9話 あたしと兄貴

 閑静な住宅街。その中でも目立つ大きな家が彼の実家だった。先祖代々の土地なのだが、建っているのは現代的な造りの家だ。広い庭には柿の木が塀の外へと突き出ており、中にはいると手入れされた花壇と、風にたなびく洗濯物。
 洗濯物はやや多く、女物と男物が干されている。
 どうやら父か弟が帰ってきているらしい。
 せっかく可愛い妹と水入らずだと思えば、まったくタイミングの悪い。
 まあしかし、妹の喜びそうな土産を山ほど買ってきたので、きっと彼女は飛び上がって喜ぶだろう。今日一日は彼女を独占できるに違いない。
「うし」
 今はまだ彼女は学校だ。今のうちに彼女のため、いろいろと準備をしなくてはならない。
 可愛い可愛い可愛い可愛い目に入れても痛くないほど可愛い妹。
 何が可愛いかというと、色々と自覚のないところが可愛い。そして、日に日に女らしく成長していく様が可愛い。実の妹であるのが悔やまれるほど可愛いが妹なのでどうしようもないのだが、やはり可愛い女の子と一緒にいるのは楽しい。兄と慕ってすり寄ってくる様は、どうしようもなく可愛いのだ。
 彼は鍵をはずし、我が家に入る。
「おぉーい。誰かいるかぁ?」
 声をかけると、とたとたという軽い足音が聞こえた。子供のような足音。
 ひょっこりと顔を見せたのは、見知らぬ金髪美少女だった。
「…………」
「…………」
 可愛い目を何度も瞬きさせて、彼女は言った。
「誰だ!?」
「それはこっちの台詞だって」
 見知らぬ客人と思わしき少女は、言われてようやく気づいたらしく、手を打って頷いた。
「フィオだ。お前は?」
「東堂保」
「とうどうたもつ……たもつ? 慶子の兄?」
 保はうんと頷いた。するともしも母親が生きていたら、飾り立てて遊んだであろう美少女は、とたとたと足音を立てて奥へと走っていく。
 慶子も好きそうな可愛い女の子だ。
 父がホームステイでもさせているのだろう、そう思った瞬間、彼はとんでもないものを目にした。


 慶子は突然ポケットの中で震えだした携帯電話を手に取った。自宅の番号がディスプレイに表示されている。
(フィオ……あんた何したわけ?)
 今まで学校へ行っている時に電話がかかってきたことは一度しかなかった。その一度とは、フィオがおもしろがってかけてきたのだ。そのときに散々しかっておいたので、何かとんでもないことが起こった可能性がある。
 幸いにも現在は昼休みなので、慶子はいらだちながらも電話に出た。
「なに?」
『なにって……何なんだあの大男は!?』
 思いもよらぬ男の声に慶子は目を丸くする。
「に、兄さん!? 帰ってきたの!?」
 斜め後方で、大樹が飲んでいた牛乳をふいた。
「なんで!? 来週って言ってたじゃない!」
 だからこそ、のほほんと構えていたというのに。
『兄ちゃんだって、予定が変わる時もあるんだよ……って、そんなことはどうでもいいんだ! 何でお前男と一緒に住んでるんだ!?』
「人聞きの悪いこと言わないで。一緒に可愛い子がいるでしょ?」
『それとこれとは別だ。あの男は何なんだ!? 父さんも知らないって言ってるぞ!』
「一緒にいる子の護衛よ。ワケありだから勘弁して」
 根回しする前に帰ってくるとは思わず、正直に話した。下手な嘘など通じない。彼に出はなく、その背後に控えている父と下の兄に対してだが。この上の兄、ケンカ馬鹿の保は決して頭がいいとは言えない。そもそも、格闘家なる職業をしている男に知性など求めてはいけない。脳みその分まで筋肉に回っているのだ。
「け、ケイちゃん……どっち?」
 よろよろとした足取りで、大樹がやってきて問う。
「保兄さん」
「あ、よかったね。馬鹿の方で」
 人の兄、自分の兄の親友に対して馬鹿とは何事だろう。馬鹿だが。
『今誰か馬鹿とか言わなかったか!?』
「気のせいよぉ。ここは学校なんだから、いろんな声が聞こえるんでしょ」
