1話 冥王 〜最強のレベル1〜
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自然的でも科学的でもない明かりが宙に浮く。それは見慣れていても不思議に思える。
その優しい光は彼の黒い姿を闇から引きずり出し、人々の目に晒させる。本来ならここにはいていけない存在だが、皆はわからない。少し怪しい少年と、そう受け取る。この世界ではおかしな姿ではないのだから。
誰がこの世界を作ったのかそれは知らない。しかしどんな人物なのか、それはいくらでも想像できる。
きっと、ゲームが好きなのだ。本が好きなのだ。不思議が好きなのだ。変な生物を考えるのが好きなのだ。
夢見ることしか出来ない人物なのだと。
なんとなく。
教えてもらわずとも分かる。
──アヤは今、何してるだろ……。
海を隔てた北の大陸にいる彼女。魔王と呼ばれる、責任のある地位にいる彼女。
だれよりも純真で、可愛らし……かった彼女。
過去形。
思い出すのは昔の彼女。こちらと向こうでは時の流れが違う。数時間の違いが下手をするとこちらでは一年になるような、おそろしく時間の流れが違う世界。
なぜこちらに流れ着くか。
彼の中でそれはまだ仮定の段階。そのうち結論付けて二人に発表する。上手くいけば正式な仲間入り。違えば振り出しに戻る。
考えていると、虚しくなる。
ただ側にいたいだけなのに。
ヨルは足を止めた。魔石専門の店がある。ここで換金するのだ。ここで換金すると色がつく。それはこの世界から魔物を一匹でも多く排除した者への褒美として、国が援助金を出しているのだ。もちろん地の民が王だ。
ヨルは店へと足を踏み入る。
「いらっしゃいませ」
笑顔を見せるのはやたらと重装備のマッチョ。警備装置の方も大げさ。店主の意思一つで、人一人が一瞬で死ぬだろう。
しかしヨルには効かないが。
「これを」
山の中で見つけた魔物の魔石を差し出す。その肉の一部は昼、胃袋の中に収めた。
「ふぅん……」
店主はじろりとヨルを見る。
「名は?」
「ヨル」
「本名は?」
「忘れた。で、いくら?」
店主は魔石を受け取り、金貨の小山を作る。大物がいたらしい。気づかなかった。
「ありがとう」
それを数枚残して皮の袋の中に入れる。これが財布。なにせ硬貨だ。かさばるので元の世界で使っていたような財布では追いつかない。
財布をしまい、残しておいた金貨を、ポケットに入れる。見えないところにポケットがいくつもあり、機能的なところがいい。おそらく、ここら辺のところは魔王のデザインと思われる。
「邪魔した」
極力クールを装い、店主に背を向けて店を出る。
十五歳の少年はこの世界でも侮られる。できるだけ手馴れた様子でクールに。でないと、本当に舐められる。冥王様と呼ぶ者たちですら、彼を子ども扱いするぐらいなのだから。
それを思い出すと腹立たしい。どうやって憂さ晴らしをしようか?
