19話 幸せの解釈

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 ハウル達が戻ってきた。
 ダリをハウルが持ち、せっかくのドレスなのに薄汚れてしまっているキーディアをコルカが背負って、窓の外に骨の竜が顔を覗かせている。
「…………どうしたの、この状況は」
「それはこっちの台詞だ」
 アヴェンダはしつこくヒルトアリスに言い寄るキーディアの兄を見た。
 あれのことで間違いないだろう。
 母親似で、男のくせに妙な色気のある青年だ。明日ということだったのに、可愛い妹のために飛んで帰ってきたらしい。
「ヒルトって死霊術師系の才能もあるでしょ。惚れられたみたい」
「…………理由がこの一族って感じだな」
 顔もあるだろうが、目の色が変わったのは女性の霊に微笑むヒルトアリスを見てからだ。
「で、なんでキーディアそんなに汚れてだっこしてもらってるの?」
「あの骨で遊んで疲れてバテた。骨から落ちたところを受け止めてもらったから、そのまま帰ってきたんだ」
 キーディアでもそんな風にはしゃぐことがあるのだ。ミスティックワールドに言った時は喜んでいたが服を汚すほどはしゃいではいなかった。やはりイレーネを意識して緊張していたのだろう。
「やっぱ、実家だと奔放になるのかな」
「かもな。キーディア、うちでも好きなように遊んでいいんだぞ。あ、ブリューナスがいるから緊張するのか?」
 ハウルが尋ねると、こくと頷いた。
 彼女にとっては憧れの人だ。粗相は出来ないと思っているのかも知れない。
「あいつは元気な子供が好きだぞ。逃げ回るの追いかけるの大好きだし、地下で鬼ごっこでもしたらどうだ。たぶん現役の頃を思い出して喜ぶ」
 殺人鬼が現役の頃を思い出してはまずいだろう。
 脅えないキーディアに対して嗜虐心はおきないらしいが、それでも心配だ。しかもあの地下でなどもっての他。心配でもさすがに怖くてついて行けないではないか。あいつらは怖がる相手を脅して楽しむところがあるから。
「いいなぁ、ブリューナスと鬼ごっこなんて」
「コルカ様も鬼ごっこするんですか?」
「うちのチビが万年子供だからね……」
 そのチビが期待に満ちた視線をコルカに向けている。これぐらい陽気な子なら怖くないのでいい。苦手なのは陰気で、恨めしそうに見つめてくる弱々しい雰囲気のだ。普通に生きていることが悪いような気もしてくる。
「しかし、手を握っているがよく切られないね。彼女なら手が勝手に出そうなものだが」
「キーディアとか母親とかに似てるからでしょ。理性が飛ぶほど嫌悪感があるから切るのよ」
 カロンの指摘に、血が流れていない奇跡に感謝すべきだと思い出す。彼が母親似でよかった。
 ヴェノムは少し口を挟んだが、二人の問題と今は客観している。
「お兄さま、ヒルトさんにはお付き合いしている方がいるからやめてください」
「キーディ……」
 今頃ようやく妹に気付いた兄は、その妹を見て固まった。
「キーディア、あの不気味な仮面は!?」
 身内にすらあれは不気味と思われていた事実に、最近すっかり慣れてきていたアヴェンダは衝撃を覚えた。
 もちろん似合わないし変だとは思っていたが、不気味だと最近思わなかったのだ。
「うん、その方が可愛いよ。何年ぶりにお前の素顔を見ただろう」
 涙を流す兄。彼はある意味ヒルトアリスとお似合いな気もするし、二人で泣かれたら周囲に迷惑という気もする。
「でもどうして外す気になったんだい?」
「イギさんが外して欲しいって」
「ああ、イギさんが。ありがとう、イギさん」
 イギはきょとんとして二人を見上げる。本当に見た目だけなら害のなさそうな可愛い子供である。うっかり触れたら痛い目を見るのだから恐ろしい。
