2話    千里眼 〜かくれんぼの鬼〜


 

1
 寝息が、首にかかる。
 隣で眠るのは、黄金色の髪をした、妖精のように愛らしい少女。
 双子の姉のフェミナ。
「……千里眼様。疲れませんか? その体勢」
 千里眼──ミシェルにとって、初めて与えられた部下である、ヤンが問うた。
「ん。けっこう」
「フェミナさんの方はうらやましかったりもしますけど、膝の……」
 ミシェルの膝の上には、少年の頭がある。
 少女と見紛う、美しい顔立ち。華奢な体つきで、一緒に風呂に入ったことがなければ、今でも実は女の子ではないかと疑っていたことだろう。彼の兄も女顔だが、この少年はそれを上回っていた。
 そんな彼は、実はミシェルにとって上官であったりする。
「青将軍様も、よく眠っていらっしゃいますね」
「ここ、あったかいから……」
 ここは談話室。三人は本を読んでいたのだが、この二人はものの数十分で眠ってしまっていた。
 ──二人とも、同レベルというか……。
 だからこそ、可愛かったりする。
「やはり、同年代の方の方が安心されるのでしょうか……」
「いや。たぶんそれは違う。僕が甘えやすいんだよ、きっと」
「そうでしょうね」
 認めてもらうと、なにやら悲しくなってくる。
「はぁ。なんて言うか、これが将軍とはねぇ、って感じ」
「はい。私も始めはそう思いました。なにせ、ただの魔王様のお気に入りだと思っていましたから」
「春日(はるひ)は、陛下に直々に教わったということ?」
「いいえ。上の方のやり方を見ていただけでしょう。魔王様は、積極的に見せるようにしていたご様子ですが」
「まあ、あのヨルの実の弟だからね。期待するのも当然というか……」
「お二人は元々お知り合いでしたからね」
「ああ。それもそうだ」
 あの三王は幼馴染だという。ならば、その身内と知り合いでもおかしくない。
「千里眼様の登用も、青将軍様の件がなければ、もっと驚かれていたでしょう。例え千里眼だとしても」
 魔王と出合ったその日に地位を貰ってしまったのだ。冥王のついでにしては、大きな役職だ。なにせ、副将軍である。十年間も空席だったらしい。
「しかし、どうしてお二人は属性が分かれているのでしょう?」
「僕とフェミナ?」
「はい。ご姉弟なのに?」
「ああ。僕ら、別々に育ったんだ。親が離婚してね。
 でも、僕らは内緒で会ってた。それが父親に見つかって。怒ってフェミナを殴ったんだ。それでフェミナは父親に殴られたことも自覚せずに気を失った。だから」
「申し訳ありません……。事情があるのは、当然なのに」
「いいんだよ。僕にとって大切なのはフェミナと一緒にいること。陛下は、その場を与えてくださった。僕にとって大切なことは、ただそれだけだから」
 彼はフェミナの頬に触れる。
 自分によく似た、綺麗な女の子。世界一大切な人。
 その時、突然フェミナは起き上がった。
「数学のばかやろー!!!」
 戸惑い驚く二人の前で、フェミナはくてりと横に倒れる。今度は肩に引っかからず、ミシェルの膝に倒れこむ。
 ごちりと音がしたが、頭をぶつけ合った二人は目を覚ます気配もなかった。
「春日って、フェミナに似たとこあるから、ついついあまやかしちゃうんだよね………」
「確かに、似た者同士ですね」
 二人は小さく息ををつく。
「ところでフェミナさんは数学が?」
「苦手」
 まさか、突然わめくほど嫌っているとは思っていなかったが。
 ──可愛いんだよね、こういうところがまた。
 彼は自覚している。自分が重度のシスコンであることぐらいは。

 それからしばらく後。
 見知った少女が娯楽室にやってきた。ヤンは仕事があるといって出て行ってしまい、彼はある意味一人だったので、ほっとした。
「やあ、美鈴(みすず)」
「ここにいたの」
 彼女は微笑む。
 魔王とミシェルが出会うきっかけとなった、冥王ヨル。彼と供にこちらに来た、光の民の少女だ。バスが事故にあったというのが、異世界に飛ばされた原因らしい。
 魔王は彼女を親友として迎え入れている。同じ中学に通っていたというのが理由。
