9、切り裂く者 〜魔王の片割れ〜
横になり目を伏せていたミストは突然起きあがりこう言った。
「ケーキが見えた」
唐突な彼の言葉に正宗は言い淀む。彼の発言は時に唐突で突拍子がない。なぜここでそのような言葉が出てくるのか、付き合いの長い彼にも理解できなかった。いや、理解はできるのだが、その事態の予測がつかなかった。今は使用人がケーキを持ってくるような時間ではない。
「け……ケーキ?」
囚われの姫君よろしく歌わされて過ごす元歌手マリウスは、ミストの発言に慣れぬために戸惑い首をかしげた。
「ケーキが見えた」
「どういったケーキでしょうか?」
「美味しそうなケーキだった」
彼はよだれをたらしていた。幼い少年の姿をしているのでさして違和感はないが、よほど気になるのかマリウスがそれを拭った。甲斐甲斐しい男だ。
「ありがとう、マリウス」
「春日様の顔で、よだれをたらさないでください」
「マリウスは気が利くね」
「あなたが春日様だからです」
「女の子みたいだよね。女の子なら、好きになっていたかも知れない」
「お褒めにあずかり光栄ですが、男でほっとしております」
「僕を見て欲しい」
「男性を見つめる趣味はありません」
「では歌って」
「一時間前に歌ったら、あなたが寝てしまったのではありませんか。男性相手に子守歌を何度も歌うつもりはありません」
「つれない」
「そういうことは女性に言ってください。あなたは美鈴に気があると聞きましたが」
ミストは不思議そうにマリウスを見つめた。
「おしゃべりな妹だ」
正宗は小うるさい妹を思い出し、苦笑する。昔は物静かな子だったが、それでもいらないことを言うという意味では昔から変わらない。
「美鈴さんは……特別。身体が戻ったら迎えに行くよ」
彼女にはこちらに来て欲しくなかったというのがミストの本音だろう。正宗にとっては小うるさい女の一人でしかないが、彼にとっては代え難い存在らしい。彼にとって特別なら、正宗には保護する必要がある。それがミスト──破霧の影としての役目だ。
「美鈴のためにも、ソウには一度出てきてもらわなければならないんだ」
「ソウとは、一体何者ですか」
「ソウは……」
ミストは突然振り返る。
「ケーキが来た」
「ケーキ……」
正宗はミストの言葉にその場を動く。唐突に、ゆがみを感じた。
乱暴な、そよ風をおこせばいいのに竜巻を起こすかのような、むちゃくちゃな乱暴さで、何かがこの空間に進入した。
どさりと落ちた黒いそれと、その上にちょんと降り立つ水色の派手な衣装の道化。
前者はソウが最近こちらに間違えて連れてきた、自分たちと同じ存在。後者はハクが作った入れ物の失敗作だった。
「ケーキ」
道化が抱える白い箱。それを見てミストが顔を輝かせた。
「どけって」
「はいはーい」
道化はひょいと軽やかに黒い男の上から退いた。黒い男は身体についた埃を払い、道化からケーキを受け取り、にこりと微笑んだ。男のくせに可愛らしい。それはミストが支配するこの少年に共通するものだった。
「初めまして、お兄さん。俺は妹さんに、結婚を前提としたお付き合いを申し込んでいるヨルといいます!」
弟を取り返しに来た兄だと思いこんでいたら、妹を狙うウジ虫だった。
「……あー、それだけか?」
「これはほんの気持ちです。カーティスが、ここのケーキと、この酒が好きだったって言っていたから」
ケーキと酒の一言づつに、ミストと正宗は心を動かされた。
ミストは笑顔でケーキを受け取り、正宗は酒瓶を受け取った。確かに、正宗が一番好きだった銘柄だ。弟を拉致した相手から、普通に土産をもらう日がくるとは夢にも思わなかった。
「お前、何を考えてるんだ」
「何って、アヤは色々言うけど、やっぱり挨拶はしておかないと、と。あと、うちの弟、帰してください。美鈴が心配しているんです」
