4、大淫魔 〜中間管理の苦労人〜

 

 かつかつと足音を響かせ、暗い石畳の通路を男が歩く。
 年の頃は二十歳前半。眉目秀麗。長い銀色の髪からは、尖った耳の先端が姿を見せている。瞳は瑠璃色。闇の民である事は一目瞭然。
 男は背筋を伸ばし、早足だが優雅に、そして闇を恐れることなく歩いていた。
 松明が所々で光を供給しているが、通路の暗さ、寒々とした雰囲気はそのわずかな光により、逆に増しているようだった。
 光の届かぬ闇に、何かが潜むように見せる。いや、実際にそれは存在している。
「ご苦労」
 義理程度に、男は言って奥へと進む。
「お急ぎですか? どちらへ? 何をしに?」
「口は災いの元だぞ」
 低く、不機嫌に言い放つ。
 優美な瞳が細められ、唇が歪む。
「ご機嫌斜め?」
「閣下はお怒り」
「何があったんだろうねぇ?」
「陛下の情婦が増えたかな?」
「カナ?」
「かなぁ」
「きゃははははははっ」
 騒がしい闇蜘蛛達を一瞥し、簡単な呪詛を吐く。
 下半身が蜘蛛の女達は、きゃあきゃあ言って闇の最も深い部分へと逃げ帰る。時々やってくる光の者共を餌とし、腹が減れば共食いをする悪食の女共。共食いを防ぐために、時々魔物の肉を与えてやっている。今日は満腹らしく、機嫌もいいようだった。だからこそ、無謀なことをしたのだろうが。
 ──陛下もお甘い。
 このような悪食共は、共食いでもさせていればいいのだ。繁殖力はゴキブリ並なのだから、光の者の中の見た目のいい男をさらって与えてやれば、あの女共は飢えない限りはその男を精果てて死ぬまで使うだろうに。
 あんな女共になど触れられるだけで汚らわしく、願い下げである。目にするのもおぞましい姿だ。視界に入るのを許しているのは、主の言葉があってこそ。さもなければ、彼女たちはとうに全滅しているだろう。
 ──所詮は淫売どものなれの果てか……。
 中身も何もかも、お粗末な女共。まともに人の姿を取ることもできないその程度。
 闇の者にとって、どれだけ人の姿を留めていられるか。それが力の目安だった。元の姿、というべきか。
 あの女共は中の下である。
 光の者は不幸ではあるが、人として死ねるだけましかも知れぬ。あれや、もっと人間離れしてしまった者を見るとそう思うのだ。
 元は皆同じ人間だった。
 主とて、同じ。
 やがて──彼は目的の部屋へとついた。
 飾り戸のノッカーを叩く。
「陛下」
「カーティスか。入れ」
 どこか楽しげな調子の声だった。
 カーティスは戸を開けると、小さく溜め息をついた。
 そこは昼間のように明るかった。色とりどりの花が咲き誇る、美しいが、歪んだ温室。季節外れの花が咲いている。冬に咲く花とサボテンが並び、当たり前のように花を咲かせている。
 異様な光景だった。
「どうした? 不機嫌な様子だが」
 その隣には、猫のような耳をした少年のような少女がいる。最近のお気に入りだと言う猫娘だろう。
「春日の行方をご存知でないでしょうか」
「春日? なぜ?」
「姿が見当たりません。また陛下の悪戯に振り回されているのではと思い、参りました」
 陛下──魔王アヤは首を横に振る。
 そうだろう。今はあの猫娘に夢中である様子だ。先ほどから、魔王自ら城案内を自らしていると噂されていた。力も強い。いい人材だ。将来はものになる。
「まあ、あれはそのうち出てくるでしょう」
「それだけか?」
「もちろん、陛下にはしていただきたい事があります」
「ハクとヨルにやらせておけ。あの二人も、たまには仕事をするべきだ」
「そう言われると思い、涙(るい)が手を回しております」
 アヤは顔を顰める。そんな表情すら、彼女にはよく似合う。美しい。
「では、何なのだ?」
「あの男の事です」
「……タケシか」
 彼女はため息をつく。悩まされているのは、皆同じ。あの男はいつも騒動の中枢にいる。
