5、闇寄りの光 〜ある意味最強の少女〜

 不機嫌だった。
 何もかも内緒。それはいい。だが、いくらなんでも弟のように可愛がっていた春日が行方不明になった理由ぐらい教えてくれたっていいじゃないか。
 美鈴はそう考え、不機嫌になっていた。
「美鈴、元気出して」
 ミシェルが慰める。一時期、彼はひどい怪我を負っていた。魔法医によってその表面的な傷は治されたが、まだ治りきっていない。動きを見ていれば分かる。
「……」
 不機嫌を顔に出し、困らせるようそっぽを向く。
 はじめから、仲間はずれになる事は予測しいた。
 幼馴染の冬夜(とうや)。親友のあやめ。その両方の繋がりから親しくなった白露(はくろ)。皆、遠いところに行ってしまった。
 唯一遠いようでいて近いのは、昔はチビだったが今ではすっかりのっぽの武(たけし)。遠いような気がするのは、彼がここで八年も生活しているからだ。つまりは、同級生ではなくなってしまったから。そして、昔に比べるとずいぶんと逞しくなった。
「タケシ、知ってるんなら教えなさい」
「いや、アヤにまた殺されるからいい」
「何よ。それぐらい我慢しなさいよ」
「…………」
 タケシは小さくため息をつく。意気地のない。
「そんなんだから、いつも振られるのよ」
 その言葉にフェミナが頷く。ちなみに美鈴が彼を振ったのは、中二の時。突然呼び出されて裏庭で告白されたその瞬間だった。そしてフェミナが彼を振ったのは、彼女達と出会う前のことだったらしい。
「ほんと、あんたって昔から振られるの得意よね」
「そんなに振られていらっしゃるんですか?」
 お茶を持ってきてくれた涙が首をかしげた。いつもはカーティスにべったりの彼女が。
 ──隠すつもりもないのかしらねぇ、これは。
 涙の今ここでの存在は、彼女の中の小さな炎に油を注いでいた。おそらく同じ女性だからというアヤの配慮だろう。
 そうとも知らず、涙はタケシを見て呟いた。
「まあ。じゃあ、あんなに遠慮する事はなかったのですね」
 どうやら、この最凶の泣き女も彼のことを振ったことがあるらしい。彼女はいかにも大和撫子といった、大人しい感じの少女だ。そしてあのカーティスの、有能と評判の秘書。
「あんたも、高望みしなければいいのに」
 美鈴は笑ってやる。仲間はずれにした罰だ。
「……そういえば、ローザも口説いてたよね、前。遠まわしにフられてたけど」
 ティーカップを睨んでいた薫が、突然顔を上げて言う。おそらく、猫舌だから熱くてまだ飲めないのだ。
「ローザを? どうしようもない男だな。貴様、自分の顔を鏡で見た事はあるか? 凡人」
 ヨルの下僕、マリウスがきっぱりと言う。
 別に顔は悪くない。いいというわけでもないが、それを補う逞しい体つきをしているので、モテないことも無いだろう。ただ、彼が好きになる相手は、他に好きな人がいたり、恋愛にすら興味がなかったりするのだ。
「こいつさぁ。昔アヤにも告白してたのよ」
 その言葉に、皆は絶句した。
「陛下に告白して、よく生きていられたね」
 ミシェルは呆然としてタケシを見る。
「あの頃は、大人しい……内気で控えめな女の子だったんだよっ」
 タケシは唾棄するように言った。彼にとって、その事は人生の汚点なのだろう。
「ヨルと同じ事言ってる……」
 ミシェルが額の目まで瞬きさせる。彼は滅多に千里眼を閉じない。目を閉じると、その能力が機能しなくなるからだ。
 美鈴は内心せせら笑いながらカップを手にしたころ、皆はなぜか一斉に美鈴を見る。
「やぁねぇ。本当よ」
 皆はそれぞれ黙り込んだり顔色を変えたりする。美鈴自身、再会したときはこの世の終わりかと思うほどの変貌ぶりに驚いたものだ。もちろん今ではもう慣れた。思えば小さな頃に亡くなったアヤの父親は、かなりのオタクだった。お屋敷と呼べる広い家の一室に、漫画専用の書庫があったほど。彼女もその血を受け継いでいたということだ。
