3話 猫娘 〜悩み多きお年頃〜


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 両側面の壁のない回廊を歩いていた。そこで、多くの闇の民とすれ違う。
 一言で言うなら、ここは人外魔境だった。
 角のある人間。羽のある人間。既に人型を留めていない、悪魔か鬼のような姿の人間。
 はっきり言って、普通の人間がいない。一見だけでも普通に見えるのは、いつも共にいるメンバーだけだ。もちろん、普通ではない事を知っているので、なんとも言えないが……。
「すごいね」
「だろ? 俺もさぁ、初め見たときはビビったビビった」
 ヨルはケラケラと笑う。
 その見た目すごい人たちは、アヤに向かって敬礼をする。ついでにヨルにも。
 ヨルに対しては、アヤに対するよりも多少は気さくで、
「冥王様。もうお帰りですか? 力の使い方はマスターされたのですね」
 だの。
「冥王様。少し見ない間に大きくなられましたねぇ」
「成長できてよかったですねぇ」
 などと、世間話的内容までがでてきた。
 ヨルは段々と不機嫌になっていった。黒人から白人まで、各種様々な人種が揃っている。そんな彼らは、揃ってヨルを子ども扱いしていた。
 ヨルが不機嫌になるのも仕方がない。
 そんな中、一人の女性が近付いてきた。天使のような翼の白人女性だ。
「陛下。閣下が陛下をお探しになられておりました」
「カーティスが? いつものことだ。どうしても用があるのなら、私は衣裳部屋にいると伝えておけ」
「はっ」
 女性は優雅に一礼し、その白い翼で空へと飛び立つ。
 ──羨ましい……。
 どうせなら、耳や尻尾はどうでもいいから、ああいう綺麗なものが生えて欲しかった。
「お前さぁ、少しはまじめな魔王やったらどうだよ。カーティスが可哀想だろ」
「ふん」
 アヤは鼻で笑う。
「カーティス?」
 名前だけはたまに聞く。アヤに苦労させられているっぽい人。
「この国の……あー……宰相ってやつだ。実質的に国を動かしてるのはあいつだな」
「二代に渡っての陰の支配者だな。頼もしい限りだ」
 アヤはつくりと笑う。
 すっかり魔王モードに切り替わっている。
 美人だから、男言葉もよく似合う。
「二代?」
「十年前にアヤが現れるまでは、別の奴が魔王をやってたらしい。そいつがこれぞ魔王ってな暴君だったんだってさ」
「魔王って何人もいるの?」
 魔王を倒せば元の世界に戻れる。なのに魔王はアヤで、しかも代替わりしている。
 そりゃあ、もしも誰かに倒されたら魔王がいなくなるわけだから、別の魔王が必要になるわけで……。
「いや、二人だけだ。前魔王は封印されている」
「へぇ。アヤさ……ま、がやったの?」
「もちろんだ。やつもそれなりだったが、私のような天に三物与えられた者に敵うはずもないと言うことだ」
 彼女は、人望もあるようだ。決して間違いではないだろう。しかし、理解の出来ない不思議な人徳だ。
 そうこうしているうちに、巨大な物々しい扉の前にたどり着いた。
 なんとなく、ラスボスのいそうな部屋だ
「薫。ここが私の部屋だ」
 アヤの声に合わせ、衛兵がその重そうな扉を押し開く。
 一瞬、目が点になった。
「あちらに見えますのが、私、魔王の玉座でございます」
 アヤはバスガイドさん風に、マイクまで持ち出して、それを示す。
 骨だ。髑髏だ。正体不明の生物の色々な部分の骨を組み合わせた玉座。確かに、魔王というイメージはある。だが、ゲームに出てくる魔王と言うよりも、宗教関係的な魔王のイメージ。
「……こ……これに座ってて、腰痛くならないんですか?」
「いや、普段は座らない。演出というやつだ」
 アヤはマイクを胸の谷間に突っ込んだ。
 ──うわ……。
 本当に、凝る人だ。きっとマンガの読みすぎだ。薫はマンガなど、学校で友達に見せてもらう以外は読んだ事がない。祖母がそういったものを嫌うから。
「さて、次に行こう。次は私の自慢の衣裳部屋」
 彼女は宣言しすたすたと歩いていく。その左右に敬礼する闇の民達が連なる。先のほうを見ると、わざわざその列に自ら参加しに来る者が多い。
 いかにもな廊下を行く。次第に、雰囲気が変わってきた。今までの重苦しい印象と異なり、華やかになってきた。花瓶に花が飾られ置いてあったり、日差しを取り込む造りであったり。
「ここは?」
「分かりやすくいうと、後宮。アヤのハーレムだ」
 ヨルが言う。
「うそ……」
「本当だ。観賞用だけどな」
 アヤを見る。確かに、この人なら見栄えのいい女の子を収集してはべられて高笑うのが似合いそうだ。
 ヨルは不機嫌な顔をしている。女の人に負けているからだろう。だが女の人相手であるから安心もしているようだ。
「はい、到着いたしました。ここが私の衣裳部屋でございまぁす」
 部屋の前にいた女性の見張りが、アヤのためにドアを開く。中を見て、薫は絶句した。
 広い。とてもとてもとても。
 そこに見渡す限り服で埋め尽くされている。その中をアヤは迷わず歩く。呆然としている間に衣装の海の中に消えてしまった。
「こんなにどうするの?」
「さあ。まあ、女いっぱいいるし。男物もあるし」
 ヨルは周囲を見回した。その時だ。
「あれ、冬夜」
 女の子の声。それを聴いた瞬間、ヨルは突然喉を掻き毟った。
「あ、ごめん」
「お、お前……」
 ヨルは鬼のような顔をして振り返る。その視線の先に二人の少女、衣裳部屋の入り口に立っていた。一人はおそらく日本人。もう一人は金髪碧眼の白人。国は分からない。
「美鈴、何度言ったら分かるんだ?」
「ごめんって。でもさぁ、癖ってあるでしょ? いきなり本名で呼ぶなっていわれてもさぁ。あやめのことだって」
