26話 山へ行こう

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 大樹は持参したペットボトルのお茶をレンジで温めたものをちびちびと飲んでいる。
 バーベキューの炭も火が消えて、残っているのは焦げたキャベツが一枚と、肉の切れ端だけ。デッキでは寒いので室内に入り、慶子は酒のつまみを作るためにキッチンで炒め物をしている。
 黒衣を見ると、彼は沢樹が作ったカクテルを飲んでいる。
 始めは胡散臭そうに舌でちろと舐めたが、気に入ったのか動物のようにぺろぺろ舐めるように飲み出し、大樹の視線に気付くと普通に飲み始めた。
「そうだ、黒衣。知っているか?」
 クレハは黒衣にしなだれかかって、耳朶に吐息が届くほどの距離で三度目かの『知っているか』を囁いた。
 彼女は以前、黒衣に粉をかけたことがあるらしい。しかし鈍感無欲な生物として欠陥があるあの男は、気づきもせずに他の男の嫉妬を駆り立てるということが、多々ある。クレハも諦めたようだが、態度だけは変わらぬようである。
「何を」
「最近、巷ではとんでもない化け物がいるそうだ」
「鬼以上の化け物などいるのか? 悪魔や妖精は、化け物という表現は似合わないし」
 自分たちが化け物であるという自覚は、鬼達にとっては辛い事だ。動物よりも人に近いのに、人とは相容れない存在だ。だからこそ、明神に使役される事を望む鬼もいる。集団にあれば、孤独を恐れる必要が無くなる。もちろん、明や明神を恐れるがために、飼われている鬼も多いが、彼らの中にも少なからず集団に憧れる思いはあったはずだ。女達も、徒党を組んでいる。
「それの前では、私達は人間のように無力になる」
「そう無力だとは思わないが」
 人間は十分に強いと言いたいのだろう。人間がその気になれば、十分に鬼を殺せるのだから。しかしそんなことをすれば、人を食らう鬼達は巧妙に隠れ、より手段を選ばず残酷になるだろう。
「力が削がれるのさ」
「…………どこかで覚えがあるような……」
「あんたの耳にまで入ったか。話しばかりが大きくなっているようだな」
 クレハはくつくつと笑い、足を組み直す。脚線美がたまらないが、相手はクレハであるというだけで、色々なものが削がれる。
「それの前では、私達は無力だ。力も出ず、個々の能力も封じられてしまう。しかしそれは明神の能力者ではない。突然現れては突然殴りかかり、延々と説教をしては警察に突き出すという」
「…………」
「一種の都市伝説さ」
「いや、妙に具体的なんだが。警察の辺りが」
「そうなんだ。具体的なんだよ。名前まで決まっているんだ、この伝説には」
「知っているような知らないような」
 大樹も、知っているような気がする。
 知らない人だと嬉しいなぁと遠い目をして、現実から逃避する。
 そんな危険なことを日常からしているなど、しかも選んだように鬼相手に説教しているなど、信じたくない。それで改心するのは、昭人のような比較的おおらかな人格を持つ者だけだ。
「名を、東堂慶子という」
「呼びました?」
 皿を片手にキッチンから戻った慶子が、こくんと首をかしげた。何も知らぬ彼女が愛おしい。おそらく目をそらして理解しようと尋ねてきたり、踏み込んできたりしないから分からないだけで、本人も薄々気付いているはずなのだが、さすがに自分にそんな力があるとは思ってもいないのが彼女である。
「別に呼んでは……」
「クレハ」
 黒衣はグラスを持った手を慶子に向け、長い指で彼女を示す。
「彼女は、東堂慶子さんだ。本物の」
「東堂慶子……本当にいたのかっ!?」
 驚愕に染まったクレハを見て、慶子が顔を顰めて言った。
「何が本当にいたのか何ですか。失礼ですね。あたしのどんな噂が流れてるんですか」
 化け物呼ばわりされていたのは聞いていないようだ。よかったよかったと、一人心の中で祝う。慶子はつまみに作ったベーコンとコーンのバター炒めをテーブルに置き、床に座って飲みかけの焼酎の水割りに口を付ける。フィオは好物が出てきて、喜んで取り皿に移しまくる。
「もう、フィオそんなに取ったらみんなの分無くなるでしょ。まあいいわ。まだあったから、もう一回炒めてくる」
