18話 素直になる薬

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 夕食時、酒が出てこないのにヴェノムは少しばかり不満そうだった。しかし二人きりで飲むと言っているので、期待気している様子。それが豪勢な料理にも現れていた。
 カロンは苦笑いをして、フォークを握りしめるラフィニアの口を拭う。
 苦笑いしたくなるのはカロンだけではない。アヴェンダも似たような反応だ。アーリアは美少年二人に取り合われているヴェノムを睨み付けている。彼女の弟子はきっと二人で夕食を取っているのだろう。それともイレーネ達のところにでも行っているのだろうか。どちらにしても放置されて可哀相に。
 肝心のハウルは、とにかく敵意を振りまき、向けられるテリアは悲しげに顔を伏せている。
 血がつながっているとは厳密には言わないのだが、それでも自分の影響を受けた者から生まれた者に嫌われるというのは辛いものだ。
「そういえばテリア君。こんな所にいていいの?」
「偶然近くにいたから寄れたんだ。宿を探すほどの時間で駆けつければ、杖も文句は言えないよ」
 ヴェノムの手が止まる。
「偶然、ですか」
 テリアの致命的な、ハウルにとっては有利な点は主にここだろう。
 彼は女心が分からない。今の発言がヴェノムの琴線に触れるなどとは思ってもいない。
 例えばこれをハウルが言ったとする。彼の場合はただの照れ隠しだと、カロンにも分かる。しかしテリアの場合は本心なのだと、そうでなかったとしても思ってしまう。
 積み重ねてきた物の違いだ。ハウルなら一ヶ月もヴェノムと離れたら彼女が心配で居ても立ってもいられなくなる。もちろん誰が止めようとこっそり見に行く。そう、別れた妻の元に連れて行かれた子を見つめる父のように。
「偶然近くを通りかかって来たと」
「ああ。寄れるギリギリの範囲だったから」
「そう。範囲だったのですか」
 見事に神経を逆なでしている。この発言から推測されるのは、帰ることの出来るギリギリの範囲にいても、用がなければ帰らないということだ。これが子供だったら可愛くも見えるが、彼は見た目はともかく中身は大人。こんな事で帰ってこないと思うとさぞ腸煮えくりかえったことだろう。
「帰ってこなくていいのに」
 ハウルは不機嫌を丸出しで言う。
 テリアのためにヨハンが用意した部屋へとこっそり侵入していたので、既に嫌がらせを行っているはずなのだが、それに飽きたらずちまちまと攻撃している。ちなみにテリアの料理には味見はしたくないほどの調味料がかけられたのだが、なぜか平然と食べている。
 なにせあのメビウスの生みの親。味覚が少しおかしくても不思議はない。
 ハウルは味覚に関しては父親似にて良かったと、彼もこればかりは思っているだろう。
「でも、アーリアさんにこんな素敵な恋人が出来たなんて」
「まあ、テリア君ったら」
 テリアは苦手な相手を、顔見知り程度のカロンに押しつけようとしている。なんて恐ろしい男なのだろう。
「ははは。まさか、アーリア殿のような偉大な魔女と、私のようなひよっこが恋人などと。
 それに私には妹であるこの子を立派なレディに育て上げるという使命があってね。この子が大人になるまでは」
 つい一生大人になどならないでくれと思ってしまうが、その時は孤児院から別の子をもらってこようかと思う程度には、言い訳の材料を求めている。もちろん大切に育てよう。男の子だと何かと問題が起きる可能性もあるので、やはり女の子がよい。純粋な気持ちで慈しめる対象だ。もしもの時はそうしよう。
「もう、まじめなんだからぁ」
「子供を育てるということは、ふざけていてはできないからね。責任を持って育てないと。途中で誰かに預けていなくなるなど論外だ」
