終話 闇と死の世界
ヨルは音無き闇の中を移動していた。
あれから数時間後、ヨルはアヤ達と城に戻りすぐに出かけた。
春日そっくりのソウを連れてきたもので美鈴が何か言っていたが、気にせずに部屋に戻り準備をして目的地へと赴いた。
ヨルが緊張の時から解放されて帰ってくると、彼の部屋に友人達があつまり、人だかりのようになっていた。まるで人生の最期を向かえる者を囲むようにして、
「しっかりして! ねぇ起きて!」
だの
「まだ若いのに、お労しい」
だの
「起きろって言ってんでしょ!」
と何かを叩き、騒いでいる。
ヨルは理解しかねて腕を組んで考える。その話の外側に、マリウスがいたので声をかけた。
「なぁマリウス。どうしたんだ?」
「ああ、ヨルが目を覚まさな…………」
マリウスがすごい勢いで壁へ向かって後退していった。キザな彼らしからぬ滑稽なしぐさである。
「ヨルっ!?」
マリウスの奇声を聞き、皆が振り返る。
「どうして!?」
「ヨルが二人!?」
「あんた何で分身してるの!?」
ヨルは皆が囲む中心を見ると、自分自身の身体が横たわっているのに気付いた。白目を剥いて少し気味が悪く、確かに心配されそうな様子である。
「ああ、ちょっと身体があると邪魔だったから」
ヨルは身体に近づき、仮初めの形を闇に溶かし、自分自身の中に入り込む。身体が目を覚まして手足を動かすと、やはりこちらの方がしっくりきた。ただし、なぜか身体の至る所が痛い。身体を置いて出かけたからだろうか。
肩を回し首を回してベッドから降りると、黙って見ていたアヤに首を絞められた。
「お前はっ、身体を置いてどこに行っていたんだっ!?」
「いや、落ち着け。ちょっと魔界まで行っただけだ」
アヤの手がぱっと離れ、ふらふらとベッドに腰掛けた。
「あっちの魔王さんに、ソウさん推薦の菓子折とゲームとフィギアを持って挨拶に行ったんだ」
「お前は何を持って挨拶に行くんだ!?」
アヤにスネを蹴られて、ヨルは足を抱えて呻いた。
「ど……どうせ蹴るなら、女の姿で」
「わけの分からないことを……」
男に殴られるよりは、女に殴られる方がダメージも少なく、精神的にも大きな差が生まれる。マリウスに殴られるより、美鈴に殴られる方が納得できるのもそれが原因だろう。
「ちょっとヨル、あんたどうやって分身なんてしたのよ!?」
美鈴が後頭部の髪を引っ張る。やはり彼女の場合は、女だからと言うよりも、習慣というか脅えが入っている気がしてきた。
「ただの幽体離脱だって」
「じゃあ、今の生き霊!?」
「似たようなもんだろ」
背後でハクが似ていない似ていないと突っ込んでいる。彼もアヤかソウから事情説明を受けたのだろう。アヤは今一つ理解していないので、ソウが説明した可能性が高い。
「春ちゃんのそっくりさんのことを説明もせずに寝たまま、ちっとも起きないから心配したのよ! 殴っても蹴っても、何しても起きないし!」
どうやら身体が痛いのは、この女の暴力のせいらしい。切り刻まれてもそのうち再生する身体といえども、、身体を痛めつけられたら痛い。軽傷だと人間と変わらない速度でしか回復しないのだ。
「アヤが心配するなって言わなかったか?」
「言ったけど……寝相が変だったし」
「悪かったな」
心配させたのは本当だろう。それで行きすぎたことをしたとしても、彼女なりの好意の現れだ。それが痛くても、男なら我慢である。美鈴に逆らうなど、幼い頃から恐怖をすり込まれてきたヨルには不可能だ。
「でも、春ちゃんの従兄がこんなに春ちゃんにそっくりなんて、びっくりしたわ。双子みたいね」
「…………そーだな」
そんな単純な説明をしたとは、ソウというのは意外と面倒な事を嫌うタイプらしい。
「でもヨルの一家って、こっちに来やすいのね。家系なのかしら?」
「そうかもな」
ヨルは肩をすくめた。まさか本当のことを言えるはずもない。もしも彼らが自分たちがもう人としては死んでいると知ったら、一体どう思うだろうか。どうなるのだろうか。この世界は成り立つのだろうか。
