11話 霧を散らす者〜もう一人の魔王〜
意識がとぎれていた。我に返ると、彼は知らぬ場所にいた。
どこの家庭にもありそうなテーブルには、花瓶だけが乗っている。壁際には大きなテレビがあり、窓にはカーテンが敷かれている。振り返ると、キッチンが見えた。カウンターには小物が置かれて、少し洒落た一般の家庭らしさを出している。小物の中には写真があり、中にはヨルと小さな春日。そして柔和な顔立ちをした癖っ毛の男、そして癖のない黒髪の女が映っていた。家族写真だろう。二人の少年は母親に似たらしいことが見て取れる。
生活感のあるリビングだった。
しかも、ヨルの家のリビングだ。
考えれば考えるほど、馬鹿らしい考えが答えだと確信する。
「……引きずり込まれた」
選りに選ってあの間抜けなヨルに、乗っ取るどころか引きずり込まれた。
人とは時として思わぬ事をしでかすものだ。早々に予定が狂ってしまった。
「問題は、どうするか」
ヨルがいれば問題はなかったのだが、ここには誰もいない。生活感だけが存在する。
ミストが体験したことのない、当たり前の家庭の生活感。常に使用人が全てを整えていたため、彼はこういう一般的な家庭をよく知らない。知る必要がなかった。あちらでは。
もう一度部屋を見回していると、階段を下りてくる足音が耳に入る。ヨルだろうかと身構えていると、入ってきたのは幼い子供だった。
「あ、ミスト様! どうしてうちに!?」
それが、まだ幼い春日だということに気付くのに、しばらくかかった。シェオルに来たばかりの頃の春日だろう。彼はキッチンに向かうと、冷蔵庫を開けた。
「すみません、今何かお飲み物でもお出し……って、酒ばっか!?」
春日は冷蔵庫の中の酒類をあさり、棚の中の酒類をあさり、もう一度冷蔵庫の中から酒のつまみによさそうな食べ物を手にし、地団駄を踏む。
「もう兄さんったら、他はすごくリアルなのに、腹に入れるのは酒とつまみのことしか考えてない!」
彼は怒りながら急須を取り出し、茶葉もないと嘆き、ミストの元へとやってくる。
「ごめんなさい、ミスト様。お出しできるものがありませんでした。本当のウチなら、ちゃんとあるはずなんですけど」
しばらく一緒にいたためか、彼の好みを知っているらしい春日は頭を下げて謝罪した。
「君……」
「あ、僕は本物の春日です。で、ここは兄さんの夢の中です」
彼はにこにこと笑いながら、存在を示すように自分の胸を叩く。
「君、慣れている?」
「あ、はい。昔から兄さんと一緒に寝ると、時々引きずり込まれたんですよ」
夢の中に進入するというタイプなら他にも聞いたが、他人を夢に呼び込む体質など聞いたことがない。
「いつもは僕だけだったから、他人がいると思うとちょっと嬉しいです」
えへ、と笑う彼は見た目通り子供らしい。成長しても子供らしさが抜けていないのか、これがヨルの作り出した春日であるか、見た目に合わせて逆行したのか。
しかしヨルが作り出したということはないだろう。先ほどまで一緒にいたため、巻き込まれたと考えた方が自然だ。
「ここは君の家のレプリカ?」
「はい。兄の夢の中の、僕の家です。昔はよく一緒に寝ていたから、紛れ込んで自力じゃ起きられなくなったんですよ。いつも母さんが兄さんを起こして、僕も一緒に起きていました。兄さんはそういうの全部忘れるんですけど」
春日の方は自覚があるらしい。
彼は懐かしがって、部屋中を丹念に見て回った。彼は小学生の時にこちらに来て以来の我が家だ。作り物とはいえ、懐かしがるのは当然である。彼は時の流れが速いこの世界においても、まだまだ幼い。
「ヨルはどこにいる? 彼の夢の中なら、いるはずだと思うけど」
「兄さんは部屋にいると思いますよ」
「案内してくれる?」
「はい。まあ無駄だと思いますけど」
彼の言葉に不審を抱いたが、見れば分かるだろう。何が無駄であるのか。
階段を上り、途中あった窓から見える光景は真っ暗で、何も見えないことを確認した。案内されるまま突き当たりの部屋の前まで行くと、春日がどうぞと言って道を譲った。
彼が何を考えているのかはよく分からないが、余裕があるのは見て取れた。取り繕ったものではなく、心からのものである。
ドアに手をかけると、扉は開かず、破壊も出来ない。何度か全力で扉に力をぶつけたが、びくともしない。夢の中では主が絶対だ。
