16話 白き夜の城

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「来た」
 散々着せ替え人形にされてアヴェンダがもう嫌だと辟易していたとき、マヤが天を仰ぎ呟いた。アヴェンダは思わず喜んだ。
「よかった!」
 解放されるのだ。
 彼女は現在彼女はナース服を着せられている。メイド服とさして変わらない気もするのだが、あれよりは活動的で幾分かはマシなのだが、こんな物を着せられるのは本意ではないし楽しくもない。
「面白い子かな。何をして遊ぼうか。
 綺麗な女の子と、仮面の女の子と、綺麗な男。剣を持つ精霊使いとダリの死霊使いと王子様みたいな賢者。
 面白いね」
 彼の言葉に壊れた三人が反応する。
「闘神を所持する死霊使い。ああ、なんと懐かしい」
「おうじさま〜! ステキなおうじさまっ」
「剣士」
 危ない目つきで狂喜乱舞する。
 しばし三人で固まって相談し、目を爛々と輝かせて部屋を出て行く。
 なんというか、頭の痛くなる光景。
「な、何をするつもりっ」
 止めようと追うが、なぜか廊下には姿が既にない。
「どこに……」
「ここは夢。夢に正しき道があるとでも?」
 リシュの言葉で追うのを諦めた。今は追っても無駄だ。カロンもいるようなので信じよう。間抜けな一面もあるが、基本的に優秀だ。肝心なところでミスをするタイプなのだが、今は信じるしかない。しかしこちらはこちらでそれなりに足掻いてみよう。
「どうすればいいんだい?」
「慣れるまでに最低一年はかかります。それでも彼らに追いつけません。私でも無理なんですから」
 では無理なのだろう。一瞬にして年単位をかけて身につけるものを、上辺だけでも得るなど不可能。時間は必要だ。根性論で飛び出すほど彼女は愚かではない。前に進めば道は開けるなどと言う愚者の前に開く道はない。知性こそ道を開くのである。前に進む勇気は、その後に必要なのだ。
「あの三変人は何を飛び出したんだい」
「クラは元々死霊術師。他は見たままです」
「ああ……見たままだ」
 王子様と駆けていった女装少年に、女剣士。
「剣持ってた方はともかく、あの女装は何を……」
「彼の遊びは過激だから、壊れなければいいのだけれど」
 アヴェンダは彼らの顔を思い出し、心配になった。
 気の弱いキーディアが心配でならなかった。キーディアだけ。


 先の見えぬ白い庭。
 白い城は幻想的に白く、背後には先の見えぬ闇。
 美しいが恐ろしい場所だ。
 一夜紛れただけで気がおかしくなる場所。
 だから手をつないでいろと知識をもらった。
 キーディアを挟むようにして手をつなぎ、カロンよりもよほど身体的に強いヒルトアリスの利き腕が自由になるようにしている。
「くれぐれもはぐれないように」
「はい」
「はぐれたら糸を辿るように」
「はい」
 三人の間には魔力の糸がある。触れることは出来ない、目に見えるだけの糸。眠る身体をつなぐ糸であり、現実で切れるか、魔力を放つ者が死なぬ限りは決して切れることはない。
 三人は玄関までたどり着くと、ヒルトアリスが扉を開けようと手を伸ばし、ドアノブがただの飾りであるように動きもせず、押しても引いても横に振っても無駄であることを確かめると、剣の柄を握りしめてカロンを振り返る。
「さて、上手くいくか……」
 カロンは白いドアノブに手をかけて押す。開く扉をイメージすると、開いた。
「ん、さすが私だ」
 ほとんどマニュアルを見た程度の知識だったが、やれば出来るものだ。賢者の知識を扱うのには、このような感覚的な事が出来なければ不可能。だからカロンが行けと言われた。この二人はアヴェンダと常に一緒にいるため、彼女との縁が強い。カロンはその縁を辿っていく。
