20話 男と女の空騒ぎ

1

どうするかが問題だ。目的は一つしかないが、そこに向かう道を選びかねている。先に見えるのは輝かしいものであり、挫折ではない。
 彼女は妹たちを見つめた。
「一番いいのは、あの女に男ができることよ」
 拳を作り、力強く言う。
 妹たちは使用人の銀が手に入れた資料を見てうなずく。東堂慶子という女については、趣味、生活水準、交友関係、その他様々な情報を手に入れた。
 異性関係はなし。友人は多し。元は明神大樹との交際があったが、短期間で破局を向かえている。ただし友人関係は続いており、明神大樹が東堂慶子に未練があるため、元の鞘に収まる可能性は高い。
「銀、これはあなたの考え?」
 次女の佳代の言葉に、くすんだ雰囲気の小男は、顔を強ばらせて、否と答える。
「ご近所の方々からの情報です」
「へえ、ご近所のウワサ好きの奥様の言葉を信じたの? あのおんなの本性も見抜けない、ご近所の方々の言葉を」
 だいたい、あの女の評価が良すぎる。何なのだろうか、このできすぎていると感じるほど褒められている報告は。どう見ても、主観が混じっている。
「評判とは本人の努力なしにはよくなりません。裕福で母無しの少女が『とてもいい子』だと呼ばれるにはそれなりのものが必要です。ご近所の方々がそう感じたのであれば、彼女は努力をしているということです」
 銀はやけに東堂慶子の肩を持つ。それは彼女たちにとって、不快極まりないことだった。
「猫かぶってるだけじゃない」
「彼女は誰に対しても親切です」
「ただの偽善者でしょ」
「しかし、お嬢様にそれが出来ますか? 周囲をずっとだまし続けられますか? 困っているお年寄りを見たら、助けますか? 泣いている子供がいたら話しかけますか? 偽善者でも、偽善すらしない若者が増えている今、善を行い評価されるのは当然です」
 言う銀は、稀に見る熱の入り方だった。
「どうしてお前がかばうのよ」
「お嬢様にも見習っていただきたいからです。素直なのはいいのですが、周囲の目を気にしてください。このようなことを続けていれば、あまりいいようには思われません。もしも東堂慶子が告げ口をすれば、どうなることか」
 銀の言葉に三姉妹は考える。あの女が大樹と親しいのをいいことに、あることないこと吹き込まれてはたまらない。そんなことが出来る立場に、彼女はいるのだ。それは彼女たちにとって危ない存在である。
「やっぱり男しかないわ。あの女の男の趣味は?」
 銀は大きくため息をついた。前々から感じていたが、改めて思う。彼は変な男だ。元々人間でない以上、彼と分かり合うことはないのかも知れない。
「医者、弁護士等です」
「は? 好みと言ったのよ」
「医者や弁護士など、人の役に立つ職業だそうです」
「それで……本当に評判がいいの?」
 普通、好みのタイプと言えば容姿や性格だろう。真っ先に職業とは、卑しさがにじみ出ている。
「はい。それは彼女の腕です。そう言ってもおかしくないと思わせる技術を持っているのでしょう」
 つまりは、口先で生きているような女ということだ。
 彼女は考えた。
「そう。わかったわ」
 いいことを、考えた。


「へ? 合コンって言った?」
 夜依は突然話しかけてきた友人の言葉に、不信感もあらわに聞き返す。
「そうそう。ゴ・ウ・コ・ン♪」
 やはり合コンらしい。今までこんな誘いをした友人はいなかった。相手の性格を考慮して誘うのが普通である。
「ごめんなさい。私そういうのはちょっと……」
 クロは毎日ワイドショーを見ているせいか、そういうことに関して敏感だ。もしも合コンに行くなどと言ったら、心配して反対するだろう。最近の彼はテレビに毒されている。そして、あながち否定できないのが今の世の中だ。
