背徳の王

4

 世界は美しいとか誰かが言った。
 ボクはそうは思わない。
 美しいと簡単に分かる美しさなど、何がよいのかボクにはわからない。たまに美談を見ることもあるが、少しつつくとそれも崩れる。
 そんなまやかしを見ると、ボクはついついこう言ってしまう。
「雄大な森を見ていると、無性に放火したくならない?」
 燃えてしまう間はさぞ美しかろうに。ボクはそういう一瞬の美はそれなりに好きだ。世界はたまに美しい物を作る、ということばなら賛成できる。
「今の時期は湿気って火がつきにくくなっています。冬まで待たれては?」
「ロバス、できないの?」
「ウル様の想像するような風にはならないかと思われます」
 ボクは不満で唇をとがらせる。
 ここにある保護された美しさを、ボクは破壊したくてうずうずしているのに、この無能どもは引きつった笑みで誤魔化そうとする。
「ウル様、それは正気ですか?」
「ベル、言うようになったね」
「湖に涼みに行くと言われたのはウル様ですよ。放火などしたら涼みに来た意味がありません。冬なら私も止めませんが、この暑いのに火を付けるなら帰ります」
「……それもそうだね。冬の暖にした方がいいね」
 最近はベルも慣れてきて、言葉を発するのに躊躇が無くなった。だんだんばあやに似てくる。以前の純粋に恐怖に縛られた彼女を思い出すと、少し寂しくもある。
「ああ、ここは涼しいけど、何もなくて退屈だね。ロバス、なにか面白いことはない?」
「王侯貴族ばかりが集まる避暑地ですからね。せいぜい馬鹿な遊びか、狩りをするか」
 キジなど狩って何が楽しいのか理解できない。ボクのペット達の中には、そういうのを見つけるとつい飛びかかる野性的なのはいるから解き放っているけど、ボクは立派な文明人だ。本当に獣を殺して何が楽しいのだろうか。
 空を見て、ため息をつく。
 木陰にいれば涼しいが、何もない。リファが差し出すジュースを飲んで、ため息をつきそうになった時──笑う。
「た、たすけてくださいっ!」
 満身創痍の男が、森からやって来てロバスの前に倒れた。
 誰も止めなかった。
 それはつまり、ペット達からのささやかな贈り物であることを意味する。
「なぁに?」
「殺されるっ!」
「誰に?」
「わからない。か、匿ってくださいっ」
 必死の形相ながら、肝心なところは心得た男だ。大人のロバスやベルではなく、ちゃんと主であるボクにすがっている。誰にすがれば、誰の同情を買えば生き残れるか理解している。
 こういう賢い男は嫌いではない。
「まあ、匿わないこともないけど。暇だし」
 もちろん好きでもないが、せっかくの贈り物だから成り行きを見てみよう。退屈しのぎになれば良し、退屈だったとしてもそこまで見届ければ退屈しのぎになっている。
 暑苦しくなる放火よりは、ペット達も楽しくていいだろう。
 セオリー通り、どうしたのと心配そうに尋ねることから始めてみるか、いつものように脅迫して聞き出すか、どちらが楽しいだろう。
 しかし、別の選択肢が向こうからやって来た。
 二人の男が投網やら縄やら棒やらを手に姿を見せた。実に小汚い男達で不愉快だ。汚れた人間が嫌いなわけではない。庭師や大工やその他の職人が薄汚れるのは当然で、彼らがいなければボクの快適な生活は成り立たない。ボクは腕の良い職人には尊敬の念を持っている。しかし彼らは違うだろう。
「あー、いたいた。あ、すみませんねぇ、うちのもんが」
 逃げてきた男が顔色を変えてひぃと後ずさる。
 ボクのところに来た限りは、これはボクの物だ。この男達にボクの所有物を左右する権利はない。
「お目汚しいたしやした。とっとと持って帰るんで、続けてお楽しみくださいや」
 男は縄を持ってボクの所有物へと許可もなく足を向ける。
 その上、目を向けたのはロバスへである。ボクの事は無視だ。
「無礼者」
 ロバスが縄を持った男の眼前に細身の剣を突き出した。