 素直なこの子供達はすごいすごいと褒めてくれる。
 しかし突っ込み役がないなと言うのが、これほど空しいとは。
 ハウルとアヴェンダ、二人ともいない。とくにボケたところがほとんどないアヴェンダの一言は、褒め称えられることに慣れ驕る彼の心に歯止めをかけてくれる。ヒルトアリスではないが、彼女のキツイ一言は悪くない。メディアと違い、言いっぱなしではなくその後に何らかのフォローもあるところが実にいい。
「ああ、アヴェンダの存在がこれほどまでに大きかったとは」
「はい。アヴェンダさんに馬鹿とかアホとか何やってんだいとか言われないと、もう落ち着かないんです。私を叱ってくれるのは、アヴェンダさんとハウルさんだけなんです」
 そこまで行くとさすがに人としてどうなのだろうか。
 かろうじてハウルの名が混じっているということは、恋愛と友情の区別はついているようだが、彼女の将来に対して大きな不安はある。
 どうしたものかと考えていると、
「ああ、確かに彼女に馬鹿とかアホとか言われるのは楽しそうですねぇ」
「叱られるのもたのしそぉ」
「何だかんだと慰めの言葉もあるだろう」
 突然現れたそれを見て、カロンはぎょっとした。
 紫、赤、青の男女三人が、変なポーズをとって立っている。
「変人には関わらない方がいいと、ヴェノム殿にも言われているな。うん、そうしよう」
「変人っ!?」
 自覚がないのか三人同時に叫んだ。
「変人とは聞き捨てなりません」
「そうそう」
「私はこやつらと違いノーマルだ!」
 一番見た目がまともなのはたしかに主張する青の女剣士である。
 一緒になっている時点でまったく説得力などないが。
「主に成り代わり歓迎しましょう」
「ついでに主に代わってご挨拶」
「接客を」
 接客といいながらなぜ剣を構えるのだろうか。それを見てヒルトアリスが剣を抜いて構える。ふだんはほやほやした少女だが、剣を持てばハウルよりも冷静で強い。敵であれば女だからと剣を向けられないわけでもない。
「接客と称して剣を抜くか。ずいぶんと躾がなっていな……」
 カロンは自分に突撃してくる赤を基調とした白いフリルとレースがふんだんに使われたドレスの少年にひるむ。
「王子様だぁっ」
「身元までもう知っているのか」
 顔を顰めて彼はキーディアを庇いつつ少年を避ける。
「身元……って、本物の王子様っ!? やだ、運命の王子様っ!」
 前にも身元を明かしていないのに王子と言われたことがある。どうやら他人から見ると彼は幻想の王子様像にぴたりと当てはまるらしい。
「中途半端な女装男に運命などと言われる筋合いはないっ!」
「ひっどーい!」
「それは格好が女性なだけで、女性としての努力がない! 宴会芸止まりの不格好だ!」
 少年は傷ついたようで半泣きになる。顔立ちは悪くはないが、ただドレスを着ているだけ。女性らしさなどないから、祭りでする仮装のようだ。
「パレードでもあるわけでなし、そのような奇人めいた格好をするな貴様もっ!」
 キーディアに向かって猫じゃらしのような物を振る男に怒鳴りつける。
「私はただ、自分の身内を遊んでやろうとしているだけではありませんか」
「身内なのか!」
「その仮面、我が家の蔵にあった呪われた仮面。間違いない」
 キーディアは胡散臭そうにカロンに隠れて男をじっと見つめる。
「そういえば、記録の中に眠ったまま起きなかった方が……」
「……彼らは不審に思わなかったんだろうか」
「呪いか祟りだと思ったんです。正体不明の祟りとして聞いた気がします。
 まさか何の関係もない夢神様に捕まっていたなんて……」
「ダリが出てこなくて不審に思わなかったんだろうか」