 テリアの視線が泳ぐ。この程度の自覚はあったのか、預けた子に親としての存在すら知られていなかったから考えたのか。
 カロンとテリアには、始祖の親という共通点があり、育て方という差異がある。
 ハウルは立派だ。ルートはとても立派な男である。ラフィニアのために身体を張ってくれるのだ。婿をもらうなら、これぐらい身体を張れる男がいい。
「本当に、殿下はいい親でいらっしゃる。ラフィニアは幸せものですね」
「いやいや。ヴェノム殿にはまだまだ遠く及ばない」
 食事に飽きたラフィニアは、隣で食事をするルートにちょっかいをかけ始めた。
 お転婆なところもまた可愛い。この子を不幸にするわけにはいかない。不幸に事故ってなどいられない。
「ところで殿下、ワインは?」
「ダメ」
 ヴェノムの問いに、ハウルが即答する。
「飲ませるわけないだろ」
「今朝と言っていることが……」
「っせー。まだ冷えてないんだよ。明日まで待ってろ」
 ハウルの気持ちは理解できる。万が一にもテリアと一緒に飲んで、ヴェノムが彼に絡み始めたら、恋する少年には居たたまれない。手に取るように分かるこの気持ち、ヴェノムは理解しているのだろうか。好かれているためとは分かっているのだろうが、どこまで気付いているのか、彼女の顔からは何も読み取れない。怒っている、喜んでいるという雰囲気は分かるが、さすがにここまでは理解できない。
「ハウル君は本当に可愛いな」
「ええ、本当に、可愛いわぁ」
「あなた方、ハウルに手を出したら許しませんよ」
 別の意味で可愛いと思っているのに、問題のヴェノムに牽制された。
 こんな時は、ヴェノムまでもが可愛く見えてしまう。
 不思議なものである。


 うるさいほどに心臓が中で暴れている。どこに血管があるのかが分かってしまうほど騒がしい。全力疾走したわけでもないのに、なぜこれほどまでに騒がしいのか。
 ハウルは抱えた小さなボトルを見つめる。
 薬を入れてきた。
 自分が素直になれるよう、ヴェノムに素直になってもらえるよう。
 部屋のドアをノックする。
「はい」
 ヴェノムの声。他に気配はない。テリアはいない。仕掛けた罠にかかっているのかも知れない。ラァスなら避けるのに、なんて間抜けな男。
「入っていいか?」
「どうぞ」
 鍵が外れる音がする。薬の香りが漂う部屋の中に入ると、風呂上がりなのかバスローブ姿のヴェノム。
「どうしました?」
 ドアも閉めずに固まっていたハウルは、我に返ってドアを閉めて椅子に座る。二脚ある椅子はくつろぐには向かない装飾的なもので、大男が座れば折れそうな足をしている。小さなテーブルも揃いで、その上に抱えていたボトルを置いた。
「ジュースですか?」
「俺が漬けた果実酒。ワインお預けだから、ちょっと持ってきた。いい出来だからさ」
 実はヴェノムに隠れてよくヨハンと飲んでいた。師弟の語り合いだ。女に入る隙間などない、男同士の話しをしながら飲んだ。
 とくに大した内容ではなかったが、とにかくヴェノムに入る余地はなかった。入ってもらっても困る。
「まあ、果実酒などつけていたのですか」
「天空城のだからすげぇ美味い」
 見つからないように、見つからない場所に隠しているので見つかったことはない。
「オヤジに取られてちょっとしかないけど、特別な」
 ヴェノムはこくこくと頷いた。
 ウェイゼルに取られたのは本当だ。材料が実家の果実だから、作っていることは知られている。半分よこせばヴェノムには言わないと脅されている。精霊達に手伝ってもらって季節の果物ごとに毎年大量に作っているのだが、ウェイゼルは堪え性がないから成熟したらすぐに飲みきり、ハウルの大切にしている果実酒をたまに要求してくる。