「ここがどこかも知らぬのか下郎。貴人の前を横切ろうなど、お前の主はどんな教育をしている」
 ここは王家で所有する屋敷だ。
 本来ならば知らぬはずがない。
 王家の血筋の者がケトルを残してほとんど消えてしまったために、利用者がいないとでも思われていたのか……。
「ねぇ、この男は殺されると脅えているよ。お前の主はこの美しい場所で何をしようとしているの?」
「殺されるなんて、大袈裟ですさ。粗相をしたから仕置きをしようとしていただけでございますよ」
 ボクはこちらの男へと視線を移す。彼は必死の形相で首を横に振る。
「嘘です! もう何人も消えてるんです! 血がついたモップが隠されてて、契約がおかしくて、俺はただの使用人として雇われただけなのに!」
 言葉はまとまっていないが、言いたいことは理解できる。的確に要所だけは押さえられた発言に、ボクは二人の男を見た。
 ああ、死の香り。
 血の香り、恐怖の香り。
「ぐだぐだとくだらないことを言うな!」
 男がボクの横を通る。前を通ろうとしているわけではないからいいとでも思ったのだろうか。男の持つ棒が、僕の座る椅子の足に当たった。
 そう認識した瞬間には、既にボクの犬達は動く。
 男がそこからさらに踏み出そうとした時既にその足はなくなって、みっともなくボクから離れるように倒れた。ボクの方に倒れたらやった馬鹿は皆の餌になるから、そうなるように足を食らった。主のためなら、ケダモノたちでも少しは考える。
「おい、どうし……ひっ」
 もう一人の男は尻もちをつき、すがってきた男も度肝を抜かれている。
 この手のやりとりは見飽きている。
 まあ、それが正常な反応なのだろうね。
「おやおや、片足がなくなったら可哀相だよ。膝もない。生きていけないよ」
 貧乏人は身体が資本。膝があれば手作りの義足でも多少は歩きやすいのだが、太股までないと難しい。彼には義足など手の届かない高級品だ。
「どうせなら、全部食べて見世物になるようなぐらいにしてあげなよ。ああ、死なないようにちゃんと傷口を焼いてあげないといけないよ」
 ボクは親切なのだ。
 目の前で男の手足が消え、渋々といった様子でロバスが炎を生むと、もう一人の男は足をもつれさせながら逃げようとした。
 もちろん逃げられるはずがない。行く手を三ツ目の狼が塞ぎ、腰を抜かす。
「ウル様、この人どうするんですか?」
 リファが怯えながら手足食われた男を見下ろした。
「リファ、どうして欲しい?」
「怖いから嫌いです。こんなの見せ物になるんですか?」
「悪趣味な大人はいっぱいいるんだよ。悪魔に手足を食われた男ってことなら、それなりのお金を払って見ようとする」
「変なの。ロバスさんグルメだよ。食べないよ」
「変だよ。ボクが言うのも何だけどね、人間ってのは変なのがたくさんいるんだよ」
 ベルが逃げようとした男の頭髪を掴んで引きずってくる。最近、容赦のない行動に磨きがかかってきた気がする。
 本当に、ボクが言うのも何だけど。


 ボクはこれでも立派な爵位持ちの貴族だ。当主だ。領地を立派に治めているし、領民達からは普通に慕われている。
 ペット達からすれば、この程度の地位などよりもボクという存在の方が強く、人間の決めた階級などはどうでもいいことらしい。ボクに似合うのは王の座だとかいうお馬鹿さんもいて救いようがない。王になどなろうと思えばすぐにでもなれる。例えば男でも女でも、一人だけ王族を残して皆殺しにしてからボクが無理矢理結婚させられ、王位を継がせた後に病死させればいい。罪は全部伴侶が被ってくれる。ボクは見た目の可憐さから無理矢理花嫁にされた可愛そうな女の子だから国民の同情を買う。
 そうやって女帝になった女というのは、歴史を見ると何人かいる。