「ダリが出てくるようになったのは、私になったからです。ダリは私がまだ子供だから心配してくれているだけです。
 ダリを所有するのは、いつもダリを封じられた物として扱う人ばかりで、不愉快だったって。死神様からお預かりしたから、大切にはしていましたけど」
 乙女の純粋さに心を打たれたのだろうか。自分のかつての部下が、上司に相応しくない持ち主に腹を立てて、キーディアに乱暴をしたと彼は言っていた。それからなくなった片目の代わりに彼女を支えていると。
「しかし、なまじ眠り続けても不審がられない一族に生まれると、魔道士一家でもあっさり見捨てられることになるとは……」
 彼はしくしく泣き始めた。
 内二人が泣き、一人は楽しげにヒルトアリスと遊んでいる。しばらくすると二人とも満足したらしく、握手をして盛り上がった。
 よく分からないが、敵と言うほど敵でもなかった精神的に脆く幼い面々を見てため息をつく。


 互いをヒモで結んだ四人は、時折なにか呻き、身動ぎする。
 ここは屋敷内で一番広いベッドがあるヴェノムの部屋。寝ろと言われてアヴェンダのベッドではカロンが無理と結論づけて、この部屋に移動した。
 そしてテーブルの上に置かれた水鏡には、夢の中と思わしき光景が映っている。
 夢神の配下二人をカロンが泣かせ、一人はヒルトアリスが仲良くなった。
「まさか泣かせるとは、さすがは殿下」
「なんかメイク指導を始めたぞ。慰めているつもりなのかあれ」
「喜んでるわよ。さすがはダーリン」
 ダーリンとまで言い出したアーリア。
 男が好きなんだと言った方がいいのだろうか。カロンはあの手の女性は、それを知ると襲ってくるから嫌だと言っていたので、ハウルが口を出すことではないだろうが、心配だ。彼女は関わる男性を不幸にするらしい。
「あの男に任せれば問題あるまい。性格他は問題あれど、知識と実力は本物だ」
 壁にもたれるマディアスが言う。
 彼が男を褒めるとは意外だった。イレーネとは友人に過ぎないからだろうか。
 ハウルは一生褒められることはないのだろう。
「イレーネ、朝食がまだだろう。朝を抜くのは良くない。身だしなみも整えろ」
「マディアス……」
「どうせのぞき見しかできないのだ。皆で応援していても意味はあるまい」
 イレーネはため息をつく。複雑な心境だろう。彼女はまだ目を合わせられないらしく、彼を見ない。
「イレーネ。まだ怒っているのか。僕が何をした」
「…………乙女心は複雑なんです」
 イレーネは少しふくれて廊下に出る。
 すると良い香りが鼻の届き、ハウルも空腹に気付いた。
「ハウル様はもう平気なんですのね」
「ラァスにからかわれ続けてたからな。血がつながっていると思ってたときに」
 血は、つながっていないのだ。
 どうしたらいいのか、どうしたいのか、自分がよく分からない。
 だから他ごとを考えられるのには、少し救われている。
 アヴェンダは無事に帰ってくるだろうか。
 間抜けな変人が配下である夢神というのも、少し気になる。
 本当にあれですむのだろうか。


 ケーキを差し出された。
 材料他をどこから仕入れ、何からどうやって作ったのかと問いたくなるが、見た目は普通のケーキだ。ベリーとホイップクリームたっぷりの、美味しそうなケーキとタルト。ワッフルもある。
「ここでは太らないよ」
「う……」
 また見透かされた。
「甘い物を見て女の子が心配することはただその一つ。嫌いだったら興味など持たないよ」
 見た目は子供のくせに、気は利いている。
「……食べればいいんだろ」
 アヴェンダはケーキにフォークを突き刺し、小さな固まりを口に含む。確かに美味しい。ヴェノムが作る甘さとカロリー控えめのケーキとは系統は違うが、匹敵する。