「だって、コルカのお嫁さんだから、顔ぐらい知ってないと」
 兄の笑顔が固まる。何も言わないが、目はコルカに不審の感情を発している。
「イギは、同年代の遊び相手が欲しいだけですよ。遊んでくれる子は滅多にいませんからね」
 コルカも板挟みで大変そうだ。反対しているのは跡取り息子。同じ業界にいるのだから、軽んじることは出来ない。商売の対人関係は厄介なものである。
「メルゼスちゃん、相手のお嬢さんも困っていられるし、あまりしつこいと嫌われるわよ」
 母は関係のない他人に対しては、多少の常識を持ち合わせているようだ。
「ヴェノム様、そろそろお部屋の準備も整いましたのでご案内いたします」
 泊まりの準備もしてきたからいいのだが、冷静になって考えると、命令の行き届いた城の幽霊とここの幽霊は違う。活発なようだし、暗くなってきたらと思うとぞっとした。
 一人で寝るのか。
 それは嫌だ。
 キーディアはダメだ。逆によく見えそうだ。ヒルトアリスも同じ理由で却下。ヴェノムは本人がそれっぽいので寄せ付けそう。ここの女連中全員ダメだ。ハウルはさすがにまずいだろう。襲われないという確信はあるが、やはりよくない。
「カロン、今夜一緒に寝よう」
 世界一安全な男に交渉してみる。彼女の知る中で、彼ほど信頼できる男は他にいない。
「…………まあ、気持ちは痛いほど理解できるが、年頃の女の子としては頂けないよ。ラフィを貸そう。着替えさせれば死霊は寄りついてこなくなる」
 ラフィニアのよそ行きの服には力を封じる機能があるらしい。飛ばせないための努力なのだろう。
「ラフィ、今夜は一緒に寝るかい」
「ねうぅ」
 誰にでも懐くこの子は、誰と寝ても夜泣きをしないいい子だ。
 受け取りぎゅっと抱きしめると、嬉しそうに羽根を動かそうとするので押さえつけた。


 夜の墓場の空気は冷えている。
 冬の寒さとは違う、底冷えする空気。
 そこに佇んでいると、知った男が姿を見せる。
「最近はよく会うなぁ」
「私に会いに来たというわけではないのですね、テリア」
「なんか、ここら辺がざわついているって」
 最近あった目新しいことは、キーディアとコルカの婚約話だが、二人が婚約したところで彼が来るほどではない。もしも何か問題があってここに来るとしたら結婚した時だろう。現時点でのキーディアは、まだ子を産める身体ではないのだ。では何が原因か──
「入ってもいいか?」
「私の土地ではありませんが、あなたを阻むことはしないでしょう」
 この土地は今でこそモルヴァルの一部だが、元はカーラントだったという。だからこそ彼らは剣を持っている。危険な剣と、特化されてしまった家系。そして立地が相まって今に至るが、カーラントでもあったため三神器に対する敬意は持っている。
「どこですか。案内しなさい」
 テリアは何か言いたそうにしたが、無言で頷いた。
 不安要素はいくつもある。
 自分のことならいいが、ラフィニアやキーディアが巻き込まれる事を考えるだけで胆が冷える。
 二階に上がり、子供達の眠る客室へと足が向く。幸いにも、一番頑丈で今までも反応を示していたハウルの部屋の前で足を止めた。一度反応を示したのだから、二度目があってもこれ以上落ち込むことはない。
 中に気配が二つある。本当に不憫な子だ。
 ノックをすると内からドアが開く。中を確認するとウェイゼルがベッドに腰を下ろしていた。土地が移って、風が噂をしたのだろう。地元なら防げるが、ここまでは防げなかったようだ。常に自分の土地にいるわけにもいかないので、いつかこうなるのは分かっていたが、さすがに早い。
「おや、ヴェノムと杖」
 彼の中でテリアはただの杖持ちという認識だ。男性に対してはよほどでない限りはこんな扱いで、テリアはまだ個体認識されている分よい方である。なにせ自分の妻のモデルになっているのだから、顔だけは好いているはずだ。