 魔王、竜王、冥王の学友ということもあり、彼女はたいていの場所に出入りができる。このように、青軍の占有す、青館とて顔パスだ。普通、許可なくしては入れない。それが、美鈴とフェミナが与えられている権限。他の女たちには与えられていない。
「あらら。二人とも熟睡?」
「ああ」
 美鈴は無遠慮に近づき、春日の耳を引っ張った。
「いたいいたいいたい」
 さすがの春日も起き上がる。
 ──春日って、ここでは五本の指に入る偉い人なんだよなぁ。
「いたいよ、美鈴おねーちゃん」
「だめでしょー。こんな時間に寝るてると、夜寝れなくなるよ」
 ほとんど子供に言う台詞。
「もう子供じゃないもん」
「だったら、しゃんと起きてる。本を読んだだけで寝ないの」
 春日は何度も頷く。
 転がっている本だけでこの有様の原因を推理するのもさすがだが、青将軍を怯えさせているということこそが、一番すごい。
 ヨルとはお隣で、魔王達以上に春日を知っているのはこの少女だ。しかも、親が仕事でよく出かけてしまうので、よけいにお隣さんの世話になっていたらしい。
 春日にとって美鈴は姉に等しい存在で、数少ない弱点だった。よく叱られていたらしい。
「ごめんなさい」
 春日はしゅんとして謝る。
「君はもう少し、勉強しようね。ボケボケしてる君も可愛いけど、偉い人になったんだから、物を知らないと上に立つ者として恥ずかしいよ」
 正論だ。だから春日はさらに落ち込む。そんな彼の頭を、美鈴は優しく撫でる。
「もっと簡単そうな、ためになる本用意してもらお」
「うん」
 美鈴はまだ十五歳。春日はこちらに来てから六年で、美鈴や実の兄よりも年上になっているらしい。
 年下の女の子に叱られたり、慰められたりする男の子。
 ──部下たちには、見られたくない光景だよねぇ。
 いくら春日が、どうしようもないほど童顔だとしても。
「フェミナ、あんたまで………。双子なのに、えらい違いよね」
「うーん。フェミナの分の脳みそ、僕が余分にもらっちゃったみたいだから」
「ははは。言えてる!」
 そう言って、今度はフェミナを揺り起こす。
「ほらほら。そんな寝方すると、寝違えるよ!」
「いたいたいた」
 春日とかなり似た起き方をしたフェミナは、恨みがましく美鈴を見た。
「ひどーい」
「はいはい」
 ミシェルは自然と微笑んでしまう。
 彼女ははきはきとした明るい女の子だ。魔王に初恋の女の子と言わせるだけのことはあり、かなりの美少女でもある。
 日本人とは大人しい人が多いと思っていた。そのイメージと見た目に反するその性格に、始めは驚かされたものだ。
「ところで、美鈴はどうして青館に?」
「ああ。そうそう。なんかねぇ、またアヤが行方不明なんだって」
 その言葉に、ミシェルは慌てず騒がす両目を伏せる。その代わり、額にある瞳を見開いた。
 これで、大概は見つけられる。
 相手の気配の軌跡を見て、探す。
 これが彼の能力の一つ。
「………どう?」
 春日は不安げに問うた。ミシェルがいなかった頃、姿を眩ませた魔王を捜索するのは彼の仕事だった。理由は一つ。見つけ出したとき、アヤを連れ戻せそうな者で、比較的暇なのが彼だったからだ。
 青軍とは、魔王直属の軍。魔都と万魔殿、そして魔王自身を警護するのが青軍の役割。つまり、魔王の管理も青軍の役割。
 地方に派遣されるのは、赤軍だ。
 どちらが楽かは、ミシェルには分からない。だが、ここの生活は悪くないと思っている。
「…………うーん。どうやら今回は、また真剣に隠れているようだねぇ」
「げっ」
 春日の顔色が変わる。
「二ヶ月前と同じ。あるところを境に、気配がなくなってる」
 例え転移しようとも、どちらの方へ行ったのかは分かる。しかし、今回のはある場所から──魔王の私室から、その先がない。
「はぁ。どうしよう。探す?」
「少しも探さなかったら叱られるもん」
「春日は愛されてるねぇ。ヨルの出現にも関わらず」
「陛下に好かれるのは嬉しいけど、こーいうふーに遊ばれるのは勘弁してほしーなぁ」
 彼は瞳をうるうるさせながら言う。この可愛らしさが、魔王の嗜虐心をくすぐるのだろう。なにせこれは男なのだから。
「前の時は丸二日だったよね」