「現実では食べたくない高カロリーケーキだね」
「夢だから安心だよ」
「確かに」
 しかしくどい。量は食べられない。
「マヤ様は、味覚がお子様だから甘あんまぁいケーキがお好みなんです」
「そりゃあそりゃあ」
 美味しいが甘すぎる脂肪分多すぎるケーキを半分ほど食べてギブアップ。
 あの三人、どうしているだろうか。
 退屈で仕方がないのだろう三人に遊ばれているか、遊んでやっているか。
「ん?」
 マヤが食べる手を止めた。
「どうしました? 何か面白いことでも?」
「泣かせた」
「小さな子をなかせたのですか?」
「いや、泣かされた。男二人」
「まあ、なんてお上手な」
 誰が泣かせたのだと頭が痛くなる。ヒルトアリスかキーディアが天然な一言で傷つけたとか、そういうことだろうか。
「なだめだした」
「まあ、なんてご立派な」
「仲良くなった」
「凄腕ですね」
 マヤは腕を組んでぷぅっとふくれる。
「早すぎるっ」
 気持ちは分かる。おやつを食べきる前に終わるなど、さすがにアヴェンダも驚いた。
「血でも流して欲しかったんですか?」
「もう少しアクションがあっていいだろうと。一部アクションしていたが、なぜか互いに楽しそうで、手加減されている」
「まあ、お強い方が」
「お前は行かないのか」
 リシュはにこにこ笑いながら紅茶を入れる。
「アヴェンダさんはエスプレッソがいいかしら」
「その方が」
 彼女がとんとテーブルを叩くと、カップの中にエスプレッソが湧く。飲むのに勇気がいる現れ方である。
「大切なのはイメージですから」
「そーかい」
 ここまで来れば皿まで食えと、熱いエスプレッソを口に含む。甘い口の中に苦みが広がる。ほど良く中和されて、またケーキを一口食べた。


 ヒルトアリスはこんな場所にいる割には素人臭い女戦士に、剣技の基本を教えている。
 キーディアは拗ねる死霊術師に最新の技術について語っている。
 カロンはとりあえず女らしさについて語り終えると、そろそろ行くかと立ち上がる。
「おまちなさいっ!」
 女装少年が呼び止める。
「ここで通したらマヤ様にお叱りをうけちゃうからダメっ」
「君たちはずっとここに閉じこめられているんだろう。夢の中であってもこちらは対処法を心得ている。それで現役の私達に太刀打ちできるとでも?」
 心得ているなど大嘘なのだが、過大評価してくれればこれでなんとかなるかも知れない。案の定、彼らは悔しげに顔を歪める。
 しかし次の瞬間には、
「お母さんとっちゃいやぁぁあ」
「母を、母を奪わないでくださいっ」
「どうか母上だけはっ」
 縋り付かれて、もう意味が分からない。
 何をして、母などと慕われるようになったのだろうか。
「アヴェンダさんは、私にとってもう一人の姉のような方! 渡すわけにはいきませんっ!」
 対抗してヒルトアリスが吼える。キーディアがこくこくと首を縦に振る。
 アヴェンダはなぜこの手のイロモノ連中にまで好かれるのか。ストレスから子供返りでもしている可能性もある。アヴェンダは面倒見がいいので、子供達に好かれる。彼女のことだから、無視せずに何だかんだと彼らに付き合っていただろう。そして好かれる。
「とりあえず、彼女に会いたいんだ。本人の意志は尊重しないと」
 優しく言うと、彼らは顔を見合わせる。
「ほおら、面白い玩具をあげよう」
 常に持ち歩いているラフィニアの魔動玩具を見せると、彼らは動くそれに目を輝かせた。
「黄の賢者である私の技術の結晶。その玩具には、最新の魔動技術が詰め込まれている」
「おおっ」
 案の定喜んでいる。
 子供相手なら、最近はカロンも慣れてきた。技術顧問としてラフィニア以外の子供の意見を聞くことも多い。