「そう言わずにさぁ」
「でも……」
「実は、ちょっと事情があってさ。あんたがいないと話になんないの」
「事情?」
 夜依がいないと話にならないとは、どういう意味だろうか。人数あわせにしても、もう少しいい人選があるだろう。いてもいなくても変わらないようなら、誘う意味がない。
「実はさ、東堂さんも誘って欲しいの!」
 東堂という名字の知り合いは、一人しかいない。
「慶子ちゃん?」
「そう!」
 夜依は眉根を寄せた。これは、あまり感心できないことだろう。彼女と慶子との間に接点はないのだ。
「慶子ちゃんはそういうの嫌いだから、来ないと思うよ」
「そう言わずに、誘ってみてよ。彼女に一目惚れしたっていう、ハンサムな医大生がいるんだ。で、東堂さんを連れてくるって約束で、レベルの高いメンバー連れてくるって言うからさぁ。あたしにとってはもうホントチャンスなの。ね、お願い!」
 お願い、という友人は最近彼氏と別れたばかりで「彼氏が欲しい」が口癖になっていた。そのため彼女の気持ちは、はかり知ることが出来る。
「でも慶子ちゃんっていうのが……」
 嫉妬深い大樹が側にいる。結果によっては、彼がどれだけ怒るか、分からない。
「彼女も今はフリーでしょ? 出会いの場があるっていいよ! 彼女年上のいい男とか好きそうだし。変な人はいないし、ただ食事するだけでいから!」
 困った。引く気はないらしい。彼女は恋愛に飢えている。正直なところ、夜依は恋人が欲しいと思ったことがないので、その気持ちは分からない。その理由が、彼女の側にいてくれる動物達にあることは自覚している。
「聞いてみるだけ聞いてみるけど、断られたらごめんね」
「いいからいいから。ガンガン押すのよ。不安だからついてきてとか言えば、きっと来てくれるから。優しそうじゃん」
 普段はいい子なのだが、時に彼女は引かない。男性が絡むと、周囲が見えなくなるタイプだ。
 同じく慶子も、引かないときは引かない。真面目で頑固なのが彼女だ。
「お願いね。あたしの未来はあんたにかかってるのよ!」
 未来を他人に託すのは、どうだろうか。
 断られたと伝えるとき、彼女はどんな顔をするだろうか。
(自分で誘いに行きそう……)
 慶子相手であろうとも、彼女は一歩も引かないだろう。慶子は『おっとりしたお嬢様』と、いう風に思われていて、彼女もそう思っているだろう。クラスメイトであれば彼女に対して「おっとりした」などと評価しないだろうが、関わりがなければそれも仕方がない。
「ほんとに頼んだからね」
 期待に満ちた友人の目は、夜依にあきらめを与えた。


 慶子は部屋にこもり、よそ行きの服を何着も並べて鏡の前で悩んでいる。大樹と二人で出かけるときにも似たようなことをしていたが、これほど悩んではいなかった。
「慶子、きれいな服を着て何してるんだ?」
「子供には関係ないの」
 突き放されたフィオは、ショックのあまり部屋の入り口でしゃがみこむ。悲しくて切なくて、涙が出そうだった。
「って、なに泣いてんの? ただ明日、夜依に誘われて医大生と合コン……じゃなくて、夕飯食べに行くのよ!」
 フィオの様子に気づいた慶子は、慌てた様子で説明する。
「合コン?」
「それは忘れなさい」
「合コンに行くのか!?」
 慶子が自らそんな場所に行くはずがない。慶子は人一倍そういう汚らわしい場所を嫌っているのだ。それがなぜ、綺麗な服を着てそんな場所に行くというのだろうか。
「どうして!?」
「夜依が行くから、ボディガード代わりよ」
「でも、慶子! 合コンに行くのは、ろくでもない連中ばかりだと言ったではないか! 夜依はいい奴だぞ!」
 それなのに、夜依がそんなところに行くはずがない。クロも認めるはずはない。
「それ、あたしが言った?」
