20話 男と女の空騒ぎ

2 
 雅之は今、とんでもないところにいる。
 大樹とその使用人と外人二人と黒衣とフィオと大樹に似た偉そうな男と共に、やたらと内装が豪華なマイクロバスの中にいる。外から見れば普通なのだが、中身はまるで別世界だ。
 このメンバーが乗ってもゆったりくつろげるのだが、内装が豪華すぎて、庶民である雅之にとっては精神的に窮屈だった。
「な、何でこんな大人数になったんだ?」
「兄さんが聞き付けてさ、何人か増えた。お前のほうこそ、なんでフィオちゃん連れてきてるんだよ」
「フィオさんが慶子さんを守るんだって張り切って……」
「フィオちゃんらしいけど」
 二人でため息をつき、一同を見回す。
 雅之の子犬達は偉そうな男、大樹の兄のひざの上にいる。犬好きのようなことを大樹が言っていたが、本当らしい。犬好きに悪い奴はいないと言うが、犬好きに悪い奴がいても当然だと思っている。犬は悪人の心を虜にするほど可愛いのだ。大樹の兄は教祖だ。しかも贅沢三昧の教祖だ。悪いことをしていないはずがない。それは、雅之に関係することではないので、気にしないことをしているが、子犬達が心配だった。
 こんな場所にも、大樹達は犬を一匹連れている。犬種は分からないが、賢そうな立派な犬だ。
「で、これからどうするんだ?」
 雅之は大樹に問う。この状態では予想も出来ない。
「一人もう潜入してる。それから連絡があるのを待ってるんだよ」
「潜入?」
 大樹はいつも連れている美女に、何か指示をする。モニタがいくつも用意され、マルチ画面に店の中が様々な角度で映されていた。
 雅之は目を疑った。
(そ、そこまでするのか……)
 さすがに驚き、大樹へと疑いの目を向けた。
「正気?」
「いや、本人がすごく乗り気だったから」
 画面を見ると、雅之と同年代の少女がカメラに手を振っていた。彼女が犯人らしい。
「あ、来た」
 慶子達が店に現れた。その隣には見知らぬ青年が立っていて、楽しげに慶子達と会話をしている。慶子はいつにもまして魅力的だった。ピンクのワンピースに、白のジャケット。春色で決めた彼女は、大人びていて女子高生には見えなかった。男の方は背が高くて、ハンサムだった。今時珍しい黒髪で、好感の持てる誠実そうな青年だ。
 雅之は落ち込んだ。学歴と身長で負けている。学歴はこれから作るのだから、何とでもなるが、身長はどうしようもない。
「あれ……あの男」
 大樹は青年を見て首をかしげた。
「あれは火野の舘昇(たちのぼる)さんじゃないですか?」
 鏡華は青年を見て呟く。
「思い出した。あの人、先生の道場に通ってた!」
 大樹が青年を指さして叫ぶ。 
「ケイちゃんに気があるとは思ってたけど、まさかまだあきらめてないなんて……」
 雅之はその昇という青年を見つめた。画面から消え、しばらくするとえ別のカメラから見える個室に現れた。全員で八人。女の子は皆同じ学校の子だ。男は大学生だろう。
 慶子は昇と向かい合うように、一番隅で座っている。
「やばいな」
 大樹が呟く。
「なにがやばいのだ?」
 フィオが可愛らしく大樹を見上げた。
「ケイちゃんのタイプだぜ、あれ」
「タイプ……好きなのか?」
「ああ。身長もそこそこあるし頭もいいし、何よりあいつ肉弾戦で強い。ケイちゃんはそれ知ってるし、まずい」
「け、慶子は私よりもあの男の方が好きなのか!? 私よりも……私……」
 フィオはしだいに目を潤ませて泣き出した。そんな彼女を、慌ててディノが慰める。慶子殿が一番好きなのは、フィオ様に決まっています、と。彼も変わっている。白人マッチョなナイスガイなのだが、言葉遣いがフィオ同様に少し変わっている。彼も天使らしいのだが、華奢で美形のイメージがあるため、その体つきの時点で違和感を覚えていた。
 しかし、真に問題なのはフィオではなかった。
「この程度の男が私よりもいいだと? この女は何を考えている!?」
 怒り狂ったのは、大樹の兄だった。大樹はその姿を見て、ひぃ、と叫び精一杯後退する。もちろん、向き合っている座席の車内だ。そう離れられるわけでもなく、隣に座っていた鏡華が迷惑そうに顔をしかめた。