考えただけで恐ろしい。自壊する可能性だってあるのだ。その時、彼らはどこに行くのだろうか。
それ以上の考えは無駄であり、マイナスへと進む思考を止めて、頼まれ事を遂行することにした。
「そうだアヤ。これお義父さんからの土産。アヤとソウさんにって」
大きめの箱をアヤに、そして箱詰めすらされていない短剣を部屋の隅の方に立っていたソウの元へ行って手渡した。
「何で短剣?」
「子供の身体なら扱いやすいだろうって」
「ふぅん」
ソウは短剣を腰に差し、言葉とは裏腹に嬉しそうにその柄を撫でていた。
「ヨル君、僕は?」
手を差し出すハクに、ヨルは申し訳なく思いながら言う。
「ない」
「……あのクソオヤジ。アヤには箱付きで。僕らには無いんだ、薄情者め」
ハクが拳を握りしめて父親を罵った。そんなハクに、アヤが声をかける。
「ハクちゃん、欲しいならこれあげる」
「は? なんで?」
「ドレスなんてイラナイ」
可愛い娘に自分の好みの服を着せたかったのだろう。フリルとレースがたっぷりと使われた淡い桃色のドレスだ。少女姿のアヤには似合うだろうが、男のアヤには似合わない。
「わぁ、ステキなドレス。僕もいらないや。マリウスあげる」
ドレスを受け取ったはマリウスは、困り果てた様子でドレスを抱きしめた。アヤ、ハクと巡ってきた高価な贈り物である。ぞんざいな扱いは出来ない。
「大切に飾ってね」
「……あ……ありがたき幸せ。身に余る光栄です」
言葉が棒読みで感情がなかったが、アヤとハクは気にせず並んで部屋を出て行く。まるで呪われたアイテムから逃げるようである。ヨルは春日へと目を向け顎をしゃくりってから二人の後を追った。春日なら通じるはずだ。
「なぁ、アヤ」
「ん?」
彼女は首だけを後ろに向け、隣に並ぶヨルを追って再び前へ向く。
「ミストさんに身体は返したのか?」
「返したよ。ソウのことが解決したんだから無理に拘束する必要もないし、身体があってもなくても、私たちと対する時にしか差は生まれないからね。それが?」
「いや、どうしたかなって」
「あの男に何か言われたか?」
あの男と言われ、一瞬だけ誰のことか分からなかった。
「いいや。娘をよろしくって、抱きしめられて撫でられてもてなされただけだ。アヤ達の誰かに孫が出来たらまた来るようにって」
「……」
アヤが沈痛な面持ちでうつむいた。言ってはいけない事だったのだろうか。
「まあ、それはいいとして、話がある」
「何を?」
「伝言が」
ソウが後を付いてくる。そして、春日と葵がそれを追おうとする美鈴達を止めていた。
「何て?」
「世界の状勢は変化している。将来的には、再び界を越えた行き来が可能になるだろうって」
アヤは舌打ちし、ハクは目を丸くした。
「作った物を守りたければ、さっさと力を身につけろ。さもないとかすめ取られるぞ」
アヤはそれに十分な力を手に入れた。もちろん、アヤが動かなくとも彼女に言われればヨルが動く。死者に通じる闇の精霊が、死者の国にいればそれこそ無敵だ。誰が来ようとも守る自信はある。
しかしそれだけでは意味がない。自分を使えない主を持つのは、働かず家事もしない伴侶を持つと同じほど精霊にとっては腹立たしい状態である。もちろんアヤに対してそのような心配はないが、気にしてもらわないと成長がない。
「どういう意味だ? 冥界と人間界は行き来しやすいけど、他の世界には簡単には行けない。人間界に来る異界人も増えたが、それほどでもないだろう」
その中の一人が、ヨルの母だ。母ならここにも来るし、直接どこの世界にも行ってしまうだろう。そういう特殊な生物が他にいないとも限らない。しかも問題は個人の資質ではなく、技術の問題だ。
「そのうち人間界に固定のゲートが出回るぞ。魔界、妖精界、天界は確実につながる。妖精界や魔界は他の界とある程度の行き来があるから、そこ経由でこちらに流れてくることもあるってさ」
それがどういう意味か、理解できないアヤではない。偶然この世界を見つけ出す者がいる可能性はある。この世界独特のシステムを隠すことが出来なければ、確実にこの世界も人間界も混乱するだろう。