「うん」
「何処探そうか?」
「冬近いし、温泉行ったのかも……。陛下温泉好きだから。それとも、旬の食材の名産地かな」
 さすがにかくれんぼ歴六年。すっかりアヤの好みを把握している。以前も、その線でたどって二日で見つけられたのだ。
「今の時期って、ぱっとしたものって、キノコとか?」
「キノコ……」
「山かな?」
「山って………この辺だけでも山脈いくつもあるんだけど……」
 温泉があって美味しいキノコがある場所。
「アヤ、マツタケは好きじゃないわよね。あの子は昔からねばねばとかぬるぬるが好きで、なめこが大好きって言ってたわよ。あと、まいたけ。えのき。しめじ。和風のキノコが好きね」
 キノコの産地。はっきり言って山のようにある。温泉もだ。
「冬だったら、絶対に海沿いの町で鍋食べてるのに」
「っていうか、はるちゃんにとって、アヤって風呂入って食べてるだけのイメージ?」
「陛下が隠れる理由は、はっきり言ってそのためだけだし……」
「……うーん。昔からそういうとこあったけどさ」
 一同はため息をつく。
「でも、見つけると陛下、美味しいもの食べさせてくれるから好き」
 春日の台詞に、一同は彼の頭をなでなでする。
 彼が青軍のマスコットとも言われているのは、このためであった。

 それから六時間ほどが経過した。二人で地道に捜索したが、成果はなかった。
 今日は諦める事にして、適当な飲み屋に入った。二人とも未青年なので飲まないが──ヨルの酒豪ぶりを知っているので、はじめ春日が飲めないと聞いたときは耳を疑った──他にこの時間、食事できるところはない。仕方なくこの店で食事を取っていた。
 春日はふぁっとあくびをする。
「子供は寝る時間だもんね」
「ね、眠くなんてないよ!? ただ、あくびしただけ!」
「うんうん。でも、陛下いないなぁ」
「可能性のある場所はあらかたまわったのに。あとは、行きつけの店シリーズか」
「なにそれ……」
「陛下は、自分の本当に好きなお店を、人には教えないんだ。ハクにーちゃんにも」
 彼は竜王のことは昔からのよび方をするらしい。竜王も、そんな風に慕ってくる少年を溺愛している。ヨルとよく似た顔立ちをしているからなおさらだろう。
 彼ほど誰からも愛されている軍人は、他にいない。
 これで実力があるのだから、ミシェルは悩むしかない。喧嘩などすれば、負けるのは自分だ。
「前に行きつけの店にいたとこ見つけたら、綺麗な女の子がいたんだ」
「……はは……女目当て……」
 本当の性別は女性だと聞くが、最近信じられなくなっていた。
「僕が見つけたのは、おしゃれなカフェだったよ。でも、今日は違うな。夜も近くなる頃に、そんなところは行かない。夕飯を食べる場所かな? 世の中には山のようにあるけど」
「絶望的なことを………」
 ミシェルはつくつくと魚の煮つけをつつく。春日の生まれ故郷である日本の料理らしい。
「はぁ。この町なんて、絶対に陛下が好きそうなのに……」
「近くに日本から落ちてくる場所があるのかな」
「そうだと思うよ。こういう明らかに一つの人種が多い町は、確実に」
 ミシェルは目を閉じた。目深にかぶったフードの下で、第三の目を開く。
 やはりいない。
 近くにいれば、例え魔王であろうがその存在の有無は隠せない。そこに存在する限り、どんなに気配の軌跡を消そうとも、ほんの少しだけ見える。はっきりと場所は特定できないが、全世界を利用した「かくれんぼ」では、それでも十分に役に立つのだ。
「とりあえずもう遅いし、このあたりに泊まっていこうか」
「そだね。陛下探しは根気第一」
 彼はそうやって、かくれんぼの達人となったのだろう。千里眼で見ずとも、半分の確立でアヤの居場所を突き止める。その分析力を利用して千里眼で探すのが、最近の高度なかくれんぼの鬼の仕方だった。
 春日は活字は嫌いなようだが、決して馬鹿ではない。一度見聞きすればちゃんと覚えるし、理解する。ただ、文字を読もうとしないので、知識との遭遇度が低いのだ。
 ミシェルは何かもう少し注文しようと思い、メニューをちらりと見る。
 日本語で書かれている。しかし、それはだいたい理解できた。