美鈴という言葉に、ケーキに手を伸ばしかけたミストの手が止まる。彼は悩んだ末、それをマリウスに持たせヨルと向き合った。
「冬夜君だね」
名を呼ばれ、ヨルはぎゅっと目を伏せた。この世界で名を呼ばれると、彼らにとっては苦痛だ。痛いのではなく、たまらなく不快になる。臓物を掴まれたような、そんな不快らしい。ミストと別れた正宗は当てはまらないため、その感覚は理解できない。
この現象が起こる理由は、よく分かっていない。このまま続くのか、安定があれば終わるのか、それはソウでも分からないと言う。
「春日の記憶で、君のことは知っている。美鈴さんとは幼なじみなんだってね」
「まあ、そんなところです」
ミストは春日の顔でにこりと笑う。
ヨルという男はイレギュラーだ。偶然迷い込んだ、ここにいる資格を持たない者だ。ソウの手により呼び込まれた美鈴のおまけでしかない。それがこの世界に大きな影響を与えている。巻き込まれたとしても、凡人であればこの世界で生きていけないからだ。
そのおかげで、本格的にソウを起こす活動を再開させたのだ。これがいれば、ソウがいなくても安定は保たれる。どこの馬の骨とも分からないが、『異界の者』の血を引く者がいたのは幸いだっただろう。それがのこのことここにやってきてくれた。アヤのような力はなくとも技術はある者や、技術はないが力が強いハクのような者ではない。彼は両方が中途半端で、今の身体がなない彼らでもどうにでもなる。ただ、共の道化の存在が気になる。あれからも、彼らと同じ気配を感じることから、ハクが作った玩具だということは理解した。ヨルよりもこちらの方が危ないかもしれない。ここまで転移したのは、力はヨルのものだとしても、コントロールはあの道化だろう。一朝一夕で学んだ力で、目的地に正確にたどり着ける技術は身につけられないからだ。
「お前達は、そのために二人で乗り込んできたと?」
「アヤがソウさんを起こすなって、それも伝えに来ました」
「ソウを起こすな、か。あいつには過保護にしても、何も意味がないってことを、あいつは分かっていないんだな」
「ソウさんって、虚弱体質なんですよね? 起こしても大丈夫なんですか?」
「虚弱体質じゃない。俺たちの中で一番強大な力を持っている。ただ、その力に身体がついていかないだけだ。無理をさせたら、ひょっとしたら死ぬかもな」
ヨルは『死』の言葉に顔をしかめた。
死が何だというのだろうか。ソウのことはアヤも知っているはずだ。彼ら兄弟は、皆力をもてあましている。一番力の弱いアヤですら、人間界では上手く生活が出来ていなかった。成長が遅かったのもそれが原因だ。あちらでは生きにくい。だから理想の世界を作ろうというのに、彼女がそれを妨害している。
「それがどうした?」
「そこまでして、話したいことがあるんですか?」
「ああ。それはお前のような他人には関係ない」
「他人なのでどうしようもないのは事実なんて、んじゃあ身内の弟を返して欲しいんですけど」
「じゃあ、もう返すか。なぁ、ミスト」
ミストはこくりと頷き、呪文を唱えた。この世界特有の法則を利用したデタラメな魔法ではなく、本物の、『魔界』に伝わる伝統ある魔法だ。
「レイズ・アリド」
闇が現れ、ヨルの足を掴む。彼は突然現れたそれに驚きもがくが、この魔法からは逃げられない。いくらヨルがミスト達と同じで、異界の者の血を引いているといえども、技術がないので抜け出すことは不可能。
「なんだこれっ。あの、俺なんか気に障ることでも?」
「気に障ることがあるとすれば、美鈴がお前を好いていることぐらいだ」
ヨルはきょとんと正宗を見つめた。彼もまだ中学生の子供だ。自分の気持ちに夢中で気づかなくても仕方がない。その青さが忌々しい。
「えと……美鈴のことで恨んでる?」