「美鈴ちゃん」
 いつの間にか、笑顔のアヤが日本人の少女の背後に立っていた。
「あ、ごめん」
「今度から、気をつけてね」
「うん」
 美鈴と呼ばれた少女は引きつった笑顔で頷いた。
「とーやって、ヨルの本名なの?」
「ぐ……薫」
 ヨルが引きつった笑顔で薫の肩を掴んだ。
「今度その名を呼んだら、命の保障は出来ないからな」
「え、なんで?」
「俺たちはここに来てから、ちょっと、特殊な体質なんだ。名前で呼ばれると、すごく不快感と言うか、腹が立つと言うか」
 わけのわからない事を言う。
「どうして?」
「それが王なんだよ。この世界でも、少し特殊な存在と言うか、在り方が違うというか」
 彼は言葉を捜してうんうんうなる。在り方が違うとはどういう意味だろう? それが彼の力の理由なのであろうか?
「とにかく、俺たちは名前を呼ばれたくない。俺たちの名と知って呼ばれるのでなければ意味はないけど、知って呼んでいるなら世界のどこにいてもそいつの居場所が分かるぐらい嫌なんだ」
 その言葉にアヤが頷く。
 本当に嫌なようだ。
「よく分からないけど、気をつける」
 その答えにアヤは頷き、こちらへと戻ってくる。手には何着の服があった。動きやすそうなカジュアルなものばかりだ。意外と普通。その中に、なぜか変なグローブが混じっていた。猫の手をしているグローブが。
「何これ」
「肉球」
「何でこんなものが……」
「薫のために作らせた」
「いらないデス」
「そう言わずに。肉球だぞ」
「やです。恥ずかしい」
 断固拒否。その態度に、アヤは落ち込んだように肩を落とす。
「アヤ。人に無茶ばっかり言ってると、嫌われちゃうよ?」
 いつの間にか、ヨルの隣に少女が立っていた。とてもとてもきれいな少女。真っ白だった。その赤い瞳と唇以外、何もかもが白かった。肌も髪もドレスも。何もかもが、真っ白だった。
「ヨル君。お帰り」
 少女はヨルに抱きつこうとし、ヨルは迷うことなく避ける。少女はヨルを見つめ再度挑戦。しかしヨルはまた避ける。
「んもう。恥ずかしがり屋さん」
「黙ってろ」
「あん。つれないお方。一日千秋の思いでヨル君の帰りを待っていたのに」
「待ってるな。ってか、お前喉んとこに血が着いてるぞ」
 言われてみれば、確かについてる。白い少女は喉に手をやる。すると血は見る見るうちに消えた。
「さっ、これで綺麗。おかえりなさい」
 ヨルは杖でそれを阻もうとした。しかし杖を逆に掴まれ、引き寄せられる。ヨルはあっけなく捕まった。
「お帰りなさい」
 少女がヨルの頬にキスをする。
「げぇっ」
 ヨルは慌てて頬を拭く。何度も、何度も。
「失礼だね」
「男にキスされれば、普通誰だって嫌だっ」
 薫は我が耳を疑った。
 男?
 胸ある。いや、それに関してはアヤも似たような事をしている。しかし、男性がああも綺麗になれるのだろうか? それとも化けているだけだろうか? 気のせいか、顔がアヤに似ているような気もする。
「誰?」
 マリウスへと問うた。彼が一番聞きやすいから。
「竜王ハク様だ」
「あの人が竜王?」
 あの吹けば倒れそうな可憐な少女に見える少年が。
「そうだ」
「イメージと違う」
「何を言う。ヨルの方がよほどイメージに合わないぞ」
「それとはまた一味違う『違い』だよ」
 彼は小さく頷いた。
「決定的な違いは、あの方が竜王の名にふさわしい力をお持ちである事。陛下と並び称されるに相応しい方であることだ」
 マリウスは自慢げに言う。本当に自慢なのだろう、この二人が。それなのに、自分の支配者はああだ。彼がすねるのも無理はない。
 その時、薫は葵の様子に気がついた。
 ヨルとハクを眺めている。ただ、じっとひたすら。
「どしたの?」
「ああ。両親は子の帰りにも気づいてくださらない。ああ、私はいらない子なのでございましょうか?」
 おいおいおいと、泣きまねなどして、空中に座り込む。
 そういえば、この男がまともに地べたに足をついているところを見た事がない。
「泣いてるぞ、父」
「母はヨル君かな?」
「うーん。このノリだとアヤだろ」
「息子はいらん」
 アヤはきっぱりと言い放つ。ある意味哀れ。
「ヨル君の子なら、何人だって生んであげるよ」
「生めるのか?」
「さあ。やってみないとわからないなぁ。こればかりは。理屈上では生めるはずだよ。試してみようよぉ」
「そういうことはアヤに言え」
「うん。じゃあそうする。アヤぁ」
 両手を広げて待つアヤの元に向かうハクを、ヨルは慌てて引き止める。冗談の通じない男だ。それとも、ハクという人物がそれぐらいは平気でするような人なのだろうか?
「んもう。そんなに焦らなくても、僕は浮気なんてしないよ」
「お前はどうでもいいんだよ」
「ひどい……。ヨル君のためにせっかくドレスまで新調して待っていたのに……」
「だったら血で汚すなよ」
 ハクは自分のドレスを見回す。言われてみれば裾に少し血がついている。
 薫はマリウスを見上げた。彼は小さく首を横に振る。関わらない方が身のためなのだろう。なにせ、葵を育てた人物だ。
「僕らのソウ君のために頑張って研究に励んでいるのに、そんな冷たい言い方をしなくても……。ヨル君の馬鹿。大好き」
「ええい、鬱陶しい。だいたい、あの研究でどうして血がつくんだ!?」
「ほら、強度とか見なきゃ」
 ヨルはじたばたともがく。しかし、ハクはあれほど華奢にもかかわらず、ヨルを捕らえて放さない。さすがは竜王。
 そんな二人はほっといて、アヤが薫の前に立つ。
「行こうか」
「はい」
 見捨てて行った。
 この後どうなったかは知らないが、ヨルの友達らしい女の子達が残っていたので貞操は無事だろう。きっと。