「どうしました、こんな夜中に」
「それはこちらの言葉です」
「僕は可愛い息子と世間話ですよ」
「タチの悪い冗談を」
 彼は息子と世間話をするぐらいなら、家で寝ているかナンパでもしに行くような男だ。今は娘が小さいから、娘と遊んでいるだろう。何度か見に行ったが可愛い盛りだ。同時期に産まれたラフィニアとの成長速度の差を気にしている程度には親バカをしている。
「まあ……イジメに来たわけではありませんよ」
 ヴェノムがちらとハウルを見ると、顔を赤くして視線を逸らす。
「ハウル、本当に何も意地悪されていませんか」
 彼はこくこくと無言で頷く。
「ヴェノム、僕はハウルをイジメに来たわけじゃないよ。忠告に来たんだ」
「忠告……」
「ガディスは嫉妬深いからね。
 サギュと杖が揃っていたんだって? 今も杖がいる」
「それを、今確認しに来たのですか。ずいぶんとお暇なようで」
「可愛い息子のためだからね」
 彼は長い髪をかき上げて微笑む。よく似た親子だが、こういう時の表情は全く似ていない。
「前例がある分、心配になるんですよ」
「そうですか。どこまでお話に?」
「どこまでって……昔、ガディスとも付き合っていたことがある、というあたりまでですね」
 その前にも色々と話したのだろう。
 それは親子で納得しているらしいので、ヴェノムが口を挟むことではない。
「そうですか。ガディス様は感づかれるでしょうか」
「隠し通すのは無理です。いくら世界に興味がないとはいえ、炎は世界に溢れている物ではないとはいえ、移動をすれば痕跡は残る。ヴェノムの痕跡は炎を宿す。隠し通すのは難しいですよ。精霊達が騒ぎますからね」
 ため息をつく。
 いつか乗り込んでくるのだろうか。
「本当に、忌々しい杖です」
 ヴェノムはちらとテリアが持つ杖をにらみつけた。
「杖はただ様子をうかがっているだけですよ。こちらが始末しなければ杖が始末すると、ただそれだけです。
 神といえども、普通は身内には甘いものですからね。例外もいますけど」
 ウェイゼルだったら、悩んだ末の行いになった。納得できずとも、恨みはしなかった。
 許せないと思い、それは数世紀の時が過ぎても継続している。
「始末?」
 ハウルは不安げに見つめてくる。昔は見上げていた子供に見下ろされるのは、育ての親としては嬉しいようで寂しい。
 告げる事で彼が戸惑い悩むのは分かっているから、告げたくない。しかし言わない場合でも傷がつく。
 父の口から聞くのと、自分の口から聞くの、どちらがよいのかは分からない。しかしウェイゼルは足を崩して傍観の姿勢を取っている。
「アイオーンの毒のことは覚えていますね」
「ああ」
「アイオーンが発生せずとも、毒は蓄積されていきます」
「蓄積って、どこに?」
「どこにはも言えない場所ですよ。私は知りません」
 知識にはない。神々も手の届かない場所という。
「その毒は定期的に浄化されます」
「浄化……?」
 ハウルはうつむく。
 二人がどんな話をしていたかは知らない。
 予測はつくのだろう。
「毒では弱らない人間の身体に押し込められ、それを始末することで浄化は行われます」
 戸惑っている。悩んでいる。
「その子供が生まれやすい条件があり、生まれる未来の予感があれば、時や杖が動きます」
「防ぐこととかって」
「気づいて自分が防いでも、別の者が産み落とします」
 自分が助かるためには、ひたすら待ち続けるしかない。
「でも安心なさい。毒を広げない場所ならもう知っているでしょう」
「……あ」
