背徳の王

7 

 私がこの城に来てから、腰まで髪が伸びるほどの時が経った。
 朝は早く起きてウル様を起こし、ペットに餌をやる。それを終えるとウル様の寝室を掃除して一息つく。ウル様に直接係わることは私かばあやさんが行う。それ以外の掃除や洗濯は下の使用人が行う。使用人が少ない城だが、それでもメイドが他に二人と、コックが一人、庭師が一人いる。それらを仕切っているのがじいやさんで、陰で支配しているのがばあやさんだ。
 ばあやさんはなぜこんなところで『ばあや』などと呼ばれているのか理解に苦しむほどの才女だ。大学を卒業したと、さらりと言われた。女性が大学に行くなど、当時は今以上に珍しいことだったはずだ。
 家事の腕は完璧で、頭も良い。
 ウル様はこの私に、彼女のようになれと命じられた。さすがに、頭の中身が月とすっぽんだから、家事と気配りだけでいいけど、と付け加えたが。
「いいですか、ベル。しばらくは雨が続きます。お嬢様は雨期になるとあまり動きたがらないから、食事もさっぱりしたものがいいわ。それをコックに告げるのも貴女の仕事になるのよ」
 なんて我が儘なご主人様なのだろう。相手がただの子供ならとっくに切れて殴っていた。
「天候で体調まで左右されるなんて、ウル様らしいと言うか……」
「お嬢様をよく見ていれば、いつ何を好むのかも分かるようになるのよ。とくに雨期のお嬢様は、様子を見てお出しする物を考えなくてはならないの」
 実に面倒なお嬢様である。食えれば何でもよいという環境で育ったベルには理解できない。だがリファには気を遣っていたので、病人を診るように見ていればいいのだと、強引に納得する。
「分からなければお嬢様にお伺いすればいいわ。お嬢様の時はわたしにも難しいから、ベルにはまだまだ無理ね。お坊ちゃまの時は男の子が好みそうな物を食べられるから、それほど難しくないのだけど」
 男装と女装の差は、その日の気分だと言っていた。気分によって食べたい物が変わるのは当たり前。
 私はため息をついてウルお嬢様のために用意したお茶と菓子をカートに乗せる。ずいぶん慣れたが、それでも緊張する仕事だ。
 キッチンを出てウル様がいるはずのリビングへと向かう。
 使用人として仕える訓練は受けているので、ばあやさんの指示に従って動くことは完璧に出来ている。それだけでも、今は十分なはずだ。まだウル様に捕まってから、人が成長するほどは……
 皿の割れる音が聞こえ、手足を止める。
 ばあやさんだって皿を割ることぐらいあるだろう。しかしいつもよりも若干少し顔色が悪かったような気がする。天気が悪いのでそう見えるのだろうと思っていたのだけど、急に心配になって、カートをそのままにキッチンへと戻った。


 ウル様は、ばあやさんが大好きだ。ウル様にとって母親のような、特別な存在なのだ。私が殺されても私の死に対して不快にはなっても、悲しみなど持たないだろうが、ばあやさんが殺されたらウル様は悲しまれる。
 ばあやさんが倒れるまではしなくても、体調を崩したと知り、ウル様はすぐに医者の手配をさせた。
「流行の風邪ですね。命に別状はありません。薬を出しておきますが、様子がおかしいようでしたらすぐに呼んでください」
 医者の言葉にウル様は無言で頷いた。それを確認してから、医者はベルに向かって言う。
「すでに発疹が出ているので、清潔にしてから薬を塗って差し上げてください。合わなかったり、弱かったり、足りなくなればいつでもお持ちします」
「はい」
 顔色が悪いのに気付いていたのに、それ以外はいつもと変わらないように見えてしまった私のミスだ。
「ご本人には、仕事があっても体調が悪ければ休んでいただけるようにとお伝えください。まだまだお若いですが、それでもそろそろ無理が身体を弱めてしまうお年です」
「うん、分かった。忙しいのに悪かったね。またお願い」
 ウル様が普通の子供のような笑みを浮かべた。
 それを見ている医者とその助手は、ウル様の何をどれほど知っているのだろうか。
 ウル様の反応を見た慎重さから、何も知らないとは思えない。問題はどこまで知っているのか。