 もちろんそんな強引なことはしないし、しても楽しくはないだろう。ボクが面倒くさい思いをしなきゃならないのは嫌だ。暴動など起こされたら皆殺しにして、そのうち国中皆殺しにしてしまいそうだ。それはさすがにまずいとボクでも思う。だから今の適度な地位で満足している。名乗るにしても多少の箔がつき、ただの子供としては扱われない。
 今だってほら、家紋をちらつかせたらとりあえず中に入れてくれて、相手をしてくれている。
「まだお若いのに、ご両親を……。おかわいそうに」
 目の前の男は、心にもないことを思っているのだろう。ボクはすでに冷徹と有名になっているらしい、怖い怖い王様のお友達だ。
 ベルとリファが取り繕っているが、視線を僕から外さない。きっとボクのことを、目の前に立つ人間すべてに忠誠か死の選択を迫ると思っているのだろう。まだ相手に何も危害を加えていないから不思議に思っている。
 ボクは別にケダモノではないから分別はある。
「しかし我が屋敷の使用人を保護していただいたようで、なんと礼を言ってよいか」
「殺されるって逃げてきたのに、保護とか笑えるよ」
 ボクはくつくつと笑う。ボクは虎の威を借る狐ならぬ悪魔だ。王様という免罪符があれば、何でも許すか知られないように始末しなければならない。しかしボクは王様にすすめられてここに来ていると告げた。だから始末は最悪の手段。
 偵察にやっていたペットがボクの印の中に戻ってくる。家の中ではむき出しにしているが、外ではズボンで隠しているので入るのに少し手間取ってくすぐったい。本当はロングブーツと締まったズボンもはきたいのだが、自分の趣味のために自分の身を危険に晒すのも馬鹿らしい。腕ならもっとやりようもあったのだろうに、これに関してだけは困っている。腹や尻にある者に比べればずいぶんと軽い『困った』だが。
 しかし戻ってきたペットが面白いことを囁いた。情報というのは、多く持っている方が上から見下ろすにはいい。
「ボクはねぇ、あいつに面白いことがあるからここに行けって言われたんだ」
「あいつとは……陛下のことで」
「そう」
 もちろん嘘だ。あの無口な男が必要以上のことを語るはずがない。連絡用に置いてあるペットが驚くほど人間の子供らしくないのに、わざわざボクに必要のないことを言うはずがない。必要があることでも悟れというタイプ。主として悟ってあげなければならないので案外難しい子だ。
 悟れないような無能な主はいらぬとでも思っているだろう。
「ボクは退屈なんだぁ」
 足を組みにやにやと笑ってみせる。
 ボクは自分で言うのも何だけど、性格は悪い。
「何か楽しいことなぁい?」
 わかりきったことをたずねる。可愛い子供の姿をしているボクの特権だ。子供だが、大人に混じれなくもない歳のままのボクの特権。
「血の臭いが染みついてる家だから、きっと何かあると思ったんだけど」
 答えなど決まっている。
 問題は、この男がどう捉えるか。
 生きるか死ぬかの選択だ。この男はどんな選択をするのだろう。ボクは頬杖をついて待った。
「そうですか。陛下はこのようなことに興味が」
 血塗られた王だ。実際にやらせたのはボクだけど、世間的には彼がやったことになっている。もちろん誰もそのようなことは表立って口にしないが、皆そう思っている。
 無実のケトルにペット達の罪を着せてしまったが、彼もペットのようなものなので何も問題はない。
 ボクが楽しむのは、人が追い詰められた時にどうするかだけだから、彼が追い詰められることがあるなら見物なのだ。


 ウルは半眼閉じて指を立てて言う。
「ボクは基本的に、無差別に殺したりはしない。ケダモノじゃないからね。理由もなく他人の家を乗っ取ったりしないし無礼がなければ何もしないよ」
 理由があったらするけどね、と付け加えた。
 今日は男装をしている彼とも彼女とも分からないこの主は、いつもいつも気まぐれに行動を起こす。しかし今日、主は命令をしていない。視線を追い、私はため息をつく。
「でも、なんか期待されてるっぽいから、ねぇ」
 彼はペットの期待には応える自称優しい主だ。