「に、兄さん落ち着いてっ!」
「昭人、今すぐあの身の程知らずの愚か者を狩れ」
 雅之はなにやら物騒な台詞を聞いたような気がした。
「落ち着いてください、樹様。ってか無理です! 俺は慶子さんの前でそんな非常識なこと出来ません!」
「お前は私の所有物のくせに、私に逆らうのか!?」
「今すぐってのが問題なんすよ! だいたい、そんなことしたら火野が黙っちゃいやしませんよ!」
 緊迫感が漂う車内で、二人は睨み合う。運転席の昭人と呼ばれた青年は、ややガラが悪く見える。だが、慶子に対する恩義は雅之にも伝わった。
(やはり慶子さんは素晴らしい人だな)
 あの包み込むような優しさで、ヤンキーだかヤクザだかを更正させてしまったのだろう。
「落ち着きなさい、樹。彼を殺しても君に益はないだろう」
 そう落ち着き払った声で言ったのは……今まで大人しくしていた明神家の犬だった。
「…………い、犬がしゃべった!?」
 雅之は驚きと恐怖で大樹にしがみついた。そのしゃべる犬は雅之を見て首をかしげた。そんな犬に、雅之の子犬達が飛びかかってじゃれついた。
「あちゃー……」
 大樹が隣で頭を抱えた。右手を雅之が掴んでいるので、左手だけで半分顔を覆うように頭に触れている。
「大樹、その子はひょっとして一般人なのかい?」
「だから来るなっていったのに……明様、うかつです」
「いやすまないね。てっきり身内かと思っていたよ」
 犬は、やはりしゃべっていた。そのしゃべる犬に、子犬達はじゃれついている。犬の方が肝が据わっている。
「い、犬……犬……」
「落ち着けまさちゃん。犬に見えるが、あれは仮初めの姿。その正体は俺等の神様だ。偉くて強いんだぞ」
 少しフィオを思わせる口調で言う大樹。
 フィオ。天使。
「そうだな。天使がいるんだから、しゃべる犬がいてもおかしくないよな。ああ、天使がいるんだもんな」
 雅之は両頬をぴしゃりと叩き、気を取り直す。
「前から思ってたけどお前、信っじられないほど物わかりがいいな」
「僕は無駄に驚いたり慌てたりするのは好きじゃないから、受け入れることは自分なりに考えて受け入れることにしているんだ。疑う余地がないことに関しては、無駄に疑わない」
「頭いい奴って、何考えてるんだかわっかんねぇよ。そーいや、ケイちゃんの天才な兄貴の方も、何考えてるかわかんない奴だったなぁ」
 慶子の兄のことは聞いたことがある。彼らの通う高校のOBで、校内でもそれなりに有名だ。色々な意味で。
「沢樹、音声を」
「はい、父さん」
 やたらとにこやかな酒を飲んでいた青年は、犬に「父さん」と言って、合コンが行われているの個室の音を流した。
「真緒、そっちはどうだい?」
『みんな可愛いねぇ。あのロングへあの子、好み。もらってもいい?』
「その子は黒衣のだからやめなさい。お前でも黒衣と敵対はしたくないだろう」
『ちぇ。んじゃ仕事にもどりまーす』
 真緒と呼ばれた女の子は、なんというか大胆だった。
 鏡華が驚いて目を見開き、画面にかじりついて言う。
「彼女、前話したときと印象が違うんですけど……」
「狸だからな、あいつは」
 鏡華は猫をかぶる少女を見て、うーんとうなった。そんな彼らに対して、突然沢樹が怒り出す。
「真緒さんは狸なんかじゃありません! 真緒さんは生まれも育ちも人間です!」
「沢樹、お前、たとえ話って言葉も知らないのか? だから真緒に馬鹿にされるんだぞ」
「うぅ……」
 頭の悪そうな男だ。しかし今、この犬を父と呼ぶ頭の悪そうな男の事を気にしている余裕はない。問題は、慶子の好みだというこの好青年だ。
「ああ、あいつ慶子の手に触れたぞっ」
 フィオが嫉妬も露わに叫んだ。彼女の慶子への愛は、まるで母親が再婚予定相手と触れ合うのを見ている子供のようだった。
「くそっ。真緒、妨害!」
『はいよぉ』
 真緒は元気よく返事をして、画面に現れた。
『ご注文はお決まりですかぁ?』
 彼女はごく普通のアルバイトを装って、ドリンクの注文を受けに来たようだ。
 皆はそれぞれドリンクを頼む。慶子は美容にいいとされているグレープフルーツジュースだ。