「そうだ」
 フィオがはじめてニュースでその言葉を知ったとき、慶子はそう言った。
「あぁ……うぅ……ごめんそれちょっとウソ」
「っ」
 フィオはショックで固まった。
 慶子が嘘をついた。それとも今、慶子が嘘をついているのかもしれない。フィオを心配させないための嘘かもしれない。そういう嘘があるのは、フィオも知っている。どちらにしてもそれは嘘で、慶子が嘘をついたことが信じられずに身を震わせる。
「いや、そんなに震えなくても。いいフィオ。生き物ってのは、嘘をついて生きるものよ。この前あんた、あたしに内緒でせんべい一枚多く食べて知らないって言ったでしょ!」
 言い当てられ、フィオは愕然とした。つい食べてしまい怖くて話さなかったが、やはり慶子は気づいたいたのだ。フィオは廊下に座り、慶子にごめんなさいと謝る。慶子が大好きなせんべいだ。一つ減ったと知ったときは、きっと悲しかったに違いない。でも気づけば食べていたのだ。
「別にいいんだけどね。明日はディノさんに夕飯用意してもらってね。あたしは外で食べてくるから」
「慶子、私も連れて行ってくれ。慶子一人では心配だ」
「馬鹿言わないの。あんたみたいなお子様連れて行けるはずないでしょ」
「しかし……しかしっ!」
「フィオは可愛いから、変な男に目をつけられたらどうするの? 世の中、川橋君みたいな男ばかりじゃないのよ」
 フィオが反省して大人しく中の様子を見つめていると、慶子は小さくつぶやいた。
「あたしに気のあるハンサムな医大生かぁ……うふふ」
 フィオは頬をふくらませた。慶子は医大生とやらが気になって仕方がないようだ。どうすればいいのかと考え、ふと思いつき廊下を走り階段を駆け下りた。
 こういうとき、フィオはどうしていいの分からない。ディノもこちらのことはあまり知らず、フィオと同じく経験が足りない。ならば、経験のある者に相談すればいいのだ。
 フィオは最近覚えた番号に電話をかける。
『はい、川橋でございます』
 フィオは知っている声に安堵して、用件を告げた。
「あ、こんばんは。フィオです。雅之さんはいますか?」
『あらフィオさん。こんにちは。すぐに雅之にかわりますからね』
 雅之の家によく遊びに行くので、彼の母とはよく話す。とても面白い女性で大好きだ。しばらくの間音楽が鳴っていたが、突然音楽が切れたかと思うと、雅之の声がした。
「もしもし」
「雅之、こんばんは」
『こんばんは、フィオさん。どうかした?』
 優しくて落ち着いた声に、フィオは安堵した。
「実はな、慶子が合コンに行くんだ」
『慶子さんが合コン!?』
 やはり雅之も驚き、声を上げた。ろして狼狽して続ける。
『フィオさん、そそそそ、それはどういう……』
「夜依と慶子に気のあるハンサムな医大生とやらと合コンに行くらしい。どうしてか綺麗な服を選んでいて、私はどうすればいいのだろう?」
 慶子はやる気だ。何をするのかは知らないが、闘志は本物だ。
『慶子さんが……合コン……』
 雅之は絶望するように声を絞り出した。
「合コンとは、汚れた暗黒の儀式をする場なのだろう。私は心配で……」
 フィオは合コンの説明を受けたときの事を思うと、恐ろしくて身震いした。慶子の表情が怖かった。
『……あ……暗黒の儀式?』
「違うのか?」
『ええと……それは誰に?』
「慶子が言っていた」
『……まあ……似たようなものかな』
 ということは、慶子の説明は正しかったのだ。慶子をそんな場所に行かせてはならないというフィオの予感は正しかったのだ。
『でも、知らせてくれてありがとう。僕が手を打っておくよ』
「本当か?」
『もちろん、どんな手段を使っても』
 どうしてか彼の声がとても怖かった。どんな方法を用いるのだろうか?