 そういう不思議な現象の起こる世界。謎だらけの世界。
 一番の謎は、向こうに住んでいる者は、こちらに落ちてしまった者のことを忘れてしまうのだ。まるで、存在していなかったように。
 向こう──アースと一般的に呼ばれている世界の住人は、この世界に跳ばされた者を記憶から抹消してしまう。つまり、彼の存在を、母親ですら忘れているはずなのだ。
 それは、ずいぶん昔から分かっていることらしい。そうして偶然こちらへ来てしまうと、その忘れてしまっていた存在を思い出すのだ。
「…………陛下は、この世界のこと、どれぐらい理解なさっているんだろう」
「うーん。多分、知ってると思う。兄さんにも教えているかも」
「ヨルが世界のことを……ねぇ」
「のけ者にされて、ちょっと悲しい」
「あの方たちは、別次元だからねぇ。僕らが何を悔しがっても仕方ないよ」
「そだけどぉ。隠し事だらけ。ちょっと悔しいかも」
「君も多かれ少なかれそんな風に見られてるんだよ」
「そーかなー?」
「そうだよ、僕も含めてね。上へ行けば行くほど、嫉妬される。同時に尊敬もされるけどね。感じないのは君だけだよ」
「もちろん、感じるよ。時々」
 春日は難しいといって顔を顰める。
 彼がこんな風に考え込むことは度々ある。しかし、忘れるのも早い。そりゃあもう。一晩寝れば悩みを忘れられるタイプだ。しかも、寝て起きると解決策を見つけられることが多い。
「まぁ、明日にはどうにかなるよね」
 ひょっとして、見つけてもらえるように、翌日わざと見つかりやすい場所で待機しているのかもしれないと思うほど、彼の二日目発見率は高い。それゆえの言葉である。
 ──見つかるといいなぁ。
 そうすれば、仕事に戻れるのに。
 青軍とは、城の管理者だ。その総大将がいないと、将校クラスが時々困るらしい。今のところ、そんな状態は見たことがないが。
ひとりあえず、ミシェルは春日を見習い、気楽にいくことにした。

 ホテルのスイートルームで目を覚ますと、隣のベッドで眠る美少女的顔美少年の寝顔を発見する。
 この寝顔を見て、たまらず襲い掛かってしまった男がいたと聞く。もちろん、万魔殿の中で五本の指に入る実力者の春日は、寝ぼけ半分その暴漢を撃退したという。
 布団を抱いて眠る姿を見ると、なんとなくその男の気持ちが理解できる。
 胸がぺたんこの女の子にしか見えないし。髪を伸ばしているからなおさらだ。
「おーい。朝だよぉ」
「うーん」
 寝返り。
 彼は寝起きが悪い。そして、寝起きが一番危ない。下手に殺気をたてて襲い掛かると、反撃に容赦がない。
「…………顔でも洗お……」
 できれば早く出発したいが、あまり早くても魔王自身が活動していない場合がある。
 ミシェルは洗面台の前に行き、顔を洗う。タオルで顔を拭き、鏡に映る自分を見た。髪がぼさぼさで、千里眼が丸見えだ。いつもはサークレットと前髪で隠している。使おうと思うときはフードで影を作る。魔王と出会う前から、そうしていた。誰にも打ち明けずに。
「うーん。髪のびたなぁ」
 昔は短髪だったが、ここに来て一年で肩より下まで伸びていた。
「いっそ、閣下みたいに伸ばすかなぁ」
 けっこう絵になると思う。最近、三つ編みをしてみたいのだ。特に意味はないが、魔道系だし、というのが大きかった。それには、もう少し長さがないと様にならない。しばらくは一つにくくるので我慢。
 ミシェルは身支度を整えると、バルコニーに出る。
 スイートだからバルコニー付き。ロイヤルが付くと、この上の部屋。さすがに、上司を安部屋に泊めるわけにもいかないので、この部屋にすることを提案した。
 スイートルームなど、泊まるのは今日が初めてだった。
「いい天気」
「おーい、いい天気なんだからそろそろ起きろよぉ」
 隣のバルコニーから、聞き覚えのある元気な声。
 恐る恐る隣を見ると……
「ヨル!?」
「え? って、ミシェル!?」
「なんでここ……いや、それはそちらの台詞か。偶然だね」
 ミシェルは彼に手を振る。
「まさか春日も?」
「ああ、寝てるけど」
「そっか。後で一緒に朝飯食おう」
