19話 幸せの解釈

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 朝、爽やかに剣の練習を終えた剣士三人は、見物していたセルスを伴って戻ってきた。朝食の準備をしてから子供達に付き合うのだから、ヨハンもまだまだ現役だと自負しているのだろう。
 カロンはジョギングに付き合うのですら遠慮したいぐうたらな大人であるため、彼らのような若者達にはとてもついていけない。ヨハンは現在、朝食の仕上げにかかっているのだからその体力には感服する。
「あら、アヴェンダさんは?」
「まだ寝ているんじゃないかい」
「そうですか。いつもお早いのに……体調が優れないのでしょうか。私、ちょっと見てまいります」
 ヒルトアリスもまだまだ体力有り余り、涼しい顔をして走っていく。あの体力がうらやましくもあるが、あの域に達するまでの努力を考えるとお手上げだ。自分にはそのような努力と根性はない。
 眠気を覚ますコーヒーを飲み、きらびやかな浜辺を眺め、ラフィニアの頭を撫でる。
 そういえば最近、あまり趣味の怪盗をしていない。下調べをしたり、予告状を出したり、演出したりと、一つの仕事は意外と手間がかかり、子育てをしている身分ではなかなか行えない。
 人生は長い。ゆっくりと成長を待って、趣味にのめり込むのはそれが終わってからでもいい。元々はノーラのためだったはずだが、趣味を行わなくとも現状維持は何とかなるので、我慢してもらうしかない。遊んでいると思われているようだから、ノーラ含めての子育てに専念していれば文句も言ってこないだろう。
 ソファでうたた寝するノーラの姿に苦笑して、子供独特の柔らかい髪を指に絡めながら、カロンは将来を夢見る。この子達はどんなレディになっているだろうか。笑顔の多い、清楚で、心優しく、それでいて賢い子になってくれるといい。ノーラは今更無理なので、ラフィニアだけでもそうなるように育てなくてはならない。そのためには、悪い影響を排除する必要がある。一番悪い影響と言えばカロン自身の実家。実家と係わらないためにも、ヴェノムと親しくするのは大切だ。
 まだ目覚めきらぬままでまったりとしていると、廊下を駆ける騒がしい音が近づく。ヒルトアリスの足音だ。彼女はいつも大袈裟で、些細なことでも驚いて騒ぐことがある。
 どうせアヴェンダがまだ夢から帰っていないとかそういうことだろう。帰してもらえるのは確かなのだから、落ち着いて見守ればいいのだ。
「大変です! アヴェンダさんがてんちょーです!」
 いつもの十倍ほど意味が分からない発言である。
「ヒルト、わからんわからん」
 ノーラに上着を掛けようか悩んでいたハウルが手を振り言うと、ヒルトアリスはしばし考え、言葉をまとめ終えると口を開く。その間にノーラははっと顔を上げて、意識がはっきりしないまま騒がしい原因であるヒルトアリスを見つめた。
「アヴェンダさんが、薬屋さんの店長になるんです」
 彼女がいつかそうなるのは分かっていた。分かっていることをなぜ言うのだろう。
「アヴェンダさんのお母様の新店で店長をするはずだった方が、おめでたで適任者が他にいないそうです」
 未来ではなく、今のようだ。
 彼女は薬師としてならすでに十分な知識がある。ヴェノムに弟子入りしたのも、治療術などを学ぶためだ。最近は遊びなど考えているから勉強はおろそかになりがちだったが、元々基礎があったので一店を仕切るぐらいなら十分だ。実戦もそれなりにこなしている。
「だから、産休中の代理だよ」
 ゆったりとした足取りで、アヴェンダがダイニングに入ってくる。
「しばらくは働くみたいだけど、さすがにストレスの溜まるようなことはさせられないからねぇ。無事に生んで、体調がよくなるまでの代理だよ」
 欠伸を一つし、椅子に座る。
「しかし、君はただでさえ童顔なのに、変な客に絡まれやすくないかい」
「そういう客をあしらうのには慣れてるよ。女が多い職場だからね、いろんな店を回ってるといろんな客に遭遇して耐性がつくんだよ。ぶっちゃけ薬師の腕よりもその耐性が一番大切なぐらいだよ。腕のいい連中は宝だよ。前に出すなんてとんでもない。
 弱ってる人が来ることも多いから、やばい客ぐらい追い出せないとね」
