6、不死者 〜不屈の振られ男〜
囁き声が聞こえる。
「げ、タケシ」
「不吉なもん見ちまった」
「まあ、汚らわしい」
「なぜあんなのを竜王様は……」
「冥王様ならともかく……」
ひそひそひそひそ。隠すつもりもないのだろう。殺しさえしなければ、基本的に無害。それが闇の民がタケシに下している評価だ。
殺されれば、相手の命を吸収し生き返る。それが彼にかけられた呪い。ハクは親切心半分、悪戯心半分でかけたに違いない。
タケシはそこまで弱いわけでもないし、わざと死んだときと、アヤに殺される以外は死んだ事はない。つまり、アヤ以外に殺された事はないのだ。
今では誰も殺そうとしないのだが、昔はよく殺されかけた。しかしアヤ以外には殺されたことはなかった。おそらくはハクのおかげだ。彼にコツを叩き込まれ、自分の力を使いこなせるようになった。だからこそ光の民でありながら、闇の民の中でも通用する実力を身につけた。
もちろん、側近クラスには敵わない。カーティスなど天上の存在だし、戦闘向きでないミシェルにすらなんとか勝てるという程度。しかし、それでも世間では十分通用するのだ。
だからこそ、皆タケシを恐れる。
光の民でありながら、歪んでまで強い力を手に入れた自分たちよりも強いから。
竜王の加護を受けているから。
嫉妬される。恨まれる。
「気にすんなよ」
言うのはヨル。冥王ヨル。
「冥王様まであんな輩と……」
「なぜあの男ばかり」
などという言葉は耳に入っているのかいないのか。
この少年は最近アヤの影響で性格が歪んできていた。旅に出たと聞いて安心していたのに、早くも戻ってきていたときは驚いた。そして、薫を連れていたことにも。
「そういえば、薫はなぜお前たちと一緒にいるたんだ?」
ミシェルに聞いたところ、薫はヨルが連れていたらしい。いかにもアヤが好む容姿をしている薫をだ。気になって仕方がなかったのだが、聞ける状況ではなかった。今でこそ落ち着いているが、春日がいなくなった当初、彼は情緒不安定だった。
「町で偶然出会ってさ。お前に俺の事を聞いたって」
「あ……」
今更ながら彼は自分の言った事を思い出した。
「で薫が闇の民だと分かったら、アヤが連れていけって」
「あいつが?」
「まあ、色々と思うことがあるんだろうな。ほら。いきなりこんな場所に放り出したら、絶対にストレスにしかならないだろ。マリウスみたいなのだったら平気だろうけど、あいつはけっこう繊細だから」
ヨルはくすくすと笑う。薫が繊細であることなど知らない。何もかも知らなかった。ただ、戻りたいという友人に付き合い、戻りたいと思うようにしていた元気で気のいい奴。しかも、男の子だと思っていたら、女の子だった。しかもよく見れば可愛い。アヤ直々のコーディネイトであろう服は、ボーイッシュだが彼女の女の子らしさも引き出していた。
タケシは己の観察力のなさが情けなくなってきた。
あの薫を男だと思いこんでいたなど。
「薫って、可愛いよな」
タケシは呟いた。
「……お前さ、けっこう守備範囲広いな」
ヨルが明後日の方角を見ながら呟いた。
「そうか?」
「だって、大人から子供まで。手広いと以外なんて言うんだよ?」
タケシは過去好きになった女性たちを思い出し、頷いた。
「みんな美人だった」
「……お前、ちっとは自分に似合う女好きになれよ」
「美鈴は俺に似合わないのか? フェミナは俺に似合わないのか?」
「美鈴ぐらいならありだと思うけどな。同じ国の者同士だし。でも、黄色人種以外は似合わない気がするな」
ヨルという男は昔から嘘のつけない奴だった。友達には絶対に冗談以外では嘘をつかなかった。それが「冬夜」らしさだと言えよう。少しぐらい嘘をついて欲しいとも思う。綺麗な白人や、セクシーな黒人の美女に恋して何が悪い。
「しかしお前も大変だなぁ、嫌われて。マリウスみたいに鼻で笑ってやればいいのに」
「マリウス? ヤだね、あんなクソ野郎」
タケシの言葉を聞き、夜は眉間にしわを寄せた。
「……お前、どうしてそんなにマリウスが嫌いなんだ?
