背徳の王
3
好きか嫌いは二の次で、大切なのは納得できるか出来ないか。
欲しいと思うモノを手に入れられないのは、ボクにとってはとても悔しい。ボクはこういう楽しくない感情に慣れていないから、それはそれで悪くはないと思っている。いつもなら、そう思う。
手に入らないのも己が原因であれば納得できる。
しかし、納得できない場合は、どうすればいいのか、ボクはよく知らない。
欲する物があれば手を尽くす。手を尽くして手に入れられなかったら、それはボクの力不足なのだ。ボクだって反省するし、次にその反省を生かす。
しかし手に入らない理由が、破壊されたのだとしたら──ボクはどうすればいい?
「気に食わない」
ボクのつぶやきに、地べたに座る少女が顔を上げた。細い手足に、綺麗な顔立ちの女の子。初潮も来ていないだろう、女らしさとはほど遠い外観だが、その目は百年生きた賢者よりも据わっている。
彼女はいつも冷静で、身も心も強かった。
「キミはどうしたい?」
「私は……」
彼女は再び俯いた。
膝に抱える死者の頭部。
彼女の育ての親で、少し珍しい妖精族の青年だったモノ。
「それはボクのモノになるはずだった。キミごと、ね」
それはボクの中で決定したことだった。
上手くいっていたかどうか分からないけど、とりあえず将来は分からないと、気長に口説いていた。
カレのことは、無理矢理ではなく自分から動かしたかったから。
ボクのこだわりだった。
ボクがこだわっていたら、奪われた。
殺された。
意図せぬ些末な、卑小な、脆弱な、くだらない連中に。
「どうしてこうなったか分かる?」
彼女は動かない。
動くなと言われたのだ。
ボクが引きずり出して、彼を抱えさせた。
彼に動くなと言われて、今でもそれを忠実に守っている。忠実なのか、頭が働いていないのか、ボクにはよくわからないけど、彼女は動かない。
「勘違いなんだよ」
そう、すべては悲しい行き違い。
悪意に満ちた人の心。
「悪意を持った勘違い。
人間ではないから、何をしてもいいと思ってるんだ」
ボクが気づいたときには、もう終わっていた。
出来たのは、死骸を取り戻すことと、殺した奴らをその場では殺さず特定すること。その身内を捜し出すことと。この可哀想で恐ろしい、ただの人間の少女を慰めること。
ボクは、これでも慰めているつもりだ。
「キミのセトはね、誘拐の容疑で私刑にされたんだよ。
なんか、街で子供の誘拐が流行ってるんだって。
実際のトコロは人間の仕業。領主の仕業だよ。何されているのかは知らないけど、セトは全く関係ない。でもほら、妖精って人間の子供を誘拐するおとぎ話が多いでしょ。このキレイな男が人間ごときの子供さらってどうすんだって感じだけど、あいつら自信過剰だからさ。自分達の子供は、セトのような男に誘拐される価値があるってさ」
いると言えばこの子だけ。この子は誘拐されたのではなく、親に預けられたらしい。その親は死んでいる。つまりは正当な保護者だった。彼はこの女の子に可能な限りを教え込んだ。
この世の中、女の子には危険が多いと、甘やかしてそれはもう教育熱心に色々と教え込んだ。
ボクは彼女ほど優れた人間を他に知らない。いや、人間だけではない。ボクのペットの中にも、彼女の爪の先ほどの価値もない。
保護者を手に入れたかったのは、彼女が欲しかったからだ。人間は支配できないと言われている。試したが、ダメだった。だから保護者を手に入れればいいと思っていた。ミラはまだ若いし、彼は人間ではないし、焦ることはないと──
「領主様は、ボクが始末するよ。アイツ、ボクの所有物にも手を伸ばしたから」
彼女はこくと頷いた。
「キミはどうするの?」
「どう……」
「このまま動かずに死ぬ? それはセトの本意ではないと思うよ。常々、キミは幸せであって欲しいと言っていたからね」
「…………お墓」
ボクは頷いた。ペットが命令するよりも前に、地面に穴を作る。
「埋めて、墓標を立てるんだ。手に入りにくいモノだから、用意させるよ。一緒に埋めたいモノがあったら埋めればいい」
彼女は抱えていたセトを穴の中に投げ捨てる。死体は死体。大切に扱ってももう意味がない。
「何を入れればいいだろう」
「好きだったモノを何か一つと、キミの髪でも一房入れたら。どうせ少し焦げてるから切らなきゃならないし」
彼女は頷いて、長い髪をナイフで切って、無造作に投げ入れようとしたので止める。