 普通の薬屋はそんな事を考えないのだろうが、女性が仕切るのイメージが強い彼女の店はまた違うのだろう。もちろん男性も多く働いているが、現実と印象はまた別なのだ。
 若い女性だけが住む屋敷と聞いたら押し入ろうとする男はいるだろうが、ヴェノムの噂を聞いてわざわざ男が押し入ろうとするはずがないのと同じだ。
 来るのは肝試し気分の連中である。
「すぐってわけじゃないよ。まだ店の準備が整ってないから、そのあたりはまだ動けるから自分でやるって。あたしは元々ばあちゃんみたいに各店舗回って生活するはずだったから、飛び込み状態ってのは別に悪くないからね」
 出されたコーヒーを飲みため息をつくアヴェンダ。ヒルトアリスが瞳をうるうるさせて、今にも泣きそうだ。
「だから、しばらく時間があるって」
「でも、でも……せっかくお友達になれましたのに……」
「別に友達やめるわけじゃないでしょ。休みの日はこっちにも来るつもりだし、連絡途絶えるわけでもないし」
「はい。でも、寂しいです」
「ああ、じゃあ店を手伝いにきなよ。開店の時だけでも」
「わ、私にでも出来るでしょうか」
「剣を持ってニコニコ笑って座って、変なごろつきが来るようなことがあったら追い出してくれればいいんだよ。最近変なのがいるらしくって、ちょっと不安もあるからさぁ」
 それは店の手伝いではなく護衛とか、あの店には手を出すなという印象を植え付けようとしているだけではないだろうか。あの店の女達は怖いと。
 しかし見た目は華やかだから、普通の利用者が脅えることもない。
「現地で頑張ってる医者の一家と提携してるんだよ。
 小さな村だったのが最近発展してきて、医者がその一家しかいない状態でね。今までのやり方だと薬が足りないし、下手に仕入れると良心的な値段じゃ出来ないからね。
 そん中に女医さんがいて、その経由で話を進めたらしいよ。まだ独身の美人だってさ」
 ヒルトアリスを上手く利用する手立てをアヴェンダはこの長くはない交友で知り尽くしている。男性騎士にありがちなタイプだとカロンも理解しているのだが、姿を見てる惑わされるのだ。
「さっき言ったとおり、発展してよそ者が増えちゃって新しい店ともなると色々と大変なんだよ」
 何が理由で発展したか知らないが、そういう街にはよくない連中が流れ込んでくる。ヒルトアリスをしばらく置いておくのは賢いやり方かも知れない。彼女なら激安で、下手をすると無料奉仕してくれるだろう。まさかそこまで考えてはいないだろうが、女性に囲まれて座っているだけ、たまに女性に乱暴を働く男を懲らしめるという仕事は、彼女なら喜んで一、二ヶ月と言わずに行いそうだ。
「あの……」
 キーディアが小さな声をかけてくる。
「私も、お家に帰らないと行けません」
 こちらはかなり深刻そうな声音だ。彼女は仮面をつけているので表情は分からないが、声の調子からよくない意味なのは間違いない。案の定彼女の背後にダリが現れ、肩に手を置いた。
「そのことは私に任せておけばいい」
「でも、お母様が……」
 ダリがため息をつく。あの幽霊好き母はキーディアを何のために呼び寄せようというのだろう。ここが城だったら自分で来るのだろうが、残念なことに悪霊のいない屋敷だ。
 静かに編み物をしていたヴェノムは、顔を上げて問う。
「ダリ、アーラインに何かあったのですか」
「いや、キーディアの婚約者を決めたというのでとりあえずぶちこわしに行くだけだ」
それは一大事だ。相手がまともだったら反対はしないが、ダリがぶち壊すと断言するような相手、断固阻止しなくては。
「お相手はどのような方ですか」
「一回り以上上だ。カロンと変わらない年だろう。相手を見なくてもそれだけで却下だ」
 もちろん珍しい話しではないが、珍しくないからと捨て置けるわけがない。
 相手が望んでいるのなら、持参金やら家の繋がりやらが目当てか、最悪の場合はロリコンの変態という可能性もある。親戚の顔だけ見れば、傷があるといっても素材はなかなかよいだろう。ちょっと変わっているが、利点があるので問題ないと考えたのかも知れない。
「その上、タチの悪いネクロマンサーだ。腕だけはいいが、金さえあればなんでもするという男だ」
「会ったことは?」
「キーディアが幼い頃にあるらしいが、本人は覚えていない。私は倉庫の中にいたから顔も知らん」