「時は人を変えるのよ」
「変えすぎだ、あれは。俺が来たときにはもうああだぜ」
 彼はこちらに来て八年経っている。確かツーリングに行ってそのまま行方不明になったのが四ヶ月前。アヤとハクが消えたのが半年ほど前。つまりたった半年でアヤは十歳年を取った。恐ろしいほど時の流れの差がある。
「幼い頃の陛下もさぞお美しかったのだろうな」
 マリウスが呟く。何を思い浮かべているのかは分からない。合っているのか間違っているのかもよく分からない。彼のアヤに対する妄想など、いつもの事だ。気にしない、何も口出ししないのが一番賢い。馬鹿につける薬はないのだから。
「とにかく可愛かったわねぇ。高値の花すぎて、この馬鹿以外は誰も告らなかったわよ。ハクちゃんって、見目麗しくも強い護衛がいたし。ヨルも見てただけだしね」
 一番ショックを受けたのもヨル。一番対応が変わったのもヨル。なのに根本が変わらなかったのもヨルだけ。あれでも好きだと言える彼の思いに驚いた。
 ──まったく、馬鹿みたいよねぇ。
 親友の自分がどうしていいのか分からなかったのに、彼はさっさと自分の立ち位地を決めてしまった。
「ほんと、今じゃあ男前になっちゃって……」
「複雑ねぇ」
 フェミナがお茶を飲みながら言った。複雑だ。口説かれるのだ。今日も可愛いね、とか。美鈴は私の一番大切な人だとか。
 男の姿で言うのだ。女だと分かっていても、くらりときてしまうほど格好いい。どうしたらいいのか分からなくなる。あれはそれを理解して、面白がってやっているのだ。
「アヤって、本当にどうにかならないものかしらねぇ」
「無理だな。あいつはああいうキャラを作り上げちまってる。昔に戻る事があっても、ハクの前だけだろ」
 二人はとても仲のよい従兄妹だった。控えめで大人しくて、綺麗で頭がいい。二人はいつも一緒で、それに美鈴とヨルが混じる。タケシも無理矢理混じってきた。五人で行動する事が多くなり……なのに突然アヤとハクが消え。
 今でもよく分からない。一体、何なのだろう。
 ここは何なのだろう?
 アヤは自分で理解しなければ意味がないという。冥王のヨルですら、自ら気づけと言われていた。彼は薄々気づいているようだが、自分には分からない。
「ねえ、タケシ。この世界って、何なのかな?」
「世の中、知らない方がいいこともある。って、ハクが言っていた」
 タケシは苦笑いする。知っているのか知らないのか。それすらも判断できない。昔の彼ならすぐに顔に出た。
 皆変わった。ヨルも変わった。変わらないのは自分だけ。弱いのは自分だけ。
 不公平だ。一人だけ、遠い場所にいるようで。
 とても悲しいと思う。
 とても……。


 窓辺に立って外を見た。美鈴達に与えられたこの豪華な談話室はとても眺めがいい。アヤがよく使用するからだろう。それとも、アヤがこの部屋を自分たち用にするように言いつけたのかもしれない。これだけ人数がいて、狭く感じない広い部屋。いつも使用するのは美鈴とフェミナ。そしてミシェルと春日が混じり、アヤが来る。その程度。これほどの人数が集まるのも珍しい。
 空はやや赤くなっている。そろそろ夕方だった。この世界でも太陽と月は一つずつ。元の世界とまったく同じ夕日の始まり。
 本当にここは何なのだろうか。
 異世界。
 そんなことは皆知っている。ただ、あまりにもおかしい。あの三人が特殊で、人間に角や翼が生えて、死んでもアンデットとして蘇る。
 そんな子供の描いたような都合のいい世界、ありえるはずがない。
 そう。誰かが考え出したような……。
