13話 天使とあたしのごく日常

 フィオは玄関で薄茶のブーツをはいた。これは保が買ってくれたもので、膝よりも少し短い丈のスカートと一緒に買った。上は可愛い白のセーター。その上には、白いファー付きのポンチョ。寒いので、言われたとおりちゃんと白いタイツをはいている。ブーツは少し歩きにくいが、天界にいた時もよく動きにくい歩きにくい恰好をさせられたので、それに比べればずいぶんとマシだ。
 フィオの持つリードにつながれたオーリンは、フィオを守れるようにとドーベルマンの姿をしている。
 これは、二人で出かける時にはそうしなさいと慶子に言われているからだ。
 ドーベルマンのオーリンがいると、変な男に声をかけられたり、触られたり、突然裸になったりはしなくなった。フィオは思うのだが、彼は寒くないのだろうか。腹巻きが大好きなフィオには、とてもではないがこの寒い時期にあのようなまねではきない。コートを羽織っていても、中に何も着ていなければ絶対に寒いだろう。
 フィオは外に出ると、少し迷って右に進んだ。
 最近フィオはご近所探索に凝っているのだが、今日はいつも慶子が出かけていく方向にした。そう、学校とやらのある方角だ。
「オーリンは、学校がどういうものかわかるか?」
 聞くと彼はアニメで見た学校のイメージを送ってきた。
 フィオは彼の中と大差ないイメージのそれに笑った。
「慶子はどんな勉強をしているのだろうな」
『国語、外国語、あとは数学、そして社会などだと慶子さんがおっしゃっていました』
「どんなものなのだろうな。私は勉強という物をあまりしなかったからよくわからない。国語と国については習ったが、それ以外はぜんぜんわからない」
『では、今度慶子さんに尋ねてみては? 保さんはあてになりませんが』
「ん、そうだな」
 慶子は聞くとめんどくさいと言いながらも、ちゃんと答えてくれる。
「そうだ。もしも学校らしき場所を見つけたら、少しのぞいてみようか?」
『そうですね。それがよろしいかと』
 オーリンはフィオを守るように先導し、しかしフィオの行きたい方向を察知して進んでいく。
 散歩は好きだ。
 その一歩一歩がまるで宝探しのようだ。足は軽く、どこにでも行ける気がする。もちろん戻りたい大好きな場所があり、迎えてくれる者がいるのも嬉しい。
 だからフィオはお出かけする。
 知識という宝物を探しに。


 休み時間、友人と談笑していた慶子ははたと気づく。
「そういえば、大樹君達はどうしたのかな?」
 いつも教室内で一緒のあの集団がいない。女子生徒のように誰かと連れ立ってトイレに行く気色の悪い事もしない彼らが、一体なぜ集団でいないのか。
「きっと、なにか楽しい事でもあるんだよ」
「……不吉だわ」
「あはは。けーこのカンは当たるから、ひょっとしたらどっかで下級生でもしばいてたりぃ」
「やぁねぇ。大樹君は気に入らないからって、そんなことしないわよぉ。あれでも平和主義なのよ」
 慶子に殴られようとも、文句一つ言うだけで反撃はしない。女に手をあげないという点では、男の鏡と言ってもいいだろう。
 その時だ。教室のドアががらりと開き、大樹の友人二人が入ってきた。そして小さな声で囁き合う。
「明神、やり過ぎなきゃいいけどなぁ」
「東堂さんの事になると、人格変わるからなぁ、あいつ」
「授業までに帰ってくるかなぁ」
 かろうじて聞こえたそれに、慶子は思わず立ち上がった。
 大樹は何をしている?