 しかしこれで安心だ。
『そうだ。一つ教えてもらいたいことがあるんだけど、いいかな』


 雅之は迷わず携帯電話に持ち替え、教えられた番号を入力する。ワンコールで相手は電話に出た。
『誰?』
 電話の相手──明神大樹は不信感もあらわにそう言った。
「川橋だよ」
『川橋って……あの川橋!? どうして俺の携帯知ってんの!?』
「フィオさんから聞いた」
『はぁ? なんで?』
「ちょっと気になることがあって」
 なんと言うべきだろうか。このもやもや感。彼に理解できるかどうか。それでも実行してくれるなら一番動けるのが彼だ。裕福というレベルではない家に生まれた彼は、敵に回すとやっかいだが、味方になれば心強い。
「実は慶子さんが、慶子さんに気のある医大生と合コンで張り切って着ていく服を選んでるらしい」
 携帯の向こう側で、彼は沈黙した。しかし次の瞬間、
『鏡華! 昭人! ああ、沢樹もいる! お前ら来い!』
 予想以上の反応に、雅之はくすくすと笑った。人を使う立場の人間はやはり違う。
『で、どうしてそんなことをフィオちゃんがお前に?』
「頼られてるんだろ、きっと。純粋な子は見る目があるよな」
『くっ……いつも食い物持っていってやってんのに!』
 それは切ないところだ。彼の方がフィオと顔を合わせる時間は雅之よりも長いはずなのだから。食べ物では、その程度なのだろう。こちらは心の交流だ。負けるはずがない。
『あとでしっかりと教育してやろ。で、ケイちゃんはどこで合コンを?』
「そこまでは……」
『使えねぇな』
「教えてやったのに文句言うな。『夜依』とって言ってたから、古村さんなら知ってると思うけど……」
 当事者に聞くなら、古村夜依に聞くのも、慶子に聞くのも同じようなものだろう。
『夜依ちゃんも? そうか、その線で調べるか』
「本人に訊くのか?」
『まさか。黒衣に聞くさ。あいつは過保護だから、簡単に操れる』
 黒衣とは、現在足元に駆け寄ってきた子犬達を入れたミカン箱を持っていた男性だと記憶していた。
「彼は、古村さんの彼氏なのか?」
『むしろペット』
 これは変わった関係で……
「まあ、どんな恋愛も自由だと思うけど」
 足下で、虎太郎と竜之介が騒ぐ。この声を聞くと、大樹は突然反応した。
『コタとリュウか。元気そうだな。大きくなったか?』
「本当に犬が好きなんだな。元気だし、少し大きくなったかな。フィオちゃんのオーリンにすごく懐いてる」
『あ、やっぱり遊びに行ってるんだ』
「母さんがフィオちゃんと仲良くなって、彼女が来るのを心待ちにしてるっぽいんだ。彼女人形みたいに可愛いし素直な女の子だから」
『……はは、女の子、ね』
 大樹が不自然に笑う。何か気になることでも言ったのだろうか。
『じゃあ、俺が手を打っておくから、川橋は気にせずに明日の休日はゆっくりしてくれ』
「……手を打つって、どうするつもりだ?」
『もちろん、ケイちゃんが手込めにされないように見守って、そのあとその馬鹿を二度と近づけないようにしてやるよ』
 その光景を想像した。人目のないところで、ヤクザまがいの脅迫をする大樹達の姿。
「まてまてまてまて、何というか、もう少し平和的解決を!」
『はぁ? それを望んで電話したんじゃないのか?』
「そこまでは望んでない。ああ、もう、心配だから僕も行く!」
『なんで?』
「虎太郎と竜之介も連れて行くから」
『え、マジ? その子達を連れてくるんなら来てもいいぜ』
 彼は、本当に、犬が好きなようだ。まさかこれであっさりと承諾するとは思わなかった。
『んじゃ、今夜中に調べておくから、ちゃんと二匹とも連れてくるんだぞ』
「あ、ああ。それじゃあ」
 雅之は複雑な気分で受話器を置く。
「……お前ら、好かれてるなぁ」
 雅之はその場で座り込み、二匹を抱き上げた。ふわふわでぬくぬくで、それでいてじたばたと短い手足を振り回す様は、とても可愛い。
 このような子犬達に支えられると思うと、明日が不安でならなかった。
 何事もなく過ぎればいいのだが……。


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