16話 白き夜の城

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 頭が痛い。
 隣では気合いの入ったセルスと、いつもの執事のような姿で腰に剣を穿くヨハン。ヨハンには連れてきてくれとカロンが頼んだ。たぶん、この執事執事した元騎士を見たら彼らが喜ぶ。そう、喜ばせるために連れていくのだ。喧嘩を売りに行くわけではない。とりあえず一度帰してくださいと言いに行くのである。マヤもウェイゼルとサンの気配ぐらい感じているだろう。そこで延々とごねるほど愚かではないと、信じたい。
「俺も行かなくていいか?」
 ハウルがまだ諦めずに主張する。
「お前が行ってどうするんです。大人しくしていなさい」
「ううぅ」
 大好きな祖母に否定されて、ハウルが唸って拗ねる。
 何も出来ないことが一番退屈でイライラするものだ。ハラハラするなら、自分で動きたい。そう思うタイプの彼にとって、見ているだけというのはさぞ苛立つことだろう。しかしヴェノムに慰められると、時も考えずに嬉しそうにふんと鼻を鳴らす。素直なのか素直でないのか分からない子だ。
 カロンは使えそうな道具と、長く遊べるような発売前の玩具を影に入れて、見た目はさきほどと変わらない。多少危険があるために発売中止になった玩具も混じっているが、彼らなら問題ないだろう。失敗しても死にはしない。
「とりあえず、動けないように縛り付けてくれないか。身体を操られても、縛られていれば糸は切れない」
「では私が縛りましょう」
 ヴェノムが縄を取り出す。始めにヨハンが縛られ、その縛り方が独特で戸惑う。変な意味ではない。彼女はプロなのだ。関節を外しても絶対に逃れられない、独特の縛り方。変な意味ではない。よく諜報機関の者がするような、プロの緊縛である。ここまでしなくとも、眠っていれば外せないだろうにと思うほど完璧な縛り方。彼女が楽しそうに見えるのは、きっと気のせいだと自分に言い聞かせた。
「セルスは力があるから、別のもので縛らないといけませんね。ハウル。あの棚の一番下に糸があるから取ってください」
 その糸とやらを探す間、カロンはヴェノムに縛られる。好奇心から外してみようと試みるが、びくともしない。後ろ手に縛るものだから、術で縄を切るのも難しい。腕を犠牲にするのを前提として、運がよければ逃れられるだろう。
 カロンが縛られると、ハウルは本当に刺繍糸のような物を持ってきて、ヴェノムがそれだと頷く。セルスはまず縄で縛られ、糸で補強するように縛る。
 あの糸の正体が気になるところだが、今はそれどころではない。
 さらに三人が寄せ集められて縄でぐるぐる巻きにされ、本当にこれで眠れるかと思う格好にされた。
 ここまですれば暴れても糸は切れないだろう。
「問題は、この格好で眠れるかだが。人間の私達は抵抗をやめれば簡単にかかるが、セルスは魔法耐性が強いぞ」
「サン様。お得意でしたね」
 サンはこくと頷く。
 そう言えば、彼は毎年のようにハウルを眠らせ続けていた。死、夜、闇、安息を司る死神の配下だ。眠らせるのはお手の物なのだろう。
 カロンは目を伏せ、サンの力が伸びるのを感じた。身体が自由になり、目をあけると再び夢の中。今度は庭ではなく、玄関を入ってすぐのエントランスホール。
「おや、なんとも白いところですね。この白を維持するのは骨が折れそうだ」
 すっかり家事が得意な執事が板についているヨハンは、階段の手すりを指で撫で、ほこり一つないのを確認して感心する。
 なにせここは夢だ。汚そうと思わなければ汚れない。
 だからこそ、案内がないと目的地にたどり着くのは難しい。
「すみませーん」
 カロンは天井に向かって声を出す。
 来てくれれば口車に乗せて連れていってもらえばいい。しかし、マヤが止めているのか来ない。
「オモチャ持ってきたが」
 来ない。
「発売前の、最新作」
 カロンが構築する探査網に、わずかな反応が生まれる。
「世界中の良家の子供達が待ち望む、期待の新作なんだが」