『ところでワケありって何なんだ? 事情によっては認めてやるから』
「ここじゃ言えないわよ。とっても可愛そうな子なの。本人には聞いてだめよ。ディノさんにもね。
 じゃないと兄さんなんて、もうごはん作ってあげないんだからね」
『え……あ……わかった。とりあえず、帰ってきたら説明するんだぞ?』
「うん。じゃあね」
 慶子は電話を切り、ふぅとため息をつく。
「ねぇねぇ、今のあの保から!?」
 友人が興奮して問う。
 いつも世界中を飛び回っているので、兄は滅多に家に寄りつかなくなった。そんな慶子の兄が有名な格闘家であることは、実はあまり知られていない。この友人は格闘ファンだから知っているのだ。
「いいなぁ。いいなぁ。遊びに行ってもいい?」
「ダメダメ。今日は絶対にダメ」
 とんでもない話だ。そんな過剰な拒否反応を示す慶子の背中に大樹がとりついた。
「そうそう。黙って飼っていたペットが見つかっちゃって大変なんだからねぇ」
「あんた……」
 慶子は大樹をにらみつけた。
「俺も説得手伝うよ」
 断ろうかとも思ったのだが、絶対に無理矢理ついてくる上、多少は役に立つかもしれない。
 その後に待ち受ける父の存在を思うと、慶子は憂鬱な気持ちでため息をついた。
 ──どうせなら、ずーっと家を空けてくれればいいのに。
 どうせいてもいなくても同じような家族のなのだから。


 家に帰りリビングに足を運ぶと、慶子は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ん、どうした慶子」
「お前の妹は本当に落ち着きがないな」
 なぜか、大樹の兄の樹がいた。
 彼は教祖。サラリーマンではなく教祖。だから自由に好きな時間好きな場所へと行くこともできる。誰も彼を止めない。
 仕事時は和装が多いのだが、今日はカジュアルなセーターにジーンズという出で立ちだ。
 いつもの和装も、あれはあれで信者の女性陣を虜にしているらしいが、慶子はこちらの普通の服を着ている彼の方がまだ近寄りやすかった。髪型も今風で、憎らしいことに背も高い。町を歩くと逆ナンパ、モデルなどのスカウトは当たり前のようにあるらしい。大樹も似たようなものなのだが、さすがに両者初対面の女性とデートするような神経も、雑誌に載って騒ぐ神経も持ち合わせていないらしい。
 慶子はこの最悪の展開に頭を抱えた。
「慶子、頭が痛いのか?」
「頭が悪いのだろう」
 人の買った可愛いカップで紅茶を飲みながら、樹は人をけなしてくれる。入れたのは、ディノだろう。この面々の中でお茶を入れられるのは彼ぐらいだ。そのディノは慶子を見て、ほっとした様子で胸をなで下ろしていた。フィオはその大きな背中に隠れている。
「フィオ、変な人たちがいっぱい来てごめんなさいね。恐かったでしょ?」
 慶子が話しかけると、フィオは走って慶子の手へとしがみついた。
「そんなことはないぞ。慶子の兄は慶子と同じ雰囲気があるから、少ししか恐くないぞ」
「あたしゃあ少し恐いのかおい」
「……えと……えと……少し」
 フィオをデコピン一発で許し、慶子はソファに腰をおろした。
「客がいるというのに、お前はこんな冷めた茶を飲ましておく気か?」
 樹の言葉に慶子は立ち上がり、おつまみと無駄に高いワインとグラスを運んだ。ワインはなぜか父から送られてきたものだ。父も無類の酒好きで、可愛い娘のためにおすそわけしてくれたのだろう。基本的に日本酒が一番好きなのだが、たまには上品にワインもいい。チーズとクラッカーがあるので、こいつらも文句は言わないだろう。
「ケイちゃん、俺ワイン好きくないです」
「水でも飲んでれば?」
 大樹はしくしくと言いながら冷蔵庫から勝手にフィオのジュースを取り出しコップにつぐ。フィオが文句を言ったが、ポケットから取り出した飴で黙らせた。
「慶子。樹から話は聞いたぞ」