 慶子の頭に、恐ろしい光景が思い浮かんだ。
 慶子はおそるおそる彼らに近づき、そっと問いかける
「…………木村君。高松君。大樹君は何してるのかしら?」
「と、東堂さん!?」
 二人はまさか慶子が話を聞いているとは思っていなかったのだろう。
「教えてくれるかしら?」
「いや、いつものように告白されてるだけだって」
「それでどうして私が関わるのかしら?」
「えと……………ほ……ほら、東堂さんって、明神の彼女だと思ってる子多いだろ? それで東堂さんの悪口言ったりとか……。まあ女の子相手だから、あっさりと流すだろうからさ。落ち着いて」
 慶子は二人の怪しい挙動に、疑いの目を向けた。
「…………どこ?」
「…………」
「教えてくれるわよね?」
 笑顔で圧力をかけた結果、二人は大樹は裏門付近にいると白状した。


 フィオが公園の隣の道を歩いていると、その入り口付近の茂みにミカンの箱を見つけた。スーパーに行く時に見るような奴だ。ミカンは好きなので、見ればわかる。
「……ミカンか?」
 フィオが覗き込むと、中にはまだ小さな子犬が二匹いた。首輪はつけていない。
「……お前達、どうしてミカンの箱に入って遊んでいるんだ?」
 フィオがそれを眺めながら尋ねる。生まれたばかりらしく、オーリンの呼びかけにもただ小さくくんくんと鳴くばかりだ。
「可愛いな。どうしてこんなところにいるんだろうな。親はどうした?」
 こんな小さな犬が、箱に入って無防備に道路にいたら、車にひかれてしまうのではないだろうか。
「本当に親はどうしたのだろうか」
「それは、捨て犬だ」
 突然降ってきた声に、フィオは上を向いた。フェンスから、黒い物体が降ってくる。それは小さな猫だった。
『黒衣さん』
 オーリンが黒猫に話しかけた。
「ああ、クロなのか。どうした、クロ」
 小さな黒猫は、箱をしっぽで軽くはたいた。
「これは飼い主に捨てられた犬だ。生まれたばかりだな。可哀想に」
 フィオは彼の言う意味を理解しかねた。
「すてられた?」
「飼えないから捨てたんだ」
「捨てた? どうして?」
「こういう動物はたくさん子供を生む。多く生まれすぎて捨てたのかも知れない。去勢……子を作れないようにしなかったから、勝手に生まれて困って捨てたのかも知れない。捨てた者の事情など知らないが、この犬達は捨てられた」
「捨てる……捨てる?」
 フィオには理解できなかった。生物を捨てるとは何なのだろう。
 慶子はフィオに対して、『悪い子は捨てるわよ』と時々言うのだが、その言葉の真意は理解できなかったのだが、恐い言葉だと感じていた。その捨てるという意味は、こういう事なのだろうか。もちろん慶子は本気ではない。フィオがわがままを言うから言うのだ。
「ど、どうすればいいんだ?」
「誰かが拾うのを待つしかないな。しかし、二匹もいると難しいかも知れない。運が悪いと、保健所につれていかれるな」
「ほけんじょとやらは、何が問題だ?」
「最悪処分される。つまりは、殺される。雑種のようだ。その可能性が高い」
「そ、そんなっ……」
 フィオはオーリンを見てきゃんきゃんとほえだした気の強い二匹の子犬を見つめた。
 こんな小さな生き物を殺すなんて。
「なぜ……殺すんだ?」
「動物を飼うのには金がいる。夜依の友人の……慶子だったか? あの女がお前達を養っているのは、あの家系が裕福だからできる事だ」
 フィオは子犬に手をさしのべた。戸惑いながらも、子犬達はじゃれてくる。持ち上げると、とても軽い。弱々しいながらも、生命力に溢れている。
「…………うちなら、飼えるかな?」
「飼えなくはないだろうが、本人次第だろう」
「慶子は動物好きだから大丈夫だ。きっと」
 フィオは子犬達を箱に戻し、持ち上げた。
「慶子に頼んでみる」
 ちょうど、学校を探しているところだった。こういうのは早ければ早い方がいい。
「……そうだクロ。なぜここにいるのだ?」