 最近では精霊達が自分で主のために酒を造るようになって、少し収まってきた。高位の精霊は味も理解できるから。
「いるか?」
「はい」
 いつもと変わらないように見えるが、かなり喜んでいる。雰囲気が違う。なんか可愛い。こういう時の彼女はすごく好きだ。酒の為だと思うと悲しいが、好きだ。大好きだ。
「よし」
 棚をあさり、グラスを取り出す。酒を入れて、氷と水を作り出して注ぎガラス棒で混ぜる。綺麗に洗った薬品用なので問題ない。
 ヴェノムの前に置くと、彼女は浮かれてさっそく口をつける。
「あら、美味しい」
 変に酔っぱらわないように、ボトルに移し替えた時点で味を調え、かなり薄めにしたので一杯までは大丈夫だろう。
「ハウルはこういうの得意ですね。さすが私が育てた子」
「天空城の果物は美味いからな。精霊達が手入れしてくれてるし」
 ヴェノムはいつもこんな感じだ。薬が効いているのかも分からない。自分でも一口飲み、味はいつもと代わらないのを確認する。ジュースみたいな物だが、酒に弱いヴェノムはこれでも量を飲めばいつものようになるだろう。そこまでやったら意味がない。
「……おかわりをいいかしら」
「ちょ、はやっ」
「美味しいものですから」
「味わって飲めよ」
「ケチケチしないで下さいな」
 素直というか、遠慮がない。
「まてまて」
 再び同じ水割りを作って差し出す。たぶんこれぐらいなら大丈夫だ。
 自分も飲み干し二杯目を入れる。
 心臓がうるさい。
「どうしました? 顔が赤いですよ。珍しく酔っているのですか?」
「そうかも」
 酒ではなく、別の物に。
 言ってしまおうか。男らしく、ずばっと。
 ずばっと、はっきりと、まごつかず、男らしく。そう、アヴェンダぐらい男前に。
「ヴェノム……」
「なんですか」
 彼女は既にうっすらと顔が赤い。まだ理性はあるらしく絡んでこない。まさに、時は今だ。
「ヴェノム、俺……」
 そういえば、どういえばいいのかよく考えていなかった。
 頭の中が真っ白でろくな言葉が出てこない。しかし、まあいいやと諦めた。適当に口走ればいい。
「俺、ヴェノムが……」
 気配がした。ドアが開く。
 やけに衣服がぼろぼろになったテリアが飛び込んできた。
「どうしました、その格好は」
「なんか、変なのに掴まれて動けなくてっ!」
 ハウルが仕掛けた罠だ。実家にある道具を適当に使って作った奴。捕まったら最後、ラァスでも一晩かけて抜け出した。あの時は殴られて、ああ、こいつには大袈裟なことはしちゃいけないなと──
「わけのわかんない事言ってんじゃねぇよ」
 予定外であるため、とぼけてみることにした。
「俺の部屋使って良いから寝てこい。明日は早いんだろ。杖の導きのまま早寝早起きしろ。俺は人間じゃないから、寝る必要もないし」
 テリアはぶんぶんと首を横に振る。我が儘な大人だ。しかしすぐに顔色が変わり、ヴェノムの手元を凝視した。
「って、飲んでるのかっ!? いいのかっ!?」
 この男も、絡み酒被害者なのだろう。腹立たしい。
「水みたいに薄いからいいんだよ」
「じゃあ俺も飲むぅ」
 ずうずうしくも伸ばしてきた手をはたき落とし、ボトルをしっかりと守る。
「味覚がない奴が俺の酒に手を出すなっ!」
 外観は変わらないよう激辛にしてやったのに、この男は顔色一つ変えなかった。つまり、母の味覚はこいつ譲りだったのだ。
「味覚?」
 これを言ってしまったら、ばれなかったイタズラがばれる。
「とにかく、これは自分のために作ったんだ! ヴェノムは特別なんだ! ただでさえオヤジに搾取されてるのに、ふらふらしている奴にやる酒はねぇ!」
「…………」
