8、夢食い道化 〜創られたモノ〜

 今日もいつものように浮いたまま、地に足をつけず移動をする。
 物心ついた時からこうしていたので、彼にとってはこれが最もしっくりとくる移動方法だった。
 彼──葵は現在、一応の上司である冥王ヨルの元へと向かっていた。マリウスが誘拐されてしまって以来、葵がマリウスの代わりにヨルの世話をしていた。
 部屋の前までつくと、乱暴にノックをする。
「冥王様〜」
「葵?」
 ヨルの声がして、ドアが開かれる。起こしに来たのに、既に彼は起きていた。
「……冥王様は寝起きがよくてつまりませーん」
「…………何が言いたいお前は」
「冥王様、朝です」
「だから起きて顔洗って準備は完璧だって」
「つまらない男ですね、あなたは」
「お前の趣味につきあえるか、夢食い」
 彼の夢を食べようとは思わない葵だが、つまらないのは本当だった。
 最近ではそれなりの友情も築いていたマリウスが誘拐されるは、そのせいで竜王が不機嫌だは、魔王も不機嫌でカーティスも不機嫌。自然と皆が不機嫌となる。葵は不機嫌な者があまり好きではない。
 不機嫌と言うよりは、何をしたらいいのか分かっていないだけのこの冥王の側というのは、現在の葵にとっては小さなオアシスだった。
「アヤ達は?」
「何かいろいろと画策しているご様子でございま〜す。朝食はここにお持ちいたしましょうですカ?」
「そうだな」
 葵はひゅっと口笛を吹く。しばらくすると、この城で彼が飼っている『影』がやってくる。
 『影』はまさしく影であり、竜王が作成したものだった。現在はまだ実用段階まで行っておらず、比較的上手くいったものが葵に託され様子を見ている最中だ。
 欠点は臆病なところ。この『影』を作るに当たって、採取した影の持ち主が臆病な性格であったようだ。犯罪者のものなので記憶人格共々白紙の状態で育成を始めたのだが、完全には消しきれずに、元々の気質が出てしまったようだ。つまりは犯罪者の気質までもが出てくる可能性もあり、実用段階にまで至っていないのだ。
 葵は自分と似た経緯で生まれたこれに『菊花』と名を与えた。
「菊花、久々だなぁ。旅に出てる間は置いてきぼりだったからなぁ。元気だったか?」
 葵の影の中で影として漂っていた菊花は、ヨルに声をかけられ影の中から姿を見せた。影である以上おぼろげだが、はっきりと分かる人の形を取る。その手の上には、ヨルのための朝食を乗せた盆があり、それをおずおずと差し出した。ヨルがそれを受け取ると、恥ずかしがって再び葵の影に隠れてしまう。
 これが、ハクにこの生物の作成を一時的にとはいえ諦めさせた理由である。菊花の元となった者の性別は知らないが、まるで人見知りをする乙女のように見え──いや、男であったら気色悪いから、女性であることを願って『菊花』と名付けたほどだ。
「菊花。竜王様と魔王様のところに冥王様のお目覚めの報告を」
 菊花は葵の影から別の影へと移り移動していく。
 それを確認した後、葵はいすに腰掛けた。
「珍しいな。お前がちゃんと座るなんて」
「たまにはイイじゃないですか」
 ヨルもいすに座り、朝食に手をつけた。今日は彼の好きな卵サンドである。
「ところでお前さぁ、アヤ達がどうするつもりなのか知ってるのか?」
 まるで今日の予定を聞くような、ごく当たり前で何気ない調子で彼は言った。
「いいえ。あなたは?」
 葵が知るはずもないのだから、知っているとすればカーティスかヨルぐらいだろう。
「なんだ、そのためにわざわざ座ったのか? バカだなぁ」
 どうやら、彼も知らないようである。
 あの二人について、葵は知らないことが多い。ヨルよりも知っているところもあれば、ヨルほど知らないところもある。それぞれの性質によって、知るべきところと知らぬべきところがあるのだ。
「私はあなたのことを任されました。あなたがどの程度気づいたか、観察しろと。
 正直なところ、あなたは単純なようで肝心なところが分かりません。あなたはどこまで気づいているのですか?」