 不死者タケシ。死してなお相手の命を吸収して蘇る、光の民の「勇者」と呼ばれる男。その不死の呪いを与えたのは、他でもない。竜王ハクその人だった。友人が死ぬのは忍びないと。たったそれだけの理由で、眩暈が起こるほど素晴らしい力を発揮した。その結果が、今こうして災いの種を作る。かと言って、消し去る事は出来ない。こちらが死んで、相手が生きて。それで終わりだ。
「タケシって、光の?」
 猫娘が問う。アヤが頷く。そして先を促すようにカーティスを見た。
「珍しく単身で乗り込んでまいりました」
「何?」
 アヤの眉間にしわが出来る。
 タケシと言う男。この城に出向くのは常に誰かを連れてくる。その者達にアヤの力を見せ付けて、納得させるため。今まで単身で乗り込んできた事はない。
「皆恐れて近付こうとしません」
「それこそハクに言え」
「ヤツは陛下を指名しております。兄上の事で、と」
 アヤは舌打ちし、歩き出す。カーティスは案内するためその前を歩く。猫娘もアヤの後に続く。
 いつもなら春日が対応する。タケシという男とは、兄である冥王ヨルの繋がりで親交が深い。だが、今日はその春日もいない。その供であるミシェルもまた。
 たまには息抜きが必要だが、予告もなく姿を消されては困る。今回の事は減俸ものだ。
「お兄さん?」
 猫娘は問うがアヤは答えない。答えにくい問いだ。彼女は迷い、そして暗い廊下をただ歩く。
 案内した先は、ヤツを押し込めておいた応接室。応接室に汚らわしい存在を置いておくのも反吐がでるが、アヤをあの男に相応しいような部屋には連れられない。
 ドアを開くと、部屋には仕事を頼んだはずの竜王と冥王がいた。そして肝心のヤツは、秘書の涙に茶を出されていた。涙は地味な顔をした日本人の少女。本名は知らない。大切なのは、彼女が有能であること。彼女はアヤの姿を目にしてひざまづく。
「涙、それに何かを出す必要ない」
「いえ。わがままを言われる前にと。
 両王にお茶をお出しするのに、一人だけ出さないではお二人が気まずいでしょう。万が一不満を言って部屋を出て行けば、他の者が怯えてしまいます」
 確かに彼はいつもアヤに何度か殺された後、数日間居座る。その際に喉が渇いた、腹が減っただのとわがままを言って帰っていく。城の女に目をつけられる前に、何とかして満足させ追い返す。それが一番のように思われる。
「薫じゃないか」
 タケシは猫娘を見て呟いた。薫と呼ばれた猫娘は、つんとすましてアヤの後ろに控えている。
「さて、この私を呼び出して、どういうつもりだ?」
 タケシは薫から視線をアヤへと移す。
「いいのか?」
 ここにいる者たちを見て彼は言う。知らせたいのはアヤ──少なくとも三王だけにらしい。
「いい」
「なら言う。今朝、正宗さんに会った」
「それが? 死んでいないのだから、そんなこともあるだろう」
「春日をつれて、って言ったら?」
 ヨルが反射的に立ち上がった。
 アヤの目つきが険しくなる。
 ──誘拐されていたのか……。
「なんで春日が!?」
 兄であるヨルは目を剥いて目の前のケーキを食べることを中断した。
「様子が変だった」
 彼は涙の入れた茶を一口飲む。それから、ヨルとアヤを見比べて言った。
「春日が、えらく無口で無表情だった」
 彼は口を閉じていてもころころと表情が変わる。もちろん、正式な席では一定の顔を保ち続けられるが、私生活ではそのようなことはしない。
「ミストは?」
 その言葉に、アヤの眉間にしわが出来る。
「雰囲気が、あの人にとてもよく似てたんだ。あの春日が」
 確かに似ても似つかない雰囲気の二人だ。ミストとは、一人で部屋にこもるのを好む男。片や春日は外で元気に走り回るのを好む男。
「ふん。カーティス、調べて来い」
 アヤは振り返りもせずに言う。
「御意」
 彼は一礼し、来た道を戻る。
 ミスト──前魔王が封じられている場所を知る者はごく一握り。