「別にそれが原因じゃない。お前がちょうどこちら側だったからだ。お前のようなものを作るために、その道化は作られた。元々はミストがしていた実験だ。それをハクが引き継いだ」
ヨルは中を漂う道化を見つめた。あの仮面の下には、どのような顔があるのだろうか。
「どちらが元になっているんだろうな」
「あれはアヤだよ。ハクのような力は感じない。アヤを元に作られている。ハクは混じっていない。アヤの力が安定しているから、成功したんだね。ただ、元が吸血族に近いアヤだから、ソウを受け入れられるほどのものじゃない。使えないってことか」
ヨルは顔色を変えた。
道化は頭をかき、空中であぐらを組む。常にふわふわと宙に浮き、一カ所にとどまっている。この一カ所にとどまって宙に浮き続けるというのは、意外に難しいものだ。このような器用なことが事が出来るのは、兄弟の中でもアヤぐらいだ。よって、彼女を元に作られていると見ていいだろう。
「葵……」
「そんな顔をしないでくださいよ」
「お前、女だったのか」
葵は脱力して地に下りた。彼の意見はずれている。このずれ具合は、アヤとハクが好きそうな部分だ。
「魔王様を元にされているだけで、ワタクシは魔王様と同じではございません」
肝心の部分を否定していない。もっとも、ハクの玩具の性別などどうでもいい。失敗作なら興味もない。だが見たところある程度は成功と言っていいだろう。ソウに与えることが出来ないというだけで十分使えるレベルだ。
それでも、必要はない。
「ミスト、道化は俺が見ている」
正宗はマリウスの元へ向かった道化を追う。道化は動きを止め、牽制するように睨みつけてきた。
「分かった」
ミストがもう一度呪文を唱えた。今度は、ヨルをがんじがらめにするために。すでに足を捕らえているたので、簡単な術で捕らえることが出来る。
「アリド」
ヨルの身体がびくりと震え、その愛らしさすらある顔が歪む。
「君は恨みはない。これは本当だよ」
ミストはヨルへと話しかけた。好かない相手に話しかけるなど、珍しい。
「だから、美鈴さんのついでの偶然とはいえ、こちらに引き込んだソウを恨んでほしい」
「へ?」
「この世界の者達と、同じ存在になって欲しい」
ヨルは小さく首をかしげた。何も知らないこの少年は、その意味を理解しないまま、変わるのだろう。
「それって、死ねって事か」
マリウスには聞こえないほどの小さな声で彼は言った。
「なんだ、わかってるのか」
正宗はヨルの言葉に小さく笑う。
葵と呼ばれた道化は、地面に降り立ち正宗を睨む。
「分からないはず、ないだろ。俺は事故にあった直後、こっちに来たんだ。美鈴と、一緒に。美鈴も、春日も死んでいる。ここに来るのは、死人ばかりだ。そんなこと、しばらく暮らしていれば嫌でも分かるだろ」
見た目通り、馬鹿な子供というわけではなさそうだ。自分のことも理解していないようだが、それでも肌で感じるのだろう。
死人というのは、どれほど同じに見えても違う。
肉という器がないからだ。この世界には、それに似た外郭を作るための、独特な力が溢れている。人間界にはほとんどない霊素に溢れている。それが、魂の外郭、器となる。壊されれば修復は可能だ。もちろんそれには時間がいる。誰かの腹を借りる必要がある。それでも、修復が可能だ。それが出来るのは、死ぬ瞬間、死も自覚しなかった柔軟な光の民。
そして死の瞬間を自覚していた闇の民は、ここに来るに当たりその記憶をなくし、形を変えた。その影響か、外郭を取り替えることが出来ない。本能的に、己のことを理解しているから。外郭を破壊されても、不安定な状態でそのままで存在し続ける。時に自分がなぜここにいるか理解する者もいる。カーティスや春日など、ごく一部の限られた存在だ。彼らは、この背化について理解していながら、気づかないふりを続けた。
「理解している割には、落ち着いているね」