 馬鹿らしい考え。だが、これも正解だと思う。理屈と細かな事は分からない。ただ、アヤやハク、そしてヨルの言動を注意深く探っていると、そう結論付けてしまう他にない。
「どしたの? 恐い顔して」
 フェミナが美鈴を背後から抱きしめる。彼女は可愛い。人形のように可愛い。アヤに溺愛されるほど可愛い。ここに来てからできた、初めての友人。とても弓の扱いが上手く、元の世界でも、大きな大会でいい成績を取っていたらしい。
「だって、私だけよ、友達組で手がかりもなければ教えてももらえないのって」
「もう、すねちゃって」
 彼女は美鈴の頬をつつく。自分よりもずっと可愛げのある「女の子」だ。美鈴は女だが、まともに女の子扱いを受ける事は少なかった。男どもと対等にありたいと思い強くなったのだが、強くなりすぎていた。腕力で敵わない分技術を身につけ、大会でも優勝した。お前が男だったらなと言われたこともある。体格と力。それがあれば、と。そして男とケンカして勝っても、女に本気が出せるかといわれる。
 それが悔しくなって、冬夜に技をかけた。彼は抵抗しながらも、本気では抵抗しなかった。それが憎たらしくて、思い切り痛くしてやった。それでも彼は抵抗をしなかった。
 だから、認めてやっている。
 言い訳はしないし、本当にされるがままになっていたから。彼は、男どもにありがちな、仕方なくやられてやっているという態度も気持ちもなかった。
 何だかんだ言って、女のわがままを聞いて、罵しられて、それでも変わらないというのは、もう認めるしかない。そんな男は滅多にいない。
 だがら、好きなのだ。
 だけど彼はアヤが好き。
 知っているし、受け入れている。
 どうなろうと知った事ではないし、この気持ちを彼に押し付けて困らせる気もない。どうせ、結果は見えている。それもで動かないのは臆病だと言う者もいるが、相手を困らせてどうなるというのだ。自分の満足ために、人を困らせてどうするつもりなのか。
 それで実は俺もとか、気が変わったりするのは女の子向けのくだらない漫画の世界だ。それで関係が崩れるのは当然で、彼が気まずく思ってどうしたらいいのか分からなくなるのは当然で、そんなこともなかったように友達としてやっていけるような軽い人間、好きになったりなどしない。
 押し付けることは醜い。
 だから何もしない。我慢はしていない。あの二人は好き。だから許してやる。しかし、思っているのは自分の自由だ。誰に身分不相応と言われようとも。
「絶対に突き止めてやる」
 せめて、見える位置に行きたい。
「美鈴ちゃんらしいね」
「当然でしょ。光とか闇とか関係ないし、偉そうな肩書きも関係ないって、教えてやらなくちゃ。庶民の根性、見せてやる!」
 美鈴はガッツポーズを取る。
「んじゃ、ちょっくら行って来るね」
 フェミナにだけ聞こえるように言う。なぜかミシェルと涙は、自分たちを一人にしないようにしていた。
 巻き込まれようとしている可能性があるなら、知る権利がある。フェミナは兄を信じているようだが、美鈴は身内でもなんでもない。信じてやる義理もない。
 ミシェルの口を封じ、彼らをこんな場所に置いて置けるのはアヤ達だけだ。
 だから下っ端では魔王を恐れて何も言わない。
 なら直接聞き出してやる。ヨルのヤツに。そのために、しなければならない事がある。


 この城の通路は、場所によって千差万別だ。
 元の世界の本で見たような美しい回廊もあれば、お城の廊下のイメージそのものの場所もある。そして現在美鈴がいるのは、魔王の城に相応しい、闇に支配されているかのような暗い通路。
 闇蜘蛛の美女達が潜み、やってくる男たちを引きずり込もうと虎視眈々と狙っているのだ。そんな彼女たちと、美鈴は面識を持つようになっていた。
 アヤのハーレムのお高く留まった女たちよりも、ずっと気が合う。