これだけあればかなりいい店にも入れる。高級店で思い切り食べて思い切り飲む。これがいい。懐石料理の店を探そう。あるはずだ。
しかし、しばらく行くと覚えの在る感覚がした。そう、支配している下僕が近くにいる感覚。
ここは、普通の飲み屋しか見当たらない。
「こんなところで……」
素人には手を出すなと言った。商売女にしておけと。
客引きの女はいても、それは少し離れた場所に連れて行かれるのであって、ここらでそれ目当ての店はない。
探すと普通の飲み屋の中に気配を感じた。
「あいつは……」
ヨルはその店に足を踏み入れた。
視線をめぐらせると、三人の女性に囲まれたマリウス。
──くっ……。
怒りがこみ上げてくる。
こちらは男二人に絡まれたというのに、あいつだけいい思いをしているのだ。
嫌がらせに気配を殺したまま彼の後ろに立ってやる。
「マリウス」
びくぅ。
面白いほど彼の肩が持ち上がる。それが、一瞬の動揺がどれほどのものだったかを物語ったていた。
「な、なぜ貴様が……」
「気配がしたから覗いてみたら……」
「違うぞ。逆ナンパされた結果だ」
頭が痛い。
この男は、歩くだけで女性を引っ掛けられる。もちろん、その顔と身長と優雅な物腰故である。
「だいたい……」
ヨルは女性たちを見る。
どう見ても十代。うち二人は確実に十八歳に満たないだろう。
「十八歳未満はだめ」
「訳のわからないことを………」
「とにかく、か」
「かわいーい」
女性の一人がヨルを見て言い放つ。
「………」
「マリウスさんのお知り合い?」
「ずっごく綺麗な男の子」
「女の子みたーい」
最後の一言が胸に刺さる。
女顔。その自覚はある。息子の目から見ても美人の母親の血を色濃く受け継ぐこの顔は、女顔と言うべきものだと認めざるを得ない。
しかし、人に言われると傷つく。
「いっしょに飲みましょうよ」
誘われてしまった。
マリウスが、唇を笑みの形にする。
「女性の誘いを断るか?」
ヨルは迷う。
「ローラ。いい酒は?」
「あるわよぉ。値段にもよるけど、値の高い吟醸酒はおいしーわよぉ」
ヨルは席についた。
「それを一つ、でいいな?」
ローラと呼ばれた少女が、カウンターの奥へと入っていく。どうやら、店員らしい。
こくこくと頷いた。
吟醸酒好き。
「お前がこの町に行くと言ったり理由が、よーく分かった」
「いいだろ、べつに。洋酒もいいけど、俺は和酒が好きなんだ。和食が好きなんだ。何が悪い?」
マリウスは肩をすくめる。
「悪くはないが」
答えるマリウスは、せっかく日本人の起した町に来ていながら、ワインにチーズを飲み食いしていた。
ヨルはメニューを見る。和洋折衷のメニュー。このような飲み屋で、和食だけでは無理があるのは当然だ。
ローラがグラスを持って戻ってきた。
「あと、枝豆に大根の煮物。このカランって変な名前の魚の干物、美味しいの?」
「美味しいわよ。近くの川で取れるんだけど、カマスみたいなの。冬瓜と手羽の煮付けはお勧めよ」
「冬瓜……いいな。
なんか、日本人と話してるみたいだ」
「だって、日本育ちだもの」
「へぇ。どこ?」
お国話に花咲かせる二人をマリウスが睨みつけた。いやマリウスだけではなく、店の男性たちも。
それに気づいたのは、注文の品が届き、やはり納豆は最高だという話を終えたころだった。
よく見れば、ローラと言う娘はまだ歳若いが、とても綺麗な女性だ。歳は十代後半。栗色の髪が似合う綺麗なタイプの女の子。数年すれば、本当にマリウス好みになるだろう。
「お前は酒か食いものの話ししかできないのか?」
「いいだろ、別に。自分の味覚に合う町に出会えた俺の喜びなんて、舌腐ったお前には分からないんだ」
死人の彼は言葉に詰まる。肉体の変化により、味覚は確実に変化しているはずだ。
彼は舌打ちする。
「あんな腐った大豆が美味いというお前には言われたくないぞ」
「納豆は身体にいいんだ。ちなみにアヤとハクも納豆好きだぞ」
「ん。健康食品として、世界中から認められる素晴らしい食品だ」
あっさりと意見を覆すマリウス。
──主人は俺だっていうのに……。
「そういえば、二人はどんな関係なの?」
「主と下僕」
「誰が下僕だ」
「マリウス」
「私はアヤ様のみの配下だ」
「向こうはそうは思ってないから」
ヨルのおまけ。そんな程度だ。それにしたって認識されるのだから大きな進歩。
そうでなければ、異様なほどにプライドの高い彼が、現状に甘んじているはずがない。例え今の力すら失うことになるとしても、一度灰になることを選ぶだろう。
ローラが立ち上がり、新しく入ってきた客を見てとろけるような笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ」
彼女の声が弾ずみ、目がきらきらと輝いていた。
──好きな男でも来たのか?
そんなことを思いながら振り返り、椅子からずり落ちた。
マリウスなど、完全に硬直してしまっていた。
「やあ、ローラ。久しいね」
その男は、嫌味なほど整った顔を笑みにする。
「もう。本当に久しぶりなんですよ。二ヶ月!