「落ち着いてなんてねぇよ」
「大丈夫。その健康的な身体をもらうだけだよ。どうせ元の世界には君の力では帰れない。なら、あってもなくても同じだよ。君が何の血を引いているかは、僕らにも分からない。それでもその血は、僕らにとっては有用だ」
「なんで俺の身体なんかいるんだよ」
「僕らには、二人で一つしかないから」
ヨルは正宗に視線を向けた。正宗は、葵が動けぬよう、その隣に立っていた。
「二人で一つ?」
「ずっと二つの魂を一つの身体が共有していた。ただれそれだけだよ」
一人一つの身体は、幼い頃から求めていたものだった。普通の人間は、二人のあり方を見ると気味悪がった。会う度に人格が違うのだ。他人らから見ればさぞ不気味だろう。いい精神科医がいると言う者もいた。しかしこれは病気でもなければ、演技でもない。
それを受け入れていたのは、身内と美鈴だけだった。普通に生まれた妹が連れてきた、普通の少女は皆が不気味だという彼に、普通に接した。そんなところを、ミストは気に入った。
それでも彼女はあまりにも遠く、自分たちのあり方を変えられるこの世界に来た。しかしこの世界は今を維持するのが難しく、生きている自分たちがその存在する力を提供する必要があった。ソウの羨望丸出しのこの世界は、二人にとっても居心地は良かった。人の世界は過ごしにくいが、この世界はとても過ごしやすい。何をするのも自由だった。
ここは誰も目をつけていなかった、とても曖昧な世界。手が入っていなかったここは、ソウの手により安定を得た。そうして、ソウはこの世界の創造主となった。そして形作られた影響か、行く先を知らない幼い魂が迷い込み、住人となってここで成長していった。それをソウは快く見守っていたが、世界がしっかりと形を持ち、人数が増えると供に一人で支えることが難しくなり、正宗達も巻き込まれ、今に至る。
どうせ人間界になど未練はない。どこにいても同じなら、好きなことが出来る場所にいたい。なによりここでは、正宗なら仮初めの肉を持つことが出来る。つまり今、正宗の身体は死人達と同じだ。しかし基本的に不便は感じない。肉体にある力を使えないのは不便だが、この程度の相手なら、問題ない。
「正宗は外郭を持っているから、僕までそれをしたら、身体の方が死んでしまうからね。人っていうのは、魂が死を認めると、身体は機能を止めてしまうからね」
だから封じられるがままに封じられていた。他人の外郭を奪うにも、ミストを受け入れられるような存在が、滅多にいないのだ。カーティスであっても、足りないほどだ。
これの兄なら、妥協できる程度だろう。力だけは強大なソウに与えることは出来ないが、ミストなら上手く使いこなすだろう。
「ミスト、やれ」
「ああ」
ミストがヨルに手を伸ばした。ヨルは小さく息をつき、ミストを見据えた。肝が据わったか、潔い。
「痛みはないよ。ただ、入るだけだから」
出て行くのも、入り込むのも、彼にとっては造作もない。手が届く直前、ヨルは口を開いた。
「はる」
ヨルが春日に呼びかけた。
「春日」
ミストの動きが止まる。
「どうした」
「動け、ない」
ミストはゆっくりとした動きでヨルへと手を伸ばす。しかしヨルは力任せに拘束を振り切る。ミストの術を打ち破ったのだ。
それからヨルは正宗の元へと走った。葵が後退し、傍観していたマリウスの手を取る。
正宗は剣を抜く。この世界、シェオルのものではなく、父からもらった魔界の剣。ミストを守るためにある、自分の存在理由。霧を裂くための刃。それが父に作られた正宗の存在意義だ。
ミストが望む、あの身体。
出来れば無傷で手に入れたかったが、死ななければ問題ない。
その時、彼の背後でとんでもない声があがる。
「ワタクシは姫を連れて、先に帰りまぁす。じゃ!」