 テリアはじっとハウルを見つめる。犬みたいな印象の男だ。しかしほだされてはいけない。これは娘だと思っているらしい母を捨てたも同然の男。犬ならもっと主に忠実になるべきだ。
「俺の大切な酒を酔えればいいってような奴に誰が飲ませるかっ! まだ悪酔い絡み酒の方がマシだっ!」
「うっ……」
 本当に酔えればいいらしく、小さく呻くテリア。
「俺なんて、ろくに酔えない体質なのにっ」
「そういや、ウェイゼル様は酒をいくら飲んでも顔色一つ変わらないな……。そうか、酔えないのか。可哀相に」
「だから味にこだわってるんだよ! 俺は味の分かる奴以外と飲食するのは嫌だ!」
 ハウルは拗ねて椅子の上で膝を抱えた。
 せっかく楽しい時間だったのに、台無しだ。
「ちょ、泣くことないだろ。そんなに飲ませるのがいやだったら、自分の飲むし」
 涙腺が緩くなっている。
 薬のせいだろうか。いつもならとっくにしている強制排除もしないし、ひょっとしたら優しく感傷的になっているのかも知れない。
「そ、そうだ。旅先で珍しい物買ったから、持ってくるよ」
 テリアは立ち上がり部屋を出て行く。するとヴェノムが立ち上がり、ハウルの隣に椅子を運んだ。
 どうしたのだろうと顔を上げると、額を撫でられた。
「今日はどうしたんですか。まるで酔っているようですね」
 そうだろうか。
 確かにテリアと会うといつもイライラしているのは確かだが。
「お酒を飲む時は楽しく飲まないと」
「じゃあ、鍵かけてくる」
 立ち上がり、鍵をかけて近くの棚を移動させて入り口を塞ぐ。
「すっきりした」
「そんなにテリアが嫌いですか」
「だって、母さんも捨てた男だぞ。俺なら、絶対にそんなことしないのに」
「分かっていますよ」
 椅子に戻ると、また頭を撫でられる。白い手。綺麗な手。子供の頃は大きく感じたのに、今では小さな手だ。
 グラスの酒を一気に飲み干し、すぅと息を吸う。
「ヴェノム」
「どうしました」
 ヴェノムの何を考えているか分からない顔が目の前にある。
 喜怒哀楽ぐらいは分かるが、落ち着いた雰囲気だと何を思っているのかさっぱり分からない。
「俺……ずっとここにいてもいいか?」
「何を当然のことを。出ていくことを止める権利はありませんが、いてくれるのならいつまででもいてください」
 撫でられる。昔から、これが好きだった。
「ヴェノム……」
「はい」
「好きだっ」
「私もですよ」
 なんか違う気はする。
 それでもいい。
「大好きだっ」
 目が回る。
 その夜はテリアに自分の部屋を譲り、一晩この部屋で過ごした。


 ハウルが眠ったのを確認すると、ヴェノムは着替え棚を戻して部屋を出る。
 彼が酔うなど珍しいが、匂いからするとイーシヴィールのところに行ったと思われる。彼は酒神以外で神でも酔う酒を造ることでも有名だ。
 ハウルにはそのつもりはなかったらしいので、イーシヴィールが親切心を起こしたのだろう。とてもよく眠っていた。
 ヴェノムは子供達を起こさぬように静かに歩き、目的の場所に一つにたどり着く。しかし誰もいない。次の部屋にも誰もいない。
 あとの可能性から最も可能性の高い場所を考えて歩き、物音を聞いてため息をついた。
 ダイニングルームに入ると、中で酒盛りをしていた四人が固まる。
「まあ、ヨハンまで何を?」
「ワインがよく冷えましたのでご相伴にあずかっております」
 確かに、彼は残る三人のために料理をした後という雰囲気だ。テリアは部屋から閉め出され、泣く泣く別の酒盛りに参加したと言うところだろう。
「それはさておき、お二人はどういうつもりでハウルをそそのかしたのですか? あの子は自発的にあのようなことをする子ではありませんが」