「はーい、お姉様方」
 美鈴が手を振ると、闇の中から下半身が蜘蛛の美女達がわらわらと出てくる。その中央に、一際大きく美しい闇蜘蛛がいた。
「はぁあい、ミスズ。元気そうね」
「ねえ、姉さんたちは春ちゃんどうなったかしらない?」
「私たちが知っているのは、春ちゃん青将軍様と、千里眼様が慌てて隠し扉に向かわれた事。そして、出てきたときは傷だらけの千里眼様だけだったこと。それぐらいよ。参考になったかしら? 可愛い美鈴ちゃん」
 美鈴は頷く。
 彼女たちはとても親切だ。彼女たちはアヤに口止めされているわけではないのだろう。彼女たちに聞く者がいないのは、彼女たちを快く思わない者ばかりだから。いや、唯一アヤ以外で彼女たちに気をかけていたのが春日だった。彼女たちも真剣に話を聞いてくれる少年は食料扱いしなかった。
「ええ、とっても素敵よ、イザベラ姉さん。
 で、それどこ?」
「あっち」
 さらに暗い方を指差す。暗く見える方だ明かりが少ないわけではない。暗く見えてしまうのだ。まるでこちらには来るなとばかりに。
「しばらく行くと、隠し扉があるの。そうね。ちょうど三十一番目の明かりのところよ。今は壊れているから、押せば開くわ。あの二人、すごく慌ててたから秘密の部屋なのよ、きっと」
 彼女は艶麗な笑みを浮かべ、手を振るように指を曲げ伸ばしした。こんな美女にこんな風にされたら、男などいちころだろう。ここは暗くて下半身は見えにくいから。
 さすがは城の影の支配者と呼ばれている闇蜘蛛の女王。彼女ほど頼りになる存在は他にいない。他は自分を安全な場所に置いておきたいという奴らばかりだ。
 ヨルの口を割らせるには、ある程度知らなければならない。原因を、少しでも。何かあった場所になら何かあるかもしれない。
「ありがと。ちょっとだけ見てくる」
 少しだけ。アヤ達の秘密の部屋を見よう。
 秘密など暴くために存在するのだ。暴かれた方が悪い。だから彼女は迷わずそこへ走って向かった。
 炎のようにも見える、壁に張り付いた不思議な光を数えていく。間隔は広いので、三十一個目のところにつくと、彼女は少し息を切らしていた。
 扉はすぐに分かった。壁のところに線がある。とりあえず閉めているだけのようだ。明らかな隠し扉に無断で入る馬鹿はいない。アヤがその手の事が好きなタイプなので、余計に誰も入りたがらない。だからこそ隠されていない。
 美鈴は隠し扉を開く。
 中に明かりはなかった。美鈴は呪文を唱える。この世界に来てから暇で暇で仕方がなかったので、ない才能を総動員して魔法を覚えた。炎を出す程度なら、出来るようになった。今必要なのは熱のないただの光。とても簡単なのだが、これをマスターするにも時間がかかった。
「何?」
 そこは祭壇のようだった。変な人の頭ぐらいはありそうな水晶玉のようなモノが二つ、宙で停止している。
「何あれ」
 美鈴は迷うことなく近付づいた。危険だとか、そういう考えはなかった。危険があれば、さすがに封鎖されているはずだ。美鈴は祭壇の元まで行き、そこに誰かが横たわっている事に気がついた。
 その人物の顔を光の下に照らす。
 知った顔。
「は……破霧お兄さん!?」
 アヤの兄、破霧(はぎり)だ。ちなみにこの奇妙な名前は、趣味人の父親がつけたらしい。娘に「殺」と書いて無理矢理「あやめ」と読む名前をつけた男だ。もちろん、そんな恐ろしい名前、役所は受け取りを拒否したらしく、仕方なく戸籍上はあやめにしたらしい。
 美鈴はそっと彼の頬に触れる。
 やや冷たいがぬくもりはある。顔色が悪く見えるのは、元々彼が色白だからだろう。一瞬死んでいるのかと思い驚いた。だが、ただ寝ているにしろ驚くべき事である。
「どうしてこんなところに……」
 この人が?