ただしそれはコントロール出来ればの話である。普通の人間は夢をコントロールなど出来ないものであり、無力になる。だが、これには明らかな意志を感じた。
「閉じこもっている?」
夢に操られるではなく、自らの意志で。だとすれば厄介だ。彼はある程度夢を操れるのかも知れない。夢を操るのはアヤの方が得意だが、ミストも不得手ではない。その彼がどうしようも出来ないのだから、この夢を形成している主はかなりの力を持っていることの証明となる。
「いつもそうですよ。声はかけてくれるけど、出てきてはくれない。今は声もかけてくれないけど」
力を叩き込んでもびくともしない。意外に基礎はしっかりしているようだ。転移のコントロールも出来ないから、てっきり中身はむき出しだろうと思っていたが、こうも強固とは驚いた。
これほどしっかりしているなら、もう少し力を扱えてもおかしくないはずだが、なぜ彼はああなのだろうか。この認識は春日の知識から得た物だが、彼が間違っていたとも思えない。能ある鷹は爪を隠すなどという言葉があるが、彼に限ってはここまで隠す必要などないはずだ。
「ここが、人間界の標準的な民家ですか。なかなか興味深いですね」
突然上から声が振ってきた。
見上げると、天上に横になるように張り付いた葵がいた。見つからないように、天井を這ってきたのだろう。
「…………どうしたものか」
「あ、無視しましたねっ! ものすごく冷めた目で見た挙げ句に無視しましたねっ!? 放置プレイなんてお兄様のイケズぅ」
騒がしい道化姿の幼子は、ひとしきり天井付近で騒いだ後、床の上すれすれまで降りてドアの前に立つ。
「君は何をしに来た」
「もちろん、私の両親に言われてお使いでゴザイマス。来たはいいけど、戻れないとは夢食いとして情けない限りです。冥王様の未熟さを馬鹿に出来ませんデスね、ハイ。ということで、責任を持ってたたき起こしましょう。戻れないですし」
何を考えているのか、腕を伸ばしノックした。そして、
「ヨル君、開けて」
と、アヤと同じ声音で言う。元々が同じなので、同じ声を出すことも容易だ。元々、わざと低くもなく高くもない声を出していたので、こういう声を出す方が自然だと言える。
こんな事で開くはずがないと、口にしようとした瞬間。
「あ、開きましたデスよこの扉」
葵はガッツポーズをとって見せた。
このしっかりとした世界を見せられて感心していたが、やはり春日の認識するヨルという男に間違いない。春日が顔を引きつらせていた。兄がこれでは呆れるのも当然である。
部屋の中は暗くて何も見えなかった。廊下は電気がついていた明るいのに、部屋の中にはまったく光が届いていない。
「入りマース」
葵がその闇に支配された部屋の中に、臆することなく入る。
「わー、初めて入る」
春日がスキップで部屋に入って行く。二人の後ろ姿は、部屋にはいると同時に見えなくなった。ここで留まっていても意味がないので、ミストも部屋に一歩足を踏み入れた。
部屋はやはり闇に包まれていたが、不思議と葵と春日の背中はしっかりとよく見えた。
そして、目をこすり大きなあくびをするヨルの姿も。
「……アヤは?」
「おはよう、ヨル君。朝食は何にする? 冷蔵庫の中身を見たら、酒と肴しかなかったけど」
アヤの声で少女のように言う葵の言葉により、ヨルは明らかに落胆した。
「見たのかよ」
「ハイ。人間界とはオソロシイところでゴザイマス。私には生きていく自信がございマセンです」
「いや、別にそういうのばかりというわけじゃ……」
「あな恐ろしや恐ろしや」
「ってかお前、かまって欲しいだけだろ」
「ああ、冥王様が鋭い!」
葵は過剰な身振り手振りで踊るように倒れて、なよなよと泣くふりをする。
「兄さん、どうしたの。中に入れてくれるなんて」
「ハルも昔みたいな子供じゃないしな」
ヨルは春日に笑いかけ、見えないベッドの上から立ち上がる。
「しかし身体を失っても、お前は相変わらずなんだな」
「え? どういう……意味?」
死んでも相変わらず、という意味には聞こえなかった。春日は戸惑い上目づかいに彼を見る。
「父さんの血が濃いって言っても、少しぐらい自覚をするもんだけどなぁ」
「え?」
「お前らしいけど。
ま、座れ」
円を描くような位置に四つの椅子が現れた。不審はさらに募るが、二人が座るので、ミストも座る。