「いえいえ、今年は平和なものですよ。命に関わる悪質な病気は流行っていませんからね」
 医者の言葉は、ばあやさんは命に別状はないという念押しだ。
「いいや。そのうち忙しくなるよ。たぶん何か伝染病が流行る」
 ウル様がぞっとするような事を口にした。思いがけないウル様の言葉に、医者達は固まった。
「備えておいた方がいい。海を隔てたお隣さんの国で流行っているらしいよ。噂になるほど広まらない可能性もあるけど、隠蔽された結果爆発的に広まる可能性があるよ。近い内に鳥か人が病を運んでくる可能性が高いね」
 先ほどまで硬くなっていたのが嘘のように、彼はいつもの調子だ。
 変な病でないことが分かったとたんだ。ウル様は沈んでいるより、尊大な態度を取る方がお似合いだ。
「ボクの方も備えているけど、どれだけ薬があっても、医者が倒れたら意味がないからね。こればかりはボクじゃどうしようもない。ボクのペット達は馬鹿だから、情報は伝えられても、病の種類までは分からない。国王陛下には進言してあげたから、情報が来たら使いをやるよ。陛下とはオトモダチだから、一番に来るよ」
「かしこまりました。ウル様の情報は速くて助かります」
「領民を保護するのは領主の役目だからね。支援は怠らないから」
 最近、馬鹿な子供のふりをして色々と買っていたのはこのためだったようだ。国内からではなく、国外から仕入れているのが、実にウル様らしい。自分の関係ない国がどうなろうが、ウル様の知るところではない。彼の中での優先順位は、自分の領土、自分の領土がある国、他国となっている。バラバラに仕入れているから、気付かれるのはまだ先だ。ウル様の情報網あってこそだから、他が気付いた頃には準備は整っているはずだ。
 領民にとって実によい支配者だ。搾取されないだけでも、十分よい土地である。
 有事を見越して事前に手を打てるなら、最良の支配者だ。例え、それでどこかの誰かを蹴落とそうとも。
「さすがはウル様。頼もしい」
「褒めても何も変わらないよ。まだ可能性の話だからね。杞憂に終わればそれに越したことはない。でも覚悟はしておいて。患者にもそれとなく今年はやっかいな病が流行るらしいから、健康に気を遣うように広めて。パニックにならない程度に、しっかりと脅して欲しいな」
「かしこまりました」
 医者はウル様に一礼して部屋を出て行く。
 普通の人なのか、変な人なのか、イヌの一人なのか、見た目では判断できない。
「さて、ベルにも仕事があるよ。明日はボクの伯父と従兄が来るから準備して」
「え、明日、ですか」
「ある程度はもう準備しているはずだから、じいやに指示と相談して。部屋は……そうだね。東の応接室を使うよ」
「東、ですか」
 いつもは南側の応接室を使う。日当たりもよく、美しい庭に面している部屋だ。東の応接室は使ったことがない。
「お二人は特別だからね。だから特別な部屋」
「畏まりました」
「他はキミもそろそろ慣れてきたから任せるよ。料理はシェフに任せればいいから、菓子とお茶と客室をばあやのやり方通りに準備だけはしておいて。一泊の予定だから」
 両親がいない──殺した可能性すらあるウル様に、ちゃんと遊びに来る親戚がいることが、私にとって大きな衝撃だった。
 しかし、東の部屋に何の意味があるんだろう。
 それを邪推と好奇心は命取りと分かっていても、簡単に抑えきれるものなら、人は過ちなど繰り返さない。ようは行動に移さなければいいのだ。


 ウル様の伯父様は背の高い白髪交じりの痩せた男性。息子はウル様に似た質の赤毛と、若かりし頃の父親を思わせる美青年。
 ため息が出るほど素敵な親子だ。
「彼女が新しいメイドか。なかなか美人でうらやましいな」
 若君が私に笑みを向ける。いかにも女好きで、見た目はともかく中身はあまり好みではなさそう。
「うん。美人の元殺し屋。ボクの屋敷にピッタリでしょう」
「本当に」
 見た目がどれだけいいとしても、彼らはウル様の身内だった。