 珍しくベルが自分にやらせろと言うのでウルはいいよと即答した。どうやるとは決めていなかったらしいが、可愛い『ペット』のために、集まっていた連中を犠牲者という名の玩具に仕立てた。
 私は悪魔だからこそこの程度では動じないが、ベルがと思うと複雑な気持ちになる。
「本当はもう少し生かしておこうかと思ったんだけど、別にこれと言って用もないから、止める理由もないし」
 ここの主は下心はあっても素直にここまで連れてきた。だからいい気になって逆らうまではそのままにしておこうと思ったのだろう。手の平を返した時の絶望に染まる顔は滑稽だ。見飽きたと思っていたそれも、ウルが演出すると新鮮な物に感じる。飽きが来ない。
 だからこそ、悪魔である私が不平不満なくここにいる。男だか女だか分からない子供をちやほやするのももう慣れた。つまり自分が楽しければどんな環境でもよいのだ。
「ベルに何も聞かないのですか?」
「ケトルは知っているかもしれないけど、ボクには関係ない。ボクのペットになった以上、過去のことは捨ててもらわなきゃいけないからねぇ」
 あの冷徹な少年王は、ウルが涼しい場所に行きたいと呟いたら、数日後にあの屋敷を紹介した。珍しく彼の方から発言した。あの無口な男が。
 善意などだとは思っていなかったが、やはり厄介払いをついでにしてくれと言わんばかりの状態である。
 私としては楽しければいい。その一点で、ウルとはとても気があっている。人間相手とは思えないほどに、彼は悪魔的な人間だ。残酷という意味ではなく、感覚が。
「割り切るにはちょうどいい機会なんじゃないかな。
 しかしベルは柄の長い道具が似合う子だね。ほれぼれするよ」
 柄の長い道具、箒、モップ、そして今振りかざしている斧のことだろう。
 彼女は薪を割るように、逃げようとした男の脳天をかち割った。顔色一つ変えることなく、慣れた様子で淡々と。
 返り血を浴びた彼女と、屋敷内をうろうろする魔物がいては、万が一にも逃げることなどできない。少なくとも彼らにはできない。多少は腕が立つ者は既に殺されている上、彼らはこのように殺される側になるとは思ったこともない連中だ。
「ねぇねぇあそこにいるのって、反王室派の連中だよ」
 ウルはオペラグラスを手に足をぶらぶらさせて呟いた。彼は敵対者全員を把握している。生かしておこうと思ったということは、少なくともケトルには自分の敵ぐらい自分で始末をすることを望んでいるらしい。ケトルが無能な主を欲しないのと同じで、ウルも無能なペットは欲しない。
「ケトルはあれを始末して欲しいって事かな?」
「突き詰めればそう言うことでは」
 ベルに見張られ一カ所に固まり動けなくなっている情けないお貴族様達を鼻で笑う。
 どこまでが思惑でどこからが偶然なのか、ウルほどの情報収集能力がないため計りかねるが、何にしてもベルが生き生きしているので確かにいい機会だ。
 ウルは足を組み替え身を乗り出す。
「じゃあ、ベル、落としていいよ」
 ベルは笑顔でうちの一人を『下』へと突き落とした。
 落ちても死なないが、登るのは不可能な穴。闘技場のようなそこは粗末な武器が用意されていて、猛獣が腹を空かせて待ち構えている。
 つまりここは、よくある『そういう』場所だ。
「女と子供から落とした。ベルもやるねぇ」
 妻を落とされた夫が自分でなかったことに安堵して、しかし共にいた息子も落とされて悲鳴を上げる。同様に、別の夫婦も片方だけを残してつれ合いを突き落とす。
 女も子供も関係なくここに集めさせている。ベルはウルのやり方を見て彼が好みそうなことをしている。
 武器など持ったこともない女が、ただ悲鳴を上げ、走るには不向きな靴のため転んで嬲られる。子供はただ泣き、生きたままの母親を放置して子供の元へと行く。玩具はよく動く方が面白いから。
「彼女もだんだんウル様っぽくなってたきましたねぇ」