 彼は本来、持ち歩くような剣ではない。ダリには悪いが『儀式用』としてこそ高い価値があるはずなのだ。それまでこのように外に出て主を構ったりしていなかっただろうから、知らないのも当然である。
「キーディア、親に何て言われようが気にすることはない。嫌な相手と結婚するなど馬鹿げている。私も昔は色々と苦労したものだよ」
 親でもなく、赤の他人が結婚させようと必死だった。まだ十代の遊びたい盛りだったのだが、女性に興味がないというだけで周囲がとにかく焦って焦って、いい迷惑を被った。女性苦手が悪化し、最近はようやく治まってきた。当時ならアーリアをあしらうなどとても出来なかっただろう。逃げて逃げてとにかく逃げていた。現在進行形で逃げている。
「知らない人なので嫌かどうかは分かりません。でもダリが……」
「いやいや、私と同じぐらいの年齢の男と婚約するんだよ。君が適齢期になったら三十代という可能性もある。恋愛ならともかく、花盛りで知らないおじさんと結婚したくはないだろう」
 結婚という物が遠い話しであるためか、キーディアはきょとんとしている。
 憧れるような花嫁などろくに見たことがないだろう。恋愛にもまだまだ興味がない。一緒に暮らすだけという考えを持っているからこそ、嫌な人でも少し我慢すればいいと思っている。
 アヴェンダが理解していないキーディアをぎゅっと抱きしめた
「ダリ、全力で潰すよ。なんでも協力してやるわ」
「わ、私も! 嫌な結婚はよくありません!」
 少女達は結束したようだ。
「手っ取り早くヒルトか人間のふりした先生が相手の人を誘惑しつつ、その間に立派な人間に見えるヨハンが説得ってのは」
「私、男の人を誘惑なんてっ……」
「人間の振りとはなんですか。ふりとは。瞳の色を誤魔化せというだけならともかく」
 ヒルトアリスは怯え、さんざん妖怪扱いされているヴェノムは静かに気分を害した。
 一般人には通じそうだが、相手は死霊術師。知り合いは漏れなく相手の容姿に興味がない連中ばかりだ。
「そこまでしなくてもいいだろ。相手はキーディアの母親だぞ。あの延々とブリューナスを縛り付けて一方的に語っていた女だぞ。
 うちの悪霊は地縛霊だから連れてけねぇけど、姫さんに頼んでヒュームとか連れてけばぽーっとして頷いてるんじゃないか?」
 皆、一斉に手を打った。問題は乙女の血を欲しがるだろうが、吸血可能な乙女なら二人もいる。血の気が多いから、多少抜かれても問題あるまい。注射器で血を抜いて、ラッピングした血だけプレゼントという手もある。
 あの一族には人間の女が誘惑するよりは説得力があるだろう。相手の男がその手のタイプだとは限らないが、彼女の親の説得こそ最優先である。断る権利があるのはアーラインの方なのだ。
「じゃあ、みんなでアーラインに行く前に、魔除けグッズを揃えないといけないな」
 そう言ったとたん、アヴェンダの顔色が悪くなる。彼女が常識的な感覚の持ち主だと思い出す。
 さすがに、カロンもアーラインと聞くと緊張する。どんな幽霊、化け物屋敷なのか、考えるだけでぞっとする。


 生地も仕立も上品な服というのは慣れない。背が高くならないので、二年前に作ったよそ行きのワンピースが着られてしまうのが、自分の身体ながら情けないと肩を落とした。しかしこの屋敷に来てからは、それが気にならなくなる程度に緊張した。
 理力の塔の支部経由でその大きな街に着て、アーライン家の馬車で城まで案内された。人の多い街の片隅を陣取っている城は歴史を感じる。
 本当に金持ちだ。これでも社長令嬢なのだが、やはり一般庶民に過ぎないアヴェンダとは住む世界が違う。
 中に入るといかにもお化け屋敷ではないが、ないが──普通の城に見えるくせに、時々変な物が見えてはキーディアが挨拶する。
 中途半端に見えると怖い。いっそもっとはっきり姿を見せてくれればいいのに。それかもっと出ますという雰囲気があれば覚悟も出来たのに、安心したところで出てくるから騙された気分になる。
「人がたくさんですね。こんなにご家族と使用人の方がいるなんて」
 見えすぎるヒルトアリスは、カロンが作った力を封じる眼鏡をかけているのにはっきり見えているようだ。
「違うって。死人だよ」