ヨルの印象が、先ほどと少し違う。
闇色のマントに身を包むのは相変わらずだが、雰囲気が違う。なんというか──
「酒ならあるらしいけど、茶はないから我慢してくれ。暗いのも、俺がいる以上必然だから気にするな」
にこにこと満面の笑みを浮かべている彼は、
「竜族に近いお兄さんには、不安かも知れないですけど」
ミストが暗い場所を好まないのは、本当だ。
「ああ、冥王様がいつもと違って何でも知っている気がするっ!」
葵が叫び身悶える。何も知らなそうな顔をしていたときと違い、彼は理解する者の顔つきだ。言った覚えもないのに、ミストのことも知っている。アヤが言うはずもないので、自分で考えたのだろう。
「失礼な奴だな」
「いつも『ナニソーレー』な顔をしていらっしゃるのに、私悔しゅうございますっ。こうなれば、陛下の声音を使い、冥王様に対するありとあらゆる悪口を」
「お前何しに来た」
「モチロン、ミスト様が戻っていらっしゃらないので、様子を見にだけですが。そうしたら私まで出られません。早く帰してください」
「あ、無理」
ヨルは事も無げに言った。
「昔は母さんが何とかしてくれてたけど、今はいないから数日このまんま」
朗らかに言う彼の言葉に、一同は言葉につまる。さすがの春日も頭を抱えていた。
原因の本人は悪びれもない。危害を加えようとする侵入者に対し、優しさなど持つはずもない。
「だからミストさんも、仲良く待ってくれるとうれしいな」
ここで彼に何かをすれば、戻れる可能性もあるが戻れない可能性もある。手出しは今のところ出来ない。そう考えるのを予測しているのだろう。
「冥王様はお母様以外が起こしても起きないのですか? マリウスさんは新妻のように毎朝優しく起こしていましたが」
ミストはそれを想像して渋面になる。これが嫉妬というのだろう。美鈴といい、マリウスといい、欲しい物は皆彼が持っている。
それを思うと、胸の中に嫌な感覚が走るのだ。
彼は立ち込める霧を散らすように、迷い無き男になれと名付けられた。しかしこれでは霧の中でさ迷っているようだった。
それを押し込めるように、彼は目を伏せ歯を噛みしめる。
「俺は普通に寝てるのなら、普通に起きるよ」
「普通に寝ていないとは?」
「何で言わなきゃいけない?」
食いつく葵に、ヨルは冷たく突き放す。
「陛下にお知らせするためです」
「知っていれば知っているし、知らなければ知らない。聞きたければ本人が聞けばいい」
「でも、いつもは忘れていらっしゃる」
ヨルは顔を顰めて葵を見た。闇色の瞳に射抜かれ、葵は身をすくめる。
「普段は別にいいけどな、あんまりそういう中身を探るのはやめた方がいい。眠くなったときは危険だから」
彼は立ち上がり、小さく笑って葵の仮面に触れる。
「壊れても俺はどうしようもできない。俺は記憶があってもなくても不完全な未熟者だから」
ヨルの言葉は葵をひるませた。しかしそれも一瞬。幼さとは愚かなまでの一途さを与える。
「壊れてでも、親のために役立とうという不出来な子の気持ちを察して下サイ」
葵の言葉にヨルは苦笑いし、再び椅子に座った。葵はあぐらをかき背を丸める。そして仮面の奥から、ヨルを睨め付けている。
子供というのは侮れない。何を考えているか、想像も付かない。彼であり彼女であるそれは、目的のためには手段など選ばないだろう。葵の目的はただ一つ。彼にとって最も大切な、生みの親に褒められること。
「何も教えてはくれないのですか?」
「教えない。教えてどうにかなるわけじゃないし。普段は俺のこの部分は眠っている。だから覚えていない。
お前達が知っておけばいいことは、もしも俺が起きないときは、あまり近づくなってことだけだ。じゃないと、闇に取り込まれるぞ」
闇の化身は脅すように薄く笑う。大人であれば、触れることを戸惑っただろう。しかし相手は、見た目こそ大きいが、中身は子供だ。
「教えてくれないなら、今度陛下に泣きながら『冥王様に……やっぱりいです忘れてくださいごめんなさいっ』とか言って全力で逃げたり必死に隠れたりしてみますよ?」
「……や、やめろって! 洒落になってない!」
アヤの劣化コピーである特殊な存在が言うと、多少の説得力を持つようになるそれに、ヨルは今までの余裕を崩して狼狽えた。姿を隠せば、本人が何を言っても疑問を持たれることもある。