 殺し屋と聞いて、極上の笑みを浮かべる青年が、どんな人物なのか計り知れない。ウル様のペットなのか、共犯者なのか。
「その子も可愛いね。ウルの服がよく似合っている。うちの使用人とは大違いだ」
 部屋の隅に控えている使用人は、びくりと震えた。鼻が高すぎる背の高い従者と、華美でなく清楚な雰囲気のメイド。
 ウル様と同じように磨かれ、綺麗に飾られたリファと比べるのが間違っている。
「美人姉妹。いいでしょう」
「本当にうらやましい。並の女では、なかなか長持ちしないからね」
「使い捨てにするからだよ。人材は育てないと」
 私は育てられる側の人材で、よかったのか悪かったのか。
 妹は日に日にウル様に似て、最近は表情がそっくりだ。そのせいで顔つきまで似てきた気がする。喜ばしくはないが、ベルにはどうしようもない。
 死ぬか生きるかだ。妹が死にたくなれば、ウル様に言えば殺してくれるはずだから。死しかない未来よりは、選べる今の方がいい。不自由ではあるが、リファはベッドから出ることも出来なかったのだから、ウル様についてなら、どこにでも行ける今がいい。
「で、用件は何かな? 伯父様の口から直接聞かせてもらえると嬉しいな」
 ウル様は普通の子供のように微笑む。普通の家族の会話のようだ。
 控えている使用人は、固くなり目を伏せている。
「いやな、直接来た方が色々と手っ取り早いと思ったからね」
 病の流行について尋ねに来たのだろう。手紙のやりとりでは、万が一外に漏れる可能性も考えてしまう。
「そう。僕のせいで迷惑をかけちゃったのかな」
「いいや。お前は可愛い、大切な存在だ。私たちの宝。私たちの苦労など苦労ではないよ」
 驚いたことに、力に従うではなく、慈しむ目だ。本性がどんなに残酷でも、人は愛する存在を持つことが出来る。
 ウル様の言う特別とは、本当に家族としての特別だったらしい。
「リファ、ボクは伯父様には本当にお世話になりっぱなしなんだよ。生まれたときからボクを守ってくださっている。じいややばあやと同じぐらい、ね」
 常に側にいて身の回りの世話をする、親のような存在と同じほど。
 ウル様にとって、それがどれだけの存在か、私には分からない。それでも大切な存在であることは間違いなかった。嘘や冗談で、ウル様は大好きなじいやさんとばあやさんに並べない。
 どうでもいいのなら、死んでいる両親に並べるだろう。
「ウル様でも、家族をそんな風に思うんですねぇ」
「それはそうだよ、ベル。伯父様はボクの力に気付いて、隠してくださったんだ。
 伯父様は、妹を取られて結果的に殺されてしまったから、神殿がどれだけひどいところかご存じだからね。
 小さな頃はエルファ兄さんによく遊んでもらったし。お前達は覚えているよね」
 ウル様は影に話しかけ、返事とばかりに騒がしい音が漏れる。
「神殿? 神殿って、神様を崇めるところですよね。恐ろしい所なんですか?」
「リファは神殿の意味を知らないんだね。
 ボクの持つような力はありふれていてね、それをすべて神殿が管理するってことになってるんだよ」
「ありふれているんですか?」
「各地から集めると表現できる程度には、ね。
 魔物を使うでしょう。強き存在を従える神に与えられた力。だからボクは本来、神殿に引き取られていなければいけなかったんだ」
「連れて行かれないように、神殿から隠したんですか?」
「そう。双子のように見せかけてね。男女の双子っていうのは、神子になった例がないんだよ。同性の双子でも、ほとんど力が弱い。この領土のどこかに神子がいると分かっていたとしても、どこの誰か分からないし、前例のない男女の双子がそうであっても、力は弱いし貴族相手だから無茶は出来ないからって」
 経験があるからこその対応だ。
「可愛いペットを手に入れて、自分で自分を守れるようになると、こんなことする必要はなかったけど、習慣だから続いてるんだ。ボクには似合うしね」
 おかしな洗脳ではなく、理解して楽しんでいるのがウル様らしさだ。
「じゃあ、今でも神殿は知らないんですか?」
「知っているよ。