確かにあいつはちょっと嫌な奴だけど、けっこういいところもあるんだけどな」
「あの女好きの変態野郎が? 女性を弄んで捨てる最低野郎じゃないか!」
ヨルが首をかしげた。そして……。
「誰が変態の最低野郎だと?」
ヨルが手を上げた。
「落ち着け、マリウス」
マリウスは、押し殺していた殺意を解き放つ。細められた瞳の奥に、危ない光が宿っている。それをその背後から眺めるのは、薫と葵の二人だった。
「ヨル。そこをどけ。今度こそ殺してやると言いたいが、せっかく生き返るために溜めた力を持ってかれてもたまらないからな。半殺しにしてやる」
冷静を装っているが、明らかに目の色が変わっていた。
「やめとけって、マリウス。
だいたい、お前らなんでそんなに仲悪いんだ? タケシも自分よりもてる男が憎いのは理解できるけどな」
ヨルは首をかしげた。
──相変わらず、本当に素直な……。
素直すぎると言うか、馬鹿すぎると言うか。おそらく悪気はないのだろう。アヤのせいで、頭の中身やら考えが減っているのもあるだろう。しかし、それにしてもひどい男だ。確かにマリウスは背が高くてハンサムで、女性に対しては紳士的だ。しかし、ここで折れるわけにはいかない。男として。
「こいつはなぁ、俺が三十五番目に好きになった人をあっさり寝取って捨てたんだぞ!」
「馬鹿か貴様。あれは彼女の方から言い寄ってきたと言っただろう。お前と違って、私は女性の方から寄ってくるんだ。
だいたい、貴様はその後しつこく逆恨みの因縁をつけてたあげく、苛立ってついしてしまった攻撃を、わざと食らって死んだだろう! 私はそのせいでこんなガキの元で……くっ」
マリウスは拳を握り締め、唇を噛む。よほど悔しいのか、牙が鋭く爪も手入れしているから、拳と唇から血が流れていた。
「マリウス、おちついて。マリウスの悔しい気持ちは分かったから」
「人生最大級の不幸でございますね。ああいった自分よりも優れたお方に嫉妬する輩に絡まれた己の不運を呪いなさいませ」
薫と空中に正座する葵がマリウスを慰める。この三人は、なぜかいつも一緒にいるのだ。
「薫! そんな男の側にいると、そのうちひどい目に合うぞ!」
「…………どうして?」
薫は首をかしげた。
「マリウスはそんなことしないよ。ねぇ?」
「無論だ。私はお前を妹のように思う事にしている」
マリウスは薫の頭を撫でる。
「ほら」
「思うようにしてるって、思い込もうとしてるってことじゃないのか!?」
マリウスは薫の頭をなで、耳をなで、喉をなで始めた。まるきり本当の猫のようにごろごろと言い出す薫。
「薫は心配いらないって、あれは愛玩用だからな。アヤのお気に入りだし」
確かに杞憂かもしれない。アヤのお気に入りを食うほど馬鹿でもないはずだ。だがしかし薫も女だ。そりゃあ幼児体型だが、顔はとても可愛い。マリウスも気が変わるかもしれない。
「薫。そんな歪んだ男と一緒にいると、お前まで歪むぞ」
「わざと殺されて人を殺した人に言われても……」
確かに、わざと殺されたりはした。だがそれは知恵だ。だいたい、女性を弄んでいるのは本当のことなのに、それでもなぜ女が付いていくのか……。
「薫……お前も顔で人を選ぶのか?」
「タケシよりも、マリウスとの付き合いの方が長いし。親切に色々と教えてくれるんだよ。力の使い方とか。すごく分かりやすいの」
薫はマリウスの腕にしがみ付いた。
タケシは言いようのない悔しさに見舞われた。悔しい。なぜこれほどの屈辱を味合わなければならないのか。そう、すべてはあの男が悪い。
「たけぇ、マリウスにケンカ売るなよ。一応は俺の下僕だからな」
ヨルが、タケシの服の袖を引き、
「ふん。ヨルなんかの下僕に腹を立てるのは確かに馬鹿らしいな」
タケシは頬を引きつらせながらも、極力自分を押さえつけてそう言った。
「誰がなんかだよおい。いい加減にしないと温厚な俺でもキレるからな。ただでさえ苛立ってるんだぞ。そこんとこ忘れてないか?」