 この天然お嬢様と付き合うには、忍耐が必要だ。一つ一つ訂正してやらないと将来が心配である。天然が入っているセルスに面倒を見られるだろうか。
「お亡くなりになったご家族と使用人の方ですか」
「違います。寄ってくるんです。定着しているご先祖様とかはあまりいません。死霊術師は死と近いから、死んで少ししたらほとんどは死神様の元に自分で行くんです」
「そうなんですか。どうりで色んな人がいると思いました」
「ヒルトさんはまだ見えすぎてるんです。私達は慣れているから場所によって調節します。手を振るのは知っている古参の死霊の方です」
 見えない。見えないことはいいことなのか、だんだん分からなくなってくる。背筋にぞくぞくした感覚が登ってきて、身体を振るわせた。
「あのなお前ら、アヴェンダが脅えてるぞ。これがラァスだったらとっくにパニくって逃げてるからな」
 ハウルが何かを追い払いながら言う。
 ラァスはこれでさらに墓穴を掘っていたらしい。彼の気持ちはよく分かる。こいつらのような人種と一緒にいると、頭がどうにかなりそうだ。
 気にしないように、キーディアの将来だけを考えることに専念しながら、見た目はまともな応接室へと通される。
 気になるのは飾りの甲冑だが、とりあえず微動だにしないし嫌な感じもしない。革張りのソファも高そうなだけで普通だ。テーブルも年代を感じるが、呪われている雰囲気もない。
 女中も普通。キーディアは小さなルートをぬいぐるみのように抱いて、呼びつけたらすぐに来たヒュームの陰に隠れているので、あまり女中の事はよく思っていない様子。乙女に頼られヒュームは喜んでいる。
 かなり美味しいお茶を飲みながら待つことしばし、いつぞや城に来たキーディアの若作り母がやって来た。
「まあ、ヒューム様! お久しゅうございます」
 娘を無視してまっさきに吸血鬼に声をかける母。
「キーディアちゃんも大きくなって。お母様は嬉しいわ」
 それでも娘の存在に気付いたと言うことは、ブリューナスほどのめり込んでいないらしい。安心した。
「お母様、ただいま戻りました」
「お帰りなさい。ヴェノム様もお変わりないようで」
「あなたも相変わらずですね、エランダ」
 ヴェノムはため息をつき、そのまま黙りそうになった後、またため息をついて唇を開く。
「ところで、キーディアの婚約者を決めたそうですね」
「ええ。よい方が見つかりました。本当はサディにと思っていたのですが、最近は従兄と仲がよいようなので。それにあの子はちょっと変わり者だし」
 この一族内に置いても変わり者とまで言われるなど、キーディアの姉はどこまでおかしいのだろうか。あまり関わりにならなかったからいいものの、塔の人々は言いしれぬ苦労を強いられているような気がした。
「だからといって、こんな子供に一回り以上年上の男を見繕うというのはどういうつもりですか。貧乏貴族の身売りではあるまいし、必要ないでしょう」
 確かに、本人が望まぬ年の離れすぎた相手の婚姻といえば、財産目当て以外にほとんど考えられない。もしくは優秀な婿が欲しいという、技術職ならではの事情がある場合だ。
 息子もいるのに優秀な婿がまだ欲しいとは、強欲なことである。
「いい方なんですのよ。キーディアもきっと気に入るわ」
「好意を持つのと結婚は別の話です。それにせめて結婚できる年齢になって、見合いをしてから決めなさい。キーディアは結婚についてなどほとんど理解していませんよ」
 まだ十歳ぐらいの子供だ。正確な年齢は知らないし、この年頃ならませている子もいるが、本当に何も知らぬ何も理解できぬ子も多い。傷つきやすいし、反抗期の始まる時期。ここで変な男との婚約など固まったら、数年後にぐれている可能性もある。アヴェンダなら家を捨てるだろう。
「そうだ。とりあえず、会ってみなければわかりませんわ。キーディアちゃん、可愛くお着替えをしましょうね。新しい仮面も用意したのよ。コルカ様はとっても素晴らしい死霊術師で、悪魔をも使役なさる方なのよ。きっと一目で気にいるわ。私も娘時代だったら、お父様なんて捨ててあの方をとるものぉ」
 もちろん一番はエオン様と付け加えて、部屋を出て行き、女中もそれを追った。
 無理矢理縁談を進めたいほどの実力者らしい。優秀な知人のお兄さんなら悪くない相手だろう。例えば同じ年頃だというカロンはまさにそのポジションだ。恋人になるなど誰が見ても考えられない関係である。
