7話  聖なる夜の不浄の宴

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 食べまくっていたフィオは一人で戻ってきた慶子を見つけた。フィオは彼女の元へと走り、彼女もフィオの元へと走る。
「慶子、美味いぞ」
「そうね。馬鹿はほっといて食べるか」
 慶子が入ってきたドアから、ぐったりとした樹に肩を貸す大樹が入ってきた。それを見た人々は、悲鳴を上げながら二人を取り囲む。
「……け……慶子、か?」
「大丈夫。腹をちょっと殴っただけだから」
 慶子は相変わらず乱暴だ。
 偉い立場にいる樹は皆に心配されて、部屋を用意しようかという申し出を断っていた。
「慶子さんだけだよ。樹兄さんノックアウトさせて無傷ですむのは……」
 真樹は慶子へとグラスを差し出した。
「グレープフルーツジュース?」
「そ。人目があるからお酒はダメだよ」
「う……そ、そうね」
 酒を飲む気だった慶子は、ため息をついて近くにある皿を手に取る。
「じゃあ、食う」
 と、慶子は端から順に少量づつ料理を皿に盛りつけ始めた。座って食べないのは行儀が悪いと思うのだが、このような形態のパーティもあるのだという。
「フィオ、言っておくけどドレス汚すんじゃないわよ」
「失礼だな。汚さないぞ」
「言っただけよ」
 慶子はつんとフィオの額を突付く。そして、その手に持っていたフォークで料理を食べ始める。いつもとは違い、行儀良く食べている。いつもは胡坐をかいて猫背で食べているのに。
「おい、真樹」
 知らない男が真樹を呼ぶのが聞こえる。
「あ、時雄兄さん」
 知らない男は真樹の前に来た。
「真樹は三人兄弟じゃなかったのか?」
「そうよ。だから親戚でしょ。年上の親しい男性を兄と呼ぶこともあるしね」
 親戚のいないフィオは、そのようなこともあるのだと感心した。
 血の繋がりはなくとも兄弟になれるのだ。だから慶子はフィオを妹と言っているのかもしれない。本当は男に近く育てられているだが、それを言うと『過去の過ちなんて気にしちゃだめ』と言う。このようなところは少し強引だとさすがのフィオも思うのだが、慶子が言うので気にしないようにしている。
「真樹、元気そうだな」
「ちょっと元気取り戻したかな」
「で、そっちの二人は?」
「やっぱりそう来たか」
 真樹は苦笑し慶子とフィオを見た。
 時雄は二人を交互に見比べて、結局は慶子を見つめた。
「東堂慶子さん。保さんの妹さんだよ」
「保さんの? 始めまして。水野の平川時雄です。お兄さんには以前世話になったことがあるんだ」
「そうですか、兄がお世話になりました。私は東堂慶子です。こちらはフィオ……と護衛のディノさん」
 のそと現れた巨漢のディノを見て、時雄は一歩後退する。
(ディノ、ちょっと怖いからな)
「……なあ真樹、この二人って人間じゃないよな」
「そう。天界の家出娘とその護衛」
「天界の……そういや前に五十年ぶりに天界の扉が開いたって聞いたな」
 慶子は構わず食べ始めた。フィオもまだ満腹でないのでそれにならう。
 慶子は二人の会話が気に入らないようだ。機嫌が悪いのは見なくても分かる。
(どうしたらいいのだろう)
「あ、ごめん慶子さん。そういえば慶子さんまだ仮にも一般人だったね」
「そいえばとか、まだとか、一般人とか、なんか引っかかるんだけど」
「気にしなくてもいいよ。天界について知っているのは、本家と分家とごく一部のお国の人達だけだから」
「あたしちょっと場違いな気がするから向こうに行ってるわね。気が済むまで一般的じゃない会話を楽しんで」
 慶子はフィオの手を引いてどこかへ行こうとする。それを慌てて二人は止めにかかる。
「いや別に普通の話をしきに来ただけだから」
「二人に行かれたら僕非常に困る」
 真樹に止められて慶子は立ち去ろうとするのを中断する。フィオは目に付いた肉を皿に取って食べる。おいしい。
「それにしても、保さんの妹さんがこんなに美人だったとは。もっと早く出会いたかっ……」