 神子がいる地域って、神殿には分かるんだって。どれだけ探しても見つからないから、疑われていたボクに目が戻ってくる。力が足りているのに使わない理由もないし、使わないとなめられるんだ。今でも狙われているはずだよ」
 隠れている弱き存在と侮られて、連れに来られてもウル様にとっては迷惑な話だ。ウル様はウル様なりにこの地を気に入っている。気に入っているから守護し、それに応じる領民達に好意を持つ。
「今もウル様を狙ってどうするんですか?」
「ボクを従わせようとするだろうね。ボクは過去に類を見ない天才だし、まだ子供だから、洗脳でもするんだよ」
「ウル様を? どうやって?」
「厄介なのは神子は群れだから、集団に紛れるだけで意外とあっさりと洗脳されてしまうんだよ。
 ボクはされないけど、洗脳する能力のある魔物がいるだろうから、出来ると思ってるんじゃないかな」
 ウル様はすでに自分の群れを作っている。他の群れに紛れる必要はない。自分の群れを壊されて引き込まれても、その群れを壊して自分でまた作り直せばいい。
 それが出来てしまう方だ。
「神子はね、ほとんどボクぐらいの年齢になったら親元を離れて神殿に強制的に買われるんだ。
 ボクみたいに生まれたときからお金持ちなんて、割合は少ないからね。ほとんどは貧困層だよ。だから売られてしまい、買われてしまう。売られてしまった子供は、神殿しかないから盲目的になる。
 やっていることのほとんどは魔物狩りだから、人々から感謝されてさらに洗脳される。
 だから外れてて、お金持ちで、家族に守られていた何不自由のないボクみたいな存在が憎いんだよ。だから手段を選ばない。かばってくれた身内に近づいて人質に取ったり、ね」
 ウル様はいつものようにくすくすと笑う。この笑い方をする時は、何か企んでいる時だ。リファをからかうぐらいならいいが、人がたくさん死ぬ時も同じ笑い方をする。
「ウル様は何でもご存じですね」
「だって、ボクの親はそれがきっかけで死んだんだよ」
「そうなんですか? ずっとウル様が殺されたんだと思ってました」
「殺したのはボクだよ。結果としてはね。じいやとばあやが無事だったからどうでもいいけど」
 わたしもそう思っていたから、ウル様の事を勘違いしていたようだ。理由もなく、両親を殺すようなことはなさらない。
 理由があったからこそ。
 理由があれば、殺す。
「ベル、エルファ兄さんにお茶のおかわり。リファにはお菓子も。あと、そろそろ掃除の準備を」
 黙って控えていた私は唐突な要求に驚いた。彼が掃除を要求するのは珍しくないが、今ここでというのが少し気に食わなかった。事前の説明が欲しいところだが、それも察することがウル様に仕えるということだ。
「かしこまりました。カーペットはクリーニングでよろしいですか?」
 このカーペットが汚れれば、私の手には余る。汚れは目立ちにくいが、素材がいいので自分で丸洗いするよりも、プロに任せた方がいい。
「好きにしていいよ。さすがに掃除のことはボクには分からないから。料理は出来るんだけどね」
「ウル様、お料理などされたことがあるんですか?」
「あるよ。料理とお裁縫は淑女としてのたしなみでしょ。ばあやは厳しいからね。刺繍とかベルにも教えてあげるよ」
 貴族は無駄に覚えなければならないことがある。ウル様は自発的にはやらないが、一通りは身につけていらっしゃる。それは男としての者だけだと思っていたら、女としても隙がないようにしているのだ。
 実にウル様らしい。
「ところでベル、知っている? 神子の肉はとっても美味しいんだって」
「じゃあ、ウル様の所には、魔物がホイホイと寄ってきますね。ロバスさんもその口ですか?」
「さあ。ボクはペットが何を考えてボクに跪いたなんて知らない。今、服従していることだけが確かなことだよ」
 ウル様は微笑みながら、部屋の隅で殺気を放つ伯父の使用人をちらと見る。
 ここに二人。
 もう一人は窓の外。
 この部屋は、どういう意味で、特別なのかはまだ知らされていない。
「ねぇ、みんな。神子、また食べたい? 初めての子もいるよね。食べてみたい? 今日は三人もいるんだよ」