「ああ、いいね。じゃあ春日を起すよ」
「俺も野郎ども起してこよ」
 二人は旅の供を起こしにかかる。
 ミシェルは春日を起すとき、いつも気を使う。
 乱暴に起しても反撃されないのは、魔王と美鈴ぐらいなものだ。
 ミシェルは布団を引っぺがす。
 もぞもぞ。
「えい」
 枕を遠隔操作して顔に押し付ける。
 ごろごろ。じたばたじたばた。
「殺す気!?」
 枕を持って起き上がる。
 やはりこれが一番効率のいい方法だ。
「ひどいよ、ミシェル」
「ごめんごめん。でもさ、なんか隣に君のお兄さんいるけど」
「は!?」
「この町にいたみたい」
 この町で一番いいホテルはここだ。この町にいれば、当然同じホテルになる。そしてこちらと似たような考えでスイートになるのも想像できる。
「兄さん探し当ててどうするんだろ……」
「陛下とヨルって、味覚似たとこあるからなぁ」
「うん。お酒好きだし」
 春日はベッドから降りて身支度を始める。
 ミシェルはベッドを整える。最低限のマナーだろう。
 春日が着替えていると、ドアがノックされた。ミシェルは鍵を外し、ドアを開く。
「おはようございます。千里眼様」
 この嫌味の刺を含んだ挨拶をするのは、マリウスだった。
 彼はミシェルのことをあまりよく思っていない。当然だ。彼が支配されてしまったとき、その場にミシェルもいた。その時は地位も何もない状態だった。その後自分は副将軍。彼はヨルの使役になってしまったのだから、逆恨みするのも当然だ。
「おはよう」
「はよー」
 春日が屈託なく笑いながら挨拶する。
「おはようございます、将軍様」
 彼に対しては、本当に自然に挨拶するマリウス。
「兄さん、上達した?」
「これっぽちぐらいは」
「そっかぁ。君たち二人がついててもだめかぁ」
 春日はしゅんとする。
 早く万魔殿に戻って欲しいのだ。彼がいれば、自分にかかる負担が減るから。
「びしばしやってね」
「もちろんです」
「鬼か、お前ら」
 いつの間にかマリウスの背後に立っていたヨルが呟く。
「おはよー、兄さん」
「おはよう。どうでもいいけど、ボタン段違いになってるぞ」
「あっ、ほんとだ」
 春日はボタンを掛けなおす。
 いつも着ている青い軍服とは違い、ごく一般的な旅装束だ。ミシェルもいつもの青いローブではなく、茶のローブを着ている。
 それに引き換えこの二人は、どう見てもダークな姿だ。こういう趣味の者も少なくはないのでばれることはないが、これに葵が加わると、どうしようもないほど怪しい一行となる。
「着替えたな? 飯食おう。近くの店で待ち合わせしてるから」
「待ち合わせ?」
「ああ」
 二人は荷物を持ち、部屋を出る。荷物と言ってもほとんどないに等しい。一番大きなものが愛用の杖や剣なのだから。
 廊下に出ると葵がへやから出てくるところだった。目が合った。
「おはよう」
「おはようございます、千里眼様。青将軍様。今日も輝かんばかりにお美しくていらっしゃいますね」
 葵が深々と頭を垂れてそう言った。
「………いや、女の人じゃないんだし」
「いえいえ。お二人の美しさ、生半可な女性では太刀打ちすら出来ません」
 相変わらずのノリと怪しさ。この人物は、苦手だ。
 ホテルをチェックアウトし、ヨルに案内され喫茶店に到着した。
「いたいた。早いな」
 ヨルは三人組を発見して歩み寄る。
「そっちが遅いんだよっ。まったく、人を待たせるなんて……ん? 誰?」
 小柄な少年がヨルに食って掛かり、それからようやく二人に気づいた。
「弟の春日と友達のミシェルだ」
 女性がぽんと手を打った。とても綺麗な、清楚な雰囲気の女性だ。
「ああ。アヤさんの部下の方」
「アヤさんって、アヤさんって、陛っ!?」
 陛下などと口走りかける春日の口を、ミシェルは素早く押さえ。
「ごめん」
「アヤ様と会ったの!?」
「ええ。私が働いている店によく来てくださるんです」
「行きつけの店シリーズげっとぉ」
 春日が跳んで大喜びする。
「………春日………苦労してんだな」
「春日様。嬉しいのは理解できますが、あまり騒ぐと他の客に迷惑でございますです」