「ようは、毒を周囲に広げなければいいのですよ。そのためには、どこで生まれるかおおよその見当を付けなければと思っていました。まだ百年は猶予があると踏んでいましたが、時は気まぐれですからね。本当に、間に合ってよかった」
 ホクトを拾い、彼の実家を知って──意図せずエノを実験台にした。
 予測よりも時期が早まったのはおそらくエノのせいだろう。しばらくの間、彼女は動き回っていた。その土地に行き、一番魔力が高かったのはハウル。神の子は神である可能性は半々程度だが、神の孫はほぼ確実に神ではない。つながりを持っていたのはヴェノム。条件は揃っている。
「そか……」
 彼は頷く。
「だから、ハウルはしたいようになさい」
 しばらく固まり、頷く。
 誰が言おうと、それを簡単にできるような子ではない。しかし先送りにしては別の誰かが犠牲になり、手遅れになる可能性が高い。
 生まれてきた子は長期間、狭く辺鄙な土地に押し込めることになる。一生涯気は抜けない。
 だから外に出られる能を持つ子を産める女の腹が必要だ。
 しかしそれを押しつけるようなことはしたくない。父親を見て、真面目すぎる子になってしまった。父親に似てくれたら割り切ることもあっただろうが、産まれればずっと気にし続けるだろう。
「ウェイゼル様、その時はガディス様の足止めを」
「まあ、仕方がないですね。身内にすら甘くならないあの男は、手だてがあろうと殺すでしょうから」
 不安要素は始末する。それが彼のやり方だ。それが誰であろうと、何であろうと。
 杖がいる。
 決断に一番大切な瞬間だから杖がいる。
 忌々しい杖。不吉なことがある時はいつもあれがいた。憎みはしないが、好きには慣れない。
「可愛いハウル、そろそろ寝ましょうか。よく眠れるまじないは必要ですか?」
 彼は首を横に振る。子供にするように額を撫でる。
「そうですか。ではこの忌々しい杖を追い返してきますから、お休みなさいハウル」
「……おやすみ、ヴェノム」
 心ここにあらずといった顔。
 若い彼の気持ちは、もうヴェノムには心の底からは同感できることはない。軽い慰めの言葉よりも、考える時間が必要だろう。
 ヴェノムはテリアを伴い、顔ばかりはよく似た親子を残して部屋を出た。
 彼も父親だ。このようなときにぐらい、我が子に何かいい事を言えばよいのだ。


 ハウルがくあっと欠伸をした。
 ヨハンが用意したコーヒーを飲み、疲れた様子でため息をつく。
 何かに忙しくしている家族は除いて、いつもの面々にコルカを加え朝食をとっている。
 昨夜は誰かが来ていると死霊達が騒いでいた。近寄るのも恐ろしい、ハウルに似た神聖な雰囲気だったそうだ。
 親子だからいつ会おうともおかしくはないが、ハウルは少し眠いようだ。夜遅くまで話していたのだろうか。それとも──
「この子達がうるさかったですか?」
 怖くて騒いだかもしれない。
「いや、一人もいなかったから大丈夫だ。キーディアは気にしなくていいんだよ」
「そうですか? 昨日、ウェイゼル様がいらっしゃったようですが、粗相はしませんでしたか?」
「あ、気付いてたのか」
「死霊達が騒いでました」
 だからキーディアも夜中に目を覚ましてしまったのだ。ダリが黙れと言ったら静かになったのですぐに眠れた。
「慣れてるうちの悪霊ならともかく、慣れてないこの家の死霊は俺にはそうそうちょっかいかけやしないって」
「よかった」
 死霊を嫌う人が多いのは少し悲しいが、理解してくれる人もいて嬉しい。
 イギがウェイゼルの意味をコルカに尋ねていて、ハウルはそれを見て笑う。
「ほんと、うちの悪魔と違って可愛い悪魔だな。ローシャもそう変わらん歳で死んだ子供のくせに可愛げないし、この差は何なんだろうな」
「死霊は成長しないから、死んだ時のままです。ローシャさんは死ぬ前から大人っぽかったんです」