「ケイちゃん、猫かぶってジュース頼んでる」
「人前ですからねぇ。でももったいない。ここのカクテルはけっこう面白いんですよ」
「酒のチェックは忘れないんだな、お前は」
「はい。人生の半分ですから。もう半分は真緒さんです」
 両思いか片思いかは知らないが、これほど恥ずかしげもなく宣言できる彼に、雅之は羨望の眼差しを向けた。
「お前は黙ってろこの犬」
 沢樹はアヴィシオルだとフィオが紹介してくれた、瞳の赤い黒髪の青年に蹴られ、大人しくなる。
 フィオは相変わらず悔しげに画面を睨んでいる。もしも慶子とつきあい始めたら、彼女はそんな風に雅之を見るのだろうか。だとしたら、少し悲しい。彼女の純粋な好意と天使の笑顔には、激しい競争社会を生きる雅之にとって、慶子に並ぶ癒しである。成績をキープするのも楽ではないのだ。
 そんな会話をしているうちに、やがて真緒がドリンクを運んできた。
『はーい、ウーロン茶の人』
 夜依が手を挙げると、真緒は微笑んだ。彼女は女の子相手には、最高の笑顔を向けた。男相手には、作った笑顔を向けた。この差は何だろうか。
(あの人やっぱり片思いなんだ)
 それでもめげずにアタックする、その姿勢は見習うべきだろう。馬鹿だと思われるのはもちろん問題外だが、その行動力は見習うべきだ。
 しばらくすると、その当の真緒から連絡がある。
『どうやら、夜依ちゃんって子が一番人気らしいですね。慶子ちゃんは火野の人が始めから目をつけてたから、ちょっとちらちら見てるぐらいですけど』
「ああ、ほんとだ。未練がましく見てる」
「凡人が慶子に色目を使うなど身の程知らずな。触れれば保も絶賛する蹴りが来るというのに」
「あれは一回防ぐのだけで精一杯なんだよねぇ。俺ももう少し体術やっときゃよかったよ」
 慶子はやはり強い男が好きなのだろうか。兄は世界最強の名を欲しいままにする東堂保だ。彼と比べれば、空手部主将も赤子同然。そんな人物に勝てるのは、頭の中身ぐらいだろう。しかし、もう片方の兄には、頭では敵いそうもない。絶望的だ。
「皆さん、気を取り直してドリンクでもどうぞ」
 馬鹿っぽい青年、沢樹は冷蔵庫の中にあるドリンクを見せた。
「沢樹、ウイスキー」
「はい、樹さん」
 あちらは楽しそうだ。どうして、自分はこんな場所で、しゃべる神様な犬などと一緒に高そうな車に乗っているのだろうか。
「私も、私も!」
「はい」
 フィオの主張に、沢樹はウイスキーで答える。雅之は慌てて声を上げた。
「ちょっと! こんな子供に言われるがままに酒を飲ませないでください!」
「堅いこと言わずに。慶子さんなんて、小さな頃から飲んでましたよ」
「親が、女の子は酒に強くないとダメだって……言いつつ、酒好き一家だから。ケイちゃんもストレス溜めてそうだよね。飲み屋に来て飲めないんだから」
 信じられない事を聞き、雅之は少しショックだった。しかし、ディノがフィオからウイスキーを取り上げたのを見て、少し安心する。
 彼女だけは、汚れない天使でいて欲しい。
「ん、慶子が男の頼んだ酒を飲んでいるぞ」
「は?」
 画面を見ると、確かな慶子はカクテルを飲んでいた。
『美味しい』
『は……はは、そう。それは良かった』
 慶子に酒を奪われたらしき青年は、顔を引きつらせておかわりのドリンクを頼んだ。
「ジュースでいいから欲しいぞ。あと、お腹すいた」
「はいはい、用意してありますよ」
 と、彼は助手席にあった大きな箱から、料理を次々と取りだした。保温されていたらしく、適度に暖かい。
「今日はパーティ向けの軽食を揃えてみました。シェフは僕の知り合いの田所さん。美味しいですよ」
 フィオは、わーと言って箸を持った。箸の扱いには慣れていないらしく、小さな子供のように、小さなハンバーグに突き立てる。はむはむと幸せそうにそれを食べていた彼女だが、再び画面を指さした。
「あ、また飲んだ」
 慶子は、新しいカクテルを再び飲み干していた。
 夜依が小さく笑い、昇が不機嫌を表す。このまま酒好きな彼女に対して心が離れれば問題なし。
