7話 吸血鬼 〜元淫魔の歌い人〜

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 昔は楽しかったか。
 楽しかったはすだ。音楽が好きだったから。いつしか楽しみではなく、義務になった。
 歌うことが仕事。歌うことが復讐。歌うことが存在意義。
 それでも人は彼を天使だといい、彼はその言葉を受け入れて演じた。
 それは楽しかったか。
 楽しくはないが、悪くはなかった。決して嫌ではなかった。楽しくはないが、好きであることは変わらない。そして嫌いではない。それを仕事に出来るのは幸せだ。
「マリウス君は繊細なんだよね。ヨルと違って」
「あれに比べれば世の中の大半は繊細だ。山火事を起しても、反省したフリをしてあまり反省していない男だ」
 二度も死の境をさまようことになろうとは、出会った当時は考えてもいなかった。
 薫はくすくすと笑い、地べたに座る。マリウスは彼女を眺めて安堵する。
 嫌ではなかった。
 目を伏せ、両親を思う。二人はどうしているだろうか。
 ──私の姿を見たらさぞ驚くだろうな。
 このような異形でなくとも、このように成長したと知ったら、きっと驚くに違いない。二人の期待を裏切っているだろう。
「僕ね、厳しいおばあちゃんに育てられたって言ったよね。両親は僕が嫌がってるの分かってるのに、言う事を聞きなさいって言ってた。二人は海外に行っててほとんど帰ってこなかった。跡継ぎだったおじさんが死んでからは、僕が跡取りにならなきゃならなくなって、よけいに厳しくなった。でも僕はずっと泥だらけになって遊びたかったんだ。男の子みたいにしたかったんだ。
 だから反抗して自分を『僕』って言って、ズボンばかりはくようになったけど、結局何も反抗していないようなものだったな。だからこっちに来てすぐに髪を切ったんだ。そうしたら男の子に見えてさ。すごくうれしかった。誰も疑わないからちょっとショックだったけどね。でも、僕は好きにお転婆できるのがちょっと嬉しい」
 彼女は言葉を紡ぐ。迷いながら、それでも必死に語る。
 パーンがくすくすと笑った。
「薫ちゃんだっけ。可愛いね」
「パーンさんもかっこいいよ」
 薫は怯えることなく言う。
 木漏れ日の元、やや寒いが心は温かだった。
 愛しい時──思い出すのは愛しい時。
 その時が一つ増えた気がした。この二人は救いだ。
「癒し系だな、二人とも」
「マリウス君はそ……誰?」
突然きょとんとなった薫の視線を追う。
 男がいた。どこかアヤに似た男。
「歌が聞こえたぞ」
 男は言う。
「いつもソウが聞いてた声だった。あの歌と同じ響きがする歌だ」
 ぞくりとする。一瞬にして冷や汗をかいた。この男は──
「正宗……様」
 数える程度しかその姿を見たことのない男。しかしその存在は鮮烈で、間違えることなどありえない。
「うそっ」
 薫の反応に、正宗は笑う。それが肯定。
 前魔王の操り人。
「ヘルメスだっけ? うちの妹と弟があんたのファンだったんだよ。いやいや、こんなところにいるとはなぁ。いいねぇ。うん、いいこと考えた」
 何か企まれている。その企みに、自分の存在が関わっている。
 ──薫。
 パーンはすでに姿を隠している。
「薫、逃げろ」
「でも」
「相手はケタが違う。行け」
 薫は迷った末、城内へと走る。彼女は俊敏だ。あっという間にアヤのところへと駆けつけるだろう。
 正宗も香るには興味が無いらしく、見逃してくれたようだ。
「私に何の用だ?」
「歌ってもらおうと思って。声は変わったが、変わらないその歌を」
 何が変わらないというのだろう。何が彼を呼びつけたのだろう。
 ──とうよりも、どうやって聞きつけてきたのだろう?
「なぜ私なのだ?」
「人には何か才能が一つぐらいはある。お前の場合、人の心に入り込むその歌だな。俺は別にどうでもいいが、波長が合うのか身内は全員やられててなぁ。だから、聞こえるんだ」
「……聞こえ……では今のも陛下に!?」
「たぶん丸聞こえだぜ。耳のいいハクなんかはその場にいたように聞こえているだろうな。ソウの弟なだけあって、なかなか感覚が鋭い」
 ──ソウ……。
 アヤの口から何度か聞いた名前。
 知らない人物。
「ソウというのをおびき出してどうする?」
「そりゃあもちろん……」
 そこで正宗は口を閉ざす。その背後に、歪みが生まれた。
 現れたのは春日。春日の姿をした元魔王、ミスト。
「……だめだよ。その人が壊れたらどうするの」
 暗い、抑揚のないしゃべり方。まるで正宗がミストのすべてを代理しているようににやりと笑う。
「もちろん、そんなことはしない。お前が嫌がることはしない。こいつもちゃんとここで生かして置いてやる。お前のものだ」
 ミストは目を伏せた。そして次の瞬間には、マリウスは知らぬ場所に立っていた。


 扱いは丁重だった。
 食事も用意される。暗幕のある部屋。屋敷の中は自由に歩くことができる。しかし不思議と外には出られない。仕方ないので部屋で過ごす。ベッドはスプリングのきいた高そうなもの。羽毛の布団。用意された服は皆シルクなどの高級素材で出来たもの。
 ──どこの貴族だ私は!?