現在ヨルは、弟を誘拐されてしまっている。昔は可愛い奴だったのだが、今ではすっかり魔王の忠実なる下僕で、カーティスの使いっ走りで、タケシのことをあまりよく思っていない少年だった。そして自分は持ち前の愛らしさで、年上の美女たちのお気に入りと化していた。だから春日が消えたと知ると、国で五本の指に入る実力者であるにもかかわらず「おいたわしい」だの「おかわいそう」だのと女たちに心配されているのだ。
いつも人を見下した態度を取る春日に対してもやや怒りを覚えたのだが、それは友人の弟である。さすがにざまあみろとは言えなかった。今も落ち着いたように見えるが、実際には心配で仕方がないはずだった。
「春日なら平気だろ。アヤとハク、二人が楽観視してるんだからな。だいたい、お前は弟を信じてやれよ」
ヨルは唇を歪ませ、頷いた。
「それにあいつら、楽しければいいだけだからな」
「……ミストとか、正宗とか、よくしらねぇけど……そういう奴なのか?」
「ミストはともかく、正宗はな。むちゃくちゃ言われてるけど、俺は何度か会っても生き残ってる。人を見下して踏みつけにすることが好きなだけだ」
タケシは目を伏せた。
「あいつとは、いろいろと付き合いが長いからな。だいたいは分かる」
「どんな奴なんだ? アヤに聞いても、ろくでなしとしか言わないし」
ヨルは不安を隠しもせずに問う。元来感情豊かなこの少年が、平常を装い続けるにはやはり無理があるらしい。これでは皆が心配する。
「そうだな。じゃあ、あいつについて、俺が知ってる事を話そうか。部屋についてから」
周囲では、好奇心丸出しの闇の民がぞろぞろとついてきた。タケシは好きではないが、秘密を多く知る彼の話しは聞いてみたい。それが彼らの本音である。
タケシは八年ここにいて、そのほとんどは一人で旅をしていて、その中で思わぬ出会いを何度か体験した。その中で最も異色だったのは、正宗という男だった。
自称、魔王ミストの影。
騒動を好み、退屈をしのぐためならば何でもする男だった。
出会ったのは、六年前が最初だった。
それは、偶然居合わせた殺戮の行われている現場だった。
「何をしているんだ、やめろ」
タケシは見ていられずにそれを止めた。
加害者は東洋人の少年達だった。一人の闇の民の少年が、十人ほどの光の民の少年達をいたぶっていた。まだ死人は出ていなかったが、何人かは放置すればそのまま息絶えるだろう程度には重傷を負っていた。
「はっ。正義の味方面?」
少年は言った。少年と言っても、当時のタケシと同じ年頃だった。
「た、助け」
「大丈夫か?」
タケシはすがり付いてきた少年の大きな傷に、香水ビンに入った薬を振りかけた。ハクに貰ったもので、傷口は完全にはふさがらないが出血はそれで抑えられた。
「お前、やりすぎだ」
タケシは少年を睨む。小柄な少年だった。背中には黒い鳥のような羽根がある。荒んだ色をしたその瞳は、タケシを捕らえ睨みつけてきた。
「何なんだよ。邪魔するな。元はといえば、そいつらが悪いんだから」
少年達はびくりと怯えた。明らかに、その理由を明確に理解する者の反応だった。通りすがり、絡まられて襲われたのとは勝手が違う。
小柄な眼鏡をした賢そうな少年。いかにもイジメられやすそうである。ただ、その手には小さな彼には不相応な大剣が握られていた。禍々しい何かを感じる。まるで魔王の側にいるような種の禍々しさだった。
「お前ら、昔あいつを虐めていたとか?」
「っ」
「そ、そんなつもりはっ」
図星のようだ。
闇の民が虐められた仕返しをするのは意外と多いとハクが言っていた。タケシ自身、一度それを目にしたことがある。闇の民は弱者で被害者あった場合が多い。もちろんそういった連中ばかりではない。不思議な力を持つ者は闇に飲まれる。そういった者の方が、高い位についている。もしくは、心が強いか。
「そこのカラス。やめとけよ、復讐なんて」
タケシは言った。それでやめるはずもないのだが。なにせ、自分を理由なく虐げたものが、一ひねりで殺せてしまうほど脆弱な存在として目の前にいるのだ。復讐の誘惑に動かされない者はいない。