 思った時、突然肩を掴まれた。ひぃと小さく息を呑み、振り返るとアヤがいた。
「ここで何をしているのかな? 私の愛しい美鈴ちゃん」
 男の腕で後ろから腰に腕を回し、耳朶に吐息がかかる距離で呟いた。
 正直、今まで生きてきてこれほどあらゆる意味でどきどきする事はなかった。今の彼女には、いつもどきどきさせられる。良くも悪くも。
「見ちゃったんだね」
「隠すからいけないのよ」
 美鈴はアヤの腕の中で無理矢理回り、向き合う体勢となる。その後ろには、ハクとヨルもいた。
「涙とミシェルは?」
「涙さんは仕事の関係で少し席を外してたわ。ミシェル君は、乙女心ぐらい察しなさいって言ったら、ついてこなかったわ」
 あの談話室は、一部屋だけではない。トイレもついているが、出口に近い場所にある。
「馬鹿ねぇ、アヤ。ミシェル君ぐらい、どうって事ないのよ」
「見くびっていたよ、美鈴ちゃん」
 千里眼は万能ではない。本人に見る意思がなければ見れないのだ。ミシェルはとても真面目だ。覗きにその力を使う事はない。いや、それが発覚した場合、姉とアヤに嫌われるのを恐れているからという理由もあるだろう。
「説明してくれるわよね? どうしてはぎっ」
 口をふさがれる。いや、実際には何もされていない。だが、口が動かない。顎も、唇も、舌も。
「本名で呼んではいけない。今、これの名はミストだ」
 その瞬間、口元に働いていた目に見えない干渉は消え去る。
「ミスト……って」
 アヤの前の魔王の名前。
「お兄さんが……どうして……」
 優しい人だった。いつもぽーっとしている他に類を見ない天然で、ほっとくと周囲に鳥や野良猫などの動物がたかっている。そんな謎の人だった。だが、美鈴が遊びに来ると、いつも恥ずかしそうにしながらジュースやお菓子を運んできてくれた。アヤ以上の天才で、ハンサムで、近所どころではなく有名な人だった。
 彼もまた、行方不明になっていたような気がする。確か他にも何かあったような気がするが、あまりよく覚えていない。覚えていないなどおかしい。何かをされている。それが分かるから腹立たしい。
「美鈴ちゃん。世の中、知らないほうがいい事があるんだ。この事は忘れな」
 アヤは言う。ここまで来て。
「ヨル!」
「っ!?」
 美鈴はアヤの腕から抜け出し、ヨルの背後へと回る。アヤは自分の腕から抜け出した美鈴を呆然として見た。彼女は、ただ軽く抱いていただけだ。座り込むようにすれば、抜け出せる。
 美鈴が自分に向かってくると分かると、ヨルは逃げようとした。が、そこは慣れているのであっさりと捕らえる事に成功した。そのまま間接を極めてやる。
「い〜いご身分ねぇ、あんた」
「ぐえっ」
「私だけ仲間はずれで、あんたが特別知ってるなんて、なんかムカつく」
「言いがかり……いたたたた、マジ! マジでっ!」
 当然だ。ヨルは身体が硬い。痛くないはずがない。それを見かねて、ハクが声を掛けてきた。
「美鈴、別に仲間はずれにしようってわけじゃないんだよ。そろそろヨル君を離し……」
「黙ってて。ただストレス発散させると同時に、落ち着こうと努力してるだけだから」
「いや……」
 彼は口ごもる。昔からそうだ。彼はこうやって強く出ると、何も言わなくなる。理由は分からないが、美鈴に対しては今も昔も変わらない。
 ──なのに……
「私たちに見張りをつけて、ここにはお兄さんがいて、んで豪勢な顔ぶれがわざわざここに来て。それでも隠そうって言うんなら、切れるわよ!」
 怒っていた。本気で。教えてくれないのは仕方がないと思う。しかし、それは自分にかかわりのない事に関してのみだ。ミシェルが死にかけて、春日が消えて、破霧がここで寝ていて。そこまではいい。それは部外者でしかない美鈴には、関係のないことだ。しかし護衛がつく。つまりは何らかの形で巻き込まれる可能性がある。そんな状況になって何も教えられないのは、屈辱だ。
「私はね、関係しながら何も分からないなんて、絶対にイヤ! この屈辱分かる? わかんないなら、私はあんたたちなんてもう知らない! ここ出てくから!」
 その言葉に、突然アヤは笑いだす。声を立てて。ヨルは憮然とする。
 保護してくれているつもりなのだろう。例え自分よりも強くても、女だから守ってやらなければならない。そう思っている男だ、彼は。
 あの時だって……
 ──あの時?
 何かが引っかかる。思い出せない。何を忘れている? 何を消されている?