 働き者の慶子は立ち上がり、再びキッチンへと向かった。
「おお、本当に力が効かない!」
 クレハが小さく叫んだ。
「何をしたんだ?」
「進行方向の足下に糸を張ったんだ。ピアノ線程度の強度はあったはずだが、紙を蹴散らすように裁ち切って消滅させてくれた。手元まで全部消えたぞ」
「いきなりお前は……危ないだろう。自分の勘違いだったらどうするつもりだ」
「謝る」
「…………本物だったから問題ないが、相手は女だぞ」
「珍しい。女だからと手加減しろと?」
「人間の女は、男よりも脆い。彼女の場合は男よりも強いが、身体の脆さは変わらない。人間の扱いは難しいと、最近身に染みた」
「……どうして身に染みるんだい?」
「風呂に入れられたり、ブラシをかけられたり、リボンを結ばれたり、子供達に振り回されたりと、耐えることが多いぞ。しかも抵抗しては相手が傷つく。恵美は何も知らないから、下手な抵抗は出来ない」
「……すっかり座敷猫に成り下がって」
 クレハが大仰な仕草で嘆いた。それに関しては、大樹も大きく頷くところである。誰にもすり寄らない野良猫だったのに、今では何も知らぬ主婦に、リボンを結ばれたり風呂に入れられるのを我慢するほどすり寄っているのだ。ちなみに恵美とは、夜依の母親である。気のいい普通の主婦で、動物好きである。夜依の性格の元となった女性と言えば、どんな人物か予想がつくのではないだろうか。とくに特殊な力を持っているわけではないが、黒衣にとっては逆らえない相手なのだろう。なにせ夜依の将来を予想させる、彼女の母親なのだから。
「これさえなければ、襲いたいぐらいにはいい男なんだけどねぇ……」
「遠慮願う」
「もったいないねぇ」
 クレハは大きなため息をついた。黒衣は、母性本能とやらをくすぐるタイプなのだろうか。そんな男になってみたい。
 大樹は少しいじけながらも、ジュースをチマチマと飲む。酒でも飲めたらいいのだが、飲むと倒れるため飲むことが出来ない。母は酒に強いが、父は酒に弱い。それでも理性を手放す程度で、すぐに倒れることはない。それにつけ込まれ、母と結婚という形になった程度には、酒癖が悪い。しかし大樹のそれは父親の物が濃縮されており、酒を飲むとすぐに記憶がなくなる。
「クロちゃん、もてるんだね」
「黒衣はモテモテだよ。うちの馬鹿犬と違って強くて紳士だ。言葉よりも態度で示す後ろ姿が格好いいらしいよ。たぶん天然で無口なだけだと思うけど」
「そこがクロの可愛いところだから」
「夜依さん……もうやけちゃう!」
 のろける夜依の肩を、真緒が叩く。その二人を、ワインを何本も胃袋に治めた沢樹が、羨ましそうに眺めていた。間に入りたいのだろう。
「あの娘、どれほどの力までなら消してしまうのだろう」
「さあ。この前通りがかったときに見たのは、タカミを殴り倒しているところだったから、試すのも馬鹿らしいんじゃないのか?」
「タカミって、あの? あれを殴り倒したって、どうしてそんなことに?」
「さあ。結果だけ見ていただけだから。どうしようか迷って、大樹にもらった電話で助けを呼んで仲裁に入ってもらった」
 タカミとは、少し前の黒衣のような風来坊である。
 つまりはナンパをしてきた、もしくは強引なナンパをしているところを目撃した慶子は、いつものように鉄拳制裁を加えたと言うことらしい。知らなかった。
「恐ろしい子だね」
「普通にしていれば、何の害もないが」
「そりゃあそうだけどね」
「助けるつもりの力でも、はね返すらしいからそれだけ理解していればいい」
「つまりは関わるなと」
「一切、手を出すな、だ。性質が性質なだけに、本人に自覚が一切ない」
「難儀な体質だねぇ」
「彼女が夜依と一緒にいてくれると、厄介な虫が寄りつかなくなるから頼りになるぞ」
 黒衣にとっては慶子というのは最愛の人にとって、理想の友人という位置にいるのだろう。大樹はつまみのさきイカを噛みながら、満天の星空を見上げた。山だけあって、騒がしいほどの星が見える。
「平和だ……」
「平和」
 幸と名付けられてしまった幼い鬼が、大樹の傍らに立ち呟いた。彼女は人が口にした言葉を面白がって繰り返す。もちろん長い会話を追うことは出来ないので、こういう短い言葉を発すると、飛びついてくるのだ。