「前に見ていたドラマも終わってしまった。暇だから散歩にきた。学校が終わったら夜依も迎えに行くつもりだ。
 クロも学校に行くのだな? 私も行きたい。どこにあるのだ?」
「まだ授業だとは思うが……ついてこい」
 クロは頼もしい言葉と共に歩き出した。その足取りは、フィオの歩幅似合わせてゆっくりなものだった。
 慶子は言っていた。歩く速度を合わせてくれないような男は捨ててしまえと。クロはいい男だ。
『フィオ様、リードを離してください。バッグと犬を抱えたままだとたいへんでしょう』
「そんなことはないぞ。ちょっと持ちにくいが」
 フィオが言うと、クロは振り返り、周囲を見まわした。
「私が持とう」
 クロはフィオが瞬きする間に姿を変えていた。大人の人間の姿をしていた。背はフィオの親しい者達に比べると低いが、見上げなければならない事には変わりないので、高いのだろう。黒いコートを着ていて、格好いい男性だった。
「…………そのコートはどこから出てきたんだ?」
「気にするな」
「わかった。
 私もな、黒いコート持っているぞ。慶子に買ってもらったんだ。ファーついて可愛いんだ」
「そうか。よかったな」
 クロはフィオから箱を受け取ると、箱の中の子犬達に向かって微笑んだ。
 慶子は言っていた。女が荷物を持っていても無関心な男など一番サイテーだと。クロはいい男だ。
 フィオは嬉しくなって、走り出した。


 慶子は笑顔の下に不快を隠しつつ廊下を歩いていた。
 大樹はいつも何か勝手にやっている。これほど近いのに、これほど遠い存在は他にいるだろうか。
 慶子は彼の女癖も好ましく思っていないが、一番はその秘密主義が嫌いだった。
「慶子ちゃん?」
 声をかけられ、慶子は足を止めた。クラスの違う、中学時代からの親友の夜依だった。
「なに、夜依」
「もうすぐ授業だけど、どこにいくの?」
 慶子の異様な雰囲気に気づいた彼女は、友人を心配して声をかけたようだった。彼女は一見鈍感にも見えるのだが、実際には年齢とは見合わない気配り上手である。
「大樹をとっちめに」
「そう。時間までに戻ってこられる?」
「裏門付近らしいから、無理かも」
「裏門……クロちゃんがいつもいる場所」
 夜依は不安げに頬に手を当てて考え始めた。彼女はペットのタマを亡くして以来、過敏になっているようだった。
「最近来るの早いから心配だから、私も行く」
「ごめんねぇ。あの馬鹿がクロちゃんの遊び場でよけいなことして」
「ううん。クロちゃんって、最近見ていたドラマ終わっちゃったから、退屈みたいなの。口出ししなきゃいいんだけど」
「ドラマ見てた……の? まあ、テレビ好きな動物っているけど……。
 でも大樹はあれでも動物好きだから、クロちゃんは心配ないと思うわよ」
「そうだね」
 微妙にかみ合っていない気がしなくもない会話だが、慶子はいつもの事と切り捨てて裏門へ向けて歩き出した。


 大樹はその同い年の少年の胸ぐらを掴み、にっこりと微笑んだ。
「まったく人の女に古風にもラブレターなんて、本当に馬鹿だなぁ」
 自分よりも背が低い、自分よりも顔立ちの悪い、自分よりも運動神経の鈍い、自分よりも多少頭のいい少年だった。
 世間から見れば、顔立ちも悪くないので女子生徒にはかなりもてる。将来は弁護士を希望する、とても優秀な少年だ。外面もいいので、一見慶子の理想的な男なのが腹立たしい。
 名前は確か川橋雅之といった。
「それは君がいつも張り付いているからだろう」
「だから、ケイちゃんには俺がいるから無駄だってーのがわからないのかって話だろ?」
「君と東堂さんは付き合っているわけじゃないだろ? 君に断る権利もなければ、君が彼女の可能性をつぶす権利もない。そりゃあ僕がろくでもない男だっていうなら話は別だが、君に比べれば真面目な生活を送っていると思うよ。
 だから、決めるのは彼女だと思うけどね」
 この状況下に置いて冷静でまっとうな言葉に、背後にいる友人達の間から拍手が起こった。
「おい」