「ボク、あんな事しないよ。やるならもっと小さな子供とか孫とか呼び寄せるよ。そっちの方が悲壮感があっていいと思うけどね。
 でも、母子を一緒に落とすのはいいね。人間性が見える。ボクの場合ここで反応が気に入れば中断してあげるけど、ベルはしないだろうね」
 ウルの前に立つというのは、必ずしも死ではない。彼は気まぐれだから。
 しかしベルにはそれがない。その理由がない。幼い子供達もどうせ将来はああなるのだ。内何人かはまっとうに育つかも知れないが、内何人かのために生かしておくほど甘くもない。生かしておいたら恨みが生ずる。恨みをすべてかわせるほど彼女は強くない。だから皆殺しにする。正しい判断だ。恨みを抱く者を生かしてもいいのは、殺される覚悟のあるウルのような強者だけ。
 ベルの行いは理解できる。
 が、なぜかわざわざ夫に見せつけている。ふだんの彼女なら、突き落として静観するだけだろう。命令でもされない限り、ここまではしない。
 別に彼らはウルに逆らおうとしたわけではない。どちらかというと哀れな被害者だ。ただ優雅に残酷ショーを楽しもうとして、獲物を逃がしてしまっただけである。そして『ウル』という存在を引き寄せた、不運で、自業自得な被害者達。
 ベルは次の被害者を落とし、逃げようとする者をウルの配下を使い落とし、落とし、殺す。
「ベルぅ、楽しい?」
 ウルが声をかけると、他人を足場に逃げようとしていた男に熱湯を振りかけていたベルは、顔を上げていつものように微笑む。あの熱湯はウル様の配下が差し出した物だ。最近はいつも彼女が餌をあげているから懐かれている。
「そうですね。たまに自分でやってみるのも悪くないですね。こんな連中相手なら心も痛みません」
 人の恨みは恐ろしい。どこまでもどこまでも忘れない。鎮火したと思った火は、些細なことで劫火を生む。彼らは業火に飲まれ、火遊びではすまない事をしていたのだと、気付くことなく死んでいく。後悔などしていない。なぜ自分がとただそれだけを考える。まともな考えが頭によぎるのは、最後まで残され、時間がある者達だろう。本当の意味では理解しなくても、自分達が手を出してはいけない者に手を出したことだけは理解する。
 まさか、こんな小娘がそれだとは思っていなかっただろう。どのような経緯で王族の依頼をうけるような立場になったか知らないが、彼らがその修羅場のきっかけであることだけ把握していればいい。
「だめですか?」
 ベルはウルの呼びかけに、小首をかしげて可愛らしく尋ねてくる。彼女のウルに対する態度は上手い。他の人間を手本とし、卑屈にならない程度に服従している。殺されないための綱渡りは、私の目から見ても危なげない。
「まあ、いつも嫌々だけどペットに餌やってくれてるから、煮えたぎった油をプレゼントするよ」
「まあ、ありがとうございます」
 ベルは別の男を突き落としながら感謝する。
 長く生きている私でも、彼女が何をされたのか少しぐらいは気になる。
 しかしウルは調べない。
 殺す相手ならともかく、大切なペットの過去にはこだわらない主義だ。だから何をされたのかも知らない。なぜ裏の仕事をしていたのかも知らない。
 調べないこと、調べ始めた者がどうなるかを、私は知っている。
 だから彼は私のことも知らない。私がどんな悪魔で、何をしてきたのか、どんな配下を持っているのか、どこに住んでいたのか、どんな宝を持っているのか、まったく調べない。
 ウル曰く、ボクは放任主義だから。
 そんな主を私は気に入っている。ベルもこの点に関しては同じ思いだろう。
「でも、拷問の仕方は教えてあげた方がいいんじゃないかな?」
 ウルが私を見上げて言う。なぜ人間がする拷問のことで私に振るのか理解できない。悪魔と人間は違うのだ。悪魔が指を振るだけで出来ることを、人間は努力して工夫して行う。その工夫は悪魔から見れば目新しく、観察対象になりやすいため、知識としてはあるが実行したことはない。専門家が他にいるのだから、彼に頼むのが一番だろう。