「おにいさまっ」
 現れた女装少年がカロンの腰にしがみついてきた。
「いっそパパ」
 背後から、女性の声。
「ああ、お父様っ」
 正面から来る男には、蹴りを入れて阻む。
 可愛らしい少年と、害のない女性ならともかく、変な男にしがみつかれるのはごめんだ。
「ああ、つれない王子様」
 いい年した男がなよなよするのはやめて欲しいものだ。
「変な格好をやめて出直してくれたまえ」
「クラ変な格好」
「最悪のセンスには違いない」
 カロンにひっつく二人は口々に言う。
 彼らも人のことは言えないのだが……
「あの、ヒルトさんは……」
 セルスが恐る恐るといった様子で三人に声をかける。三人はじっと彼を見つめた。
「あの?」
 凝視されてたじろぐセルス。
「人魚!」
「人魚姫!」
「泡になるのか?」
 泡になどなるはずない。精霊のいたずらで、人間や人魚のふりをして泡になって消えることはあるらしいが。
「よく見れば執事殿まで」
「これぞ執事って感じ!」
「皆、コスプレの必要がないな。つまらない」
 コスプレさせるつもりだったのだろうか。
 ヨハンとセルスはともかく、カロンは普段着である。なぜ必要がないのだろうか。
「いやしかし、王子様はいっそカボチャパンツを」
「今時そんなセンスの王族はいない!」
 カロンはきっぱりと否定する。いつの時代の流行だそれは──と考えて、彼らがかなり昔の人間であることを思い出す。そういう時代に生まれているのかも知れない。
「私に流行を語らせたらうるさいぞ」
「さすが王子様!」
 女装少年が瞳をキラキラと輝かせる。
 よく見れば、先ほどとドレスが違う。いっそうふりふりで可愛らしい。メイクも完璧で、胸のない少女のようである。しかし甘い。
「少年。ウエストのくびれを作らないとみっともないぞ」
「くびれ!?」
「下着にも気を遣うといい」
「ティス、コルセットだ。私は付けたことはないが」
 青い剣士は胸を張って言う。そんな物を身につけなくとも、適度に鍛えられた彼女のウエストはくびれて、女性らしいラインを誇っている。
「クラ、ローサが嫌み言うぅぅ」
「ローサ、繊細な少年を傷つけてはいけません」
「クラのばかぁ! きらぁい! 王子様いこっ!」
 紫の変人こと死霊術師を殴り倒して、ティスというらしい少年がやってくる。どうやら少女扱いして欲しいようだ。
 背中を押され、ずいぶんと好かれたものだと肩をすくめる。ヨハンは青い剣士のローサに絡まれている。剣を持っているから。
「その男は高名な騎士でね、ヒルトよりも強いよ」
 教えてやると、表情の乏しいローサの瞳が輝く。素直なところは、まだ可愛らしい。
「こうなれば人魚姫、私たちはアバンチュールを」
「カロンさん、この人変です」
 怯えたセルスがカロンにすがりついたきた。傷ついたようなクラは、肩を落としてついてくる。
 とりあえず、おびき出しに成功した。次は──遊ばれるのだろう、きっと。


「王子様。王子様ねぇ。リシュ、君は王子様にあこがれる?」
「格好良い王子様に憧れない女はいません」
 マヤの問いにきっぱりと言い切るリシュ。彼を追い返したことを一番悔しく思っているのは彼女だ。そして王子様が助けに来てくれるアヴェンダをうらやんでいる。
 助けもなく死んだ彼女。
 夢見てしまった彼女。
 夢見なければ始まらないが、夢見すぎれば終われない。
 囚われた可哀相な女の子。
「王子だからと、格好良いわけではありません。王族が嫁取りをするには二パターンあります。容姿を気に入った場合と、政略的な場合。私の知っているのは後者。前者の場合、その子供の美形率は高いのでしょうが、後者の場合は期待できません。とくに王族は肥え太るもの。私の知っている王子は、肉団子でした。世の中、あんな夢の中にしかいないような王子様がいるとは、現実とは捨てたものではないですね」
「でも、ホモだよ、あの男」
 アヴェンダが身も蓋もない残酷な現実を突きつけてやると、今まで冷静沈着を絵に描いたような彼女が、悲観のあまりに壁を蹴りつける。