「大人の意見だなぁ」
「明神と違って大人だなぁ」
「おいってば」
 二人はただ『ははは』と笑う。なんと友達がいのない連中か。
「だいたい明神君は、東堂さんを束縛しすぎているんじゃないかな。いつも彼女に張り付いて、彼女と必要上に親しいように見せている。過去彼女と付き合いがあったらしいが、今は別れたと東堂さん本人がはっきりと言っているそうじゃないか。別れた男につきまとわれるなんて、彼女にとっては迷惑でしかないんじゃないか? 将来君がストーカーにでもなるんじゃないかと心配でならないよ」
 その言葉に、友人達はなぜだか熱心に頷き合っていた。
「おい」
「いや、東堂さんが気づいてないだけなんじゃないかなぁとか」
「言っておくけどな、俺はケイちゃんのこの世で一番の理解者なんだぞ! ケイちゃんが早朝来いと言えば行くし、買ってこいと言えば買ってくし、肩が凝ったと言えばもんであげるし、ひどい時なんて瓶のふたが開かないどうしようとかいう理由で呼び出されたりもするけど、二人の仲だから許されるんだからな」
「それ、アッシーじゃん」
「ちゃんと夕飯食べさせてもらってるし、膝枕で耳をかきしてもらったりと、ごく普通の恋人未満として一緒にいるんだぞ」
 その言葉に、初めて川橋の表情が変わる。彼の嫉妬、憎しみは大樹に優越感を与えた。
 しょせんは多少頭が良いだけだ。二人の仲に割って入るなど……
「大樹、乱暴は良くないぞ」
 男だか女だか判断のつかないのに可愛いと感じる声が彼に向けられた。この特徴的な声と特徴的な話し方をする者など他に知らない。
 夢中になりすぎて、接近に気づかなかった。
「フィオちゃん」
 大樹は川橋からぱっと手を離し、フィオの元へと向かおうとした。しかし、その背後に知った姿を発見して足を止めた。
 気づかなかったのは、失態であった。
「黒衣……何でお前その恰好で……」
「これを持っているからだ。あの姿は一見無害で愛らしくいいのだが、器用さに欠けるからな」
 と、彼はミカンのイラストの描かれた段ボールを抱えていた。
「無力な少年に因縁をつけるのはあまり褒められた事ではないぞ。見たところ、真面目そうな少年ではないか」
「だってこいつ、俺のケイちゃんにいやらしい目を向けるから」
「馬鹿かお前は、やるなら闇夜に紛れてやれ。今の世の中、ある意味人間には生活しにくい世の中になったからな」
 昔はどうだったというのだろうか。昔もこういう言葉褒められたことではないはずだが。
「お前ならわかってくれると思っていたけど……そこまでするのはやめとけ。夜依ちゃんに嫌われるぞ」
 大樹が言うと、フィオが頬をふくらませて反応した。
「クロはいい男だから、夜依は嫌ったりしないぞ」
「……フィオちゃん、こいつみたいなのタイプなの?」
「タイプって何だ?」
「好きかってことだけど」
「すきだぞ。クロは可愛いし恰好いいぞ」
「聞いた俺が馬鹿だった」
 フィオにはまだ理解できない話題だろう。今の精神年齢は、年相応の部分もあれば、幼稚園児に劣る部分もあるのがフィオなのだ。
「ところで大樹、乱暴は良くないぞ」
「彼はねぇ、ケイちゃんが好きなんだよ」
 その言葉に、川橋は赤面した。暴力に対しては理路整然と反撃できても、恋愛に関しては純情そのもので弱いらしい。
「フィオちゃんは、ケイちゃんを誰かにとられたら嫌だろ?」
「うん。嫌だ」
「じゃあ、このことはケイちゃんには内緒だよ。そうしている限り、俺がケイちゃんを守っていてあげるからね」
 フィオは澄みきった青い瞳で大樹を見つめ、そしてふいに悲しげに首を横に振った。
「フィオちゃん……どうかした?」
「慶子が来た」
「け…………ケイち」
 大樹は忍び寄った魔の手により、後ろから首を絞められた。
 今日は不覚続きである。
「女の子相手って聞いて安心してたのに、川橋君に何してるの?」
 慶子は当然ながら怒っていた。
(あいつらかっ! ケイちゃんに何言いやがったんだ!?)