 時雄は突然振り返る。遠くでこちらをじっと樹が見ていた。いや、視線が合った瞬間、大樹から離れてこちらへと歩き出す。慶子は逃げるようにして一番近くにあった出入り口へと向かう。
「なんで睨まれてるんだ俺」
「樹兄さん、慶子さん一筋だから」
「何!?」
 時雄は逃げようとする慶子を凝視する。慶子はドアに手をかけようとし、勝手に開いて戸惑った。現れた誰かは慶子を見て、彼もまた驚く。帽子をかぶり、サングラスをしていた。フィオの知っている知識の中では、彼はどう見ても『怪しい男』であった。
「……お前、東堂慶子か?」
「え……そうですけど。どちら様ですか?」
 慶子が問うと、男は慶子の手を取った。
「……ええと、何なんでしょうか」
 慶子が台詞を棒読みするように言う。
「明神、この娘の命が惜しければ動くなっ」
 男は慶子の喉元に刃物を突きつけて叫んだ。
 パーティ会場からいつくもの悲鳴があがった。

 突きつけられる刃物。怪我をしたくないので、仕方なく男に首を絞められる。
 会場からは悲鳴と怒号が沸き起こる。
(嫌な感じ)
 樹は彼女を捕らえる男を睨んでいた。
 押し付けられる刃物は、慶子の頬の近くにあり、その全容を見ることは出来ない。しかし一般人の持つようなものではない。
「調べは付いている。この女のことを、お前達兄弟が取り合っていると」
「いや違う違う」
 否定はもちろん慶子自信の口から出た。
「お前は黙ってろ」
 勘違いとは恐ろしいものだ。しかし樹が慶子に気があるのは紛れもない事実であり、人質にされた理由は理解できる。ただ、所詮は女という侮りがこうしているだけでも伝わってくる。
 ディノが動こうとしていた。彼の実力の程はつかめていないが、フィオの護衛をするほどだ。かなり容赦なく強いと思った方がいいだろう。
 慶子は目でディノを制する。それで彼の動きは止まる。いつ飛び掛ってくるとも知れない雰囲気だが。
「前にもあったわ、こういうの」
 慶子は樹を睨んだ。彼はその視線を受けにやりと笑う。
「そうだな。あの時は……」
 樹はちらと昭人を見た。哀れな彼は身を小さくする。大きな身体をしていても、気は小さい青年だ。樹に何かひどい事をされて逃げているときに、偶然樹に声を掛けた慶子が今のように人質にされたのだ。
「あのときなんて言ったっけ?」
「好きにすればいい」
 そう、あっさりと本気で見捨てられた。その時、この男にとって自分などはなから眼中になかったのだと知ったのだ。友人の妹。弟の友人。それだけであり、生きようが死のうがかまわないと思われていた。その頃は。本当に一体いつ無関心が好意になったのかは分からない。いつも馬鹿にされていたのだから、それで好意を持っていると思うほうがどうにかしている。今も、どうにかしていると思っている。
 この薄情な男が、自分自身に気があるなど。
「今はどう言うの?」
「決まっている。好きにすればいい」
 相変わらず……というわけではない。あの時とは、言葉のニュアンスが違う。
「好きに……だと? 自分の女が死んでもいいのか?」
「殺せるならやってみろ」
 樹が一歩近付いた。
「顔をずたずたにしてやってもいいんだぞ」 
「好きにしろ。ブスが多少よりブスになろうが知ったことではない。大差ない」
 これだから、この男は嫌いなのだ。こういう幼稚なこと話言う男は大嫌いだ。
「お前も好きにするといい、慶子。俺は問題ない」
 誰かまだいる。一人で来るはずもない。人質をとって動揺している隙をつくのが普通だろう。この男を甘くと言うか、普通に見すぎである。
「わーったわよ」
 どうせ大切なことは調べていないのだ。調べていたとしても、侮っているのだ。慶子自身のことなど。
 慶子は目の前にあるナイフへと顔を近づけた。頬が切れるが今は気にしているときではない。前へ出ることにより空いたスペース。そして相手が驚いて身を仰け反らせた分のスペース。
 その空間が、必要だった。
 相手の動きが止まった瞬間、頭を思い切り後ろへとやる。後頭部に痛みが走る。相手はもっと痛いだろう。顎に人の頭が叩きつけられたのだから。