「黙れ。弱いくせに」
「弱い? 俺が?」
少なくとも、彼より弱いと言うことはない。ただ、彼に不相応な立派な剣が気にかかった。
「お前はこいつらに仕返しがしたいんだろ?」
「そうだ」
「なら、もう十分じゃないのか? 死に掛けた奴もいる」
「ダメだ。そいつらの被害者は、ぼくだけじゃない。あそこを見ろ」
少年の指し示す方を見た。二人の女性が震えて抱き合っていた。
「そいつらは、あの人達に乱暴しようとしたんだ」
タケシは納得した。殺したいほど憎んでいたのではない。今、殺さなければならない理由が出来てしまったのだ。だから、殺そうとしている。
「ぼくだけならここまではしない。ただのいじめでも許せないけど……少し懲らしめるだけで十分だった。でも、ぼくはもう許せない。そいつらは害虫だ。分かるだろう? 女の子にひどい事をするなんて」
カラスのような翼を持つ少年は、タケシに支えられる少年を睨んだ。
「気持ちは分かった」
タケシは少年に言った。
「な……」
「見捨てるのか!?」
「ええい、か弱い女性に乱暴狼藉を働こうとした分際で命乞いをするなっ! この女性の──人類の敵どもめっ」
タケシは女性の味方だった。そして犯罪者も好きではなかった。性犯罪者となれば、極刑ものであると思っていた。
「お前、同じ光の民よりも、そんな化け物になった奴の事を信用するのか!?」
「闇だから悪い奴じゃない。人間どこでも良い奴悪い奴がいる。お前らは悪い奴だ」
タケシは出てきたときとはうって変わって見捨てモードに入っていた。
「あんた、話が分かるね」
「俺は中立だからな。光とか闇とか関係なく、悪い事をした奴が悪い。
でも、やっぱり未遂だったんだから、殺すことはないと思うぞ」
タケシはカラスの少年に言った。そのとたん、少年の中に芽生えたものが霧散する。
「やっぱりお前も」
「違う違う。ここはさ、穏便に去勢の一つで我慢してやれよ」
タケシの言葉にカラスの少年は納得した。
逃げようとした少年の一人に、タケシは縄を投げつけその首を捕らえて引きずる。
「なるほど。それなら再犯防止になるかも。あ……でも、ストレスを溜めて人に暴力を振るうかも」
「ついでに腕の一本切り落としておけば、もう悪さをすることはないさ。人間、罪は繰り返すから防止策はとらなきゃならない。それは俺も心得ているさ」
「そっか。あんた、いい奴だな」
「俺も女性の味方だからな」
二人は意気投合して、少年達の末路を話し合った。
「でも、やっぱ面倒だなぁ。ほら、あんな奴らの見るのもいやだし」
「それは確かにそうだけどな。なら、役所に突き出すと言うのはどうだ? 性犯罪者に厳しいようなところ」
「そんなのあるの?」
「カールあたりが妥当かな。一番厳しいのはシェオルだけどな。魔王が究極のフェミニストだから。女性に乱暴した奴は極刑。未遂でもたぶん俺の言ったことぐらいはされるな。その上、労役。強者が法律だから、すべての女性は魔王のもので、それに乱暴をした奴は死あるのみって感覚だ」
「さすがは魔王様。素晴らしい。でも、どうして光の民のあんたがそんなことを?」
「いや、知り合いがいてさ。しばらくあそこに住んでたから」
「へぇ。理解がある奴なんだな」
タケシは小さく頷いた。種族の差で人を迫害するような連中ではない。同時に彼は辛い事を思い出してしまった。辛い失恋の数々も。
シェオルには可愛い女の子が沢山いたから。
「ん……え?」
突然、カラスの少年が声を上げた。
「どうした?」
「殺せって」
「は?」
「この剣が、みんな殺してしまえって」
タケシは剣を睨んだ。大きな剣。柄の部分に埋め込まれた宝石が、異様な気配を発していた。それが呪われていそうな雰囲気を出している。
「見せてくれ。魔王の剣に似た雰囲気がするんだ」
「ダメだ」
「……なんで?」
「ダメだって」
剣が言う。
あまりよくないものだ。あまりではなく、絶対に。
「誰に貰った?」