 馬鹿にしているともとれる言葉だが、ヨルは驚いたように言った。
「……お前、まともなと話し方できたのか」
「もっと他の反応を要求します」
 調子を外さない話し方がそれほど気になるのだろうかと、今までの自分を振り返る。ハクから怪しさを全身から出せと言われ、知的な怪しさを演出していたつもりなのだが、彼には通じなかったのだろうか。
「ええと……きっと変なしゃべり方しかできないように改造されてるんだと思ってた。ごめん」
 考え、そうされていた可能性などを思い浮かべ……
「いいえ。今その発言を聞いてその可能性もあったかもしれないと思うと現在の幸せをかみしめられるような気がしてきましたありがとうございます」
「いろいろあるだろうけど、がんばれ」
 こうして会話に一段落がつく。ヨルはスープを一口のみ、パンにかじりつく。咀嚼もそこそこ飲み込み、口に押し込むという乱暴な食べ方をする。デザートを残す頃になると、彼は話を促すようにあごをしゃくる。
 葵はこほんと一つ咳をして、続きを話す。
「結局、どこまで分かったんですか?」
「おお、そうだったそうだった。ごめんな、あんまりにも驚いたから忘れてた。
 まあ、気づいたことっていえば、ここに来る奴らの条件なんかは……わかった」
「へぇ……。光と闇の正確な区別は?」
「たぶん、ここに来る直前、自覚のあるなし。気づいたのは、ミシェルとフェミナの話を聞いて……だけどな」
 二人はほぼ同時にこちらへ来た。
「あのお二人は、両親が離婚して離ればなれになっていたのでしたか? そして千里眼様が実の父に虐待を受けていたと」
 信じられている区分では、確かに彼はこちらの側だ。虐げられた者として。
「それは問題じゃねぇ。問題なのはここに来る時、どんな目にあっていたかだ」
「お二人はなんとおっしゃって?」
「フェミナはこっちに来た時、内緒でミシェルと会っていた。そこで記憶がない。
 ミシェルの方は……父親に見つかり、フェミナが殴り倒された。あいつはフェミナをかばい、気づいたらここにいたっていう。
 確信したのは、薫の話を聞いた時。火を放たれたって聞いた時」
 彼はサラダをつついた。彼の嫌いなブロッコリーが入っているのが気にくわないようだ。
「俺がここに来た時、美鈴も一緒だった。あいつは無傷で、俺は傷だらけだった。
 他のみんなに聞くと、皆無傷だったって言う。
 あり得ないだろ。
 フェミナは傷を負っていた。けどこっちに来たら無傷だった。
 俺たちは、事故にあった。一瞬のことであんまり覚えてないが、確かに事故にあった。とっさに美鈴をかばおうとしたことは覚えてる。
 そのとき、今の俺と美鈴の差。
 美鈴とアヤ達の差。
 俺とアヤの共通点。
 簡単だろ」
 どうやら、本当に理解しているようだ。
 口にこそ出さないのは、それが何を意味するか知っているから。認めたくないというのもあるだろう。
「でも、それが分かっただけじゃ意味がない。じゃあ、なんでこんな場所があるのか。何で俺がここに来たのか。それは見当もつかない」


 薄々は知っていた。言われずとも、感じていた。自分は愚かではないと思う。作られた身とはいえ、考えるし、自分で行動することができる。こちらに迷い込んできた者とは、存在の仕方が違う。
 どちらとも違う。自分は他と違う。誰とも違う。それを理解し、自分がどこにあるのかを理解するため、答えを探していた。
 葵は魔王達の側だった。
 少なくとも、彼は彼女たちに作られたから。
「お前もさ、実はハクに何も聞いていなかっただろ」
 葵は思考を打ち切った。
「ナニガ?」
「この世界のこと」
「ナニをおっしゃるのデスか? ワタクシ、マジメな話をしていますのにィ」
「隠す気ないだろお前」
 単純なようでいて、実は打たれ強く、思ったよりも理解力の高い彼は言い切る。確信している。
「ハイ。竜王様を私以上にご存じのあなたに、竜王様のことで騙せるとは思っておりません。