 将来、彼女が大きくなった時に魅力的に見えるかも知れないが、それはそれこれはこれだと母親が自分で気付いて欲しい。
「相変わらず強烈な女だ。あれだから娘達の主張がなくなるんだろうな」
 過去に何かあったのか、ヒュームもため息をついて温かい茶を飲み、遠い目をして綺麗な庭を眺める。なんでも庭いじりが趣味らしい。
 使用人が部屋からいなくなったので、ヨハンが空になったカップに茶をつぎ足していく。まめな男だ。ドアがノックされると、やはりヨハンが応対する。
「ヴェノム様、コルカ様が」
 先ほど名を聞いた、婚約者。
 ヴェノムが頷くと、男が入ってくる。
 癖のある赤毛と垂れ目が印象的な顔立ちの整った男だ。キーディアがせめてもう少し大きかったらとりあえず反対するような要素は見あたらない。もう少し歳の差がなければアヴェンダの好みである。
 そんな彼が視線を巡らせ、アヴェンダを見つめた。
 綺麗な茶褐色の瞳だ。
「君が……キーディア?」
「あたしのどこが十歳に見えるんだいっ!?」
 失礼な問いに反射的に怒鳴り返す。
「ごめん。一番年下に見えたから。最近の子は発育がいいなって、ちょっとビビった」
 一番背が低いから、一番下だと思うのは仕方がない。ヒルトアリスやヴェノムを見て、キーディアだと思うような男だった現実逃避しすぎて最悪だ。
「キーディアは着替えに」
 ヴェノムが立ち上がり男を見つめる。誘惑でもするつもりだろうか。
「邪眼の……魔女?」
 さすがに業界人の中では、目を合わせるだけでも相手の正体を悟られるほどの知名度があるらしい。こんな特徴のある女もそうそうそうないので、聞いたことがあるのに分からない方がどうにかしているだろう。
「ヴェノムです。キーディアに死霊術以外の魔術を教えています」
「コルカ・イーメスです」
「イーメス……ああ、聞いたことがあります」
 普通に挨拶を交わす二人。
 アーラインの強烈な人間と違って普通に見える。
 しばし見つめ合うのは、互いの腹の内を探っているのだろう。
「今日は、エランダを説得に来ました」
 ヴェノムは単刀直入に言う。常識人相手にならこれで通じる。相手がこの結婚を望んでいるいないに関係なく。
「婚約を破棄させる、と言う意味ですか」
「もちろん」
 その答えを聞いたとたん、彼の顔に笑みが浮かぶ。
「よかった! ようやく話が通じる人が来てくれた!」
 どうやら彼は倫理観含めてアーライン家よりはまともな人間らしい。少なくとも、自分の半分も生きていない女の子との婚約に抵抗を持つ、ノーマルな男性だ。
「あなたはこの縁談に反対しているのですか」
「そりゃそうですよ。
 でもうちはアーライン本家からの誘いでなかなか断れず、アーラインの方々は長男以外反対する人がいなくって」
 キーディアの兄は反対しているようだ。彼女も兄には可愛がられているようなことを言っていたので、人並み程度には家族の心情を思いやれるらしい。
「私もなぜあなたとキーディアなのか、理解に苦しんでいます。あの子には姉もいるのに」
「うちの親が指名したそうです」
 ヴェノムの眉間にしわが寄る。
 彼女の表情が崩れるなど珍しいが、他の面々も似たような反応だ。この場にダリがいなくてよかった。
「そっか……ダリのせいか」
 本来なら当主が持つはずの剣だと言っていた。それに選ばれたのはキーディア。主は簡単には変えられないらしい。だからこそキーディア。
 だからこそ、ダリはキーディアの幸せな結婚について真剣なのだ。
「まさか受け入れられるとは思っていなかったので、ダメで元々の提案だったそうですが……。
 僕は仕事だったら大概のことはやりますし、婚約も多少年が違うとか、容姿が悪いという程度なら我慢しますが、さすがに十歳というのはいくらなんでも相手が可哀相で」
「そりゃそーだ。年は近い俺でも十歳相手は戸惑うもんなぁ。年の差だけ考えるとラフィぐらいだもんなぁ。ありえんよな」
 アヴェンダよりも年下のハウルは、ラフィニアの手を握って頷く。
 もしも今現在で二人が婚約という話が持ち上がり、ハウルが納得したとしたら殴り倒している年の差だ。
 二十年、三十年もしたら気にならなくなる年の差だが、この年齢の年の差はとにかく大きいのだ。
