはできますので、いっそ加工して石違いでおそろいのアクセサリにしましょうか」
「うん」
 ゲイルは心から喜び、いっそう華やかな笑顔を作る。おそろいという言葉に、少しだけ口元がゆるむ。
 不毛な恋に生きるよりも、身近な愛に気付くのが彼女の幸せだと、誰もが思っている二人だ。彼女なり方法で応援してやりたくなるのだろう。
 目の前の獲物より、そちらに意識を向けるのは、悪女になりきれない彼女らしいところでもある。

 

back    menu    next