 私の言ったことが嘘八百であることに気づいたのには驚きましたが、気づかれた以上は隠し通せるモノではゴザイマセンです」
 あなたの知らない秘密の世界。私の知らない秘密の世界。
 知りたいのは当然だ。自分がどこにいるかを知りたいのは生物としての本能で、父の秘密を知りたいと思うのは、子供としての特権だ。
「だってお前、ファザコンだからな。首をつっこみたくて仕方ないんだろ?」
「よくおわかりで」
「ハクって、昔からけっこう優しいんだ。優しいから、厳しい時には非情なぐらい厳しくなる」
「存じております」
「わかってるならいい」
「ああ、竜王様のお仕置き。考えるとカ・イ・カ・ン♪ かもしれません」
「お前趣味悪い」
「そういう風に育てられましたので」
 ヨルは最期の一口のヨーグルトを口にすると、突然立ち上がった。行き先は知らないが、葵は浮き上がり彼の後に続く。
 長い杖を引きずり、マントを鬱陶しげに払いながら彼は階段を下り、中庭に出た。
「おい、お前ら」
 ヨルが言うと、彼の足下から突如として骸骨が生えた。
 ヨルはそのまま固まり、葵が三度ほどつついてようやく我に返る。
「お化け屋敷なんてぇ、もぉう恐くないぞ」
「恐いのなら自信満々に呼ばなくても……」
 葵が思わず地で言うが、ヨルは気にせず最近伸びてきた前髪をかきあげ微笑んだ。
「パーンは?」
「ぼくです」
 骸骨の見分けがつかないとは、失格的な冥王である。
「あ……うーん。わかんねぇ」
「お気になさらないでください。ぼくにも他の人は見分けがつかないことの方が多いので」
「あ、そーなんだ。んじゃいいか」
 罪悪感もなくなったところで、ヨルは本題に入る。
「俺さぁ、アヤの兄貴達って見たことないんだよな。ミストとかいうのって、どんなんだった?」
「……春日様のお姿でした」
「……あ、じゃあ正宗って奴は?」
 バーンはしばし迷い、やがて口を開く。
「少し、魔王様ににていらっしゃいました」
「まあ、アヤの兄貴なんだから似てるだろうな」
 ヨルはうーんとうなる。彼は馬鹿ではないが、頭の回転が悪いかも知れない。
「他に覚えていることはアリマセンカ?」
 見るに見かねて葵は助け船を出す。問題なのは、アヤの兄達ではない。彼にとっては将来の義兄になってほしい人物達だから気になるのかも知れないが、今肝心なのは、彼が目撃者であり、何か知っている可能性があるということだ。
「そうですね。魔王陛下にもお伝えしたのですが……ソウという方をおびき寄せるため、マリウスに歌えと」
 ヨルは小さく笑う。
「ああ、ハクの兄貴か」
「お会いしたことがあるのですか?」
「年中入院してたな。ハクんちのオヤジはでかい病院の院長かなんかやったから、特別だったのかも知れないけどな。いつも元気にゲームやってた」
「ウワサに聞くテレビゲームというやつですカ」
 こちらで生まれた葵は、ハクの知る文化はハクやその周辺の人物からの聞きかじりである。一度行ってみたいとも思うし、理論的には可能なはずなのだが、もしも言い出せばハクに叱られるので言わないことにしている。殺されはしないだろうが、不機嫌にはなるだろう。
「ワタクシの父の兄であるなら、ワタクシにとっては伯父上様。ああ、どんな方なのでしょうか」
「だから虚弱体質で変なゲームオタクだって。あと、ネットに一日一度はつながないと挙動不審になるらしい。あんなところにいたら、テレビかネットでしか外の情報わからないだろうし、仕方ないと言えばそうなんだけど。まあそういう奴だ」
 親友である彼の口から語られるハクの話は、リアルでやけにしっくりとくるものだ。アヤの話に関しては、恋する少年の様々な色をした眼鏡越しの話なので納得できないのだが、ハクに関しては彼の言うことほど信用できるものはない。
「もう少し、夢を持たせてくださってもいいじゃないですかぁ」
 ヨルは葵の言葉は無視し、しゃがみ込んでパーンを見据える。
「他に何かないか?」
「そうですね……。そう言えば、正宗様がなにか言おうとしたところを、ミスト様が止めたのです。