 慶子は心の底から逃げ出したくなった。樹がつく嘘など、どんなものであるか想像すらつかない。
「天界の次期統治者候補なんだって?」
「この上なく素直に話したのかあんたは」
 樹の首を絞め始めた慶子を、慌てて大樹が羽交い締めにする。
「ケイちゃん、兄さんにくってかかるなんて無謀すぎ!」
「ええい離せ離せ。この馬鹿は一度身体に教えなけりゃわかんないのよ!」
 慶子はもがくが、今日の大樹は兄に関わるせいか必死でなかなかふりほどけない。
「まったく乱暴な女だな。保のように男ならほめてやるが、女では嫁のもらい手などないぞ。その顔で生まれた時点で嫁のもらい手はないかもしれないがな」
「嫁になんて行かないからいいの!」
 この男は本当にいらないことばかりを言う。そりゃあ顔はこの男の方がよほど整っている。しかし、そこまで言われる筋合いはない。十人並み以上であると自負しているのだから。
「いっちゃん、うちの慶子は十分に可愛いぞ。なぁ、大樹」
「まあ俺はその胸と愉快な性格があれば顔なんてどうでもいいと思ってるし」
(あんた……)
 殴り倒してやろうかとも思ったが、馬鹿らしくなって慶子はグラスにワインをついだ。
「慶子、慶子。私も私も」
「はいはい。ちょっとだけよぉ」
 慶子はワインを注いでグラスをフィオに渡す。フィオは口を付け、満足げに笑う。
「おい……お前、そんな子供に酒などいいのか?」
 それを言ったのは保ではなく樹だ。保も含め、東堂家の子供達は父親に酒を飲まさせられて成長したのだ。保がその程度のことで口を挟むはずもない。
「大変よ大樹! 樹さんがまともなこと考えてる!」
「あのなぁ。兄さんだって常識はあるんだよ。ただ、口にする言葉に毒があるだけで」
「そんなっ! 信じられない!?」
 慶子が怯えていると、樹が彼女を睨んだ。そのとなりで保が笑う。
 この二人はいつもこうだ。保は慶子がけなされても、注意の一つで樹と仲直りする。この二人の奇妙な絆は、妹や弟であっても理解できないものだ。
「ところで慶子、にいちゃん真面目な話に戻すけどいいか?」
「ええ。そうね」
「そういう変なのを拾ったら、兄ちゃんだけにでも言いなさい。俺は慶子がいやがるようなことはしない。慶子がその子を守りたいなら、俺も協力する。
 そんな小さな少女を何も知らないように育てるのは可哀想だしな」
 なんて物わかりのいい兄なのだろうか。明神家の不思議メルヘンワールドにどっぷり浸かって慣れすぎてしまっている。天使程度では驚くような大きな問題ではないらしい。
(洗脳されて……可哀想な兄さん)
 しかしその柔軟さは彼の美点でもある。何も考えていないとか、考えるのは頭のいい樹に任せているとは、考えないでおく。
「兄さん大好き」
 とりあえず慶子は保へと抱きついた。シスコンの気のある彼には、こういったスキンシップが有効である。
「よしよし。俺もお前が大好きだぞ」
 保は慶子の癖のある髪をなでた。顔は似ているということはないのだが、癖のある髪のせいで、並んでいて兄妹以外に見られたことはない。いつもは三つ編みにしているのだが、今日はなんとなくおろしている。広がらないように、しっかりとスタイリング剤でボリュームを抑えている。
「可愛いなぁお前は」
 なでられていると、ワインとチーズに夢中になっていたはずのフィオが慶子のスカートをつかんだ。
「こ、こら」
「慶子、私には異性に抱きついてダメと言ってるのに……」
「身内はいいの」
 突き放すような言葉に、フィオは目を見開いた。やがて切なげに見つめられて、慶子は思わず戸惑う。
「でも……でも……」
 だんだんと涙までもが目に浮かぶ。その様のなんと愛らしいこと。
「そんな目で見ないの。半分は男の子でしょ?」
 フィオの頭をなでると、彼は慶子の手をつかむ。
「お……男?」
 突然、大樹の引きつった冷えがリビングに響いた。