「また持ってきてあげるから、アヴェンダのところに案内してくれないかい?」
「了解です、王子様」
「王子様大好きっ」
「王子様こちらだ」
 なぜカロンは、王族を捨ててまで王子などと呼ばれなければならないのだろうか。事実を知らない、見た目だけで王子とあだ名をつけてくれた女性もいたりと、そんなに王子が板についているだろうか。
「こちらです王子様!」
 道化が恭しく礼をして、近くのドアを開く。その向こうには、可愛らしいナース姿のアヴェンダがきょとんとした顔でこちらを見ていた。


 水に濡れない岩場に隠したカゴを手に提げ、二本の足でスキップする。
 足ってとても楽しい。
「セルス、何かいいことでもあったの?」
 途中で偶然朝の散歩をしていたルートに出会い、一緒に歩いている。彼は元の大きさなので、かなりゆっくり歩いてくれているだろう。
「ヒルトさんに似合いそうな薄紅の真珠でネックレスを作ったんだ。喜んで下さるだろうか」
「………………喜ぶんじゃないかな」
 何か歯切れの悪い言い方が気になった。彼女は剣士だから、柔らかい真珠は好みではないのかも知れない。何を贈っても喜んでくれたのは、こちらを気遣っての可能性もある。後でハウルにもう一度聞いてみよう。なぜか彼も歯切れ悪くなるのだが、しっかり問い詰めなくては。
「おじゃまする」
 ルートが一緒にいるのでノックをせずに屋敷に入り、小さくなったルートがついてくる。
「今日は静かだな。
 声を聞きつけたのか、ヨハンが慌てた様子でやって来た。
「こんにちは、ヨハン殿。じゃましている」
「今は皆様が取り込み中ですがよろしいですか」
「取り込み中?」
「アヴェンダさんが夢神に捕らえられ、ヒルトさんが助けて夢に潜っていらっしゃる」
 セルスは愕然とした。
 夢神というのはよく知らないが、神様に捕らえられるなどただ事ではない。しかもヒルトアリスが助けに行くなど、なんてことだろうか。
「様子を見ますか?」
「ああ」
 セルスはこくこく頷き、ヒルトアリスが心配でヨハンに案内された。


 人の姿を見てカロンが吹き出し、ヒルトアリスが泣きながら素敵とか言いつつ駆け寄ってくる。
 キーディアだけが普通に駆け寄ってくれた。
「アヴェンダさんっ、そのお姿は!?」
「だいじょうぶでしたか? お怪我ないですか?」
 アヴェンダはキーディアを抱きしめて頭部を撫でる。
 普通だ。可愛い。怪しい仮面をつけているくせに、なんて可愛いんだろうかこの子は。
「怪我はないよ。でも、どうしてあんた達が?」
「サン様が人間が行く方がいいっておっしゃったんです。
 帰れるように、糸があるんですよ。私達の身体をつないでいるものだから、夢神様にも切れないんだそうです」
 神様まで引っ張ってきていたとは、これはそこまでの事態なのか。
「サンは元気?」
 マヤが自分よりも少し背の高いキーディアを椅子の上から見上げて問う。
「なんでサン様のことなんて気にするんだい」
「元は同僚だよ。だから呼ばれたんだろうし」
 キーディアはこくりと頷く。
 すべての意味で肯定したのだろう。
 サンは元気で、彼の言葉は正解と。
「今日は賑やかで楽しいねぇ、リシュ」
「はい」
 マヤはリシュへと笑みを向ける。
 穏やかな雰囲気。
 しかし何を考えているのやら。
「迷い込むのはいても、自分からのこのこ来てくれる人間なんて、今までいなかったなぁ」
「そりゃあいないでしょ」
「やりたくても出来ないからねぇ」
 マヤは楽しげに笑い、椅子から降りてアヴェンダを見上げる。
「遊ぼうか?」
「少しぐらいならいいけど、何をして遊ぼうって言うの?」
「何をしようか?」