でも、来てくれて嬉しいです、アヤさん」
魔王が、いた。
年の頃は二十代前半。整ったややきつめの顔立ち。長い黒髪。日本人らしい黒い瞳。身長はマリウスよりも少し低い程度。色彩を昔の自分に変化させて光を装っているが、あれ魔王だった。ついでに言えば、性別までも変化させている。服装は、いつもよりもやや落ち着いた、黒一色で統一されたもの。
「………アヤ……なんでお前ここに……」
「おや、そこにいるのは可愛いヨル君。と、その下僕のマリウス君」
「可愛い……」
「下僕………」
面と向かって好きな子に言われると、悲しくなってくる。
「あら、アヤさん。マリウスさんたちとお知り合いなんですか?」
「ああ。そちらのヨル君とは昔からの友人でね。
この町の事を教えたのは私だが、まさか、ローラの店を見つけるとは思わなかったよ」
「えへへ。実は友達が、マリウスさんを逆ナンパしてきちゃったんです」
「彼女たちも、可愛いね。もちろん、君が一番だけど」
「そんな………」
「おい」
ヨルはアヤのマントを引っ張った。今は、彼女の方が背が高いから。
「二ヶ月前に、うちの弟とミシェルが、半泣きしてお前が来なかったか聞きに来たぞ」
「ああ、それ?
ほら、お気に入りの店は人に知られたくないものだろう? 特にハクちゃんに知られたら絶対に次からついてくる。そんなことになったら、女の子が寄り付かない」
「頼むから、女だって事実を捨てないでくれ」
アヤは首をかしげた。
彼女は見ての通り、気まぐれで歳はおろか性別まで変えてしまう。
ヨルは、彼女が元の世界から行方不明になった頃──まだ垢抜けていて、純粋無垢でこの上なく可愛かった頃の年齢の彼女が好きだ。しかし、彼女はそれをあまりしてくれない。なにせ魔王だ。舐められては終わりである。それを抜きにしても、彼女は男の姿をしているときの方が多い。
せめて女性の姿をしていてもらいたいというのは、決して彼女の方が背が高くなるのが嫌だからというわけではない。
「ええ!? 女性なんですか!?」
ローラの友人たちが驚きの声を上げる。
「そうだよ。男の人よりもかっこいいでしょ?」
驚いたことに、ローラはアヤの腕に腕を絡め、しなだれかかる。アヤはローラを見つめた。
彼女は女性でありながら、女好きであった。もちろん彼女にも好みがある。外見は標準以上であれば気にしないようだが、問題は中身。他の男が手をつけていない、うぶなぐらいの子が好きだ。
「今日は、いつもにも増して男らしい姿だけど」
「君と会うのも久しぶりだったからね。うちのコックの腕はいいけど、どうしても懐かしい庶民の味を堪能したくなるんだ」
「実は今日、月曜で客が少ないから本当は私お休みだったんですよ。たまたま、友達と飲みにきてただけで」
「それは偶然だ。運命を感じるね」
「はい」
ローラは頬を赤らめる。
──なんで女って、同性だとわかっててもこんな反応するんだろ……。
この光景は、万魔殿に行けばいくらでも見られる光景だ。
そんな時だった。
「ローラ!?」
聞き覚えのある声に振り向けば、そこには先程絡んできた少年たちがいた。
アヤが、少し目を細める。
なにせ、少年たちが自分を睨みつけているのだから。
「てめぇ、ローラに気安く障るんじゃねぇ!」
触れてきているのは、ローラの方なのだが、どう見ても頭に血が上っている彼には通じそうにもない。
案の定、背の高い方の少年がアヤの胸倉を掴み、締め上げようとする。
「やめっ」
ヨルは慌てて止めようとした。
この少年たちは、よりにもよって魔王に因縁をつけているのだ。冥王の次は魔王。素晴らしいほど恐ろしい確率。
アヤが手を動かした瞬間、少年は地に伏していた。
「っ!?」
「このお方に気安く触れるな」