首を絞められながら大樹は友人達を恨んだ。
「くるし……」
「ったく。目を離すとろくなことをしない」
 慶子は大樹を解放し、川橋に向き直った。
「ごめんね、川橋君。事情はわからないけど、大樹にこんなところに呼び出されて迷惑だったでしょ?」
 彼を疑いもしないで言う慶子は、校舎に背を預けたまま硬直する川橋に言う。猫をかぶると言うよりも、弱者をいたわる──つまりはフィオを心配する時のような可愛い顔をして近づいた。
(ケイちゃんダメだよ、そんな顔して男心を揺さぶっちゃ)
 今まで彼女を好きになった男は大樹を恐れていたため、ほとんど男性に好意を向けられている事を自覚した事のない慶子には、川橋が赤面して固まる理由などわからないのだろう。
 せいぜい、よほど恐かったのだと思っているに違いない。
 川橋の反応が、とてもこれから告白しようとしていたものとは思えないほど過剰なのも、彼女が気づかない理由だろう。
 あまりにも様子がおかしいので、事情を知らない限りは逆に気づかないのかもしれない。
「と……と……」
「何? どうしたの?」
「と、東堂さんは……どうしてここへ?」
「大樹がいるって聞いたからよ。女の子相手って聞いたから安心してたのに。ほんとうにごめんなさいね」
 慶子の言葉に、川橋は何度も何度も首を横に振った。
「あら、クロちゃん、何持ってるの?」
 クロちゃんという夜依の言葉に、慶子は人型をしている黒衣を見た。
「…………誰、その黒い人」
「クロちゃんよ」
「ペットと同じあだ名を付けるのはちょっとどうかと思うわよ?」
「でも、クロちゃん」
 彼女は図太い神経を持ってして言い切り、何事もないように黒衣に向かい合う。
「可愛いわんちゃん」
 その言葉に、大樹は顔をしかめた。慶子は顔を輝かせて黒衣の持つミカン箱を覗き込む。
「子犬っ」
 慶子はキラキラと目を輝かせた。夜依が子犬を取り出すと、慶子は別の子犬を取り出す。二匹もいるようだ。
「慶子、可愛いだろ?」
 フィオは子犬を指して自慢げに言う。
「可愛いわねぇ」
「飼ってもいいか?」
「………………だめ」
 慶子は子犬を抱きしめたまま言う。
「なぜだ!? ほっとくと、保健所とやらに連れて行かれて殺されるのだろう!?」
「うちじゃあだめなのよ。あたしのもう一人の兄さん、アレルギー持ちなのよ。だから動物は無理」
 そう、これが理由で動物好きの東堂一家は動物を飼えないでいる。正月にも帰らない薄情な男ではあるが、家族を無視する事はできないというのが慶子の考えだ。
「でも大丈夫。大樹が」
「って、俺もうケイちゃんにそうやって十匹ぐらい押しつけられてるんだけど」
「いいじゃない」
「あのねぇ。それでなくとも犬拾いまくる兄と父とかいるんだから、俺まで持って帰るとほんと俺たち人間のいる場所なくなるの。俺んち、数えた事ないけど、常に百匹近いの犬がいる気がするんだよ」
 慶子は大樹を睨み付けてた。
 こうやっていつも持ち帰りさせられるのだ。もちろん、犬は好きなので嬉しい気持ちもあるのだが、里親捜しもたいへんな上、その後の犬の成長も心配で心配で仕方がない。
 この気持ちをたまには彼女も味わうべきだと思う。
「大樹ひどい」
 ぷくりと頬をふくらませてフィオが言う。
「たいちゃんの鬼畜」
「そこまで言うかケイちゃん」
 慶子は子犬にひどいねぇと話しかけ始めた。
 子犬はよりにもよって大樹を見て、きゃんきゃんと鳴いた。
(か……可愛い)
 小型犬のミックスだろうか。雑種というのは、妙な愛嬌があると彼は感じている。顔立ちも個性的だ。しかも二匹もいると、可愛さは二乗。
「慶子、どうすればいいのだ?」
「他に飼い主探せばいいのよ。二匹いっぺんには無理かも知れないけど、近くに住んでる人だったら、様子を見に行けるわよ。兄さんが帰ってくる前に探しましょうね」
 慶子が言うと、フィオはうんと頷いた。
「あの……」
 二人の結束に水をさしたのは、部外者川橋だった。
 慶子はきょとんとして彼へと視線を移す。フィオも見知らぬ少年を物珍しげに見つめた。二人に見つめられ、川橋は可哀想なほど緊張し、全身の体温を上昇させた。