「男!? おおおお男!?」
「……へ?」
 慶子は大樹の様子に面食らう。今更何を言っているのだろう。
「え? なに? あんた知らなかったっけ?」
「じゃあ本当に男!?」
 言って大樹はフィオの胸をつかんだ。フィオは気色悪かったのか「うやっ」と変な声を出して後退する。そのフィオをディノが抱えて自分の背に隠す。
 慶子は突然のことで、とっさに大樹を蹴り倒した。
「この変態!」
「男だって言ったじゃん!」
「男よ」
「女の子じゃないか!」
「半分はって言ったでしょ?」
 大樹はしばし考え込む。兄たちを見ると硬直していた。あの樹までもがなにやらフィオを眺めながら考え込んでいる。
「半分?」
「両性具有者よ」
「…………マジ!?」
「マジよ。ちゃんとブツも確認したわ」
「確認したの!?」
「したわよ! あったわよ! 見て納得な感じだったわよ!」
 大樹はショックでその場に崩れ落ちた。
「慶子ぉぉぉぉぉお!」
 保の絶叫が家中に響き渡る。
「にいちゃんは、お前をそんなふしだらな子に育てた覚えはないぞ!」
「子供相手に何言ってるのよ! そんなこと言って差別したらフィオが可哀想でしょ!? 半分は女の子なのよ!? あたしが立派な女の子に育ててる途中なのよ!? 初めに比べるとずいぶんと女の子らしくなったわ! 見てよあのキュートな姿!」
 保はフィオを見た。ディノの背中から少し首を出す姿は、思わずえさを与えてやりたくなる愛らしさだ。その足下には、いつの間にかトイプードルのオーリンがいた。昨日はフェレットだったのだが、あの姿が一番可愛いく慶子自身優しくしてやるので、気に入ったらしい。そんな愛らしいオプションもいるもので、保は視線をそらした。
「しかしな、女の子が仮にも男と……まさかあっちの大きいのも半分女なのか!?」
「私は男です。完全なる両性者は天界の統治者候補となります。私などがフィオ様のような尊いお方と同じなど恐れ多い」
 真面目な答えに保は安堵する。彼もあれを女性扱いするのは遠慮したいようだった。もちろん慶子もあれが半分女性なら、どう扱うべきか悩んでしまっていただろう。
「付け加えるならば、汚れなきフィオ様にお仕えするには、私自身可能な限り清らかでなければなりません。何よりも、相手が慶子殿では天地がひっくり返ろうが無理です」
「ディノさん、いい度胸ね」
「では慶子殿は自分に邪な心を持って接しろと?」
「それにしてももう少し言い方があるでしょ!?」
「…………私は物静かな女性が好みです」
 慶子はディノの足下をすくい、その巨体を転倒させて満足した。その技を見て、保は戦いの場から離れた妹が、何ら衰えていないと知りうむと頷いた。
 それを見て、樹は保に言う。
「お前は自分の妹が男にどうこうされるたまだと思っているのか?」
「それもそうだな。慶子は技の切れなら俺をも上回る瞬間があるからな。
 にいちゃん、少しお前を甘く見ていた。ごめんな?」
 それは喜ぶべきことなのだろうか? 世界最強の優男と言われるこの男にそのようなことを言われて、喜ぶべきなのだろうか?
「まったくだ。この私に拳を見舞うような女だぞ」
「慶子……命知らずだな。よくもまあ何もしなかったな。自分の弟の嫁だからか?」
 慶子は兄の思いがけない言葉に顔を引きつらせた。
 そういえば、彼に大樹と即分かれたということを言っていない気がした。そう、つきあい始めた報告をした三日後に分かれたのだから。
「大樹、お前達は別れたのではなかったのか?」
 今度は大樹の顔が引きつる。
 彼は樹が苦手なのだ。気持ちは痛いほど理解できる。もしも慶子と結婚などということになれば、兄との決別を意味するだろう。それとも、周囲が納得させるのだろうか。彼がどれほど慶子に執着しているのか、慶子自身も計りかねているのだが、果たして納得するのだろうか? 呪い殺したりはしないだろうか?