「よく分からないけど……すごくカッコイイ人。魔王様みたいな人だった。確か……」
言う彼の腕が、上へと上がる。
振り下ろされる。
そう思った瞬間、タケシは身を伏せながら前に跳び、カラスの少年の背後に滑り込む。
背後──タケシのいた方で、爆音にも似た音が響いた。しかし爆音ではない。何かがなぎ倒されるような音にも近く、よく分からない。
タケシは慌てて起き上がり、カラスの少年と距離をとった。そして気付く。少年の背後に広がっていた森がまるで大きな嵐にあったかのように荒れていた。その先にいた何人かの少年達は、肉の残骸となり果てていた。
「……お前っ」
「う、わっ」
カラスの少年は逃げようとする少年の一人に切りかかった。血がしぶき、周囲が赤く染まる。
少年の脚の動きがおかしかった。しかし、その太刀筋だけは恐ろしく綺麗だ。まるでアヤのように。
彼は操られているようだ。
「その剣を離せっ」
「だ、だめ、離れない」
「ちぃ」
カラスの少年はまた一人を殺す。
タケシは剣を抜いた。ハクに貰った正体不明の長剣。繊細で美しいフォルムでありながら、その刃は鉄をも切り裂く。
「カラスっ」
少年がタケシへと向き直る。剣はタケシを敵として認識した。
「よけてっ」
「大丈夫っ」
タケシはカラスの少年の剣へと、自らの剣を叩き込む。少年の動きはぎこちなく、特訓されて人並み以上になったタケシの前では止まっているようなものだった。
ギギィィィィイ。
奇妙な、共鳴するような音を立てる二振りの剣。
やがてキィィっと最後の音を立て、剣は砕けた。両者の剣が、折れるではなく砕けた。
「あっ……」
カラスの少年は呆然と自らの剣を眺めた。
タケシは念のため、手元に残った柄も取り上げようと手を伸ばした。
「だめだ」
突然空から声が降ってくる。
慌てて見上げると人がいた。
「これ、俺のなんだわ」
男はカラスの少年の手から柄を奪い取る。
背の高い男だ。皮肉げに唇を歪めていながらも、憎らしいほど綺麗な顔をした男。髪は黒いが、東洋人とも言いきれなかった。国籍が分からない。そんな男。
どこか似ていた。男の姿をした魔王──
「アヤ……」
呟いたその言葉を男は聞き取り、タケシの顔を覗き込んだ。
「なんだ、お前アヤの知り合いかよ」
男はにっこりと笑う。
「それならこの結果も頷けらぁな。同等で同質の武器なら」
アヤと似た、端正な顔立ちとは不釣合いな口調で男は言った。
「俺はタケシ。お前は何者だ」
正直、逃げ出すのが一番だった。だが、相手はそれでも油断している。生き返るとは思っていないはずだ。ハクのかけた呪いは、アヤには出来ないものらしい。ハクだからこその呪い。
この男に、それが分かるはずもない。
「正宗ってんだ」
予想したとおりの答えが返り、タケシは震えそうになるのを堪えた。吹き出る汗だけはどうにもならないが。
ハクに聞いたこの世界で最も危険な男は、顔を離して振り返る。
「まず先に、あっちの気に食わねぇやつらを殺してからな」
言って正宗はただ逃げる少年達を見た。それだけのことで、まるで柘榴の実がはぜるようにして彼らの頭がはじけ飛んだ。
タケシは息を止めた。
気に食わない者には一切の容赦がない男。
「俺もなぁ、けっこうフェミニストなんだよ。自分の顔を見てから表に出てこいってぇの」
彼は女好きだったと聞いている。目にかけた女は絶対に落とす。そういう男だったらしい。
「自分がするのはいいのか」
「俺はそんなことしなくても、女の方が言い寄って来るんだよ。お前みたいな猿と違って」
「さ……」
タケシは自分に言い聞かせる。
──仕方がないんだ。これはアヤの身内だ。口が悪いのも仕方ないんだ。これはハクの身内だ。
そう言い聞かせ、タケシは正宗を睨み上げた。
「どうしてそいつに殺させるような事をした?」
「楽しいだろう。いじめっ子に仕返しするいじめられっ子。弱者だと思っていた相手が自分よりも強くなって復讐に来る。いくねぇ? 昔はよく、虐められていることにも気づいてなかった可愛い半身に変わって、よく復讐してやったもんだ」