「ゲートが設置されるって、どういう意味?」
「ああ、俺の父さんは昔からその研究してたから。あれでもけっこうその道では有名らしいぞ」
アヤはふらふらと壁にもたれかかる。
「……君のパパは何でも作るねぇ」
ハクはヨルが父親に作ってもらった玩具の数々を見ているため、呆れた様子で言った。
「うん。で不安に思って相談がてらに魔界に行ったんだ。魔王は関係者だからな。アヤと父さんの名前で、簡単に面会できたよ。数日かかると思ってたのに、すぐ帰ってこられた」
接待の時間がかなり長かったが、もてなしてくれた時間は楽しく、待つのに比べてずっと充実した時間だった。
「ねぇ、それってこの世界の使者って事になるんだけどさ……」
ハクに言われて、ヨルはなるほどと頷いた。なんとなく『実父とも交流のある、アヤの父親に相談に行った』認識であったが、思えば大きな事をしてきた。
「……ひっょとして俺、外交官的仕事をした? 普通に綺麗なお姉さんの踊りを見ながら酒飲んでたけど」
その酒が美味いのだ。さすがは魔界の酒。さすがは魔王に出される酒。もう一度行ったら、土産は酒をもらいたいものだ。思い出すだけでよだれが溢れてきそうなヨルは、アヤの様子を見てその気分が一気に冷めた。
「ほう……」
低く漏れたアヤの呟き。それは静かな廊下に染み入っていくように、わずかに響いた。
「心配している間に、美女の接客を受けてきたと」
空気が心なしか冷えた気がする。
「……さ、酒をついでもらったり、料理を運んでもらったりしただけだぞっ」
「私を差し置いて、美女と」
「俺はっ、何があってもアヤ一筋だからな!」
ヨルは背中にわき出る汗を感じた。同時に、嬉しくもある。
アヤがヨルのことをこれほど気にしているとは、ひょっとしたら大きな進歩ではないだろうか。
「美女と」
「触ってないぞ」
触られたが。
「私を差し置いて、美女と」
「…………うん」
アヤは真顔でヨルの肩を叩いた。
「今度から連れていけ」
ヨルの幸福感は、一気に萎んでいった。
「…………アヤは本当に女の子好きだな」
今夜は、枕を涙で濡らしそうだった。後ろでソウが楽しげに笑っている。
「冗談はさておき、それが本当なら、なかなか面白いね」
ソウは春日の顔を不敵に歪めた。春日の愛らしい顔立ちでも、このような表情を作り出すことが可能なのだ。兄としては少しショックである。
「ソウさんはこの世界の創造主だろ。楽しんでていいのか?」
「別に、なるようにしかならないよ。自分が死んだ事を理解して、ここにいる者も中にはいるんだから、バレてもこの世界の存在に影響が出てくるとも言えないから」
「いるのか、そんな奴」
「カーティスは気付いている。ミシェルも可能性として考えている。他にもそれを想像する者はいるだろう。でも、今のところは平気だよ。もちろん自ら混乱を呼び込むつもりはないけど、彼らは既に出来上がって、存在している。生まれたこともが生まれなかったことにすることは出来ない。それと同じでね。ここまで安定すると、もう僕という作り手は不要なんだよ。僕らはただいるだけでいい。まあ、僕らがいなくても自然と世界は出来ていただろうけど。その場合は、実質たった一年半で、ここまで成長することはなかっただろうね」
ソウはくつくつと笑う。
この世界はわずか一年半で形を作ったという。もちろん、人間界での時間だ。
「でも、いつかその事実は消えていくよ。生物補充の必要が無くなれば、死人が迷い込むのは減るだろうし。実際に、出来た当時に比べればうんと少なくなった。昔は大人も迷い込んでいたのに、次第に若者だけになり、今では未成年の者だけになったぐらいだ。かといって、赤ん坊は迷い込まない。その時は、僕らという世界を支える柱は必要なくなる」
言われてみれば、迷い込んだ者に赤ん坊というのはいなかった。
「こちらに来る死者は自然と減ってくるよ。そうすれば、この世界の秘密は無くなるだろうね。彼らを知っているのは人間だけだし、ここに来られる生きた人間なんていない。だから、知っている者にだけ箝口令を敷けばいいことになる。この世界の住人達は、生き人となる。