 ヴェノムに酒を自主的に持ってくるなど、あのハウルなら絶対にない。誰かに言葉巧みにそそのかされない限りは。
「まあまあヴェノム殿。飲まれたのではなかったのかい?」
「飲みましたが、今日は意識がはっきりしています」
 限界は少量の酒なのだが、薄めてしまえば一杯ぐらいは問題ない。ハウルがかなり薄めてくれたので、ボトルの原液でもかなり薄かったと見ていいだろう。
「で、どういうつもりですか?」
 大方、アーリアが一番の原因だろうが、カロンも彼女に毒されるとは信じられない。
「いやいや、どうもこうも、ねぇ」
「ねぇ」
 二人は酔っているのかくすくすと笑っている。カロンは酒に強いようだが、アーリアも酒には強いらしい。一緒に飲むと記憶がなくなるので実際のところは知らないが。
「私はねぇ、いじらしい坊やをみていたら、つい手を貸してあげたくなっただけよ。あんたのことだから、どうせ気付いててとぼけてるんでしょ?」
 ハウルは確かにいじらしい。そこが可愛い。
「何のことですか」
「嫌な女。そうやっていたいけな少年を惑わすのね。ああ、こんな性悪女につかまるなんて可愛そうな子」
 付き合う男を不幸にする女にだけは言われたくない。カロンは詳しく語らないが、あんな実験であんな事が起こるなんて逆に奇跡的な発見だ、などと言っていた。どんな奇跡を起こしたのやら。
「一つだけ言っておきます」
「何よぉ」
「あの子は、身体ばかりは大きいですが、あなた方が思っている以上に子供なんです」
 そう。子供だ。頭を撫でられて喜ぶ子供。ご褒美に物をあげるよりも、ただ褒めてもらえるのが嬉しい子供。
「今日も私と共にベッドに入り、普通に寝て、今はすやすやと眠っています。テリアとは大違いです」
「実にハウル君らしい」
 だから可愛いのだ。それは他の子とは違う可愛さだ。
 テリアが視線を逸らしてとぼける。
「私はあの子のあの子らしさが愛おしいのです。私の楽しみを奪わないでください」
「あんた、性格悪いわねぇ。少年をじらして遊んでるわけ?」
「遊ぶ? なぜそうなるのですか。子供が子供のままでいてくれたらと思うのは、何人も弟子を育てた者にとっては当然の心理です」
「まあ、子供の内の方がかわいげがあるから懐かしむわねぇ。あの子達も最近生意気になって。美少年にも育たなかったし」
 育っていたらどうするつもりだったのだろうか。アーリアの好みに育たないというのは、ある意味幸せなことなのだろう。男性は顔立ちではなく生き方とあり方によっては女性の化粧以上に外面を変えてくるので、女性にもてないという意味ではないのだから。
「私のハウルは、幼少時、完全本人主義といえば聞こえのいい、半育児放棄状態で育ちました」
「そ、それは俺のせいじゃないよな?」
「ええ、私の監督不行届です」
 口を挟んだテリアがいじける。それが理由で帰ってきても逃げたのだから、彼にとってはあまりいい思いはないだろう。
 いじける様は、ハウルと通じるところがある。しかし、それ以外はあまり似ていない。ハウルは嫉妬深いが、テリアは淡泊だ。ヴェノムが誰と会おうと気にしない。ハウルなら威嚇するような場面でも、このようにけろりとしている。それが女としては面白くないと、彼は知っているのだろうか。
「それなのに、テリアにもウェイゼルにも似ず、賢く健気にもまっすぐ育って……」
 感慨深くある。
 出会った頃は生まれたての精霊のような子だったのに、今では立派に人間らしくなった。半分人間である以上は、人間らしく振る舞う必要もあるだろうと教えたのだが、表面的には生意気を言いながらも、彼女の言うことをよくきくいい子に育った。
 可愛くてたまらない。
「それなのに、汚い大人達の手で汚されるなど許しません」