 三王とカーティス。そして赤、青将軍。正式に知っているのはその程度だ。教えずとも分かる者もいるだろう。初めからカーティスについてきた勘のよい者。そしてミシェルのような、特殊な力を持つ者。
 カーティスはある程度の場所まで行くと空間を跳んだ。跳んだ先は、目的地ではない。ハクの実験室の前。ここは特殊な空間で、この周辺は探査系の能力は届きにくい。届きにくいのと、届かないのでは違う。ミシェルならば、おぼろげに見る事は出来るだろう。が、この部屋の中を見る事は出来ないはずだ。ここは、三王の秘密そのものまでもが眠っている。
 ここからカーティスは目的地へと跳ぶ。
 そこは闇に支配されていた。唯一その闇に打ち勝つのは、祭壇の両脇に浮かぶわずかに光る水晶玉のようなもの。何で出来ているかは知らない。ただ、その水晶玉は結界の要である事だけを知っていた。そして今、その要たる水晶玉にはひびが入っていた。かろうじて球に近い形をして浮かんでいる。その程度だった。
 祭壇に近付き、中の様子を見ようとした。途中、何かを踏んだ。足をのけ、力で光を生み出し下を見る。
 知った男が倒れていた。
 黄金色の髪に、幼さの抜けぬ顔立ち。額に線がある。それは第三の目。千里眼のミシェルだった。
「おい、起きろ」
 頭を蹴る。やがて彼はぎゅっと目をつぶり、身を丸める。
 血が辺りに広がっていた。死ぬほどの出血ではない。怪我も浅くはないが深くもない。
「いっ……つ……」
「何があった」
 彼は起きあがろうとして、再び床に転がった。そして治療を始め、ある程度の傷を塞ぐと口を開く。
「分かりません。ただ、この祭壇に誰かが入ったら知らせるようにと言われていたので、春日にその事を言ったら血相を変えてここに……」
 そこで一度休む。騒ぎ立てないだけマシだろう。自ら治療をする余裕があれば、ここに着て三ヶ月の素人としては十分だ。
「そうしたら、男がいて……」
「東洋人の男か?」
「黒い髪の男でした。顔はよく分からなかった。その男が春日に何かして……その後から記憶がありません。申し訳ありません」
「いや、生きていただけ立派だ。褒めてやる」
 カーティスは祭壇へと歩み寄る。
 そこには一人の男が横たわっている。まだ若い東洋人。仮の名をミスト。前魔王、ミストが眠っている。
 眠っているだけ。
「中身がないな」
 中身だけが、もって行かれた。この眠りの封印を解くことが出来なかったのだろう。水晶の殻を傷つける事は出来ても、魔王と竜王がそれぞれ作り上げた核は破壊できなかったらしい。
 だから中身をもって行った。
 春日を仮の器とし。
「……痛いな」
 いい人材を持っていかれた。春日の精神が壊されていなければよいが。
「閣下、春日は……」
「これは私だけの手に負える事ではない。とりあえず、お前は治療を受けてろ。そしてここで見た事はまだ誰にも言うな」
 ミシェルは身を起し、片膝をついて肩で息をする。
「いいな」
「…………分かりました」
 カーティスはミシェルに肩を貸す。甘やかす気はないが、さすがにここは場所が悪い。


 眩暈がした。
 日はとうに沈み、時計もそろそろ深夜と呼ぶような時間帯へと進んでいた。
 ここ最近ろくに食事も取っていないのが原因だ。実のところ、今夜にでもと考えていた。だがしかし、さすがに今夜は無理だ。城を離れるわけにはいかない。知る者が少ないからこそ、彼に負担がかかってくる。かと言って、アヤ自らが堂々と動けば、皆が何事かと思うだろう。ただでさえ、春日の姿がなくミシェルや春日の側近数人で皆の指揮をとっているのだ。初めはいつものようにアヤに振り回されていると思うだろうが、しばらくすれば怪しまれる。そしてもう一人の将軍はここにはいない。かなり離れた土地で、色々と忙しく働いている。国境周辺は問題が絶えないのだ。呼び戻すにももう少し時間がいる。