 昔はもう少し大人しい子だったのだが、時とは少女から清純を奪い去るものである。
「お兄様はすべてを超越して素敵な方です。紳士的で優しくて頼もしくて賢くて、ちょっぴりドジでおちゃめなすばらしい方です」
 ヒルトアリスがカロンのすばらしさを力説する。
 アヴェンダとおそろいのナース服がとても似合うのだが、アヴェンダの姿の方が似合うと言っている。アヴェンダは自分が着ているのが間違っているのだと思っている。女の子は褒め合いながらも普通は心に含むものがあるのだが、彼女たちは心からそう思っているようだ。
 ちなみにキーディアは死神もどきの黒いローブと大鎌を持たされている。彼女は彼女でとてもよく似合っている。仮面が素晴らしく引き立てている。
 あの三人が選んだのだが、愉快なものだ。
 アヴェンダはため息をついて椅子の上であぐらをかいてテーブルに肘をつく。
「アヴェンダ、女の子がそんなかっこうするもんじゃないよ」
「……人を拉致してくれた張本人が何を正論吐いてんだい」
 正論だとは思っているようだ。
「せっかく可愛いのに、君は言葉と態度で損をするタイプだね。それはそれで気に入られたみたいだけど、男の子にもてたかったらもう少しヒルトを見習った方がいいよ」
「あたしがさめざめ泣いたら気色悪くてたまんないよ。生まれ持った資質を理解して生きないとね」
 何も泣けとか、悲劇のヒロインを演じろなどとは言っていないのに、彼女は女らしさに対してコンプレックスでもあるのだろうか。
「君は十分可愛いと思うけどね。まあ、今のままで面白いから僕的には構わないけど」
「子供の姿をしていて、さらりとろくでもないことを言うね。たらしかあんたは」
「口説いて欲しい?」
「冗談」
「僕もそんなことには興味ないね。地神と違って僕はもっと子供っぽいんだよ」
 人も神もは夢見るが、夢自身は夢見ない。
 恋だの愛だの、夢には関わりのないこと。
 だけれど楽しいことは好き。
 閉じこめられて、夢を見られないから退屈でたまらない。
 見られるのは取り留めもない子供の夢か悪夢だけ。
 昔のように声をかけられる夢はほとんどない。
 退屈で仕方がない。
「アヴェンダ、僕はけっこう君が好きだよ」
 太陽神のように激しい、地神のように慈しむ、風神のように奔放な、恋と呼ばれる感情は知らないが、好意はある。楽しい夢は好き。面白い夢は好き。怖い夢も好き。面白い人間も好き。
「君にはずっと僕のものであってほしいな」
「冗談じゃないよ。あたしは物じゃないんだからね」
「じゃあ、お友達でいいよ」
「お友達になってくれるっていったじゃなぁいって引きずり込むタイプのお友達はいらないよ」
「それはどこの低級な悪霊だよ。君は本当に怖いのが嫌いなんだね」
「好きな人間の方が少ないでしょ」
「そうだね」
 人間は正体の分からない物を恐れる。マヤ達は姿を見せているから恐れられない。彼女にとって神とは得体は知れないが、過剰に脅えても仕方がないモノという位置なのだろう。
「楽しいなぁ」
「何が楽しいんだい」
「だって、こんなに人がいるの初めてだもん。楽しいよ」
「寂しがり屋だねぇ」
「僕は夢。雪を欺くように夢の空白に潜みそれを観察するモノ。
 夢って騒がしいものだよ。だから静かなここは、僕にとってはとても退屈なんだ」
 本当に退屈で、退屈で、たまらない。
「んだからって、拉致監禁はやめておくれよ。寝てる間だけならともかくねぇ」
 人間は、寝ているよりも起きている時間の方が長い。
 つまらない。
 それにマヤが干渉できる相手は長く生きない。人としての生をまっとうするものばかり。だから、少しでも気に入れば引き込む。ここから逃れるには、マヤに嫌われるのが一番早いのだが、それに成功した者は今のところいない。
「そういえばあんた、昔に悪い事して閉じこめられたんだろう。なんでそそのかしたのさ」
「だって、何かしないと僕のことなんて構ってくれないよ。魅力的な提案をすることの何が悪いって言うの。結果が悪かっただけだよ。根に持つなんて、太陽神様は心が狭いよねぇ。死神様も殴るし」