「あのねぇ、問題を先送りにしているだけでしょう。真剣に考えてあげないと坊やが可哀相じゃない」
「分かっています。しかし、せかすのはまた別の話。あの子は臆病なところがありますから」
「結局、どうするわけ? 気付いているのに気付いていないふりまでして」
「どうもしません」
「その時が来たらよ」
「さあ。その時が来ないと」
「考えてないの?」
「考えるだけ無駄なことは考えない主義です。それに……」
 考えるべきは別にある。
 大切なことだ。可愛いハウルの未来に関わること。
「殿下はあの時にいたからご存じでしょう。サギュ様の反応。あの子にある役割──時の女神が干渉できない事」
「そういえばそのようなことを言っていたね。大物でも生み出すか育てるのか……」
「私には分かりかねます。こういう場合、よいことではないでしょう」
 防げることなら防ぎたい。しかしそれを防いではいけないのだろう。防ぐ方法も分からない。サギュにも分からないのだ。防げないのなら手は一つ。
「防げないのなら、できるだけあの子が傷つかないようにと考えています。イレーネ様と仲良くなった時は、それがきっかけで何か起こるのかと思ったのですが違うようでした。そうであれば、ただハウルが苦労するだけの可能性が高かったのですが……」
 興味が他に移ってしまったのは寂しさを覚えたが、移ったように見えて向こうを放置しこちらに来る様を見ると、可愛くて無闇に物を買い与えたくなる衝動に駆られた。
「私が関係あるのかないのかすら分からない現状では、ただあらゆる事態に備えることしかできません」
 それなら、どうするのが一番よいのか。
「頭の痛い話しです」
「しかし、悪いことが起きると決まったわけではないだろう」
 カロンはグラスを無闇に回しながら言う。不安は手元に表れやすい。
「またタマゴでも拾うのかも知れませんね。神でも入っていたらどうします?」
「…………それは……ないとも言い切れないのが恐ろしいな」
 なにせ、人の始祖が生まれたぐらいだ。神が入っていてもおかしくはない。母神の創造物という意味では、神も人も対等の立場なのだ。
「可能性を色々と考えてしまいます。一番最悪の事態だけは、最近になってようやく手段が出来ましたが」
「最悪?」
「最悪です。ああ、ハウルに何か盛られましたね。イス様はハウルに何を渡したのでしょうか。とても心が穏やかです」
 不思議なほど、いつもわき出てくる激しさがない。怒りはあるが、激情ではない。
「今は穏やかなのかい?」
「ええ。考えるだけで無闇に破壊行動に出たくなるのですが、今日は落ち着いています」
「……ヴェノム殿、一体何があったんだ」
 カロンが顔を顰めて尋ねてくる。
 本当に、落ち着いている。殺意がない。これはよい。今度ねだりに行こう。
「ずいぶんと昔の話しです」
「昔?」
「生きていてはいけない子供が生まれたのです。そしてそれを目の前で始末された。ただそれだけです」
 だからラフィニアを可能性程度のことで殺そうとしたサギュが憎かった。幼子が神に殺されるのは、とても許し難い。だから神に逆らう弟子達を容認した。
「ヴェノムにもトラウマが……」
 育ての親である師に向かって言うテリア。人を何だと思っているのだろうか。
 しかしなんとなく、彼の杖が彼をここに誘導した理由も、なんとなく理解できた。
 あの杖はサギュに近い存在だ。杖は変動を見守るということは、時に最も関わる事。
「トラウマすら顔に出ないのね。あんたらしいけど」
 アーリアの言葉も無視してチーズをつまむ。
 ヨハンが静かに立ち上がり、グラスとジュースを持ってくる。あくまでもこれ以上は飲ませないようだ。