「いいことだよ、平和は。穏やかで、安らぐ」
「いいこと、やすらぐ」
「そうだよ、さっちゃん。ほら、イカをあげるよ。お食べ」
「イカ」
「こういうときは、ありがとうと言うんだよ。ありがとう」
「ありがとう?」
「そう、ありがとう。いい子だな」
 フィオ以上に無垢な少女がはぐはぐと食べる姿は実に愛らしい。これで彼女が満たされることはないが、多少は良くなるはずだ。
 フィオが来たばかりの頃に、こうして毎日餌付けした記憶がある。子供は餌付けするに限る。他の菓子も与えると、彼女は幸せそうにそれらを食べる。
「大樹って、意外と子供好きよねぇ」
「子供が嫌いな男に、ろくなのはいないよ」
「確かにそうね」
 慶子はくすりと笑って出来上がったばかりのコーンバターをテーブルに置く。今度こそと、酒を飲んではスプーンでそれを頬張る。
 慶子が食べている姿を見るのは、昔から好きだった。彼女が食べる姿は本当に幸せそうだから。
 ここにいる鬼達は、彼女のような心からの喜びを日々味わうことは出来ない。悪いとは思うが、それが人のためである。
 一皿完食してしまったフィオが、それをじっと見つめている。しかし慶子は気にもしない。
「はは。フィオちゃん、そんなに食べると太るぞ」
「でも、でもな……」
「はいはい。退屈なんだね。じゃあ、一緒に花火でもしようか。なんか下の別荘にあったから持ってきたんだ」
「花火か? あの花のように開く火か。やる!」
「たぶん想像しているのとは違うと思うけど……楽しいには楽しいよ」
 彼が想像しているのは、恋愛シミュレーションゲームで見た花火の絵だろう。人間界で体験できる楽しみは、今の内に可能な限り与えてやりたいと思うのが、保護者心というものだ。家庭の保護者は慶子だが、環境の保護者は明神だ。


 ぱちぱちと音を立てて火花が散る。始めはちりちりとした火の玉だったが、時間がたつと大きく、パチパチパチと火花を散らす。しかし少し動けばぽたりと落ちる。なんとも繊細な花火である。
 ディノは失敗してしまった線香花火を水が張られたバケツの中に落とす。
 フィオをちらと見ると、花火を持ってオーリンを追い回していた。その背後を、花火を持った幸が走る。子供達は全身で楽しんでいる。
「楽しいな、花火!」
「そうですね。天界に火薬を使う習慣はありませんからね。魔力で足りてしまいます」
 ディノは天界を思い出し、少し懐かしさを覚えた。ここに来たのは冬になる前。しかし今はもう春だ。一冬を人間界で過ごしてしまった。フィオを咄嗟に追ったあの日、こうなるとは想像も出来なかった。
 大樹はフィオを招き寄せ、空き瓶に立てた花火に火をつけ、それが驚くほどの勢いで空へと放たれ、パンと音が響く。フィオは目を輝かせて、私も私もと言ってそれを真似て行う。しばらくすると、大樹は別の花火を取り出し、火をつけて投げると、それは火花を放ちながらフィオを追って動いた。
 フィオは実に楽しそうだ。来て良かったのだ。いずれ帰らねばならないが、来て良かったのだ。
 大樹から、天界の使者がフィオを探して連絡を取ってきたと聞いた。フィオにはそこまでは説明してある。だが彼に危機感はない。かといって、見つかれば嫌がるだろう。子供のように。実際に子供なのだから仕方がない。
 一通りを終えると、フィオはディノの元へと走ってくる。
「ディノ、そのすぐに落ちる花火は楽しいか?」
「燃え尽きるまでを見ると、満足できますね。ささやかな美しさが、気に入りました」
 慶子に勧められて火をつけたのだが、なかなかいい退屈しのぎになった。
「今度は、もっともっと大きな花火もやってみたいな」
「フィオちゃん、君が想像しているだろう大きな花火は、自分たちでやるんじゃなくて、花火大会とかが開かれて、それを見るだけだよ。ケイちゃんチの庭からはよく見えるから、夏を楽しみにしてなよ」
 フィオは「うむ」と元気に頷いた。
「その時まで、こちらにいられると良いのですが」
「ディノ、なぜそんな不吉なことを言う」
「主上はご高齢であらせられます。いつ崩御されてもおかしくはありません。その時に貴方がいなければ、天界は変わることはないでしょう。貴方は裏切り者とそしられることになるかもしれない。それは私の本意ではありません」