ひもでくくって、胸元に置いてやる。その上に、なぜかじょうろを置いて、彼女は終わったと見つめてくる。
思うところはあるが、ボクは死骸を指さす。消えていた土が少しずつ死体を隠していく。感傷に浸るつもりはないのか、彼女はそれを見ることなく焼けた家へと戻る。
「これからどうする? 手を貸す?」
「いらない」
「じゃあ、ボクは領主の所に行ってくるね。ボクはボクに不利益をもたらした者を許さない」
「どうする」
「始末するよ」
「どうして」
「ボクはボクの所有物に降りかかる火の粉を払うのに躊躇いはしないよ。
キミは何をするにしても、ここには住めないだろうね。荷物を片づける必要があると思うから、明日また来るよ。
他に移り住むにしてもキミは世間的にはまだ子供だから、ボクのモノになるならないとか関係なしに、ボクが責任を持つよ。
だって、セトはボクのモノになる予定だったから、キミはボクの所持品になる予定だったんだ。ボクはボクのモノに対しては寛容で面倒見が良いんだよ。だから殺されれば始末する」
彼女は不思議そうにボクを見る。
「セトは、復讐をしてはいけないと」
「別に復讐じゃないよ。ボクは降りかかる火の粉を払うだけ。火の粉が発生しないように処分するだけ。殴られそうになったら殺すのは当たり前だよ」
「当たり前」
「キミは、ここにいたらきっと奴らに殴られると思うから、その前にボクが始末してもいい。自分で始末するのもいい。今回のことは降りかかった火の粉が燃え移ってしまったけど、それからじゃ遅いのは、キミも理解したね?」
頷く。彼女はとても素直だ。ほとんど話をしないセトと共にいたので、話すことは苦手のようだが、その分とばかりにとても分かりやすい。
ボクはそれだけ言うと、固定していた穴に身を投じる。
その先には、諸悪の根源とその関係者達が並んでいた。
恐怖で引きつったその表情を見て、笑いがこみ上げてくる。
「ああ、なんて小さな存在なんだろう」
そんな存在が、大きな存在を消す事がある。
セトは抵抗しなかった。
ボクが認めるほどの実力者なのに、たかが人間の数十匹相手に殺されてやった。
ボクには理解できない。
理解するつもりもない。
彼は彼、ボクはボク。ボクはボクのしたいようにする。
だから彼女は彼女がしたいようにすればいい。
翌日、セトの家へ行くと、ミラはいなかった。
街に降りると、少女が剣を片手に立っていた。
立っていたのは彼女だけ。他のすべては血の海に伏している。血の臭いは濃厚で、ペットたちが騒ぐ。
「思い切ったことをしたね」
ボクですら、街を一つ殲滅したことはない。男も女も子供も年寄りも関係なく殺している。
「石を投げてきた」
「ああ、その傷」
彼女の可愛い額が、自身の血で汚れている。
「私はただ、聞きに来ただけなのに」
「それはひどい」
「まだ石を投げようとするから、石を持つ手を砕いただけ」
「なのに襲いかかってきた?」
こくりと頷く。
人間とは愚かで、自分が対峙する相手の力量も見抜けない。
セトを殺せたのは、運がよかったから。子供まで使ったから。卑劣な毒を使ったから。
それが通じない相手、このまだ幼いミラという人間の少女が前に立ったとき、彼らは何も出来なかった。殺せなかった。彼女は強い。
彼女は魔力とその使い方において、悪魔すらうならせる。ボクの持つロバスはあんなでもけっこう上の方に属する悪魔だ。その彼が、彼女とは喧嘩をしたくないと言う。セトすら恐れない彼が、ミラという少女を恐れる。
殺すなら、今の内だと。
「キミは特別だから、人間とは相容れないんだよ」
「特別?」
「彼らの接し方によっては、キミは人間達の救世主にもなったんだろうね。
でも人間達は異端を許さない。これからもキミは迫害されるだろうね。石を投げられて、その手を砕いて止めてしまうキミだから」
「されるがままにされていないのがいけないのか? セトのようになればいいのか」
「そう。そうであれば、キミは神子などよりよほど優れた救世主として崇められるだろうね。
でも、キミはそれをしない。する必要もない。この連中のために犠牲になる必要など、ある?」
彼女は首をかしげた。
「痛いのはいや」
「当たり前だよ。だからキミは聖人君子ではあり得ない。ボクと同じ」
「ウルと同じ?」
「でも、詰めが甘い。やるならね、完全に殲滅しなしといけないよ」
「なぜ」
「人間は復讐する。キミは姿を知られているから、逃した人間が山狩りを始める。キミに似た女の子が確実に犠牲になる。でも別人だから手は伸びてくる」