「だったら白状あるのみ。隠し事は許しません」
「お前、数少ない人のミステリアスな部分を暴こうとするな! せっかくアヤの気が引けると思ってるのに!」
「セコっ」
まったくもってその通りだ。女の気を引くために謎を無理矢理作るなど、本末を転倒している。
その様子に絶えきれなくなり、春日が口をはさんだ。
「兄さん……せっかくミスト様が乗り込んできてくれたのに、動けないから一緒にじっとしててね、好きな子の気を引きたいから話さないよ、じゃかなり間抜けだと思うけど」
「どうせ俺は間抜けだよ。ほっとけよ。そういう一族なんだよ。見てれば分かるだろ。遺伝子とかじゃなくて、中身に刻み込まれてるんだよ」
段々と彼はミストの印象の彼に戻っていく。
予定通りでないのは、戻れないというこの現象だ。目的は、彼をこの身体から追い出すことだった。それが出来ないと判明した以上、予定を変更せざるをえない。いや、彼が来る前の予定に戻さざるを得ない。
だとしたら、やはり彼は邪魔な存在でしかなくなった。
しかし手間は手だてがない。その現状に対して、己の無力さに腹が立った。
「……お兄さん、何もそんなに睨まなくても」
拗ねていたヨルは居住まいを正した。睨んでいたつもりはないし、何を考えているか分からないと言われる彼から、どうして殺意を感じたのだろうか。思っている以上に敏感、ということはないだろう。ここが彼の中だからという理由で納得する。
「身体はあってもなくてもどうしようもなく困るってわけじゃないからあげてもいいけど、やっぱり困るからあげられないんで」
彼の思考は、人とはかなり異なるようだ。ここでこのように取り繕う意味はないのだから、彼の言葉は本心だろう。ここで変人を装う理由が何もないのだ。
「無くしたら父さんに叱られるし」
「はぁ!?」
突然の一言に、ミストは思わず声をあげた。困る困らないというのは、この世界にいるなら間違いなく本心である。そして、その後にこの言葉。
「父親に叱られるから嫌なの!?」
「んまあ……色々と……事情が」
彼はもごもごと歯切れ悪く何か言う。
「ここは異世界だよ。どうやったら叱られるからとか言う馬鹿らしい理由が出てくるのか教えて欲しいな」
こんな親が恐いからという理由を口にするような男が、可愛い妹を狙っていると思うとそれだけで腹立たしい。何より、あの美鈴がこんな男に好意を持っていることが信じられない。
「家庭の事情」
その返答は、ミストの癪に触った。
「その父親は、人間じゃないの?」
「いや、父さんは人間」
「じゃあ母親は人間じゃないんだね?」
「いや、まあ、中身は確実に」
「中身!?」
「ミストさん落ち着いて」
「僕ははっきりしないのが嫌いなんだ! きっかけはこちらが悪いのかも知れないけど、結果巻き込んでいるんだから、何がどうなっているのかはっきりしろ!」
ミストは立ち上がり、ヨルに向かって一喝する。ヨルは頭をぼりぼりとかき、ふいと顔をそらす。あくまでも黙りを決め込むつもりのようだ。完全に自分優位と舐めている。
「言わなければ、頭に直接聞くだけだよ」
「ストップ、待って兄さん!」
アヤの声真似をして、立ち上がったミストの腰に葵がしがみついてくる。
「壊して出られなくなったらどうする気です!?」
「そうなったら正宗がこいつを殺す。夢は身体が死ねば見られない」
「乱暴なことはやめてください! あなたに何かあったらどうするんですか!? それに聞きたいことがあるんです!」
葵の言葉で少し冷め、再び椅子に腰をおろす。
その様子を眺めるヨルの姿は落ち着いて見えた。実に憎らしい態度である。
「冥王様。一つ聞きますが、あなたは人間ではないと」
「ん、まあ」
「身体も? 中身だけ?」
「何でそんなこと?」
「自分で言ってたじゃないですか。まあ、この答えで、あなたの言葉に対する確信が持てましたが」
ヨルは答えず、苦笑いだけ返す。
中身だけ人間ではないということは──
「寄生生物……」
「違うっ!」
ギョウ虫のような物を想像したが、本人の口から即否定された。彼の回りの者達に言い聞かせるいいチャンスだと思いついたのに、残念だ。
「兄さん……人間じゃなかったの?」
春日は兄に向かって言った。
「お前もこっち側だって」
「でも僕、普通に………………ここにいるよ?」