マリウスが少年の首根っこを掴み、腕をひねり床に押さえつけていた。
思わずほっと息をつく。なにせ、アヤは男に対して容赦はしない。
「貴様ごときが話し掛けていい方ではない」
「マリウス」
首を掴んだ手に力をこめ始めたマリウスを止める。力で、支配して。
「殺すな」
「なぜ?」
「女の子の前で暴力をふるうのを、アヤが望むと思うなら、続けろ」
その言葉で、マリウスは舌打ちして立ち上がる。
自由になった少年はマリウスを睨みつけた。
「もう、何やってるのお兄ちゃん」
ローラは、少年の腕をつねる。
「アヤさん。すみません、兄が失礼なことを」
「兄?」
どう見ても日本人と白人。
「義理の兄です。母の再婚相手の連れ子なので、血はつながっていません。
兄は最近こちらに来たんです。会ったとき、すごくびっくりしちゃいました」
彼女はにこりと笑う。アヤはそれを見てふっと笑う。
「ローラのお兄さんなら、構わないな。ここには、プライベートで来ているのだから」
「ありがとうございます」
ローラはお辞儀をする。それから再び兄を睨みつけた。
「ろ、ローラ。そいつとはどんな関係なんだ!?」
「常連さんよ。酔っ払いに絡まれてたところを助けてくださったこともあるわ。
本当なら、そこの人に殺されていてもおかしくないぐらい、偉い方よ」
「偉い? どこの誰なんだ?」
「それは言えないわ」
アヤは気にもしていない様子だった。ヨルはアヤへと囁いた。
「知ってるのか?」
「さあ。でも、勘がいい子だから」
ローラの兄が、今度はヨルを睨みつけていた。
「あんたは、そいつの知り合いなのか?」
「ああ。お前が戻りたいのは、その子がいるから?」
彼は顔を赤らめる。
危険な世界から、可愛い妹を連れて帰りたい。そう思うのは、当然だ。
「お兄ちゃんったら、心配性なんだから。ちゃんと生活できてるのに」
ローラは、ちらりとアヤを見て呟いた。
「そっちのちっこいのは、どうして戻りたいんだ?」
「………どうでもいいだろ」
ふいと視線をそらす。
「薫……こいつ、ばーちゃんと二人で住んでたから」
「ばらすなよっ」
薫というらしい少年が腕を振り上げて抗議する。
家族が残っているなら、そう考えるのは当然だ。
「可愛い子だね。君もいっしょに食べるか? おごるよ」
ローラの兄とは違い、こちらはどちらかといえばアヤ好みの可愛い少年だ。つまりヨルと同類だ。
「なんでおごってもらう必要があるんだよ!?」
「口を開いてごらん」
薫は目を見開いた。
それから、敵意に満ちた視線をアヤに向けながら、大人しく席についた。
アヤは、本当にこの少年が気に入ったらしい。一目で。
それから飲み食いして、ぎすぎすした食事がほぼ終了した頃。
アヤが帰ると言い出した。
ヨルとマリウスも立ち上がる。ローラが送ると言った。それならば自分もとローラの兄、庄治も立つ。マリウスにひっついて、ローラの友人のエリスも立つ。残った薫も立たざるをえず、皆揃って店を出た。
「マリウスは遊んでおいで。いつもお子様のヨル君の世話をしてくれているから、大変だろうし」
「いえ、しかし……」
「私もヨル君で遊んでいるから。どうも、カーティスという悪い見本が側にいるせいか、心配になる」
マリウスは一礼する。膝を付き、マンとの裾に口付ける。
「お言葉に甘え、失礼させていただきます」
そう言って、少女と夜の町に消えた。
──遊んでそうな娘だったけど……。
罪悪感。
しかしアヤが許しているので、それを叱るのもどうかと思い口を閉ざしてしまう。いいのか悪いのか判断できることではない。きっちりとした食事──血を摂取しないと、彼が弱るのは知っているので止めることは出来ない。感染するわけではないのだから、彼らの自由だ。