 そんなしこりを胸に抱えている慶子は、この男に嫌われる方法を模索していた。
「え? 慶子、別れたのか?」
「とっくに別れたわよ。あ、何もないうちに別れたから安心してね」
「……そうか」
 彼は樹と身内になりたかったのだ。残念ながらそれは永遠にありえない。
「安心しろ保。嫁になら私がもらってやる」
 樹が保の肩に手を置き、安心させるように言った。それは慶子にとっては何よりも惨い発言だった。
「ごめんなさいそれぐらいならあたしは大樹と結婚します」
 慶子は棒読みで樹の告白を断った。
 彼は時々アホなことを言い出すのがだ、今日ほどアホだと思った時はなかった。まさか保にこのような戯言を吹き込むとは。
「慶子……そんなに大樹が好きなのか? 大樹、慶子のなにが不満で別れた!?」
「いや、大ちゃんを好きなんじゃなくて、樹さんが嫌いなの」
 慶子は迷いもなく言い切った。可哀想だとは一欠片も思いはしない。そんな思い、彼に抱くほど慶子は彼のことを知らなくはない。
「なぜだ」
 欠片も嫌われる事をしている自覚のない樹が言う。
「ブスとかデブとかバカとかいうし。あたし少なくとも保兄さんよりは成績いいけど」
「そうだぞ樹。慶子は成績いいぞ。そりゃあお前ら兄弟からみれば平凡の域を出ないかもしれないけどな、世間から見たら出来のいいお嬢さんってことになってるんだぞ。そりゃあうちの父親や弟みたいな天才でもないけど」
 フォローになっていない気もしなくもないが、樹が慶子をいじめる時は、いつも保は口を挟んだ。最後には言い負かされるのだが。むしろ不利にするときすらあるのだが。今がまさにその時である。
「それよりも、なんでいっちゃんが慶子を嫁にもらうとかいうんだ? 俺と兄弟になりたいからって、無理しなくてもいいぞ」
 失礼な発言であるが、もちろん本人に悪気はない。昔から二人の不仲を知っているからこその発言である。
「心配はいらない。阿呆だろうが、顔がまずかろうが、多少肉が付きすぎていようが、この胸さえあれば」
「おい」
 慶子は樹に蹴りを食らわせようとしたところ、再び大樹に羽交い締めにされた。
「ほめてやったのになぜ怒る? お前の唯一にして最大の美点だろう」
「あんたのその神経が信じられない! 大樹離してお願い、息の根は止めないからぼこらせて!」
 大樹は慶子にしがみつきながら首を左右に振る。彼はよほど兄が恐いようだ。昔からそうだ。いつもこの男にいじめられている時、大樹は見て見ぬふりをしていた。
「まったく騒がしい女だな」
「大樹、あんまり人の可愛い妹にべたべたするな。別れたんだろ」
「のんきだな……二人とも」
 大樹は全力で慶子を床に押さえつけてくる。慶子は脱力して床をたたいた。
 嫌いだ。兄は好きだが、樹と並ぶと嫌いだ。大嫌いだ。
「ああんもう! フィオ、もうあの人達ほっといて、今夜はどっかご飯食べに行こう」
「うん。ハンバーグがいいぞ」
「じゃあファミレスでいっか。安くつくし」
 もうこのコンビとは一切一緒にいたくない。二人が揃うと、なぜかひどい目に合うのだ。
「なんだ、外食したいのか。よし、兄ちゃん達が飛び切り美味いもんご馳走してやる」
「そうだな。たまには大勢での外食もいい」
 言って樹は携帯電話を取り出してどこぞにかける。
 二人は慶子の言葉を聞いていなかったのだろうか?