 春日は大人しくなる。それから、熱心にその店の位置を聞き出した。旗から見ると口説いているようにも見える。
「でも、タイミング悪いなぁ、お前ら。夜の十時頃まではいたのに」
「………行き違い……」
「多分帰ってる。満足してたっぽいし」
 ミシェルは驚いてサークレッとの下に隠した千里眼を開く。手で隠しサークレッとを持ち上げ、それから集中して万魔殿を見る。眼前に物があると、あまりよく見えないのだ。人体ならば問題はない。だから、緊急の場合は怪しくともこうする。
「ああっ、本当だ。ご自分のベッドで眠ってる……」
「ってお前、アヤの寝室覗くなよ」
「大丈夫。陛下は服着て眠るから」
「くっ……なんか今日はちょっとお前が憎らしい。俺もアヤの寝顔見たいのに」
「そう言われても……」
 着替えを覗こうとか大それたことは考えず、好きな人の寝顔を見たいと考えるあたり、彼の純粋さは本物だ。さすがは春日の兄。
「はぁ。気合いれて損した。ご飯食べて帰ろ」
「そうだね」
 ミシェルはくすくすと笑う。それから、空いていた隣のテーブルの椅子につく。
「その人たちも……?」
「ああ。青将軍と、副将軍。ミシェルの方は千里眼と言った方がいいかな」
 小柄な少年は首をかしげる。再び手で隠して帽子の下にある可愛らしい猫耳が見えた。
「よくまあ、アヤ様にお持ち帰りされなかったね」
「ああ。俺に連れてけって。薫って言うんだ。化け猫ちゃん」
「へぇ。何をお考えなのか……」
「たぶん、育てることも大切だからだと思うな。アヤ様は、早く兄さんに一人前になって欲しいんだよ」
 春日が出された水を飲みながら言う。
 隣に座るヨルになでなでされる。
「なんか、ヨルの方が年下になったのに、兄と弟は変わらないんだね」
「ははは」
 その言葉に、薫は可愛い耳をぴくぴくと動かした。
「うわぁ………よかったねぇ、庄治。ローラと逆転まではしなくって」
「ああ……」
「本当に。年下の兄さんなんて……ふふ」
 少女が笑う。
 ──また陛下の好きそうな……。
「似てない兄妹」
「そっちはよく似た兄弟ね。でも、一瞬妹さんかと思ったわ」
 悪意のない一言に、春日は撃沈される。彼は自分の女顔を気にしている。この世界のだって、もとはといえばそれが原因なのだ。
「気にしてんだ」
「……君にだけは言われたくないな」
 春日は薫の顔を見て呟く。確かに中性的な顔立ちをしている。
「春日様。仮にも女性に向かって、それは失礼です」
 マリウスが言う。
「お、女!?」
「……女の子なのぉ?」
 ヨルと春日は驚いた。
「薫が女だって見抜いたの、あんたがはじめてだ」
「いいや。アヤ様も存じていらしただろう。だいたい、身体つきを見れば男か女かぐらいわかる」
「うわ……さすがは淫魔。言うことが違うな」
「貴様の観察力がないだけだ。だからアヤ様に鈍いと言われるのだと思え」
 ヨルは頬を膨らませる。そんな表情は、とても可愛らしい。さすが兄弟。
「ところで、美鈴達は元気か?」
「ああ、元気元気。美鈴なんて、春日をどついてるし。力じゃ敵わないから、最近は関節技に凝ってるみたい」
「…………」
 ミシェルの台詞に、ヨルは青ざめていた。
 物心ついた頃には、尻に敷かれるような生活を送ってきていたという。それゆえの恐怖心からくるものだろう。
「美鈴おねーちゃんのこと好きだけど、突撃されるとやっぱり身が竦んじゃう」
「分かるぞ、その気持ち。なんかもう、刷り込まれてるもんな。あいつに逆らうと、ほんとろくでもないことが起こる」

「うんうん。ほんとうに、運を吸い取られるよね。あれって、特殊能力じゃないのかなぁ?」
「だったら、あいつも闇になってるだろ」
「だよね。考えすぎだよね」
「ああ。運だけはどうしようもない」
 非科学的、非常識的なことを語り合う二人。
 ミシェルも身に覚えがなければ、一笑できただろう。
「暗い話は忘れよう。
 とにかく、みんな元気だよ。マリアちゃんはよく分からないけど」
「そっか」
 それからしばらくして、万魔殿へと帰った。

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 あとがき