「そうだ。薫もおいで」
「僕が? なんで?」
「いいから、おいで」
手を差し出すと、薫は一瞬その手を取ろうとした。
「薫!?」
庄治がそれを止めた。
「ああ、君は知ってるのか」
アヤは庄治を見る。
「アヤさん。薫ちゃんは……」
「悪くはしない。ただ、このままじゃよくない。コンタクトと帽子で、いつまで誤魔化せるかが問題だ」
アヤは皆に背を向け、歩き出す。
「身内以外に見つかったら、どうなるか分かっているか?」
その言葉で、皆はアヤに続いた。
「なんなんだ、あいつ」
「…………」
庄治の言葉にローラは沈黙する。
彼女は、アヤが只者ではないことを知っている。闇の民であることを知っている。そこまでは確信。それより先は、分からない。予想では、確信していない。魔王だとは、さすがに思っていないかもしれない。
どちらでもいい。
アヤが向かったのは、ヨルが泊まっているホテルだった。一番いいホテルの、そこそこに良い部屋。
なぜか迷うことなくその部屋を探し当て、鍵も使わずにドアを開ける。
荷物が床に置かれていた。水桶が置かれ、灰が散乱しているのが、目に付く。
「ヨル君。ホテル汚すなよ」
「…………」
小さくため息。
修行の結果。惨敗。惨めになったので、町に自棄食い自棄酒しに行けば、絡まれるは、魔王が現れるはで、ごく普通の量しか飲み食いしなかった。
「なんでこの部屋知ってんだ?」
「途中で葵に会った」
「ああ、そう」
どうりで。
「まずは片すぞ」
アヤは腕を上げる。それだけで風が起こり、灰が一箇所に集まり、瞬時に消滅した。
「アヤさん、素敵」
ローラはうっとりとアヤを眺めたが、彼女のこういうところを初めて見る二人は目を見開いていた。
「さて、薫」
アヤは薫に向き合った。そうして、帽子に手を伸ばす。
その下から現れたのは、可愛らしい猫耳。
アヤは、それをうっとりと眺めた。
──うわぁ。アヤのつぼをつくような……。
以前、彼女は猫耳メイドが欲しいと言っていた。この際、男の子でもメイドさんなら構わないとか言いそうだ。
「コンタクトも取れ」
薫は言われた通りにする。意識せず従っていたはずだ。彼女の言葉には、それほどの影響力がある。闇の民は、強者にこそ従う本能がある。
薫の瞳は金色で、縦に瞳孔が走っていた。
「………どうして、分かったの?」
「口を開いたとき、牙が見えた。注意して気配を読むと、光か闇かは判断できる」
「どうやって!?」
今のは、純粋に驚いていたようだった。今までの敵意がない。
アヤは目を手で隠す。そして、手をのけると、彼女の本来の瞳が現れた。
赤い、血色の瞳。
「あんたも闇!?」
「ああ」
にっこりと、安心させるように笑う。
「こっちのヨル君も」
ヨルは、しぶしぶ瞳の色を戻す。大差ないが。
「あんた、光だって……」
「始め、気づかなかった。こんな程度の変化だから。眼鏡してたし。
あと、武は知ってていったんだ。光じゃ闇のトップクラスには敵わないって皮肉だよ」
苦笑いするしかない。本当に、気づかなかったのだから。
「トップクラス?」
「それは……」
「ヨル君は冥王。魔王と対等なる者だ」
ヨルの言葉をさえぎり、アヤが答える。自分のことを棚に上げ。
「魔王と……」
薫は、ヨルへと視線を向けた。
──うわぁ……。
「魔王を倒せないって言うのは、仲間だったからなんだ……」
ぎらぎらと瞳を輝かせ、薫はヨルを親の仇かのように睨む。
「そりゃあ違うな。ヨル君じゃ、魔王には敵わない。なにせ、ゲームで言うならば、ヨル君はいいとこレベル1」
「どこがいいとこ!?」
せめて3とか、4とか。初心者なのは認める。しかし、1はひどい。三ヶ月でレベルが一つも上がっていないと彼女は思っているのだろうか?