「うむ。ああ、そうだ。明神だ。ええと……六人いく。上等の酒を料理を用意しておいてくれ」
 とそれだけを言ってぴっときる。
 なぜか皆で行くことになっている。
「おい、そこの両性天使。お前は魚は好きか?」
「好き」
「今まで食べたことのないような、豪華な料理を食わせてやる。そこのケチでは絶対に食べさせてくれないような美味いものだ。食うか?」
「食べる」
 フィオはあっさりと陥落した。大樹を見ると、彼も沈んでいた。
「なんとかしなさい」
 慶子は大樹に囁いた。
「できるわけないだろ。俺は兄さんだけは苦手なんだから。勝てたことないし。日々ちょっとした嫌がらせを繰り返すのが精一杯さ」
「してるの、嫌がらせ」
「しないとストレスたまるだろ。まあ、結婚云々はケイちゃんが心の底から嫌がっている以上、その可能性はないから安心してね。いくら何でもそこまでは強制しないと思うから。保さんとの仲壊したくないだろうし、うちの両親が黙ってないだろうし」
「うう……なんであいつは突然あたしなんかに好意を持つようになったのよぉ」
「兄さんもけっこう巨乳好きだから」
「胸だけ!?」
「胸って言っても、サイズ、形にもうるさいよ。大きすぎても小さすぎてもダメみたいだし。よくグラビアアイドルにケチつけてる」
「あの人がグラビアアイドル見て興奮している姿が思い浮かばないんだけど」
「興奮はしていないように見えるねぇ。俺もあの人のことは口にしてもらわないと理解できなしなぁ」
 そういえば、ある程度成長してから変な目で見られるようになった気がする。胸で判断されていようとは。慶子の胸の何をそんなに気に入ったのか。理解に苦しむ。
「何を二人で仲良くしている? 大樹、あまりその女にひっつくな」
「兄さん、殴られたいの? 俺は別に離してもいいんだけど」
 慶子が解き放たれれば、即殴りかかりに行くような言い分である。殴るが。
「変な兄を持つと大変ねって大樹に同情していたのよ」
 それに関しては心の底から同情しているのは事実だ。出来のいい、しかも性格は最悪な兄を持った彼は、昔から口では表現できない類の苦労している。
「そうだ慶子。兄ちゃんいいもの買ってきたんだ! ごたごたしていてつい忘れてたぞ」
 保はソファの後ろに手を伸ばし、大きなクマのぬいぐるみを取り出した。
「…………ありがとう」
「もっと喜ばないのか!?」
 慶子はもの無性に意地悪をしたい気分だった。故に、それを呼ぶ。教育の成果か、今や絶対服従となった変身生物。
「オーリン。これよ」
「きゃん」
 一声鳴き、オーリンは変化する。クマのぬいぐるみそのままに。
「げっ……なんだこれ」
「フィオのペットよ。面白いでしょ」
 樹はそれに興味を持ったらしく、近づいてつついた。やがて何を思ってか強く殴ると、オーリンは痛みのあまり元の姿に戻り、ぽてりと床に落ちる。
「ぬがっ」
 樹は奇妙な音を発して後退する。
「な、ななな、何だその不気味で気色の悪い生物は!?」
 さすが大樹の兄だけあり、苦手の傾向は似ているらしい。
 慶子が床をどんと殴ると、オーリンは慌てて白猫になる。
「……慶子、お前は何を考えてそんな気色の悪いものを飼っている!?」
「フィオのためよ。うちで何を飼おうが、樹さんには関係ないし」
 樹は保に助けを求めようとしたのだが、猫好きの保は白猫になったオーリンを抱き上げ抱きしめている。
 このまま友情が壊れてくれれば世界は少しだけ平和になるのだろうが、樹はふっとため息をついてそれで終えた。
「さて、飯を食いに行くぞ。行かなかったら、キャンセル料を払えよ」
 樹は勝手に決めて、勝手に部屋を出て行った。
 行かなかったら行かなかったで、ひどい報復を受けるのだろう。なによりも、フィオが喜んでそれについて行っているのが問題である。
「……いや」
「気持ちは痛いほどわかるから、行こう」
「着替えてからね」
 慶子は重い足を引きずって、部屋へと向かう。いい店に行くようなので、しっかりとした服を着ていかないと恥をかくだろう。慶子は気に入りのブランドものを真似て作ったワンピースを取り出した。
「……兄さん、いつまでいるんだろう」
 早く海外に遠征に行ってくれることを願う慶子の思いに反して、保はしばらく日本での活動に専念すると知るのは、その後つけたテレビのニュース番組によってであった。


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あとがき