「なぜ私に?」
「教えてあげなよ。狙ってるんでしょう?」
 確かに彼女は魅力的な素材だ。上手く育てればいい魔女になる。内に炎を宿す女は、とてもいい魔女になる。しかし良い魔女を得ることに今の私は興味がない。ウルが望むならその方向に持っていくし、望まないのなら何もしない。
「退屈なのでしたら、そうおっしゃってください」
「ベルの意志は尊重してあげたいんだ。ボクは優しいご主人様だからね」
 足をぶらぶらさせて、凄惨な光景を眺める。
 用意してあった動物達もすでにすべて死んでおり、ウルの配下が楽しげに獲物が落ちてくるのを待っている。忠誠を誓っているのではなく、ただ凶悪で可愛いという理由で飼われている魔物達だ。こういう時には最適な、獲物を嬲る魔物達。
 全員が全員一度に嬲られるのではなく、一人爪で切り裂かれては生きたまま放置され、別の人間で遊んでいたと思えば、気が向いたら半死半生のを転がして遊ぶ。生殺しだ。
 いつもウルがしていることに比べると生ぬるいが、ベルにしてみればやり過ぎで、そうするだけの恨みがひしひしと伝わってくる。一番の目当てだけは自分の手の届かぬ、すべてを見やすい特等席に置いて、自分で考えつくかぎりの事をしているのだ。
 青ざめて、ウル様の横でただ見ているだけのこの屋敷の主は、対岸にいる妻と子と孫と思われる人間達をただガタガタと震えて見つめている。
「ウル様ならこれからいかがなさいます?」
「そうだね、ぎりぎり届きそうな位置に全員吊すとか、最後の一人になれた子だけ助けてあげるとかもいいね。これをすると人間性がはっきりするよ。他人を──自分の子供を盾にするか、自分が盾になるか」
 どちらの行動をとっても、ウルの印象は同じだ。美談を見せつければ生かされるなどということはない。そこにいる以上は、ウルの敵なのだから。
 今日の場合は少し違うのだが、ペットの敵はボクの敵という程度の仲間意識はあるため、大して変わりないだろう。よほどウルの目を引かない限り助かることはない。
「そうだおじさん」
 ウル様は顔面蒼白の屋敷の主へと声をかけ、下を指さした。
「おじさんが自分から下に降りたら、家族だけは助けてあげる」
 ウルにしては親切な提案だ。いつもは泣いても叫んでも目的を果たすまでは許さない。許すとは、殺して終えることの意味を差す場合が多い。この場合は嘘偽りなく『生かしておいてあげる』という意味だ。
 その生が幸せとは限らないが、どん底でも死ぬよりはいいという人間も多い。
「どうする?」
 男は死に行く物達を見下ろし、つばを飲む。
「ベル」
 ウルは小さな声で呼びかける。彼女の肩にはウル様の配下がちょこんと乗っている。それが声を伝える。
「このおじさんに二者択一なの。三人を縛って吊させてみると面白いかもよ」
 ウルがアザがある白いスネを露わにし、力のある配下を取り出す。目の前に魔物が現れ、男は腰を抜かしてへたり込む。ウルはこういう人間が嫌いだ。気丈に振る舞い、何事もないような顔をする人間を好む。それは悪魔でも同じこと。
「ベル、一人ぐらいさっさと落としてみたほうがいいと思う? こんな人でも家族は大切なのかな? ボクよくわかんない」
 ベルはウルの言葉が切れた瞬間、息子と思われる男を落とす。
 この男はやめてくれとは言わない。自分の命が一番可愛いようだ。
「ねえ、おじさん。どうしてこんな事していたの?」
 下で新しい玩具を与えられ、無邪気に遊ぶ可愛い、まさしく『ペット』を眺めながらウルが問う。男は言葉に詰まって答えない。何か言おうと唇を振るわせているが、下から聞こえる悲鳴がうるさくて何も聞こえない。
「ボクは逆らう者が大嫌いだよ」
 ウルが言った瞬間、答えなかった男の右小指が消えた。ひいっと呻き、指が指がと騒いでいる。出てきた言葉がこれでは、生き残る可能性が微塵もない。