 ハウルは腕を組んで首をかしげる。なにか不思議なのだろうか。
「ねぇねぇ、おねえさん」
 イギがヴェノムの髪を袖を引っ張った。ヴェノムはすうと顔を寄せて首をかしげる。
「どうしました」
「今度悪魔の人のところに遊びに行ってもいい?」
「ええ、どうぞ。でもお姉さんのうちは冬の間は雪が積もっていいるので、温かくなった頃においでなさい。別荘には死霊はいませんから……ああ、そうだ、ヒューム、イレーネ様に紹介して差し上げたらどうです?」
 今まで黙って紅茶を楽しんでいたヒュームは数度瞬きする。
「熱烈歓迎されそうですが」
 こくっと首をかしげる。
「とにかく見せれば喜ばれます。ついでに、彼女の回りなら死霊も平気な女性がいるのではないでしょうか」
「私の赤薔薇が喜ぶのであれば紹介しよう」
 どうしてイレーネが喜ぶのだろうか。見た目は普通の子供で、羽があったり竜だったりという特徴はない。浮遊霊の悪魔は珍しいには珍しいが、イレーネは喜ぶのだろうか。
「……イ……イレーネって」
 コルカが引きつった顔で尋ねる。
「女王陛下のことだ。ヴェノムが連れて行けと言うから連れていくが、イギ、私の赤薔薇はこの国の女王様だからよい子にしていなければ行けないぞ」
「女王様。見たい見たい。薔薇なの?」
「最上の血を持つ薔薇の似合う乙女だ」
「血が美味しいの?」
 喜ぶイギの隣で、コルカが頭を抱えた。
 きっと緊張しているんだろう。
「イレーネ様は優しくていい人です。」
 エヴァリーンもいい人だから、きっとイギは喜ぶだろう。
「コルカさんも恋人が見つかるといいですね」
「そ、そうだね」
 コルカはにこりと笑う。優しい人だから、いつかきっと死霊が平気な女の人を見つけられるだろう。
「キーディアちゃんは、お勉強頑張ってね」
「はい」
 頷いて、ハウルに手を引かれて部屋を出た。
 この家を出る時は、外の人は恐いかもしれないと怖かったが、優しい人もたくさんいて、ダリが前よりも少し穏やかになって、ヴェノムのところに行けてとてもよかったと思っている。
 生きた人と遊ぶのもこんなに楽しいだなんて、外に出るまでは思いもしなかった。


 屋敷に戻り、アヴェンダは忙しくし、キーディアはヴェノムに色々と吹き込まれ、ヒルトアリスはセルスと仲良く語り合い、カロンはノーラの機嫌取りと子育てに没頭している。
 自分は、ただ悩んでいた。
 いつか自分が結婚して子供を作らないと、被害が拡大する可能性があるらしい。でも子供を作ると、エノのような軟禁生活を強いられる。しかもハウルは神だから近寄らない方がいい。子供が出来ても抱けない。恨まれる可能性が高い。
 そう考えると悩んでしまう。
 ウェイゼルはヴェノムの事は好きにしろと言った。
 おそらく他の誰かに産ませるよりはいい結果になり、彼女もそれを望むと言った。今でも彼女の事は大切だが、メビウスの事もあるので自分がどうのこうと言える立場ではないと自覚しているらしい。
 好きな相手には同じように好きになってもらって、結婚して、幸せな家庭を持つというのが夢だった。
 ラァスに相談したら、ウェイゼルと同じような事を言う。
 でも、戸惑う。
「だぁ、うじうじとっ」
 メニュー表を作っていたアヴェンダがティースプーンを投げつけてきた。彼女は器用だから字も上手い。
「セルスを見習いなさい! あんなでもあんなはっきりしているんだから、あんたもはっきりなさい! あんたは振られないんだから!」
 それが問題なのだ。
 好きなのだ。
 大好きなのだ。
 それなのに、他の要素のために受け入れられるというのは、悲しすぎる。
「もっと早く行動しとけばよかったかも」
 うじうじしてしまう。
「真面目すぎる男ってのもこれはこれで鬱陶しいねぇ。カロンを見なさい。適度に不真面目で人生楽そうでしょう」