「またやられたらたまらないから閉じこめてんだろ。部下が不手際起こしたら殴るだろ」
「夢だからって、失敗したことを繰り返したりしないよぉ。僕は理性ある夢なんだから」
 同じ事を繰り返すのも夢。その性質があるからこそ閉じこめられているのは分かるが、まさか同じ事をして乗ってくる馬鹿もいないだろうから、実現不可能。
 だが、退屈だから何かしたくなることを、彼らは知らないのだろう。
 太陽神などもともと引きこもり。死神は仕事さえあれば充実しているのだ。
「アヴェンダ。僕は人間って好きだよ。同僚と違って堅くないし、色々いるし」
「あんたの死神様達が特別堅いだけだろ。サン様もいい方ではあるけど堅い感じだったしね。
 地神様のところにでもいたらまだよかったのかもねぇ」
「かもねぇ」
 勝手に決められたことなので、どの属性なのかどこが己に合うのか、自分達にも分からないような、納得できないような神達は意外に多いようだ。
「ああ、あの三馬鹿が王子様達を連れてくるねぇ」
 人間の王子と水妖の王子。水妖の王子様はヒルトアリスが目当てのようで、本当に、王子様と結ばれる運命にあるのはいつもああいう女らしい女の子らしい。
 アヴェンダにも、リシュにも、きっと未来永劫縁のない相手だろう。
 そういう子の方が夢見る夢は面白い。


 さんざん振り回された。
 ここに来るまでの道程は、長いように感じたが、短いはずだ。
 王子様といえば白馬とか言って、何かを取り出そうとしたので首を絞めてやめさせたり、大変だった。
「遅かったね、カロン」
「関係ないところを連れ回されたよ」
「そうかい」
 アヴェンダは手にしているグラスを置いて、立ち上がる。
「さて、帰るかい」
 そう言った瞬間、これからもっと遊ぶ気だった三人組がアヴェンダにしがみついた。
「帰っちゃ駄目ですっ!」
「ここにいてぇぇ」
「捨てないでっ」
 アヴェンダは拳を振るわせながらも堪える。堪えた後、静かになった三人を見下して言う。
「玩具で遊んでな」
「いっしょにぃぃぃ」
「遊んでもらってたんだろっ! あたしゃとっとと起きて薬の調合しなきゃならないんだよ!」
「格好いい!」
「わけのわからんことを」
 アヴェンダは疲れた様子でため息をついた。
 その間、再会の抱擁を交わしている違う空気を纏うセルスとヒルトアリス。まだ、互いのことを理解していない二人は、幸せの絶頂だ。そろそろ教えてやらねばとは思うのだが、ここまで仲睦まじいとどうにも言いづらくなり、誰も言えないでいるのだ。そんな二人を、微笑ましく見つめているヨハン。彼はセルスと親しいので、祝福しているらしい。彼もきっと、ヒルトアリスのことをまだよく分かっていない。
「ああ、なんであたしは夢の中でまでこんな光景をっ」
「彼氏なんていないよねぇ、やっぱり」
「やっぱり?」
 マヤの言葉でアヴェンダの頬が引きつる。
「ああ、そうか。僕が彼氏になってあげようか? 人間はお互いを知るためにもまずはお付き合いから始めるんでしょ。言葉遊びをするよりもずっと手っ取り早い」
 なぜか三馬鹿が拍手喝采。そこまでして止めたいのかこいつらは。
「ガキが何馬鹿なことを言ってるんだか」
「ガキってひどいなぁ。僕は記憶にないぐらい前からいるよ。大人の姿が良い? なれるよ。君の好きなかぁいいタイプの少年とか」
「なんで人の趣味知ってんだよ」
「君の夢はのぞけるからね」
「のぞくんじゃないよ! デリカシーのない男だね! 大切なのは中身だよ、中身!」
 マヤは唇をとがらせる。拗ねても中身が若い頃の記憶もないほどのジジイだと思えば可愛くもない。
「アヴェンダのばか」
「拗ねてんじゃないよ」
 いじけるマヤの頭をリシュがよしよしと撫でる。まっとくとアヴェンダは腰に手を当てて睨み付ける。
「何も一生遊んでやらないって言ってるわけじゃないだろ」
「アヴェンダを引き込めたのは相性もあるけど、タイミングが良かっただけでたまたまなのに」
 いじいじしながらちらちらと見てくる。