「小物過ぎて楽しくもない。ケトルなら平然としているのに」
 さすがに指を失って平然とはしていないだろう。痛み以外は気にしないという意味でなら正しいが。彼なら腕の一本や二本差し出してでもウルのご機嫌は取る。
「リファ、このおじさんどうしたい?」
「お姉ちゃんに任せます。私はただじっとしていただけだったから。それかウル様にお願いしたいです。私がするとお姉ちゃんは嫌がると思うから」
「そう。じゃあ、しっかりとこのおじさんを見張っててね」
 この二人の会話は、この男に何を与えただろうか。
 自分が何かしてしまったことだけは理解しただろうが、心当たりは多すぎて特定できまい。
「ボクは人を殺させている人間が、自分が死ぬのは嫌だって思っていることにいつも驚くよ」
「悪の華は散りぎわが大切なんですよねぇ」
「そうそう。手札もないのに見苦しいのって最悪だよ。何かあるんならいいけど、本当に何もないし」
 普段からこの二人は、他人がいない場所でどんな会話をしているのだろうかと少し気になった。
「本当に、さっさと飛び降りてれば楽に死ねたのに、馬鹿だねぇ」
「馬鹿ですねぇ、本当に」
 リファは笑うが、瞳はケトルのように暗い。
 ウルは立ち上がり、再びズボンの裾をめくって数匹の配下を取り出す。
「ボクは退屈だから帰るよ。ベル、あとは好きにしていい。何も知らない使用人も好きにするといいよ。あと──」
 ウル様は側に控えていた、事の発端である助けを求めた使用人を手招きした。
「君はおいで。お家に帰してあげるよ」
 引きつった表情の男は、それでも素直に従った。ウル様が好む反応だ。
「じゃあおじさん、逃れられぬ惨劇を存分に楽しむといい」
 私がウルの手を取り、他を残して目的の場所に移動する。
 悪魔を配下にした理由は、主にこの移動方法のためだと、以前ウルは言い切った。だから私は素直に彼女の行きたい先を察して移動する。


 ケトルは冷徹王と呼ばれている。
 しかし仕事ぶりを見ると誰よりも真面目だ。王の顔を知らずに彼の姿を見たら、まだ若いのに熱心に働くと感心することだろう。
「相変わらず君は他人を信用しないよね」
 信用しないから、不正がないように自分自身で調べる。真面目なのだ。
「そういうわけでもありません」
 彼はボクの隣に立つ使用人をちらと見た。
「よく私の手の者だと分かりましたね。お楽しみ頂けるように黙っていたのですが、無用のようでしたね」
 彼は形ばかりの笑みを浮かべる。心から笑うことなど一生ないのではないだろうか。
「ボクは楽しくなかったけど、ベルは楽しんでたみたいだよ。君はベルのことを調べた上でこれを企んだの?」
「ベルとは、リファの姉のことですか。もしそうだったら、私は知りません。私が王になれたのは、その行いが一番の原因でしょう。愚者の二の舞などごめんです」
 なるほど。確かにそのような気配はなかった。では偶然か。国内で悪さをしている連中が集まっていたようだから、いてもおかしくはなかった。
「リファはあそこに残っているのですか」
「あの子に気があるの?」
「恐れ多い。ただ、そうだとしたら豪気な子だと」
 目の前で父親が殺されようと平然とし、大人が作った小難しいだけの書類を理解しているような少年は、自分のことは子供ではないと思っているようだ。もちろんそれでいい。子供だからと見下す連中は、すべて追い落とせばいいのだから。
「まあいいや。じゃ、ボクは帰るよ。でもボクを利用すると後悔する事もあるって、覚えていた方がいいよ」
「あの連中ならどうされても構いませんから。あの別荘も。あの土地も。何もかも」
「ならいいんだけどね」
 覚悟があるなら好きにすればいい。
 ボクが嫌いなのは、覚悟もないのに行うお馬鹿さん。
 ボクが好きなのは、覚悟のあるお馬鹿さん。
 

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