「こういう人生はちょっと……」
 カロンを見て、呟いた。
 家出王子なだけで十分な個性なのに、それ以外の方がよほど愉快という恐ろしい男だ。見習えない。無理だ。
「あんたのそういう所嫌いじゃないけど、少しは先生を信じたらどうなの」
「…………信じる?」
「恋愛感情があろうがなかろうが、うじうじしてても意味ないでしょ。
 子供とかって言われても、あたしだって実感湧かないだろうけど、一番いい道があるならそれでいいでしょ。それを利用してでも欲しい女は手に入れるぐらいの男気はあんたにないの!? 女は強引に自分を奪いに来るいい男に弱いもんなんだよ。あんたにそれはないのかいっ」
 そういうのも世の中にはあるらしい。しかしハウルとは縁遠い話しだ。まず考えるのは相手の事である。
「嫌われてるわけでも嫌がられてるわけでもないっていうのに、そんなに気になるって言うの?」
 ペン先を向けられ、こくりと頷く。
「ハウル君、こう考えるのはどうだろう」
「ん?」
 カロンが優美に指を振って語り出す。
「自分がヴェノム殿の最後の男になるんだと」
「…………」
「君が今と変わらずにいて、彼女を夢中にさせていればいいんだよ。変な女に取り憑かれてほいほいついて行ったりしない、彼女一筋の男であれば、見限られることはないだろう」
 テリアのアレは仕方がない部分もあるのだろう。ただ本人に努力が足りないのは伝わってくる。ああならなければいい。それだけは簡単だ。
「人間、一緒に生活していてもいざ身を固めると態度も心も変わる。釣った魚には餌をやらないどころか、妻を何をしてもいい所有物と考える馬鹿者がいる。そういう馬鹿者にならないだけでも、十分いい男だよ。
 若い内は刺激的な男に心惹かれるが、年を取れば安定を求めるものだ。君は安定のある男になればいい」
 それはそうだろう。これだけ生きて波瀾万丈に生きたがっていたら馬鹿だ。阿保かてめぇはと全力で突っ込みたい。
「君に理想があるのは当然だが、それを実現できる人なんて本当に幸運な一握りだけだよ。人間は妥協する点を選ぶことこそ大切だ。
 どちらを選んでも君は後悔するのだから、一番望んでいるようにするのがいいだろう。
 貧乏でも家族がいれば幸せだと言いながらその結果誰かが病死か餓死をするか、金はあっても繋がりは希薄で誰も健康に生きるか……。
 私は後者の方がいいね。ラァス君もそう言うだろう。しかし世の中には家の者に反対されたからと心中する場合もある。彼らは彼らで、そうしないよりは幸せなのだろう」
 幸せというか、悲劇ではないか。最悪の選択の中の妥協点。根性無しの男だからこその、最悪の結末。
「で、君の場合は自分の子が不自由をするか、何十年か後に他人の子が間に合えば不自由し、間に合わなければ殺される。その我慢している間に他にも何か毒の影響はあるかも知れない」
 言葉にすればその通りだ。安全なのはどちらなか、考えるまでもなく分かる。
「…………お前って、嫌な奴だな」
「事実は事実として受け入れないと。相談してきたのは君だろう」
 そう。相談した。キーディアとヒルトアリスは抜きで。
「幸せの定義は人それぞれなのだよ。私は国を捨てて逃げることを選んだ。それが原因で死人がたくさん出たし、これからも出そうな感じだから気まずくはあるが、後悔はしていないよ。戻れと言われても全力で逃げるからね」
 そういえばこの男の馬鹿でない方の弟が暴走して兄一家を殺したらしいと聞いている。カロンがいればまた違った結果になっていただろう。
 彼の選択に比べれば、多くて死人は一人。穏便な方なのかも知れない。
「…………難しいなぁ」