 と、そこで別の男から夜依に差し出された酒も、慶子が取り上げぐびぐびと飲む。
 この光景に、皆は違和感を覚えた。居酒屋の無駄な音声があって、事情の部分を誰も見ていなかったのだ。
『たいちょー、男達が私の夜依ちゃんを酔わせようとして、私の憧れの慶子ちゃんがそれを阻止せんと飲みまくってます。男前です。惚れそうです。彼女にアタックしていいですか。あの胸の秘訣も聞きたいし』
「ダメですっ! 真緒さんは今の真緒さんが一番素敵です! 何よりも真緒さんは僕のです!」
『黙れ犬』
 やはり片思いだ。
「はい、黙ります」
 そこで黙るのか犬と、犬を父親と呼ぶから犬なのだろうか。彼は実は恐怖、犬人間なのだろうか、などと馬鹿なことを考えながら、慶子の様子を見守った。
 夜依を守ろうと、夜依にちょっかいを出す害虫どもに、笑顔を振りまき盾になる。そんな彼女はとても雄々しい。
「すまない慶子……」
 黒衣が夜依を心配して、慶子に感謝をする。恋をするというのは辛いものだ。
「クロも夜依が心配なんだな。私も慶子が心配だ。あんまり飲むと、前みたいに剣を振り回さないか……」
「酒乱なのかあの女!?」
「シュラン?」
「酒を飲むと暴れる者のことだ」
「いつもは暴れないが、たくさんたくさん飲むと、暴れた。もちろん、理由なしには暴れないぞ。アヴィが私に意地悪したから、慶子が怒って大樹の家の家宝の剣でアヴィを……アヴィ、よく生きているな」
 フィオがアヴィシオルの身体にぺたぺたと触れながら言う。
「あの女は嫌いだ。魅了の力も効かないし、髪も癖があるし、凶悪だし、理解もないし……」
 よほど、慶子の気に障ることをしたのだろう。フィオに何かすれば、彼女は何をしてでも守る。そんな激情を持つ彼女も愛おしい。
 慶子は夜依に飲まそうと企む男達から、すべて酒を没収し、彼女の胃袋に収めた。
『慶子ちゃん、そんなに一気に飲んだら危ないよ』
『大丈夫』
 夜依の心配をよそに慶子は自信満々に言い切る。
『未成年の女の子に酒を飲ませようなんて成人しているとは思えない行為を、やめてくれるまでは続けるわ』
 言った。隠そうともせずに言った。これが酒の力か、それとも普段の彼女が時折見せる、彼女独特の正義感から来る毒舌か、それは分からない。だが、彼女は言った。
 他の二人の少女は、場を白けさせる慶子を睨み付けていた。それでも慶子は笑顔のままに、男達を睨み付けている。
「ああ、ケイちゃん。君のそんなところはものすごく好きだけど……」
「心に秘めておかないのが、彼女らしいところなんだろうね」
「慶子、格好いい」
 フィオが海老フライをくわえて手を叩いた。楽しそうだ。
「でも、怖いシュランモードに入ったらどうしようあの男達は生きて帰れるのだろうか」
 フィオは何を想像したのか、喜んでいたはずなのに、突然ガタガタと震えだした。
「そ、そんなに怖かったの?」
「魔王が血相変えて逃げ出す程度には怖いね。あの時は、ただただ『はいはいその通りです』と言ってあきらめて時が過ぎるのを待つしかないんだよ」
「酒って怖いな」
「もちろん、その限界値ってのが、ボトルを数本空にするぐらいの勢いだから、こんな居酒屋じゃあ無理だよ。フィオちゃん流に言うならケイちゃんシュランモードは、俺だって三回しか見たことがない。うち二回は刃物を振り回していたけど、一回は延々と続くえげつない心をえぐるような説教だった。今の感じを、もっと強烈にした感じかな。元々子供を騙す嘘八百が大得意で、フィオちゃんを怯えさせては自分の優しさを見せつけて、餌付けして懐かせような女だから、口で勝てる奴はそうはいないだろうな」
 少し、複雑な気持ちだ。もしも彼女と結婚したら、絶対に尻に敷かれる。しかしそれも悪くない。
「お酒を飲み過ぎなきゃいいんだろ?」
『おもしろそー。お酒の配分増やしてもらおうっと』
 潜入捜査少女真緒が、楽しげにつぶやいたのをマイクが拾う。
「真緒! やめろ真緒! 家でならアヴィが切られる程度だけど、ここでは洒落にならない!」
『ちぇ。楽しそうなのに』