 次に向かった先は、城の外からも見えていた、とても高い塔の先端だった。そこにアヤの私室の一つがある。まるで牢獄を思い起こす、無骨な石畳みの古びた部屋。しかし眺めは絶景だった。シェオルと呼ばれるこの国は、とても美しかった。少し古風で、情緒があって。そして、活気が溢れ人が行き交う。今まで見てきた村とは比べ物にならないほど、よく整備されていた。
 ここがアヤの国。
「私が来たときは、もっと荒れた国だった。当時の魔王は政治には興味がなく、いつも一人で部屋にいた」
「そんな人が、どうして魔王になんて……」
「あいつは昔からそうだった。人が嫌いで、心は決して許さない。だから封じた。殺すにも惜しいし、何よりも身内だったから」
 彼女は笑う。
 身内。
 アヤとハクも身内だ。ヨル以外は皆身内。
「部外者はヨルだけ?」
「そう。あいつだけだ。後にも先にも。私たちの一族以外で私たちと対等であれるのはあいつだけ」
 初めて、ヨルはすごい存在なのだと認識した。アヤが言う。それがすべてだ。側にいると痛いほど感じる、その力。存在感。逆らえない。この人の側にいたい。この人の側にいて、お仕えしたい。そう思う。初めはそんなこと思いもしなかった。しかし、なぜだかそう思う。今はマリウスの気持ちがよく分かる。
「分からないです」
「なにが?」
「アヤ様にひざまづくのは当然だと思えるけど、ヨルじゃ思えない」
「そのうちあいつもこうなる」
「どうしてですか?」
 アヤは空を見上げた。赤い瞳で空を見て、目を伏せる。心地よい風が、彼女の長い髪を揺らす。彼女は美人だ。日本人にしては彫りの深い顔立ちをしている。もしも髪の色も変わっていたら、日本人などだとは思わなかっただろう。
「あいつは、人じゃない」
「え?」
「人の血を引いているが、半分は人じゃない」
 意味が分からなかった。
「あいつの片親は、人ではない」
「人……じゃない? じゃあ、鬼なの?」
 元の世界にも、昔は否定されていた、鬼と呼ばれる正体不明の人を喰らうモノがいる。実際に映像も見た事があるし、それ専門の狩人の集団もある。全部が全部悪いわけではなく、人を殺さず人を守る鬼もいるらしい。だが、薫はそんなものは見た事がない。自分にとっては遠い世界の話。
「ヨルは半分人じゃない」
「アヤ様も?」
「さあ? どうだろうな」
 聞いて欲しくないようだ。だから二度と聞かない事にした。彼女に嫌われるのはいやだから。だから、ヨルも恐くない。自分の些細な悩みに比べたら、彼の方がずっと重い悩みを抱えているだろう。
「あいつもそのうちこうなるさ」
 それなら待ってみよう。ヨルがアヤのようになったら、きっと嬉しい。だから待とう。物覚えの悪い王ではあるが、彼が冥王と呼ばれるに相応しくなる時を。

 

 

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