 力が抜けた腕をひねり、慶子の頬を割った刃物が床に落ちる。
 別の場所で騒ぎが起きるが、慶子は気にしない。樹が言ったのだ。問題ないと。
「あのねぇ、やるなら闇打ちやんなさい。こんな人の多いところでこんなことするだけ無駄でしょ」
 慶子にねじ伏せられた男は小さく呻く。
「たぶん、人目があるからこそ襲ったんだと思うよ。ケイちゃんの能力知らないから」
 大樹は男へと触れる。右手の方で悲鳴が上がり、誰かが誰かを蹴り倒した。
「何が能力よ。ちょっと古武術かじっただけよ」
「殺人拳法をマスターしているのがちょっと?」
「いつ殺したのよあたしらが」
「いや殺せそうだなって」
 失礼な男である。格闘家である兄ならともかく、護身術程度しか学んでいない慶子がなぜそこまで言われなければならないのか。
 慶子は憤慨して諸悪の根源の男を睨みつけた。しかし男は気を失っていた。大樹が触れたときに何かしたのだろう。慶子は男から離れ、泣きながら突撃してきたフィオを強く抱き返した。
「慶子、慶子、血。血が出てる」
「気にしないでいいのよ。別に大したことないから。ほら、目立つことはしないの。はい、涙を拭いて」
 これは本当だ。もちろん病院に行くつもりだが、縫うほどのものではない。元々、刃物とは押しただけではほとんど切れない。引かなければ切れないのだ。勢いをつけて前へ出たので多少切れたが、皮一枚程度である。
「ほんと、ケイちゃんは強いなぁ」
 大樹は男を蹴り飛ばして言う。
「はい。俺のときなんて、人質にした側の俺が樹様から守って頂きましたから」
 昭人は蹴られた男をむんずと掴み上げながら言った。彼は男を引きずり捕らえられたもう一人を回収して会場を出て行った。警察にでも突き出すのだろうか。
「……ケイちゃん、あいつとなにがあったの?」
「樹さんから庇いながら家に持ち帰って説教しただけよ。だって、ほっといたら海に沈められそうな雰囲気あったもの。樹さん常識とか良識ないから」
「確かに兄さんは殺したと思うけどさぁ。そっか……昭人を更生させたとあるお方って、ケイちゃんのことだったんだ。いやホント、それで生きてるケイちゃんがこの世で一番不思議」
「なんで人質にされた程度で死ななきゃならないのよ。殺したら人質の価値ないでしょ」
 それがパニックを起していたとはいえだ。
 何があったかは知らないが、相手を追い込んだ樹が悪いのだ。
「そーだねぇ」
 大樹はポケットから取り出したシルクのハンカチで慶子の頬を拭う。
「でもねケイちゃん、自分から傷つくようなことしないでくれよ。心臓止まるかと思った」
「大げさね」
「いやホント、相手も人目を利用してナイフなんかで脅してくれたからよかったけどさぁ。ケイちゃんのこと侮りすぎてくれたのも」
 慶子は大樹の手を押さえた。シルクのハンカチの感触が心地よい。傷がわずかに熱を帯びてきた。
「本当に心配したよ」
「ごめん。つかまる前に殴り倒せばよかったわね」
 今だにぐずるフィオと、あと少し遅ければ本当に動こうとしていたディノと。
(うーん。あたしも案外愛されてるのねぇ)
 護身術を習っていてよかった。死人が出なかったから。
「慶子、病院に行くぞ」
 樹が慶子の肩に触れて言う。
(こいつはいつも一番先に見捨てるくせに)
 昔はどうでもよかったのだろう。今は、信頼されているからかもしれない。どちらにしても結果が同じでは意味はない。
「いいわよ別に。どうせあたしみたいなブスは多少傷が残っても大差ないし」
「女の顔に傷などないに越したことはない」
「フィオ、帰るわよ」
 慶子は大樹の手からハンカチを奪い取り、フィオの手を引き歩き出す。
「ちょっと昭人さん借りるわよ。送ってもらうから」
「昭人は今後始末をしているだろう。しばし待て」
「あとし……」
 慶子はその言葉の意味を考えた。普通に警察に突き出したりその手続きをしたり、という意味では……ない。絶対に。
「あんた、せっかく改心した昭人さんに何をさせてるのよ!?」