 マリウスが壊れてしまうと」
「そっか……」
 壊れる。その言葉は適切なのか、葵には分からなかった。
 しかし、真実を知れば少なからずショックを受けるだろう。
 ヨルはパーンをねぎらい、そして立ち上がる。
 静かな顔をした彼は、無言でその場を去る。
 葵には、その気持ちが少しだけ理解できた。


 ヨルが次に向かったのはハクの部屋だった。
 そこはつまり葵の生まれた場所。
 尋ねてきたヨルを、ハクは熱烈に歓迎した。
「ヨル君が僕のところに来るなんて、ハクうれしぃいぃ」
 まとわりついてくるハクに、ヨルは一言。
「……お前は変わったな」
「ちょっとお茶目になったかなぁ。でもどうしたの? いきなりそんな感慨にふけって」
「昔を思い出してたらさ。
 それよりもさ、単刀直入に言うんだけどお前らうちの可愛い春日をどうするつもりだ?」
 ハクはヨルから離れ、ソファに腰掛けうーんとうなる。
 彼もまだ考えている途中なのだ。今後の行動に関してある程度は聞いている。葵にはすべては話さないが、ある程度のことは話してくれる。
「傷は付けないと思うけど、取り返すのは難しいんだよね。下手な事をすれば春日の心が壊れてしまうからねぇ」
「お前の兄貴を奴をおびき寄せたいんだろ? そう……危ない。ソウさんはどこにいるんだ?」
「兄さんのことも知ってたんだ」
 ハクは葵を見て、奥の部屋を指し示す。葵は彼のために濃いお茶を入れる。
「兄さんは寝てるよ」
「……どっかでまた入院してるのか?」
「兄さんのはじっとしてれば問題ないから。あの人は僕らの中で一番力は強いんだ。桁が違うくらい強いんだよ。僕らの元となったあの男よりも……。
 だけどそのせいで身体に負担がかかっているんだ。空気の入りすぎた水風船のような物だよ。下手に叩けばはぜてしまう。だから彼はいつも寝ていたんだ。寝ながら、この世界にたどり着いた。こちらは向こうよりも動かずに色々とできたから、気に入ったみたい。
 しだいに一人ではどうにもできなくなって、ミスト達を誘った。僕らはまだまだ子供だから、あの二人が手に負えなくなってからようやく……何も言われずに引き込まれた」
 それはヨルと同じ状況だったという意味だろう。何も知らず突然こちらにきて動揺していた、自分のこの世界における特殊性も知らずにこの地に下りた彼と同じ。
 父の昔話というのは、なかなか楽しいものだ。
「初耳だな、それ」
「うん。言ってないね。僕らが初めに出会ったカーティスが、僕らを導いた。結局ソウに説明を受けたのは僕らが魔王として担ぎ上げられようとしていた時だよ。ミスト……ってよりも、正宗にいさんを退ける前に。
 知って、守らなきゃって思ったんだ。偶然ヘルメスの姿も見かけたし」
 彼のマリウスへの憧憬は、葵の想像以上のようだ。葵の中にもやもやとした思いがわき起こる。嫉妬心というのは、こういう物をいうのだろうか。
「そのヘルメスまで誘拐された今、お前らほんとどうする気だよ」
「彼の無事は保証されているよ。ミストが彼を好きだからね。正宗はミストのお気に入りは壊さないよ。それよりも、その周辺の人物の方が危険だな。
 あの時一緒にいた薫はアヤが守っている。一番危険なのは彼女だけど、まあ大丈夫だと思う。
 次に危ないのは美鈴だけど、あっちも大丈夫だと思う。今彼らが目指しているのは、ソウをたたき起こすことだから」
 葵は二人にお茶を出した。ハクの好きな緑茶である。
 茶畑はハクの大切な宝物らしい。
「緑茶割って美味いよな」
 昼間から飲む気になりつつあるヨル。葵は酒を用意すべきか悩んだが、このような場合に限っては常識を発揮するハクが言った。
「無粋だよヨル君。酒ばかり飲んでると、ぶくぶく太っていつかアヤに見捨てられるよ?」
「う……」
 ヨルは茶碗を手にし、そしてハクを上目づかいに見つめた。
「ソウさんをたたき起こすとどうなるんだ?」
「どうにも。彼がいてもいなくても、僕らでこの世界の今の有り様は支えられる」