 真緒はぶつぶつと言いながら接客を続けた。時折セクハラ的な声をかけられては、沢樹が泣きそうな顔になる。いい大人が、少女一人にこうも振り回される様は、見ていて切ない。
「夜依……」
「大丈夫だクロ。夜依は慶子が守ってくれる。淫らな男達は夜依に触れることも出来ないだろう」
「フィオ、どこでそんな言葉を覚えた」
「慶子の言葉が難しくて分からないとき、アヴィが分かりやすく説明してくれるんだ」
 アヴィシオルが黒衣に殴られて、明に足をかまれた。
「アヴィ、それをフィオちゃんが聞いたら、今度こそ切られるからな」
「今度からは、もう少し考えることにする」
 大樹は小さくため息をつき、画面を見た。
 ある意味、この状況はよかったのかもしれない。なにせ、慶子の意識が昇から夜依に向いたのだ。このまま怒りを持って別れてくれれば、何も問題はない。
 このまま、終わればいい。


 慶子は友人達に酒を飲ませようとしたり、夜依に触れようとしない限りは大人しかった。昇の存在は恐ろしかったが、そういった男達とつるんでいるという事実が、慶子の熱を多少なりとも冷ましているはずだ。
 それでも昇自身には問題なく、友人達に苦言を呈していた。
「このままお持ち帰りなんてことは絶対にあり得ないけど、仲が良くなる前に気をそらすにはどうしたらいいと思う?」
 大樹は自分よりは頭のいい雅之に問う。一般人の意見を聞くのもいいだろう。天使やしゃべる犬をあっさりと受け入れる非常識な強者だが、一般人には違いない。
「うーん。他の美人をでれでれ見ていたりしたら、軽蔑されるだろうけど……」
「都合良く、あいつの好みの美人なんて……」
 と、大樹は映像をマルチ画面に戻し、偶然いるかも知れない絶世の美女を捜した。もちろんそんなものはいるはずもなく……。
「あ!」
 雅之が画面を見て声を上げた。
「美人か? どこだ?」
「あ、いや。今一瞬、格闘家の拓真がいたような気がして」
「拓真って……」
 大樹は画面を隅から隅まで見つめる。一瞬、確かにそれらしき姿が見えた。
「真緒、ひょっとしたらこの店に拓真さんがいるかもしれないんだけど、見なかったか?」
 大樹はマイクで真緒に呼びかける。
『そういえば、バイトの子が騒いでたな。有名人が来てるみたいだけど。ここ、安くはないし雰囲気いいから、けっこう穴場的なんだよね。ほら、料理も美味しいでしょ。有名店のシェフを引き抜いたらしいよ。店も料理もセンスがいいし、私は好きだよ。今度おごってね沢樹さん』
 真緒の犬である沢樹は、情けないほどのいい笑顔で元気よく返事をする。デートというよりも貢がされるだけという見方が出来るのだが、本人は気にする様子もない。本人が幸せなら、それでいいのだろう。何しろ、大樹も人のことが言えない立場にある。
 そんなことを考えていたときだった。
 突然個室のふすまが開き、男性が入ってきた。
『っれ、間違えましたすみま……慶子ちゃん?』
『あら、拓真お兄さん。どうしてここに?』
『そっちこそ』
 拓真は、確かにいた。しかも戻る部屋を間違えた。脳みそまで筋肉というわけではないのだが、酔っぱらいなどこんなところだ。
『昇もいるじゃなか。久しぶりだなぁ』
 拓真は静かに笑う。東堂保最大のライバルであり、知的でクールとされる格闘家だ。
『た、拓真!? なんでお前、拓真と知り合いなんだ!?』
『同じ道場に通ってたんだよ。慶子ちゃんも。拓真さんは有名になりましたね。ところで、ここでお食事ですか?』
『ああ。ここ、俺のオヤジがオーナーなんだ。んで、たもっちゃんと一緒に、グラビアアイドルと合コン』
 次の瞬間、樹が立ち上がる。
 彼は巨乳グラビアアイドルが大好きだ。そのため、むっつり助平と家の中では呼ばれている。そのグラビア好きむっつり助平は、携帯から誰かに電話をする。
「保、今どこにいる? ん、そうか。今からそちらに向かう。ん、いやなのか? そうか、わかった。もうつく」
 と、彼は特別仕様のマイクロバスから出て行く。思わず大樹もついてくる。なぜかぞろぞろと皆ついてくる。
 店に入り店員の声を無視して奥に進むと、ちょうど保が部屋から出てきたところだった。拓真はまだ慶子達と話をしているらしい。サインぐらいねだられているのかもしれない。