ヨルと合流するものだと思ってマリウスの元に走る葵を許した正宗は、その言葉に耳を疑い、本当にさっさと帰るところを目撃し目を疑った。葵は一瞬で姿を消し、そこには誰もいなくなった。
「…………」
このような器用なことは、ヨルでは出来ないだろう。こちらに来てまだ数ヶ月だ。高等技術を身につけていれば、まず始めに拘束されることはなかった。だから、彼は転移できない。つまり……
「み……見捨てて行きやがった」
ヨルは肩を落として立ち止まる。哀愁漂うその全身は、幼い故に
「正しい選択だよ。君を回収していたら、逃げられないからね。
しかし驚いたよ。いきなり春日が思ったよりも強く抵抗してきたから」
兄の声に、一時的な抵抗に成功したのだろう。
麗しき兄弟愛。
正宗とミストも兄弟のようなものだ。その気持ちは理解できる。しかしこのすべての世界で、本当に理解し合える存在という意味では、兄弟など比べものにならないほどのつながりだが。
「マリウス、ケーキごと行っちゃったな。あとでまたケーキごと連れて来なきゃ」
「まだ諦めてねぇのか。ってかケーキもか。しつこい男は嫌われるぞ」
始めのころの丁寧さが消えた。アヤの兄であることは、頭から消えたらしい。
「好かれようとは思っていないよ。ただ、あの声が好きなだけだから。楽しげな声も、悲しげな声も、すべてが心に響く。それが彼の持つ才能だ。その才能ゆえに富と名声を得て、そのために彼は殺されたらしいね」
ヨルは顔をしかめた。自分が支配していた者を奪われた事に関して、反感を持っているのだろうか。ヨルは黒いマントをいじりながら、ミストを睨んだ。
「お前ら、アヤ達が来る前は悪政敷いてたんだろ。俺はそういうことのために死ぬつもりはねぇぞ。ソウでなくても、死ぬつもりはねぇけど」
「悪政? すべてはこの世界のためにしたことだぜ。人数が少なかったから、生きている奴が少なくて、安定しなかったんだよ」
正宗は世界について説明してやる。
「安定って何だよ。悪政の必要なんてなかっただろ!」
「放置すれば、住民巻き込んで崩れる場所が出てくる。それを防ぐために、多少憎しみを持ってもらったけだ。
俺たちで支えられないなら、たくさんいる奴らから搾り取るのが普通だろ。死人にも感情がある。煽れば通常よりも多く力を出す。それが、必要だった。
アヤ達が来て、普通にしていてもよくなっただけだ。あいつは俺たちの身体を抑えて、生かさず殺さず利用するだけ利用するってのが、我が妹らしい」
可憐な容姿で、いつも小さくなっていながら、情けも容赦もない。それが彼らの妹だ。今は尊大な態度だが、基本は変わっていない。
そんな可愛い妹の愉快ないたずら。その程度の害でしかない。あれでも身内であり、大切な人材だ。
しかし目の前の少年は違う。赤の他人で、邪魔者だ。
「ミスト、少し痛めつけるぞ。抵抗できないように」
「あまり傷つけないでね。そのあと痛いのは僕だから」
「あー、善処する」
正宗は剣を構えた。日本刀に似た、片刃の剣だ。ただし作られた文化が違うため、日本刀とは異なる。
正宗は、この剣をとても気に入っていた。自分のために作られたかのような、最高の相性だ。
「抵抗しなければ、痛い目にあわなくてすんだのにな」
「殺そうとした奴に言われてもなぁ……」
ヨルはそれでも暢気に言う。
「ずいぶんと余裕だな。何か隠し球でも持っているのか?」
「いや、それを言ったらおしまいだろ。俺だって、元々ある才能だってあるんだからな」
ヨルは胸を張って言う。正宗はミストへと視線を向けた。彼なら、春日から情報が引き出せる。
「彼は、人間界にいたときから霊能力者としての才能があったみたいだよ。本人が恐がりだから気づいていなかったようだけど。いや、恐がりだから、霊を一切寄せ付けなかったから気づかなかった。春日はそんな非常識な兄を見て育ったらしいね」