 貧乏生活の長かった彼は、こちらで田舎の屋敷にこもっているときも質素な暮らしをしていた。唯一の贅沢は日焼け止めだっただろう。昔から皮膚が弱かったので、両親には苦労をかけた記憶がある。
 そんな彼はアヤの用意する豪奢な部屋にも戸惑っていた。しかしそれはヨルのためのものだ。自分のためのものではない。そう思い気にもしていなかったが、いざ自分に用意されると、まるで売れたての頃の、それまでとはえらく違う対応に戸惑っていたときを思い出す。ツアーで各地を回るときも、高い部屋を用意してくれようとするのを止め、スタッフ達と同程度の部屋をとった。できるだけ思いあがらないように、できるだけ贅沢は避けていた。両親にしても同じだ。さすがにセキュリティの問題でそれなりの家を買ったが、それ以外はごく普通の服を買い、靴を買っていた。着る人によって、それはとても高価なものにだって見える。ヘルメスとして人前に出るときだけ、衣装という名の華美な服を着る。
 だから彼の生活は常に質素だった。
「おうちに帰りたい」
「……二日目でそんな重度なホームシックに」
 春日の少し悲しげな顔を見て、マリウスは我に返る。
「ごめんね。本当はおうちに帰してあげたいんだけど、君達はここからは戻れないから」
 ずいぶんと恥ずかしい事を口にしていたのだと自覚すると、布団の中にもぐりこみたくなった。
「お腹はすいていない? 女なら正宗のがいくらでもいるから。それとも人の手のついたのは嫌?」
 マリウスは首を横に振る。
 腹は減っているが、そんな施しは受けない。食事は与えられるものではなく、自らで得るものだ。自分で稼いだ賃金や、自分で動いて得なければならない。与えられていいのは子供のうちだけ。
「いらない」
「そう? 少し弱っているように見えるけど。ベッドが合わなかった?」
「こんなベッドはいらない。こんな部屋もいらない。与えられる女も要らない」
 今は何もいらない。
 自分の間抜けさ加減に嫌気がさしていた。
 ヨルは心配しているだろうか、笑っているだろうか。薫は自分のせいだと思うかもしれない。葵はよくわからない。アヤもよく分からない。目をかけられていることは理解したが、それがどの程度だかも分からない。ただ気に入った歌を歌っていた歌手というだけだろう。それがどれほどのものなのかは分からない。
「どうしたら歌ってくれる?」
 ミストはどうしても歌わせたいらしい。
「……歌わない。その気にならない。歌わせたければ、無理矢理すればいいだろう。陛下の兄なら、元魔王ならそれぐらい容易だろう」
「それでは意味がない。そんな歌、ボクは聞きたくない。ボクもきみの歌、好きだから。ソウからの影響だけど。すごく好きだった。アルバム全部持っていた」
 ──むっ、本当にファンだったのか。
「アヤが」
「借りていたのか」
「うん、そう。そういう店に行くの苦手だったから。正宗に行かせると、女の子ナンパするし。ボクの人格が疑われるから必要な物は親かアヤに買ってもらっていた」
「自分では買わないのか?」
「あまり人と関わりたくなかったから。ボクらはあまり普通じゃなかったから」
 それは当然だろう。実の妹に封じられるほど極悪な兄達なのだから。
「こちらに来てからは少し楽になった。ここは望めばなんだってできる。そういう場所。ボクらはこの世界は好きだよ」
「では、なぜ暴君と呼ばれる行いをしたんだ?」
 彼は小さく笑う。
「ソウを引っ張り出そうとして。あの子が好きなものを壊せば、出てくるんじゃないかと思っていたけど、結局出てこなかった。
 だから君に歌って欲しい。ソウを引きずり出すために」
 マリウスは混乱した。
 ──ソウ?