「いや、なんでもない。鏡華に送らせよう。しかしあいつにも仕置きがいるな。不審人物を中に入れるなど」
 樹は眼球だけぎろと動かし上を見た。
(考えが古いのよねぇ、こいつも)
「兄さん。相手はそっちの系統上手い奴みたいだったし。詰めは甘すぎだけど。それに鏡華一人に警護を任せてた兄さんも悪いんだから、許してやりよ」
「……しかし」
「もっと人手を増やせばよかっただろ。鏡華だって全部を把握できるわけじゃないんだから。
 大体兄さんは人に色々と求めすぎだよ。ケイちゃんだって女の子なんだから、ちゃんと助けてあげないと可哀想じゃないか」
 慶子は地に塗れたハンカチの綺麗な部分で目頭を押さえた。
(なんか久しぶりに『女の子』なんて言われた気がする……)
 それが大樹でも、なぜかほろりときてしまうこの不思議。
「そりゃあケイちゃんは保さん以上の特殊体質だけどさ、それ以外は普通何だから。ちゃんと守ってあげないと、これ以上偏屈になるぜ」
「何が特殊なのよ。感動して損したじゃない。やっぱり行くわ。じゃあね」
 フィオを連れ、未だに殺気立つディノを連れ、慶子は会場を後にした。
 すると向こうから、警察に連絡したと信じたい昭人がやって来た。
(……早くない?)
 まさか、本当に始末していないだろうな。そんなことを思いながら問う。
「さっきのは?」
「いやぁ、久しぶりに満腹になって……はっ、慶子さん!?」
 何をしていたのだろうか彼は。
「ほら、カツどんを」
「意味わかんないし」
「いつもあんまり食べさせてもらえないんです。樹様にお仕えしていると、腹八分目でないと叱られるので」
「そう。よくわかんないけど、苦労しているのね。嫌ならいい就職先が見つかるまでウチに来てもいいのよ。あそこにいたら、人間歪んじゃいそうだもの」
 慶子は昭人の手を握った。大きな手だ。慶子の小さな手では、握っていると言うよりも添えていると言った方が正しい。
 昭人はそんな慶子の顔を見て、小さく鼻をすすった。
「慶子さん。大丈夫です。樹様はきつい人だけど、他の人達はみんな優しいんで」
「そう。ならいいんだけど」
 そのイジワルな樹が意地悪すぎやしないかという不安は残るものの、彼がいいと言うのだから、大丈夫だろう。
「慶子さん、血」
「もう、また垂れてきた」
 ハンカチで拭おうとしたそれを、とつぜん昭人が顔を近づけ舐める。
 なんというのだろう、こういう感じを。
(犬猫に舐められたみたいな感じ……)
 大樹と違っていやらしさがないというか、邪気がないというか、純粋と言うか。フィオに舐められてもこんな感じだろう。
「これで大丈夫。血は止まりました」
 慶子は頬に手を触れる。しばらく触れても手に血が付かない。
「あら、ほんと」
「傷は舐めるのが一番」
 昭人は笑顔で言った。言った瞬間、彼の身体が凍りついたように動かなくなる。顔が青い。
「いい度胸だ昭人」
「心配してきてみればお前よくもケイちゃんに」
 樹と大樹だった。昭人は青ざめ恐怖に顔を歪ませる。
「ちょっと。二人とも純粋な人を虐めちゃダメでしょ!」
「何が純粋だ」
「そうだそうだ。俺のケイちゃんに……俺だって何もできなかったのにっ」
 大樹が悔しげに地団太踏むと、樹が弟を睨む。
「何をしようとしていたお前は」
「別に関係ないだろ兄さんには。それよりも、お前一ヶ月トイレ掃除だからな」
 ずいぶんと可愛い罰である。
(小学生かあんたら)
「そんなっ……」
「分かったらケイちゃんを送りに行くぞ」
 大樹が宣言すると、樹も当然のように歩き出す。
 フィオが珍しく不快を顔に表した。三人並んでその後に続こうとしたところ、突然美津枝が走りこんできた。
「こら樹。樹は主役なんだから、いなくなっちゃダメでしょう」
「うっ」
「ほらほら、送るのはは二人に任せていくわよ。まったく、いつまでも子供じゃないんだから」
 樹は美津枝に説教されながら会場に戻っていく。
 ほんの少しだけ、慶子は安堵した。

 

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