「え……何それ」
ヨルは戸惑いミスト──いや、春日を見つめた。
どうやら自覚がないようだ。
「どんな親から生まれたのかは知らないが、何も教えられていないんだな」
「俺の親は普通だぞ。そりゃ、めちゃくちゃ頭いいし、変な研究所の職員だけどさ。母さんも普通の主婦だし。めちゃくちゃ若作りだけど………………」
彼は沈黙した。何か心当たりがあるのだろうか。しかしその沈黙は隙だ。ご丁寧に答えが出るまで待ってやる必要はない。ここで待つのは、アニメの中の悪役だけだ。
正宗はヨルへと向かい走り、剣を振るう。ヨルはそれに気づき、杖を構えた。あってもなくても同じだろう、素人向けの精神集中のためだけに存在するのが杖というものだ。
正宗は容赦なくそれに斬りつけ──
「受けたっ!?」
ひょろりとした荒事とは無縁に見えるこの少年が、慣れた様子で剣を受けたことにも驚いた。それ以上に信じられないのが、竹を叩き切るように、すっぱりと折れるはずだった杖は、正宗の魔剣を受けて傷一つついていないことだ。
この世界の材質では、不可能だ。
木のような材質で出来た、ドクロの杖。ドクロの中で不気味に輝く石は、改めて見れば異様な力を秘めている。
「異界の杖か……。アヤめ、こんなものをオヤジからもらっていたのか」
「異界の杖?」
ヨルは顔をしかめた。
「これは元の世界のものだってのか?」
「本当に何も知らないのか。じゃあ、魔界の杖を持っていながら、その価値を知らないとは……」
「魔界……ってどこだよ」
「どこと言われても困るが、この世界のようなものだ。元々、この世界は魔界に似せてソウが作ったからな。魔界というのは、俺たちの父がいる異世界だ。言葉の通りの世界を思い浮かべればいい」
「つ……作った!? どうやって!?」
「この世界は存在はするが、形が安定していなかった。それに魔力とイメージを流し込んでやれば、簡単だ。難しいのは、そういった手つかずの世界を見つけることだからな。まあ、お前みたいな一般人上がりの人間には、言っても理解できないかも知れないが。これがどういうことかも理解できないだろう。これがどれほど価値のあることか。この世界を上手く育てれば、魔界や人間界に並ぶ世界の王になれる。つまりは創造主だ。
この冥界は、そういう可能性がある、優れた界だ。
求めているのは、住民の安定じゃない。どうせ奴らは死なない。死ねるほど、この世界が安定していない。俺たちが求めているのは、世界の安定だ。
そのために、お前の身体を使ってやろうって言っているんだ。感謝しろ」
ヨルはうーんとうなって頭をかく。相変わらず緊張感がない。春日の性格もそれに近く、よほどぬるい生活環境にあったことが窺い知れる。
春日には時間があった。アヤという教育者があった。肉体がなくとも、その存在は大きく、利用する価値があった。この兄はどうだろう。このまま生きていて、役に立つか、立たないか。それが一番重要だ。もしも役に立つならば、諦めればいい。ハクがしているように、自分たちを元に優れた器を作ればいい。それでも作り物というのは、自然に生まれた者よりも劣る。母の腹から生まれるというのには、大きな意味がある。他人の身体を乗っ取っては、本来のその意味が薄れる。
それでも、脳天気な馬鹿よりはミストが使った方が数百倍益がある。
「やっぱ、そんなことのために死ねとか、他人をいじめるような奴に、くれてやる物はない!」
やはり凡人。
アヤ達が来る前に、生きたまま殺すのが最良だ。葵を逃がしたのは、まずかった。アヤが来るかも知れない。だからこれ以上の時間つぶしは必要ないだろう。
説明をしている間にヨルに忍び寄ったミストは、ヨルの頭に手をかけた。
「お休み」
ミストが囁き、二人は同時に倒れた。ミストがヨルの中に入ったのだ。
後は、時間の問題だ。