根は、単純なようだ。
「五体不満足にしてほおりだしてやるのも面白そうではあるんだけどな。やっぱり生きていられると腹立つだろう? こちらに来て、一度も死んでいな奴は少ないに越したことはないし」
タケシはカラスの少年を見た。彼は跪いていた。本能から、彼はそうすべき相手だと悟っているのだ。
──また殺されるかな。
タケシはいい。もちろん痛いのでよくはないが、あの少年はどうだろう。
「安心しろって。そいつは殺さねぇよ。だけど、お前はどうかな?」
言って、タケシの頭に手を伸ばし……
その後のことは覚えていなかった。
「意識が戻ったときには、ベッドの上だった。俺は殺されずにすんだらしく、カラスが運んでくれたんだ」
その時タケシは意識こそ奪われたが、死んでいなかった。
その後も、何度か正宗と出会ったが、殺戮を止めても殺されたことは一度もない。
「その後、そのカラスってのはどうなったんだ」
「ああ。いるぞ、ここの城に」
タケシは手近の窓を開けて大声を上げた。
「おーい、祐ぅ」
しばらくすると、黒い翼の少年が窓の外までやって来る。少年は青年へと成長していた。
「あ、タスク」
いつの間にか混じっていたミシェルが声を上げて立ち上がった。現在、青軍に所属しているはずだ。つまり、ミシェルの部下である。
「何? どうして僕が……」
祐はミシェルと、そしてヨルを見た。
「いや、お前と会ったときの話してさ。っていうか、正宗のこと何だけどな」
「ああ。あの方の」
祐は部屋に入り、ヨルの前へと跪いた。
「冥王様にはお初にお目にかかります。青軍の飛空警備隊の隊長、新川祐と申します」
「ああ、時々町の空を飛んでるのか。いやぁ、実は前にアヤと変装して町に出かけたら、ベンチ壊して叱られたことがあるんだよな」
タケシは現場を容易に想像することが出来た。
「っ……も、申し訳ありません。部下がとんだご無礼を」
祐は顔色を変えて平伏した。部下がよりにもよって魔王とそれに並ぶ冥王に注意したのだ。焦らないはずもない。
「いや、いいんだって。変装してたし、悪いのアヤだし。ちゃんと仕事してるんだなぁって感心したぐらいだ」
ヨルは相変わらず気さくに言う。
「で、結論として、タケシは正宗って奴のこと、どう考えてるんだ?」
「そうだな。あの後も放火魔をそそのかして金持ちの家に火をつけさせたり、女いっぱい連れてながら男殺してて出会い頭にまた振られたんだろとか言ったり、そのうち可哀想だから女紹介してやろうかとか言い出すし、この前だって今日も振られてるのかとか言うし。人に合うたびに振られた振られたって挨拶代わりに言いやがって、つまり嫌な奴だな」
だが、タケシにとってはアヤやハクの言うほど有害な生物ではなかった。
少なくとも、タケシにとっては。
「お前、結局仲良くなってるのか」
「……仲良くはない。会う度に殺されるんじゃないかとどきどきしていたんだぞ」
「そうです。ただの腐れ縁と同情によるものです」
祐がタケシ次のが言葉を発するより前に言う。
「……お前」
彼の言葉も間違いではないが、気に入られているというのも少なからずあるはずだった。気まぐれ男の気に入るでは、命の保証などないに等しいと言っていいのだが。
「ま、春日の命だけは心配ないだろ。奴と出会ったら即全員死亡ってわけじゃない。春は邪気がないからな」
ミシェルあたりなら怪しいところであったが、春日なら問題はないはずだ。何よりも、本体はまだこちらの手にある。春日に手をかければ、今度こそ殺される可能性も出てくる。
元々、危険人物本体こそ放たれていたのだ。受動的な前魔王が増えたところで、大した被害にはならないはずである。
「ま、気長に待てば良いさ」
世の中、焦ってもどうにもならない。タケシはこの八年間でそれを学んだ。焦るなど空しいだけ。
気長に待てばいいのだ。緊急事態と言うわけでもないのだから。もちろん、大変な事態であることは確かなのだが。
世界が滅びるわけでもないので、やはり大したことはないのである。