「じゃあ、何の意味があって起こすんだ?」
「さあねぇ。僕らも兄さんにはしばらく会っていないから。ただ、この世界を任せられただけ。どうやってこちらに来たのか、どうやって帰るのかも、実はよく分かってないんだ。まっ、向こうに未練はないから必要ないけど」
 ヨルはカップを持ったまま、首をかしげた。
「なんだ、帰れるのか?」
「僕らはね」
 葵は空中で膝を抱えて座り、一つの疑問を持つ。
「私は?」
「葵も……帰るわけじゃないけど、理論的には向こうに行けるはずだよ」
 推測は正しかった。葵は満足して頷く。
「……葵も? ちょっと待てよ。葵って、何なんだ?」
「葵は葵だよ。実験で作ったはいいけど、いまいちだったから、とりあえずほっといたらこうなった」
「…………」
 ヨルは葵へと同情のまなざしを向けた。
 そのようなことは先刻承知だ。この人格を消されるかも知れないという可能性も含めて、承知の上でここにいる。
「なぁ、葵って何なんだ?」
「だから」
「俺は、気づかないほど馬鹿だと思われてるのか?」
 ヨルの真剣な言葉に、ハクは唇をとがらせた。すねるような仕草は、彼の不本意の度合いを表している。
「そんなことはないよ。でも、言いにくいことだから」
 ハクはちらと葵を見た。
「ヨル君には関係ないことだよ。どうせ失敗作だから。もちろん、失敗作だからこそ、こうして使っているんだから、別に葵が可愛くないってことはないよ。責任を持って愛情を注いでいる。グレたら僕の責任だからね」
 葵は愛情の一言に、らしくもなく浮かれた。
 彼のそういう直接的な言葉は珍しい。
 親に愛されなかった者達も多く、普通でないながらも愛されるというのは嬉しい。
「あと、アヤは明日には動くつもりらしいよ」
「明日? なんですぐに動かないんだよ」
「そりゃあ、いろいろとあるん……ああ、アヤ」
 ハクは葵の後方を見て手を振った。
 少女姿のアヤは葵の横を通り過ぎ、ハクの隣に腰を下ろした。
「お前、薫と遊んでるんじゃ」
「薫はカーティスとじゃれてる。カーティス、小動物好きだから。薫をおいとくと癒されるみたいだから、涙にも重宝がられてる。ちょっと寂しい」
「小動物ってお前」
 アヤはふぅと息をつく。そしてハクのお茶を奪い取り、一気飲みする。熱いはずなのだが、彼女は顔色一つ変えていない。
「落ち着いた。さて、なんだったかな。ああ、いつ動くか?」
 ヨルは手つかずのお茶を呆然とするハクに差し出しながら頷く。
 緊張すべき話題なのに、彼らには緊縛感がない。葵はアヤが使ったカップにお茶のおかわりをついでやる。
「でもでも、僕らが下手に動くとそれこそ兄さんが仲裁にやってくるんじゃないかな?」
「それが問題なんだ。動くと倒れるあの人には、ずっと寝ていてもらいたい。だけど、あの二人はソウ兄さんと話し合いたいみたいだ。
 その気持ちは分かるけど、それでこの世界のバランスが崩れていやなのはお互い様なのに」
 アヤは足を組んで、入れたばかりのお茶を飲む。今度はゆっくりと。先ほどは一瞬で冷やしてから飲んだのだろう。今度は熱いお茶を楽しんでいる。
「まあ、傍観していてもそのうちマリウスの声に耐えきれなくなって出て行くかもね」
「あんな悲しい声で歌われたら……ねぇ」
 葵には聞こえない声が、二人には聞こえているようだった。もちろん鈍感なヨルに聞こえるはずもなく渋面になる。
「というわけで明日動く。用意しておいてねヨル君」
 ヨルはげぇと口にする。
 普段なら二人はこういった事にヨルを二人は巻き込みたがらない。それなのに、ヨルが指名された。
 何か不吉な予感でもあるのだろう。
「あと葵も」
「え? 私も?」
 葵は普段なら絶対に出さない地声で問い返し、ヨルに奇異な目を向けられた。
「そう。私たちが行くと問題多発だから、二人で交渉に行ってね」
 その言葉に、その二人は声もなく、口をただ間抜けに広げて絶句した。
 理解できない。
 あの危険人物達の元へ、二人で行け?