「君に恋人はいないのかい」
「いたら駆け落ちでもしてるって。いないから説得で何とかしようとしているだけで」
 カロンの問いに砕けた口調で返す。ヴェノム相手だから丁寧に話していたようだ。
 もし説得でどうにかなるなら、家族を切り捨ててまで家を出る必要もない。今はまだ話が進んでいる段階で、逃げ出すには早い。
 双方、親だけが盛り上がっているのだ。
「貴族って大変だなぁ。ラフィは縁が切れててよかったなぁ」
 コルカは戯れるハウルとラフィニアを見てため息をつく。先ほどハウルが言った年の差を気にしているのだろう。目の前に実例があれば、誰だって気になる。
「まあ、とにかく、相手に結婚の意思はないってことだから説得はそんな難しくないんじゃないか。ヒューム、あのおばさんは頼むぞ」
「あの女は苦手なんだが……」
「ブリューナスも一日堪えてたんだ。お前が出来なかったら、キーディアががっかりして、やっぱりブリューナス様の方が好きとか言われるんだぞ。負け犬だぞ。サメラにもそのうち負け犬とか呼ばれるんだぞ」
「くっ…………………負けるものかっ」
 相変わらず対抗心を燃やしているらしい。強いとはいえ地縛霊相手に、悪魔にまでなった魔道士が嫉妬するとは世も末だ。
 そんな悪魔を見て、カロンは何かを思いついたように指を鳴らす。
「そういえば、君は悪魔を使役しているらしいね」
「え、ああ。使役というか、懐かれているだけだけどね。悪魔はガチガチに使役なんて無理だよ」
「それはそうだ」
 高位の精霊と契約する方が難易度は低いかも知れない。彼らは精霊達のように契約では縛れないのだ。だからこそ高位の精霊使いと高位の死霊術師では、前者の方が信頼度も知名度が上がる。死霊術一本で名を広めているこの一族の異様さは、印象の不気味さよりも、そういった部分が大きい。死霊術は生き物相手と大して変わらないから、不確定要素が多いのだ。
「ひょっとしてそちらの方ですか? 可愛らしい方ですね」
 ヒルトアリスがまた見えない、視線と手を振る角度からして、子供サイズもしくはしゃがんでいる誰かに手を振る。
「……見えるのか?」
「え……見えますけど。眼鏡を外すともっとはっきり見えます」
「…………目、いいな。こいつ自身が姿を見せようと思わないと見えにくいんだけど」
 二人の視線が一点に集中すると、それが交わる一点に子供が姿を見せた。十歳ぐらいの、性別不明の子供。ヒルトアリスが言ったように可愛い子だ。灰色の髪と瞳が暗く見せそうなのだが、明るい笑顔がそんな印象を与えない。
 こんなのが身近にいたら、よけいに十歳児とは結婚できまい。
「悪魔って……これが? うちの悪魔とは大違いだな。とっかえてほしいな」
 どっちもどっちだと思うのだが、子供の姿をしている分、こっちの方が不気味なのはアヴェンダだけだろうか。ブリューナス相手だと、あまり遠慮しなくてもよいような気がするのだ。しかし子供だと逃げるのも無視するのも可哀相になるだろう。
「深淵の城の悪魔って、エオン・ブリューナスだろ。くれるなら欲しいけど、こっちの命が危ないなぁ」
「地縛霊だから動かせません。おかげで何度もアーライン家の者に城を売ってくれといわれていますし」
「ああ、確かに噂が本当なら別荘にはいいなぁ」
 まともに見えても死霊術師。やはりまともな感性ではない。そんな主を心配してか、灰色の子供が腰にしがみつく。
「イギ、どうした」
「あそんでいい?」
「ダメに決まってるだろ。お前は触れた相手を下手すりゃ殺すだろ」
 見た目以上に凶悪な悪霊のようだ。カロンが立ち上がってラフィニアをハウルから取り上げ、アヴェンダの手を引いて距離を置く。
「これで遊ばれても安全だよ」
「…………いや、あの」
「ああ、ヨハンを忘れていた」
「ヨハンだけ?」
「常人と非常人の境目だと思うが」
 カロンから見るとヒルトアリスもあちら側のようだ。寂しそうにこちらを見ている。あれは何かあっても精霊達が命をかけて守ってくれるだろう。アヴェンダと違い、人間からも精霊からも妖魔からもモテてモテて仕方がないのだ。
 常識と非常識人、常人と非常人、最近その境目が分からなくなってきた。

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