「分かったよ。教えとくから、ヨルを離してやってくれ。ここじゃ何だから、ハクの部屋で」
 アヤが言い終えると、ハクが消えた。美鈴はヨルを解放する。そして、アヤと手をつなぎ、ハクの部屋へと跳んだ。


 ハクの部屋。何室もあるうちの、一番手前の部屋。まるでホテルのような、豪華だが、見本のように綺麗なだけの部屋。ここには四人以外には誰もいない。そこのソファに腰をかけて説明を受けた。給仕がいないので、飲み物も何もない。ただ話し合うだけ。
「そう」
 あの破霧──ミストが前魔王で、彼の友人がそれを利用して暴虐の限りをつくし、どうしようもなくなって封じた。
 誰かが彼の地位を利用していたなら、彼を封じる必要などなかったのではないかと思うが、本当にその必要があったらしい。
「その友人ってのは?」
「正宗ってやつ」
 知らない名前だ。
「何者?」
「普通の闇の民に近い。あれだけだと、害はない。本体のミストがいると、害にしかならない。ミストは正宗の言葉に従ってしまうから」
「なんで?」
「それは知る必要のない事だ。まあ、危険人物だと認識していれば問題ない。これに関しては答えられない」
 美鈴は歯噛みする。仕方がないことだと自らに言い聞かせた。
「で、結局なんで私にミシェルをつけてたの?」
「君が狙われる可能性があるから」
 美鈴は首を傾げる。
「なんで?」
 所詮親友の兄と見知らぬ人だ。恨まれるような事をした覚えはない。
「二人は──ミスとは君が好きだから」
「何ふざけた事言ってんの。誤魔化してないで素直にはけ」
 美鈴はふざけるアヤを冷たい目で見る。あやは肩をすくめ、ハクを見た。ハクはぎくりとしてアヤを見つめ返す。
「…………ええと、美鈴。実は本当の事なんだ」
 美鈴はハクの正気を疑った。いつもヨルに好きだとか、ふざけた事を言って遊んでいるようなふざけた男だ。アヤも似たようなもの。
「信用ないな、お前ら」
 美鈴の隣のソファに座っていたヨルは、二人に呆れた様子の目を向ける。
「美鈴、一応本当らしいから」
 ヨルは呆れ顔のまま、どうでもよさそうな調子で言う。
「なんで?」
「さあ。俺、二人とも知らないし」
 それはそうだ。彼はアヤの家にあがった事はないはずだ。
「見知らぬ男ならともかく、なんでお兄さんまで?」
「いや、人に興味のない兄さんが、あんなに人に構いたがるなんて異常だったし。まあ、他人から見れば普通でも、私たちから見れば兄さんが普通になったんじゃないかって心配するほど変な行動だったんだ」
 分からない。何かした覚えもない。彼のようなハンサムで出来のいい人に、惚れられるほどの美人でもない。何か特別な経験もない。遊びに行って、アヤがいなくて帰ってくるのを待っている間、いっしょに日向ぼっこをした程度だろう。
「なんで?」
 今度はアヤへと問う。
「さあ。そればかりは本人たちに聞いてみないと。家族も怯えて、誰一人として本人たちに聞けなかったからな」
 それはそれですごい家族だ。家族の中にも触れられない部分があるのは当然だが、それがずれている。
「というわけだから、貞操が心配なら、一人にはならない方がいい」
「脅すにしても、もっと品のある脅しかたしてよ。お兄さんがそんな事するはずないでしょ」
「それはそうなのだが、気をつけて欲しいということだ。正宗の方も美鈴ちゃんには基本的に嫌がる事はしないと思うが……誘拐される可能性は高い」
 その一言に、さすがに考える。一人にならない方がいいというのは、本当だろう。何をそんなに気に入られたのかもよく分からないが。
「今夜から、私が添い寝してあげよう、美鈴ちゃん」
 アヤが格好付けたポーズを取って言う。本当に愉快なキャラに成り下がっている。何に影響を受けて、何を思ってこんなキャラを作ったのか。
「女の子に戻ってならいいけど」
 ゆっくりと聞いてみようと思う。彼女はなぜ男の姿を好んでいるのか。
「ふふん。羨ましいだろう、貴様ら。生来の性別の特権だ」
 抱きしめられ、ほお擦りをされ、美鈴は内心ため息をつく。
 本当に、世の中知らないほうがいいこともあるのだけど、やはり知りたいと思うのが人のさが。今度はアヤの秘密を暴いてやる。

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あとがき