彼は一瞬言葉に詰まった。彼は殺された事を自覚している。時がたっても、それを口にすることは辛いのだろう。
「それが不思議なんだよな。俺みたいな現象はないし。お前は父さんに似たのかなとも思ったけど、母さんは鈍感なだけだって言ってたけどなぁ」
「鈍感って……人がいないところでひどいっ」
「別に心の問題じゃない。感覚の問題だ。お前、幽霊とか見えるんだろ?」
「うん」
「俺には見えない。でも要素はあるから見えるようになる可能性もある。その差と似たようなもんだ」
春日は首をかしげた。
「まあ、ちゃんと収まるところに収まってるから、何も問題ないだろうな。実際の所、ソウさんに引き込まれてお前ラッキーだったよ。ここが魂に身体を与えてくれる世界で助かった。母さんが見つけられないから心配してたんだ」
「え……見つかって……ないの?」
死体が。
「いや、ちゃんと身体はとってある」
「とってある!?」
「ああ、普段の俺は忘れてるけど、ちゃんと綺麗にして地下室にあるって。こっちのこと知らなかったから、ないと大変だってとりあえず」
「……僕の身体、防腐剤漬け!?」
さすがに哀れだ。死体を実の親に弄ばれる当時小学生など、そうはいまい。
「いや、生きてるよ。お前が生きているからな」
「……って、じゃあ僕って臨死体験中!?」
「いや、世間的には死んだことになってる。だから身体が欲しいなら、ちょっくら取ってくるし、別にいらないならこのまま。母さんはこっちの健康状況ぐらいなら伝わってるから、心配はされてないだろうから安心しろ」
中身が云々以前に、外見も人間ではないように聞こえた。春日も頭を抱えて自分の身体について悩み出した。今までも悩んでいただろうが、それが馬鹿らしく思えるほど彼の兄は明るく語る。
「兄さん、気になるからホント教えて」
「お前だけならいいけどなぁ。余計なのがいるからなぁ……」
と、彼は葵とミストを見た。一族の秘密を、部外者に漏らすのは確かに愚かである。しかし相手を見て物を言うべきだ。
「俺達にとっては、結構大きな問題だからな」
「そうなの?」
「ああ、下手に見つかったら、食われちまう。俺達は隠れ住まなきゃいけない人種なんだよ。ほら、父さんと母さんを思い出せ」
「えと…………え゛」
何か心当たりがあるのか、春日は固まった。
「あの二人は、また愛情があったからいいけど、ないと悲惨だろ」
「うん、悲惨」
「な。だからここまで言って分からない奴には用はないし、どうせならアヤの方がいいし」
「うん。僕も」
心なしか青ざめた春日は、こくと頷いた。彼らの写真は普通に見えたのだが、その裏でどんな人外魔境な一族であったのだろうか。元々人外魔境の家で育った彼とは、また違う異様な環境なのだろう。
「だから普段はバレないように封じてるんだ。ほら、俺って隠し事下手だから」
「うん。途中まで隠すつもりないんだと思ってた」
「ああ、別に全部隠すつもりはないからな。言っても分からないだろうし」
「僕もよく分からないんだけど」
「危機感が生まれればいいんだよ。お前がお前であることには変わらないけど、いつまでも変わらないとは限らない」
「分かった。兄さんも心の奥底では多少考えてたんだね」
「お前……兄を馬鹿にしてるのか?」
兄弟は自分たちだけで結論を出した。春日はそれ以上頼りにはならないだろう。葵が何か言わないかと彼を見ると、右手を小刻みに動かしていた。その仕草は、まるで何か書いているようだ。
紙があるわけでも、ペンがあるわけでもない。
ミストは彼の様子をじっと眺め、見つめられる彼は視線に気付いて手を止めた。
「冥王様」
「ん? 俺はミステリアスな男だからな。話さないぞ」
「陛下になら、話してもよいとおっしゃいましたね」
「まあ、アヤがここまで来ることがあったらな。まずないと思うけど」
と、彼が肩をすくめて言った瞬間──。
「来ちゃった」
アヤの声が降ってきた。
「呼んじゃった」
葵が茶目っ気たっぷり口にする。
突然自分の膝の上に降ってきたアヤを見て、夢の主は目を丸くした。
そして彼は微笑み、
「やっぱ、アヤはすごいな。招いてもいないのに入ってくるか」
「当然」
他人の夢の中でも自由に歩き回れる彼女は、兄弟の中で最も技術が高い。
「やっぱ、契約するならお前がいいや」
ヨルは奇妙なことを口にして、アヤを抱きしめ、目を伏せた。