「初期レベルでもステータスの高いキャラもいる。ヨル君はステータスマックスのレベル1。技も魔法も何も知らない。つまり力の扱いを分かっていないど素人。だからステータス値が近くても、レベル999の魔王には敵わない。分かりやすい例えだろう?」
分かっている。アヤはこの世界に来てもう十年。十年も魔王という地位にいるのだ。レベルが高いのも当然で、実力差があって当然。
──なんでこんなになってもまだ好きなんだろ……。
自分よりも強い女。
時々、自分が理解できなくなる。しかし、本人に会うと、どきどきするし、ずっと側にいたいと思う。見ていてくれると嬉しい。
これは恋以外の何物でもない。
「薫は、帰りたいの?」
「そうだ」
「おばあさんが心配?」
「そうだ」
アヤはヨルへと視線を向けた。
任せるということだ。
「何があった?」
ヨルは問う。
聞き出す。それが課題。
力をこめて。
ヨルは、唯一これだけは得意だった。
「何があって、ここにきた?」
「ばあちゃんが僕を蔵に閉じ込めて………あっ」
薫は口を抑える。言う気もないのに、なぜか白状してしまっていたから。
「ばあちゃんは、お前に何かしていたのか?」
「みっともないって、いつも殴られた」
「どうして?」
「跡取だから」
「蔵に閉じ込められて、どうだったんだ?」
「寒かった。けど、突然火がついて」
薫は小さく震えた。
「で、気づいたらここってわけか………」
「可哀想に」
アヤが薫の頭を撫でる。
彼女にとって、可哀想な子供というのは、日常茶飯事だ。彼女自身、かなり複雑な家庭環境にある。それに関しては、ヨルの方も酷似した状態だった。
だから同情はしても、哀れむことはない。
「あんたの方は、道を歩いてたらこの付近にいたとか、とういうところだろ」
ヨルは庄治に言う。
彼は顔色を変えた。
「なんで分かるんだ!?」
「いや……光の奴はそれが一番多い」
まさか正解だとは思っていなかった。
「近くの森で気を失ってたところを、誰かがこの町につれてきてくれて。身元確認されて、そしたら偶然ここに行方不明になってた妹がいたんだ」
庄治はローラを横目で見る。複雑そうな、そんな視線。
「話で聞いただけじゃ信じられずに、ローラと一緒に俺が倒れていたって場所に行った。そうしたら、薫が倒れてたんだ」
それで、匿われたのだ。
「闇が光の領土に落ちるなんて……ヨル君の影響か……」
「俺!?」
「君はこの世界にとっては異分子だから。正式にソウ君に招き入れられたわけでもない。あれ以来、少し歪みが生じているんだ」
「俺……のせい?」
「誰のせいでもないよ。これは、ある程度予測されたことだったから。ただ来たのが君でよかったと、私たちは心から喜んでいる」
彼女は目を細める。
顔が熱くなる。
やはりどうしようもなく好きなのだ。彼女が。
「ええと、そこの不細工」
「………俺!?」
庄司は自分を指さした。
「そう。たった一人で戻りたいのならば、万魔殿に来るがいい。そうでないなら、真面目に働いて、ローラをしっかり守っていろ」
庄治は顔を赤らめた。
「薫ちゃん」
ちゃんづけされ、薫は顔を顰めた。アヤは名前、性別に関わらず、呼びたいように呼ぶ女だ。
「ヨル君といっしょに行くといい」
「なんで!?」
「え!? 猫耳メイドさんは諦めたのか!?」
その言葉に、薫はアヤを見つめ、後退する。
「ヨル。殴られたいのか?」
「いや、その……」
口ごもるしか道はない。下手を言えば殴られる。
「できれば私とて、連れ帰って意味もなく毎日横に置いておきたい気分ではある。だけれど、この子はほとんどこの世界を知らない。闇としての本能すら、自覚していない。
それでは連れ帰るわけにもいかないからな。
ほら、苛めが勃発する」
「ん。なるほど。よーく理解した」
「マリウスは基本的に面倒見がいい。彼に任せておけば心配ない」
「マリウスのこと、買ってるんだな」
「ん。そりゃあ昔からファンだったし」
「ファン?」
「別に。彼はカーティスに似たとこあるからね」
アヤは一歩後ろに下がる。
「私は帰るよ。あまり長く城を空けると、春日(はるひ)とミシェルが騒ぐし」
「だからうちの弟をいじめるなよ」
「可愛い春日を苛めたりはしない。ただ、こればかりは仕方がないことだからな」
彼女は肩をすくめる。
「じゃあ。また」
言って、彼女は黒い霧となり、消える。
ヨルはため息をついた。
確かに、まともな従者を望んでいたが、こんなど素人でなくてもよいだろうに……。
諦めるしかない。
「何なんだよ、あいつ!?」
薫は頬を膨らませる。
勝手に決めて、勝手に去って。
気持ちはよく分かる。今は彼女に振り回されるのが、当たり前のようになって来るから。
「実は、あれが魔王陛下であらせられたりする」
それを聞き、ローラ以外は、完全に硬直した。
そんな、ごく普通な夜だった。