「そりゃそうよ。子供が生まれ持ってくる良くない物って、そればかりじゃないでしょう。事前に分かっていても産む人もいるんだよ。それが責任ある行動かどうかってのは話が別だけど、覚悟があれば問題ない。
 覚悟がないないなら目をつぶって待てばいいし。
 覚悟のない親を持つ子供は可哀相だからね、産まれない方がいいよ。いつか他人の子を助けて、感謝される側になればいいじゃない」
 確かにその通りだ。
 自分が自分の子に恨まれないために産まれた子供の命を危険にさらすか、恨まれて確実な安全を取るか。
「前にも言ったけど、何も今すぐってわけじゃないんだから、あんまりウジウジしてると、キーディアが心配するでしょ」
「ごもっとも」
 彼女はいい子だ。誰かが落ち込んでいると自分の事のように心配する。感受性が強い子なのだ。
 落ち込む時はベッドの中だけにしよう。
 そんな決意を固めた時、リビングのドアがノックされて誰かが入ってくる。
 不気味な仮面に戻ったキーディアだ。彼女は日課の海の死霊観察のために浜辺に言っていたのだが、今日は少し早めに戻ってきたらしい。
「コルカ様とイギさんが遊びに来られました」
 キーディアの手の先にイギが現れる。どうやら気配を殺していたらしい。
 コルカは恋人が出来た報告でもしに来たのだろうか。
「で、結局どうだったんだい?」
 カロンが単刀直入に言うと、彼は半笑いのまま頬をかく。きっと恋人候補はまだ見つけていないのだろう。
「面白い人達だったよ」
「イレーネは喜んだかい?」
「イギと遊んでくださったよ。遊園地に連れて行ってもらったらしいけど」
 光景が目に浮かぶ。
 これが本物の悪魔ですと、見せにいったのだろう。彼女の魔石があれば周囲を守りつつ遊ばせられる。
「なんかお礼に遊園地の宿泊券付きのチケットもらったから、キーディアちゃんにどうかと思って。
 知り合いにこういうの喜ぶタイプもいないし」
 おそらく、彼女でも誘って行けという意味だったのだろう。まさか恋人募集中と宣伝して回ったわけでもないだろうから。
「その遊園地の出資者兼技術提供が私なんだが」
「え…………」
 カロンの言葉にコルカの顔が引きつる。
 出資者だからチケットなどいつでもタダで手に入る。すべてタダ。顔パス状態である。土産物までタダだった。
「イレーネとは古い付き合いでね。あそこの玩具は私が設計して、彼女がデザインしている」
「………………これ、いらなかったかな」
 正直なところ必要ないだろう。
 しかしキーディアを見ると、唇を笑みにした。
「行きたいです」
「いや、でも」
「前はカロンさんと一緒で特別扱いだったから、今度は普通に行ってみたいです」
 この子は基本的にいい子だ。特別扱いされるよりも、一般客に混じる方がいいのだろう。
「そうかい。じゃあ、せっかくだからコルカと一緒に行っておいで」
「え!?」
 コルカが自身を指さす。
「連れていってくれるという意味じゃなかったのかい? 私達だと覚えられているからね」
「いや、それは構わないけど」
「よかったねキーディア。でも仮面は母君が作ったのにした方がいい。あの仮面は覚えられていると思うからね」
 キーディアがうんと頷く。
 カロンが連れていくと顔を覚えられているから、身分証を見せなくても前と同じ扱いを受けてしまう。ヴェノムやハウルも印象に残っている可能性が高い。
 唯一アヴェンダなら問題ないだろうが、彼女は今そんな暇がない。
 婚約したのも何かの縁だ。使える相手はとことん使えとヴェノムも言っている。
 皆によかったねぇと言われて喜ぶキーディアを見て、コルカは肩をすくめてあきらめた。
 きっと彼は子守をする星の下に産まれたのだろう。

感想、誤字の報告等

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