「あ、いっちゃん。マジではやいなって、なんでフィオとか黒衣まで……」
 その背後に、本当にグラビアアイドル達が現れる。樹達を見て、皆きゃーきゃーと騒いだ。彼女たちが誰に目をつけたか分からないが、少年から金髪マッチョまでいい男は揃っている。しかも樹は金持ちだ。皆を納得させるために、それぐらいは言っていてもおかしくはない。
「実は、お前の部屋の隣で、慶子が合コンをしている。無理矢理酒を飲まされているから、大樹が心配してな」
「け、慶子が合コン!?」
 兄はショックだったのか、必死の形相で樹を押しのけ、慶子達の部屋へと押し入った。
「ちょ、兄さんまでなんで来たの!?」
「こらー! 慶子、お前! にいちゃんはそんな子に育てた覚えはないぞっ!」
「育てられた覚えはないんだけど。逆に今の兄さんを育てたのはあたしでしょ。誰が栄養面で管理してると思ってるのよ。それと、外食、外泊するときはちゃんと言ってって言ってるでしょ! あと栄養考えてよ。身体が資本なんだから」
「そういうことはマネージャーに」
「少しは自分のスケジュールぐらい自分で把握してよね! 海外行ったら、本当にマネージャーさん任せでしょ! 可哀想だと思わないの!?」
 乗り込んだはずの保は、いつの間にか妹に説教されはじめた。
 おかげで、合コンはぶちこわしだ。ついでに、医大生達は皆、覗きに来たグラビアアイドルに夢中だった。昇も含めて。
 大樹達は樹を残し、見つかることを恐れてそれを離れたところから見学していた。


 クロは玄関で夜依を待った。近所までは無事を確認したので、そろそろ帰ってくるはずだ。一分もすると、玄関の鍵を開ける音がして、夜依が帰ってきた。予測していたようなこの行動に、夜依はくすりと笑う。
「クロちゃん、今日来てたでしょ?」
「なぜ分かる?」
「そりゃあ、クロちゃんだもの。側にいれば分かるよ」
 彼女は、どこまでも侮れない。不思議な少女だ。
「心配かけてごめんなさい」
「今度からは、事前に言え」
「そうすると、ついてくるでしょ? クロちゃんが好きな番組が見られなくなるよ」
「テレビなどただの暇つぶしだ。私はお前の安全を最優先する」
 夜依はくすくすと笑いながら靴を脱いで、クロを抱き上げた。
「クロちゃん、ごめんね。今度からは言ってから行くね」
「そうしろ。どうせ私は暇で一見無害な子猫だ。怪しまれたりはしない」
「可愛い」
 後頭部にキスをされて、クロは黙る。
 今頃は慶子も、フィオに泣きつかれているだろう。歯止めとなる存在があるということは、安心できる。慶子がいれば夜依の身は安全だ。そして慶子がトラブルに巻き込まれなければ、夜依の安全確保される。
 それを決定的にするのが、フィオの存在である。
「明日は一緒にお買い物に行こうね」
「わかった」
 今日も、それほど悪くない一日だった。


 おまけ

「ちょっと昇さん? どういうことかしら?」
「そうよ。東堂慶子を落とすとか豪語しておいて、成果が楽しく会話しただけ!?」
「だって、女の子を口説いた事なんてないから……」
「信じられない! その無駄にある背丈は何のため!?」
 背丈のみ評価されているのだと思うと、昇は泣けてきた。
 好きで失敗したわけではない。あれは事故だ。まさか兄が乗り込んでくるとは思いもしなかった。よって出来たのは思い出話や普通の会話のみ。口説き文句など出てくるはずがない。今も昔も格闘と勉強のみに打ち込んできたからだ。
「まったく、男に頼った私が馬鹿だったわ」
「すみません」
 慶子と話をしていた時間が懐かしい。天国の後に、この地獄だ。同じ気が強いにしても、慶子のような癒されるような物が彼女たちにはない。
(なんで俺はこの一族の下に生まれたんだろう)
 もう少しあるだろう。水野や葉野であれば、厳しいが誠実な者達が多い。
 一般とはほど遠い、一般でない組織ともほど遠い、特殊な一族に生まれた彼は、ただただ涙をこらえるばかりであった。
 

back  目次  next
あとがき