 何なのだろう。それをおびき出して、何になるのだろう。もちろん、彼らの身内ならばマリウスにとっては天上の人物である。しかし、それをおびき出してどうするというのだろう。
「ソウは病気持ちなんだよ。ずっと入院していた。そのせいか──漫画三昧、ゲーム三昧、音楽三昧なボクから見てもちょっと変な奴だった」
 ──い……いきなり幻滅させるな。
 儚げな美少年を思い描いた直後にもろくも崩れ去った幻想。
 マリウスはややオタクなアヤを思い出しつつ、幻想に修正をかけた。容姿はそのままで、寝たままゲームをする少年。
「最近また身体を壊したんだろうな。変なのが混じった。とりあえず今は帰って寝かせるのが一番と思う。あいつがここにいるのは何かと危ない」
 身内を思って。いやしかし……。
「……そのために、人をあんなに殺したのか?」
「あれは正宗の趣味も入っている。人の不幸が好きだから」
 マリウスは沈黙した。
 どうやらこの前魔王は話しに聞いたとおり、それほど危険な人物ではないらしい。危険なのは正宗の方。
 この男ならどうにか誤魔化せやしないかと考える。
「……歌ってくれない? 本気で」
「そんな気分じゃない」
 昨日の歌は簡単なものだった。有名な練習曲。それを抑えて歌った。
 今度は、声を張り上げて歌えと言う。
 知らない場所で、知らない者達に誘拐されてだ。
「歌いたくもないのに、本気でなど歌えない」
 アヤはそれを望んでいなかったのだろう。
 マリウスにはどうすればいいのかは分からない。何が正しいのか。だから時間を引き延ばそうと考えた。
 ひょっとしたら助けが来るかもしれない。
「私は歌いたいときに歌う」
「……そう。早くその気になってくれる事を祈るよ。ボクも君の歌が聞きたいから」
 ミストはきびすを返して部屋から出て行こうとした。しかし足を止める。
「何?」
 彼の問いと同時にドアが開かれた。
「ミスト、甘いなぁ、お前は」
 正宗は顔を歪めて言う。
「別にそう急ぐわけでもないし」
「我らの愛しの妹君が動いたって言ったら?」
「……それは」
「あいつもどうする気なんだか……。お前はどう思う?」
「さあ。ソウにさせたいようにするんじゃないかな。昔からあの子達はそうだったし。ボクらと違ってすべてが壊れても、あの子達は痛くもない」
 ミストは壁にもたれかかり目を伏せた。
「おいお前。いいから歌え」
「嫌だ」
「消えることになっても?」
「……ああ」
 一瞬迷うが、その心配がないのは理解したので強情を張る。少なくとも、ミストは反対するだろう。正宗が歌わないだけで相手を消すほど短慮ではない。そう祈るしかないのだが。
「じゃあ、一緒にいたあの子猫ちゃん」
 初めて。ここに来て初めてマリウスは二人を憎みながら睨みつけた。
「別にひどい事をしようってわけじゃない。俺は動物は好きだからな、基本的に」
 正宗はマリウスの反応を楽しんでいた。それが分かるからマリウスは深く息をついて自らを落ち着かせる。
「あいつは陛下の元にいる」
「さらうのは簡単だ。猫は好奇心旺盛だからな。捕まえたら何をして遊ぼうか?
 ちょうどペットが欲しかったから、たっぷり可愛がってやるぜ」
 正宗は卑猥に笑う。
 マリウスは薫を思い唇を噛む。あの少女が、このいかにも非道な男の仕打ちに耐えられるとは思えない。
「正宗。動物を虐めるのはよくない」
「肉球があったら俺もその手だけで我慢できるんだけどなぁ。ないとなると鳴かせて遊ぶしかないだろう」
 ミストは正宗の言葉に顔を顰める。
「それとも、共にいた骸骨でパズルでもするか? 元に戻らないかもしれないけどなぁ」
「っ」
 もし、断ったら。
 この男なら本当にやりかねない。人を人とも思っていないのだから。
「歌えば……歌えばいいんだろっ」
「腹の奥底からな。そこにあるのが憎悪だろうが、心があれば問題ない」
 だから操らない。だから、意思のままに。
 マリウスは立ち上がる。
「ここじゃ何だ。もっと雰囲気のある場所に行こうか」
 マリウスは止まっている心臓が、鼓動しているような錯覚を覚えた。
 きっと、生きていれば早鐘を打つように鼓動していたのだろう。死人の感覚は鈍い。だからあまり感じないが、彼は相当焦っていた。
 出された名前が、他の誰かなら無視したにもかかわらず。
 あの二人は、彼にとってそのままであって欲しいものだった。
 だから手を取る。
 ──陛下に失望されてしまうかな。
 それでも考えたのは一瞬。ごねても人質を取られておしまいだ。ひょっとしたら、ひどい事態になるかもしれない。二人は怯えるだろう。
 マリウスは緊張にも気づかず、前へと進み出した。

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あとがき