「冗談だろ?」
「本気♪ マジ☆ 真剣っ!」
 アヤはおどけた調子で言う。少女姿なものだから、ヨルは強く出られないので、力なくハクへと視線を移す。
「無理だって。俺たちでアヤの兄をどうしろと?」
「大丈夫。本体がないあいつらは、君たちよりも力はないよ」
「ほ……本体って、あれ?」
「そう」
 眠り続けるミストの身体。葵も何度か見たことがある。
 ハクを手伝うこともあった。だが一人で大仕事をして来いというのはなかった。ヨルにつけられたのですら驚いたほどである。
「竜王様に……竜王様に捨てられた……」
「こら、ハク。葵が可哀想だろ。繊細な年頃なんだから……って、俺も捨てられた?」
 ヨルは葵をかばい、それが自分にも当てはまることに気づく。
 実年齢に関して言った覚えはないが、ハク達がこちらに来てからの時間を考えれば、その生きた時も容易に想像がつくだろう。
「別に捨てるなんて言ってなよ。僕がヨル君もろともお前を捨てるはずないだろ」
「それもそうでございますね」
「だから、現状君たちの方が強いんだって。ヨル君だけだと不安だからね。葵がいれば問題ないと思うし、もしもの時は僕が行くから」
 ねぇ、と言ってハクは葵をあやした。
 もちろん、わざとなのだが、サービスにお茶請けのお菓子を出してやる。
「色々と言いたいことはあるけど今はおいとくとしても、正宗ってのがいるんだろ? アヤの兄貴の」
「正宗兄さんは……まあ、特殊なんだよ」
 アヤはがりがりと頭をかく。ヨルの前で女らしてところを見せようとして少女の姿で来たはいいが、忘れて足を開いて座っている。スカートの丈は膝上なものだから、ヨルはそれを見ないよう、葵へと視線を向けた。
「今の兄さんは、ここに流れ込んでくる連中と同じレベルだよ。同じとは少し違うけど、似たような物だな」
「それはいいけど、アヤ、男になるんなら外見も男になった方がいいよ。ヨル君純粋なんだから」
「あらいやだ。私ったら」
 小さく舌を出し、アヤは足を閉じてスカートの裾を正す。
「ごめんね、ヨル君。見苦しいものを見せて」
「うっ……」
 ヨルは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「ヨル君、私のお願い聞いてくれる?」
「い……行けばいいんだろ、行けば。その代わり、タダじゃいやだからな」
「世界グルメツアーはどう? 美食のあるところに美酒はあるわ。共に美味を極めましょう」
 アヤはしなをつくり、彼女を知らない男ならころりと騙されてしまいそうな笑顔を浮かべて誘惑する。彼女の性格を知ってそんな報酬で手を打つ者はただの阿呆だ。
「アヤと美酒……やる気出た」
 阿呆はいた。
「冥王様はほんとうにお酒が好きでいらっしゃいますね」
「酒と女は男のロマンだろ?」
「確かに酒と女(仮)はありますけど……」
「どうせ春日の事もあるんだし、ついでにマリウスも助けてやらないと文句言うし。ちょっとぐらい後の楽しみを持っていてもいいだろ」
 ヨルは茶を飲みながへらへらと笑う。弟の身がかかっているのに、のんきなものだ。
 そんなところが、彼らしいと言えばそうなのだが。
「んじゃ、俺準備してくる」
「準備って、土産でも持っていくつもりでございますか?」
「当たり前だろ。アヤのお兄さんなんだから」
 彼の行動は、常人には計り知れないものがあると、ハクは思っている。
 これが、明日のパートナー。
 不安はあるが、おそらく何とかなるだろう。
 仮にも、冥王と名付けられるほどなのだから。

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