「……どうしたの?」
「その犬、僕がもらってもいいかな?」
 川橋は下心が隠れもせぬ発言をした。
「え?」
「さ、最近……」
 声がうわずりかけた彼は、すぅと息を吸い込んだ。それで落ち着いたのか、いちどこほんと咳払いをし、汗でずり落ちかけた眼鏡を押し上げて続けた。
「うちで飼っていた犬が老衰で死んでしまったんです。母がとても寂しそうなので、どこかで里親を募集している人を探そうと思っていたんです」
 すべてをつかえることなく言い切り、彼はぜいぜいと荒い息をつき始めた。
 あれが彼の全力であったようだ。
「ほんとうに?」
「はい。見た感じそう大きくなりそうもないですから、二匹とも引き受けますよ」
「ありがとう!」
 慶子は片手で子犬を抱いて、片手で彼の手を取った。フィオもそれに参加する。川橋は愉快なほど動揺し、顔を赤くしてうつむいた。
「い、犬がすきだから」
「本当にありがとう、川橋君」
「お前いいやつだな」
 二人の少女に感謝され、川橋はどんどん小さいなっていく。
(うわぁ、へたれ)
 もしもあのまま放置しておいたとしても、告白などできたかどうか怪しいものだ。
「よかったわねぇ、フィオ」
「うん。嬉しいぞ」
 フィオはよけいなブツがついているとは誰も想像できない、大樹すら父性本能をくすぐられそうになる笑顔で言った。もちろん大樹に下心ではない。川橋もフィオの愛らしいさにまいっていた。
「あの……その子達の名前は……」
「まだつけていないぞ。凛々しい名前がいいと思うが、私にはよくわからない。
 名前は飼い主になるのだから、お前がつけるのがいいのではないか?」
 川橋はフィオの口調にやや面食らいながら、慶子から子犬を受け取った。
 彼は子犬を見つめて、小さく笑う。
 犬が好きなのは、本当らしい。犬好きは見ればわかる。
「そうですね」
 夜依からも子犬を受け取り、彼は二匹を抱いてへらりと笑う。
 下心も本物だ。
「よかったなお前達。そうだ、この子達を見に、遊びに行ってもいいか?」
「もちろん。と、東堂さんと一緒に、ぜひ」
「うん。慶子と一緒に行く」
 見え見えの展開だ。しかし今更引き取ると言っても、慶子が許さないだろう。ここは男らしく、引き下がるしかない。
(くそ、いい気になりやがって)
 大樹は狡猾な川橋に対して殺意すら覚えた。今更後悔しても仕方がない。
(どうせ、遊びに行ってもろくにこぶつきの上、話もできないくせに)
 睨み付けていると、それに気づいた川橋は、大樹を見て鼻を鳴らす。
「なんか、よくわからないけど丸く収まったなぁ」
「アホらしいから教室戻ろうぜ」
 大樹の友人達の言葉に、皆は現在授業中である事を思い出した。
「あ、まだまだ授業あるんだった」
「えと……この子達は」
 慶子が現実に気づき、川橋が迷っていると、黒衣がミカン箱を差し出した。川橋は、警戒しながらもそっとミカン箱に二匹を戻す。
「夜依、終わるまでこの付近で遊んでいる。いつもの時間に、ここで」
「わかった」
「フィオ、行くぞ」
「わかった」
 マイペースな黒衣は、学生達にとっとと帰れとばかりにきびすを返した。
「慶子、また」
「ばいばい」
 慶子に手を振ってもらい満足すると、フィオは小走りで黒衣を追いかけた。


 その日。
 大樹はいつものように東堂家に上がり込み、夕飯ができるのを待つ。今日は兄達も、余計な異界人もいない。
 そんな平和な夕の一時、慶子は夕飯を作りながら言った。
「川橋君。あれは絶対に気があるわね」
「え……気づいてたんだ」
「気づくわよ。あんなに赤くなっちゃって可愛い」
 慶子は思ったよりも鈍感ではなかったようだ。
「フィオってば、罪なほど可愛いんだから」
 鈍感だった。
 決して責められた認識ではないが、鈍感だった。
「またフィオ様を狙う輩が……」
「大丈夫よ。とっても真面目ないい人よ。頭もいいし優しいし。いい人ねぇ」
「うん。いい人だ」
 この家の住人は、何もかも理解していない。
 それを知り、大樹は小さくガッツポーズを取った

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あとがき