ボクはまだ生きている女を指さす。運が良ければ助かる可能性がある、そんなギリギリの状態。これを逃して、破滅するモノが時々いるのだ。小さな可能性だと軽んじれば、ボクらだってつまずくこともある。
「些末な存在だからと、侮ってはいけないよ。人間は群れになる。それが一番怖いんだ。それに殺すのなら、それを望むのではない限りは苦しませてはいけないよ。痛いのは誰だってイヤだからね。いたぶらずにさっくり確実に仕留めるのが、長生きのコツだよ。やっていいのは自分のテリトリー内でだけ」
ミラは目を伏せる。
人でありながら、子供でありながら、彼女は人を超えている。それが分からない愚かな人間達。小さくて何も出来ない人間達。
ボクらとは立つ場所が違う者達。
ボクらは世界の一部を破壊する。しかし彼らは世界を動かす者達。どれほど愚かで弱くて小さくとも、世界を動かしているのは彼らなのだ。
だからボクは侮らない。
「キミは、ボクにとって数少ない同じ位置に立つ者だ。だからボクにとって思い入れがある。だから手を貸す」
ボクは目を伏せて、この街から逃げようとして、しかし自らの築いた壁に阻まれて出られない哀れな人間達をまぶたの裏に写す。
出入り口は固めてある。
動かない。出られない。昨日からペットたちに見晴らせていたから。
ミラがやらないのなら、ボクが代わりにやろうと思ったから。この街のすべての者が、罪人なのだ。それをボクが救いの手を差し伸べてやろうかと思っていた。でも、ミラがやった。ボクがやるよりもずっと愉快な、たった一人での虐殺。
「ボクのペットたちはとっても賢いから、証言者達をすべて閉じこめているよ。昨日から外に出た者達はすべて殺した。あとは、完全に殲滅するだけ」
「……ありがとう」
「いいよ。キミのこと好きだから。キミに好きになってもらえないのは寂しいけど」
彼女はボクのモノにはならない。
ボクらはその力の質こそ違うけど、人を超えている意味では同じだ。
ボクが生まれて初めて出会った。唯一、同じ位置にいると感じることの出来る人間。
セトはその才能を伸ばした。だから二人とも欲しかった。なのに、この街はそれを奪った。ボクにとってはそれだけで、すべてを叩きつぶす理由とするには十分なのだ。
命には命で。
「どうする」
「始末する」
「手伝う?」
「不要。囲むから」
彼女はほとんど唇を動かさずに呪文を口にする。結界だ。しかし、できあがったそれの規模は、街を一つ囲むほど。
本来なら、道具を使い、儀式を行い、数人がかりでなければ不可能な規模。それを維持しながら、彼女は走った。
どうやら、手は必要ないらしい。
彼女はボクのところには来ないのだろう。セトがいないのなら、定住する意味もない。彼女には魔術も剣もある。すべてセトが教えたこと。教えた本人の十倍以上は上手く扱えているため、彼はいつも娘を自慢するように彼女を自慢してきた。
そんな愛情など、ボクにはよく分からない。
しかし彼がそうしたその気持ち、それを壊した者達、それにすがっていた少女のことは分かる。
だから、殺す。
ボクは手を出さない。
殺させる。
ボクの気が済むように。
「ウル様、そろそろ参りましょう。
昼食はウル様の好きなハンバーグです」
「ふぅん」
姿の無き声を聞きながら、ボクはすべてに止めを刺しながら去っていくミラの背を見つめる。
「もちろん人肉は混じっておりません」
「ちょっと待って。それって混じってた事があるって事? 冗談でもやめて欲しいねボクは悪食の王なんて呼ばれたくないよ」
ボクは声に対して文句を言いながら、ぽっかりと開いた黒い穴に身を投じる。
ボクの力は他人の従属だから、いつも周りに世話をする者がいる。恭しく扱われ、ちやほやされる。それがボクという存在。
しかし彼女は力だ。純粋な力。
癒すことも、破壊することも出来る。
天才、などと陳腐な言葉でしか彼女は表現されないだろう。ボクのような特殊性がないから、神の子などとは呼ばれない。
だから彼女はきっと、悪魔と呼ばれる。
神の邪の加護を持つとボクが言われたように。
それが今から少し楽しみでもある。
世界に一つ、恐れられる存在が増え、しかし人間どもは変わらないだろう。
だって彼らこそ、この世界を数によって支配する、世界を動かすモノなのだから。
だからボクは些末な命を踏みつけにし続けられるのだ。
1の時代から三百ほど後の話です。