 普通の子供ではないので、彼が何を望んでいるのかよく分からない。だから彼の意思表示がないと何とも言えないのだが、彼は考えるそぶりすら見せずにリシュを見上げた。
「リシュ、できる?」
「はい」
 メイドがカロンの前まで歩み寄り、笑みを浮かべる。
「ごめんなさい」
 触れられた瞬間、カロンが腕を上げた。
 その上げた腕から、糸が消える。
「な……」
「マヤ様が手を出せなくとも、私達は手を出せるんです」
 そうして、カロンの姿が消えた。
 ああ、見事に消えた。これでもかと言うほど分かりやすく追い出された。
 しばらくして、保護者を失ったキーディアが珍しく泣きだした。この子も知らない場所では頼れる大人がいないと不安なようである。つられてヒルトアリスが泣き出したのは、無視することにして、キーディアだけを慰めた。
 あの役立たず、戻ってこれなかったらあとで根性鍛え直してやる。


 腕を振り上げて糸を切ったかと思うと、目を開けて飛び起きる。
 夢の中の様子はこちらから丸見えだから、彼が何かされたのは分かる。分かるが──
「この肝心なときに場外男っ!」
 去年も肝心なときにころりと寝てしまった。今は起きてはいけないときなのに、何を起きているんだこの男は。
「リシュ、夢使いにそんなような女がいた!」
 カロンが爪を噛み、忌々しげに吐き捨てる。
 夢使い。
 王侯貴族に囲われる事の多い、稀少な夢を操る魔道士。
「夢使いくせに夢神に囚われるとは、どういうことですか」
 神様でも知らないことは多いので、ウェイゼルはヴェノムに問う。
「病で死んだと聞いています。幼い頃から夢に触れすぎて、弱っているところを捕らえられたのでしょう。病死であれば、眠り続けたなどという記録は残りません。自害しそこねたのも、身体が思ったよりも早くに死んだからでしょう」
 それで夢から抜け出せないとは可哀相に。皆まだ若かっただろうに、楽しみもなさそうな場所に閉じこめられているのだ。
 しかしどうしたものかと悩んでいると、部屋のドアがノックされる。
「ヴェノム様、セルス殿がおみえです」
 セルスとルートが部屋に入ってくる。ルートは朝の散歩に出かけていたのだろう。運動しないと眠くなるらしい。
「ヒルトさんはご無事で?」
「ああ、今被害が拡大して遭難者が増えたところだ」
「そんなっ」
 ラァス以上の女顔は、未だに男だとバレていないらしい。そろそろ何とかしないと、発覚したとき二人とも傷つくだろうから、本気でそろそろ手を打たねばとは思うのだが、あまりにも幸せそうに手を取り合っているので誰も言えないでいる。
「で、どうする? 次は誰が行くんだ?相手が一筋縄でいかないことは分かったから対策しないとあれだけどよ」
「わ、私に行かせてくれっ」
 セルスがハウルに縋り付いてくる。好きな女が他所の男に監禁されていると知れば、当然の反応だろう。
「私ももう一度行こう。今度は道具と……何か玩具を」
「お前、優しいよな」
「退屈を紛らわせてやれば、少しは落ち着くだろう。出来る限り穏便に解決したい」
 カロンはちらと水鏡を見る。新たに夢の中に捕らえられた二人は、よく分からない遊びに加わっている。ヒルトアリスとキーディアの前に衣装が用意されて、別室で着替えをさせられようとしている。アヴェンダとおそろいのナース服だ。
 マヤは現在、カロンが渡した玩具で遊んでいる。見た目が精神年齢というか、趣味などに反映されるのか、子供の姿をしたクリスも子供のようなことで喜ぶ。彼もその口らしい。
「さて、玩具を持ってくるよ」
 カロンは首を回しながら部屋を出て行った。

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