 とりあえず至急の書類を眺めているとき、ドアがノックされた。
「涙か。入れ」
「カーティス様。指示の通り、信頼の置ける者達を見張りに立てました」
「そうか。ご苦労」
 そして次の指示を考える。
「見張りとの通信者は?」
「レックスが」
「そうか。ならお前は休むといい。疲れただろう」
 涙は首を横に振る。
「私の事よりも、閣下がお食事を。その間に何かあれば、私が指揮を執ります」
「いや、いい」
 信頼していないわけではない。彼女をミスト関係の事にあまり関わりを持たせたくないだけだ。
 言えば平気だと言うだろう。何を知っても、平然を装うだろう。
 それに長けた女だ。どんな育ち方をしたかは知らないが、この娘は自身の制御に長けている。その半面、爆発したときの反動が大きいが。
「私ではご不満ですか?」
 彼女は直球で問い返す。
「そんなことはない。信頼している」
 そうでなければ、仕事で女を側になど置かない。
「無理をなさらないで下さい」
「無理はしていない。いつものことだ」
 食事と言うものが、あまり好きではない。だから無理をして、出来るだけ忘れる事にしている。
「そうやって無理して、また涙を押し倒すんだ」
 突然、アヤが机の影から現れた。しゃがみこんだ姿勢で腕で膝を抱え、じっとカーティスを見上げてくる。
「い……いつからそこにいらしたのですか?」
「さっき」
 反対側からハクが顔を出す。アヤと似たようなポーズをとっている。
「暇なのですか?」
「いいや。結界の修繕が終わったところ。で、涙を見かけてついてきたと。どうせ君がまた無理しているだろうからね」
 普段カーティスが苦労しているのは、この二人のせいだ。それを二人とも自覚して言う。
 ハクは立ち上がり、アヤの隣へと歩く。
「カーティス。万が一涙を傷ものにしてごらん。この私が許さないからな」
 アヤは唇だけ笑みの形にして言った。
「僕としては、涙を泣かせたら、その時点で許さないよ。前のときなんて、びっくりして薬品落として爆発したし」
 ハクはまるで人のせいであるかのように言う。
 確かに飢えで見境がなくなり、身近な女を喰らおうとした事はあるようだ。あまり記憶にはないが、アヤに闇蜘蛛達の中に叩き込まれたのだけはよく覚えている。
「カーティス。お前はあまり無理をするな。特に腹が減ったら遠慮なく食って来い。みんなに迷惑だから。とくに涙を餌食にしようとしたときは。
 お前の場合、食われていると分かっていても女どもは喜ぶしな。何を遠慮する事がある? その間は、私とてちゃんと魔王らしく振舞ってやる」
「……それは、確かですか?」
 彼女が自ら仕事をしようというのは珍しい。むしろ、それを避けて皆を鍛えているようにも見える。
「お前の食事の間だけな」
 ずいぶんと限定されている。
「だから、涙を泣かせるような事をするな」
「もちろんです」
 涙は一度泣くと、こちらが気を失う頃になるまで泣き続ける。離れていてもそうとうなダメージを受ける。そのたびに皆から
「また閣下が涙様を泣かせた」
 とか
「耳が痛い」
 とか
「未だに頭の中に響いている」
 などと後ろ指を差されるのだ。泣き女──バンシーが泣くのは当然であると言うのに。そして一番間近で聞かされるのはカーティス自身である。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
 アヤは満足げに頷いた。
 確かに、あのまま言い合っていれば、涙が泣き始める可能性もあった。また闇蜘蛛達の中に叩き込まれてはたまったものではない。
 例え、彼女が約束破りの常習犯だとしても。今だけは信じてもいいだろう。
 カーティスは夜の界隈へと向かう。
 女達を食らうため。

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あとがき