「私も、悩むなどまだまだ青いということでしょうか」
 どれだけ生きれば些末なことで悩まなくなるのだろうか。考えても仕方がないことで悩むなど、何の意味もないことだと知っていて悩んでいる。気楽に生きられればいいのだが。
「何言ってるのよ。ウェイゼル様なんて、いつもくだらない事で悩んでらっしゃるじゃない。神が悩むのに、人間が何事に対しても迷いがなくなったら怖いわよ。馬鹿なこと考えてないで、今大切なのはあんたどこで寝るかってことよ。私は帰って自分のベッドで寝ればいいけど」
 言われて、今からハウルが眠る部屋には戻りにくいことに気がついた。夜更かしをしすぎると肌に良くない。
「ハウルの部屋で寝ましょうか。それとも私に部屋に入られるのは男の子としては嫌でしょうか」
「変な物は隠していないだろうから大丈夫だろうが、朝起きてヴェノム殿がいなかったら、ハウル君は傷つくのでは?」
 言われてみれば、一緒に寝ていたのに別の部屋で眠っていたら傷つくかも知れない。思春期の少年は些細なことで傷つくものである。
「それもそうですね。あの子も寂しがり屋な子ですから」
 やはり、一緒に寝てやるのが保護者としての責務だろう。
「ではおやすみなさい」
 そういえば、部屋にはまだハウルの持ってきた酒が残っている。寝る前に少し飲むのもいいだろう。


 朝、疲れた様子のハウルがげんなりと朝食を食べていた。
 テリアを追い出してから一体何があったのだ。ヴェノムの方は逆に調子が良さそうだし、おかしい。
「ハウル、ヴェノムに何をされたんだ? じぃちゃんにも言えないようなことか? 何をされたんだっ!?」
 酒に酔ったヴェノムのことだから、少年には心の傷となりそうなあんな事やこんな事をされたのではないかと思うぞ、心配で心配で居ても立ってもいられなくなる。やはり素直に寝ずに、部屋に何としてでも乱入すれば良かった。
 杖関係のことかも知れないので強く出なかったのが良くなかった。見直してもらえるいいチャンスだったのに。
「ちげぇよ! 夜中にたたき起こされて小突かれてたんだよ!」
「可愛い攻撃かっ」
「なんだそれは」
「酔った時のヴェノムの奇行の一つ。酔ってるから手加減のない抱擁と称した暴力行為だ。まだマシな酔い方で良かったな。じいちゃん安心したぞ」
「いや……マシなって、あれよりもたちの悪い酔い方があるのか」
「気をつけるんだぞ。薄めの酒一杯ぐらいと思って飲ませると、こっそり原液をくすねるからな。前に料理酒で酔ってた時はキッチンドリンカーなんて最悪だってローシェルに叱られたからもうしないと思うけど、ちゃんと酒の残りの量は調べないとダメだぞ」
「料理酒にはいいの使わないから飲まねぇよ」
 どうやらしっかりと管理しているらしい。自分が魔力を注いだ始祖の息子ながら賢い子だ。始祖は一番多くの魔力をすって相手に似る。人型だとそれが顕著だ。
「何満足そうしているんですか」
 ヴェノムがパンを千切りながら言う。
「や、孫ってのは可愛いなぁって」
「嫌われてもそう思えるのは立派ですね」
 ヴェノムは朝食を食べ終えると、ぱんと手を叩いた。
「テリア、よい旅立ちの朝ですね。ヨハンがお弁当を作ってくださったので、有り難く持って行きなさい」
 ヨハンが弁当を差し出し、子供達が手を振る。
 自業自得だとは分かっているが、出ていかなければならないのが切なく、杖を恨みがましく見つめてみた。この意志ある杖を睨んだりすると、あとで報復を食らうから。杖に対して強く出られれば、嫌われることもなかったのだろう。
 ああ、切ない。
 弱い自分が恨めしい。

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