 確かに、簡単にできるのならもっと早くやっていただろう。彼らは退屈なのだ。ずいぶんと前からちょっかいを出されていたようだが、今日まで本人はただの悪夢を見たという感覚だったようである。
 泣くふりをするマヤは、なまじ幼い子供の姿をしているからたちが悪かった。
「な、泣かないでください」
 ヒルトアリスが同情を始め、マヤのことを知らないセルスもあやし始める。
「だってだって、アヴェンダがっ」
「あたしのせいにすんじゃないよ!」
「だってアヴェンダは夢繰りの技術ないから接触が難しいんだもん」
「もんってあんたねぇ。そういうことはなんでヒルトみたいな多才なのに言わないんだい」
「夢使いは多才じゃないよ。今は夢繰りの才能があると精霊はあんまりついてこない。君は妖精とかから好かれるでしょ。あの子達は一歩こっちに足を踏み入れたような存在だからね」
 確かに妖精には懐かれているらしいが、特別見えるとかそういう才能はないから、限定された地域での現象なのだと思っていた。意外にも才能の問題だったようだ。
「キーディアはちょっと気になるけど、ダリを持っているから問題外だし、今時まともに適性を持っている人が夢使いになる事って数世紀に一度しかないし。みんなちょっと夢に手を加えられる程度で、自在には操れないんだ」
 そこまで希少価値の高い術者だったとは。それは囲っていれば自慢にもなる。
「ああ、じゃあダメ元でちょっと習っとくから」
「本当に?」
 夢使いとはただ金持ちに囲われるために有名なだけで、実際になりては少ない。マヤが言ったように、わずかでも夢に干渉することですから難しいらしい。知識としてはあるが、カロンは試したこともない。
「まあ、師匠に聞けば何とかなると思うからねぇ。夢も見ないように眠らせる技術とかも欲しいし」
 言ったとたん、泣いた子がもう笑った。
 カロンは肩をすくめてた。
 馬鹿なことを言ってしまったというような顔でアヴェンダがため息をついている。すがられるとどうにも弱いタイプなのだ。彼女は人の良い。良すぎて頼られすぎてしまう。頼られて、しぶしぶ力になってやる。そうやってトラブルに巻き込まれるのだ。
 カロンは彼女ではない。それに彼女のそんな性質も好きだ。だから危険がない内は、自由にさせる。
「カロンは夢について分かるかい?」
「知識としてはあるがね。問題は許可が下りるかどうかだよ。死神様に一度お伺いするといい。まあ、人間である君が出入りする程度なら問題ないだろう。今までも夢使いは粛正されたことはない。幸い、今はサン様が状況を見ている。説得を手伝ってもらえばいい」
 大変な役目を強制している気がしないでもないのだが、彼ならもしマヤを目の前にしたら似たような反応がありそうだ。あっさりと陥落するだろう。彼は押しに弱い。
「よかったですねぇ、マヤ様」
「うん」
 マヤはにこにこ笑いながらアヴェンダの元へと来る。手招きされ、彼女は視線を合わせるためにしゃがみ込む。
「なんだい?」
「約束の印」
 腕を取られ、手首にバングルがはめられる。
「何だいこれは」
「僕と仲良しって印」
 一瞬だけ嫌な感じがしたが、同じ事を思ったらしいアヴェンダがバングルを外してみたので安堵する。一生取れないとなったら、保護者としては困るのだが、外せるのならさして問題ないだろう。太陽神に目をつけられそうなのは怖いが、あれは引きこもりだ。わざわざいつものマヤの我が儘のためにやって来たりはしない。マヤは思考を封じられている具神と違って、どんなことでもいいから外に干渉したくてたまらないのだ。
 もっと大きなことにも目をつぶっているから、これぐらいは囚人が外部と文通する程度の問題だろう。
 一番の問題は、やはりあのバングルの意味だ。
「王子様、心配することないよ。僕はラーハ様とは違って、相手の意志は尊重する。なにより、直接印なんてつけたら怒られるしね。僕が一番近い神って、太陽神様のところの具神なんだよ。道具を使っての束縛の弱い契約だって可能なんだ。昔からね」