全ては時が解決するさ」
滅多になければ、この世界の住人自体が元々魂だけとなった人間だったとは誰も思わないだろう。それはまるで、人間の中に紛れて生活する精霊のようだ。
ただし精霊は、力と引き替えのように自由がない。
「どうした? 突然沈んだ顔をして」
アヤが顔を覗き込んでくる。表情に出したつもりはなかったが、確かに彼の気分は沈んでいた。それに気付いて貰えたことが嬉しく、思わず彼女を抱きしめた。精霊の気持ちを察してくれる主を持てるのは、彼らにとって何よりもの幸福だ。
「アヤ、俺は幸せ者だ」
「だから、一体突然何を言う」
「ずっと一緒だと思うと、嬉しくてたまらない」
「君はねぇ」
アヤは身動ぎして、腕を抜き出し振り上げた。
「俺は何されてもついてくからな」
「……はいはい。勝手にすれば?」
「ああ、勝手にする。で、今度用事があって出かけるときは、ちゃんと言ってから行く」
「よろしい」
アヤはヨルの頬に触れた。ヨルはその手のぬくもりを味わおうと顔を傾けたまさにその時。
「陛下、大変です!」
無粋な足音を立てて、マリウス達が走ってくる。皆どこか顔色が悪く、真剣な面持ちだ。この短期間に一体どのようなトラブルが起きるというのだろうか。
「どうした、マリウス」
「葵がっ……ごほごほごほっ」
よほど急いで走ったらしく、彼は咳き込み薫に背中をさすられる。薫の方は息も切らしていない。
「葵がどうかしたのか?」
シェオル一のトラブルメーカーである葵の名に、アヤは眉を寄せた。そんな彼女に、美鈴が答えた。
「はぎ……じゃなくて、ミストさん達にさらわれちゃったの」
ヨルは自分の聞いた、聞こえた気がした言葉を胸の中で反芻する。
やはり何度考えても、美鈴は葵がミスト達に誘拐されたと言った。
「……なんで葵が……」
美鈴なら理解できるし、マリウスでも理解できる。しかし現実はあの葵だ。
「初めは私に来るかって聞いてきたんだけど、行かないって言ったら次はマリウスに同じ事を聞いて断られたら、葵を無理矢理連れていったの。暇だからまた囚われのお姫様ごっこだって」
アヤがヨルの頭を掴んでぐるぐると回し出した。よほど混乱しているのだろう。目は回るが、アヤのためと思い我慢してされるがままになる。その動きがぴたりと止まると、アヤは言った。
「ヨル君、迎えに行っておいで」
「ん、分かった」
「首尾よく取り返したら、なでなでしてあげるから」
「分かった! 俺、がんばるっ!」
ヨルはぐるぐる回る世界に翻弄されたたらを踏むが、気合いを入れて拳を作った。
「いい年して『なでなで』でやる気を出すのかお前は」
呆れて腕を組むマリウスの腕をヨルは掴んで引きずった。
「羨ましいなら、そう言えマリウス。よし、じゃあ、お前も来い。よし行くぞ、れっつごー!」
ヨルはテンションを上げて、マリウスを引っ張って闇を生み移動した。
こういうことも、遊びならばなかなか楽しい。悲鳴を上げるマリウスの声を聞き、ヨルは心地よく思いながら闇を渡る。
ここは冥界。
死人が迷い込む世界。
不思議な力で存在する世界。
地の民、光の民、闇の民の三種族の人間が在する世界。
地の民は、世界のシステムにとけ込んだ者。
光の民は、仮初めの身体を手に入れた、死したばかりの人間。
闇の民は、死の瞬間の自覚ゆえに記憶を歪め、心を歪め、姿を歪め、存在を歪めた死者のなれの果て。
光は闇を忌み、闇は光を忌む。
死の瞬間を自覚しない者の数が多く、死の自覚を持つは少ない。
地とそれにつながる光の民は多くの国と王を持つが、闇の民は一つの王国と一人の王のみが存在する。
ここは異世界。
死者のみが導かれる世界──。
人の世界に戻るには、闇の民の王──魔王を倒す他にないと、魔王自らが流布させた。
人の世界に戻った死者は存在しない。
世界を支える魔王達は健在で、死者は自らの死を自覚せず、忘れてしまっているから──。