 外で小さな悲鳴が聞こえ、気配が消えた。
「あーあ。馬鹿だな。馬鹿正直に罠の上に立ってくれるなんて。神子はそういうところがダメだね。追い詰める娯楽すらペット達に与えてくれないなんて。
 ロバスは食べたことあるだろうから、伯父様達を守っていてね」
 ウル様がニヤニヤ笑いながら言い、ごく普通の人間である私はリファを連れて部屋を出ると、言われた通りに準備をする。
 戻ってきたときには、ウル様のペットが壁やカーペットをぺろぺろと嘗めていた。毛繕いし合うように、身体についた血を舐め、動物がじゃれ合うような姿だけは微笑ましい。


 ウル様のペット達にカーペットを外に出しておくように頼み、お茶と菓子の追加を用意して、別の部屋で談笑している主の元へと向かう。二つ目の部屋も用意したのは私だから、迷うことはなかった。
 ドアをノックして部屋に入り、惨劇を見た直後のはずの皆にザクロのタルトを出す。
 先に言ってくれれば、別の菓子を焼いたのだけど、それを察することが出来なかった私が悪い。
「伯父様、余計なモノが入り込んで鬱陶しかったでしょう。ごめんね」
「かまわないさ。ウルのペットが守っていてくれるからね。それにお前の顔を見に来るいいきっかけになった。隙をうかがう以外は、普通に仕事をしてくれていたから問題ないよ。食べられてしまえば、給金を払う必要もない。払った給金も戻ってくる」
 なんて前向きな考えだろう。
 ウル様はけらけらと笑い出した。彼のツボはよく分からない。
「ベル、今日のケーキは美味しそうだね」
「美味しそうなザクロが手に入ったので。市場のおばさんがウル様に召し上がっていただきたいと、わざわざ届けてくださいました」
「そう。今度、お礼をしておいてね。
 でもベルはお菓子作りは、そのうちばあやにも追いつけるかも知れないね」
「お褒めいただき光栄です」
 それ以外では追いつけないと言いたいのだろう。生まれたときから彼を見ている彼女に、私が追いつけるはずがない。
「謙遜する必要はないよ。ばあやは特別だからね。
 でも、ベルはばあやにも勝る点がいくつもあるよ。君は箒と斧がよく似合う」
 失礼な話だ。斧などウル様のペットにでも振り回させておけばいい。人に向けて斧を振り回すなど、アレが初めてだったのに、本当に失礼。
「ベル、ばあやが死んだら、ばあやって呼んでいい?」
「ご遠慮下さい。ばあやさんが、私が老女になるまで生きているならともかく」
「じゃあ、おばあちゃんになったらばあやって呼んであげるね。それまでにばあやみたいになってね。君がロバスを拒むなら、ボクが君を育ててあげるから」
 ロバスの魔女になれば、ウル様にとって私の価値はなくなるのだろう。ただの『リファの姉』であり『ペットのペット』である。
 力も知識もないのに魔女になる魔女など、魔女としての価値はない。
 迷う者は嫌いだよ。
 ウル様のこの口癖から考えれば、それがよく分かる。
 老いて死ぬ人間であるからこそ、ウル様にとって『ばあや』なのだと思う。だから老いて死ぬ人間である私という存在が、ウル様にとっては価値があるのだ。ただ生きていればいい存在だったら、リファの中にいるモノは、ばあやさんの中に入れれば良かったのだから。
 それをしないのは、それをしたらウル様にとっても「ばあやさん」が死んでしまうからだ。
 今のばあやさんが大好きなウル様らしい考え。
「光栄です」
 ばあやさんになるということは、ウル様の気まぐれでは殺されないという保証。
 生きているだけでも幸運な状況下だ。その上、ある意味では王であるケトルさんよりも上の立場を与えられたようなもの。
「光栄です」
 私は迷わない。
 捨てられぬように、別の誰かを連れてこられぬように、死にものぐるいで働かなければならないが、私は意外とこの生活を気に入っているのだ。
 恐ろしくとも、彼は私にとってただ一人現れた救い主なのだから。
 
 

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