 知識と現実の細かな部分が一致しないことは多々あるため、知らなかったそれに驚く。具神には会ったことがあるのだが、どちらかというと昔から無口な方だったらしい。正反対だ。
「これでも十分怒られるだろう」
「そんなこと言うと、延々と悪夢を見せ続けるよ、リシュが」
 リシュは一瞬きょとんとした後、カロンを見つめて爽やかに微笑む。
 ああ、あれはあまり関わらない方がいいタイプの女だと、カロンのまだ短い人生で得た直感が告げた。
「干渉そのものを制限させているのはマヤ様だけですからね。私経由でしたら外の情報を得たり、操ることが簡単に出来ます。
 悪夢を見せ続ければ、人は簡単に死にますからね」
 カロンははははと笑って受け流す。
 マヤといえば、にこにこにこにこご満悦。
 知識の中の彼は、もっと不貞不貞しくて、姿に反して大人びた神だった。しかし今は、すっかり見た目のままの子供の神。
 帰るなら、今しかない。
 帰す気があり、機嫌のいい今。
 カロンは知識を呼び起こし、知識のままに目を開けた。


 ああ、なんで自分はこんなのに関わっているんだろうと思いながら、アヴェンダは目を開けた。
 目を、覚ました。
 ベッドの横で、なぜか縛られたカロン達。
 いきなり目覚めるとは思っていなかった。もっとごねるかと思っていたのに。
「縛り付ける意味もありませんでしたね。外しましょう」
 ヴェノムが三人を拘束している紐を外す。アヴェンダはヒルトアリスが外すのを待つと、自由になった腕でキーディアのをはずしてやる。
「さて、話は聞いていましたね」
 カロンは立ち上がり、ウェイゼルへと微笑む。
「僕はかまわないですよ。あれが怖いのは、まさにその力ですから。知らないところでやられるよりは、知っているところでやられた方が厄介です」
 ウェイゼルはアヴェンダの腕を指さす。あのバングルが腕にある。銀色だが銀ではない。派手でなく細工が凝っていて、ものすごくアヴェンダの好みではある。
「夢の実現っていうのはかなり制限があるので世界に大きな影響を与えるものは生み出せませんが、使う者によってはそれが覆りますからね」
 包丁一本にしても、料理にも使えるし、細工にも使えるし、殺しにも使える。つまりは使い方を間違える者に持たせないことが肝心なのだ。
「確かに、こんな力をほいほい使われてはたまりませんね」
 夢に見た物を実体化する。装身具程度なら可愛らしいが、もしも違う物を望んで、叶えられたらどうなるのだろう。
「そういやこのバングルのデザイン、見たことある」
「小さなころに欲しかった物は、以外と実体化しやすいそうです」
 使いようによっては恐ろしい威力を持ちそうだ。そりゃあ悪さをしたら封じられるのも道理だ。
「サン、ターラに報告しなさい。監視はそちらでしたければすればいい。当面はクロフとヴェノムがいるから問題ないでしょうが。
 反対したら、じゃああなたが彼のストレスを発散させなさいと伝えてください」
「かしこまりました」
 挨拶も無しにサンは姿を消した。
 監視されるのかと思うと、涙が出そうになる。
「アヴェンダ、これを」
 ヴェノムがアヴェンダに本を差し出した。
 どうやら夢繰りについて書かれた本らしい。わざわざ準備してくれていたようだ。
 さらっと見ただけでもややこしい雰囲気を発している。ため息をつき、中表紙を見た。題目の下にある言葉に顔を顰めた。
 夢で聞いたような言葉。きっとリシュの声。
『夢見なければ始まらない
 夢見すぎれば終わらない
 行く先は白く暗き夜の城
 雪を欺く白の王が住まう
 そこは目覚めぬ夢の世界』
 つまりは夢見るならば巻き込まれ、巻き込まれたくなければ夢見るなということだろう。
「アヴェンダさん私に何か手伝えることはないでしょうか」
「ないよ。好きなだけセルスと戯れてな」
 ヒルトアリスの言葉を突っぱねて、アヴェンダは自分の部屋へと戻った。
 病は待ってくれないのだ。

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