「ディノ……」
 フィオはしゅんとうなだれる。経験が少ないために、お馬鹿と慶子は表現するが、本当は聡い子だ。ディノの言いたいことは理解してくれる。
「ディノは、帰りたいのか?」
「そうですね。すぐにとは申しません。人間界の時の流れは天界よりも速く、こちらの長い時間はあちらでは大した時間になりませんから。それでも、いずれ帰らなければなりません。それが、天界のためです。おそらくアヴィシオル殿も、フィオ様に経験をさせるためにこちらへの道を吹き込んだのでしょう。天界は、閉鎖的で独善的です」
 天界以外からの人間界への道を閉ざし、アヴィシオル達のようなごく一部の例外が特殊な方法で入り込まない限りは、人間界が外界と接触する機会はない。それが悪いことだとは思わないが、天界が正義、魔界が悪という分け隔て方はくだらないと、ディノは考えるようになった。彼らは少し粗暴だが、その王となるアヴィシオルは趣味がなければ話の分かる男だ。だからこそいいのだが、もしも天界が描く魔界、その通りの魔王となったとき交流がないでは話しにならない。アヴィシオルのように、自由に界を行き来出来る魔族がいる以上、関わりを断ち切るでは自分たちを追い込むようなものだ。独占している人間界に対しても、ほとんど干渉していない。
 これではいつ攻められてくるのか情報も掴めない。人間界経由で攻められる可能性もある。魔界や妖精界ではなく、もっと他の情報の少ない界から攻められれば、天界は防衛できるのか怪しいところだ。もちろん最悪の事態を想定した話だ。始めがそれを防ぐために、天界からもっとも近い人間界を孤立させたのだとしたら、ずいぶんと皮肉な話だ。
「将来、他界の者達が新たなルートで交流を始めたとき、今の天界では爪弾きにされるでしょう。天界は嫌われていそうですから」
「そうだな。しかし、問題があるのか?」
 あまり汚いことを彼には教えたくない。もしも争いがあったときの事など、吹き込みたくはない。自分で自然と理解できるようになるのが理想だ。
 それには、自分がどれほど理不尽な立場にあったのか、もっと良く理解してもらう必要があるだろう。汚れを教えられなかったというだけではない、もっと大きな問題がある。
「フィオ様は、天界の者だけが人間達に嫌われたらどうなさいますか? 今度は天界の者が閉め出されたらどうなさいますか?」
「嫌だ!」
「でしょう? このまま何もしないでは、ずっと嫌われたままです。人間界にも居づらくなります」
 ディノの説得に、フィオはしゅんとして肩を落とした。
「……分かった」
 その落ち込み様を見ると、責めている彼の方も気落ちする。ディノとて、あそこに戻りたいとはあまり思わないようになっていた。フィオのような子供達を集めて、穢れなき生活をさせることでより清浄な魔力を高めると称し、子供達から一切の娯楽を取り上げる。それが本人達の意志ならともかく、無理矢理に集められた子供達だ。そう、無理矢理に。
「フィオ様」
「何だ。真面目な顔をして」
「フィオ様が、宮殿に来たときの話をしましょうか」
「宮殿に来たとき?」
 フィオはこくんと首をかしげた。
 ディノは、彼が生まれる少し前に、宮殿仕えを始めた。だから彼のことは、全てを知っている。
「フィオ様は貧しくない家庭に生まれました」
「そうなのか? 貧しいから売られたと聞いたが」
「それはでたらめです。中にはそういう者もいますが、少なくともフィオ様の家庭に関しては子供を売らなければならないほど貧しくはありませんでした。母君はフィオ様を愛しておられました。初めてのお子のですから、当然です」
 母親を知らぬフィオは、きょとんとして言葉もなくディノを見つめた。自分にそんな者がいることが不思議だというのが彼だ。
「フィオ様は泣いてすがる産後間もない母親の元から、強制的に奪われてきました」
 今まで、話したことはなかった。それを言えば、彼が母親を恋しいと思うだろう。そうなれば、会えない日々は辛い。周囲の子供達も同じ条件であるからこそ、言わなければそれが当たり前だった。言ってしまえばそれらが崩れ去る。
 彼らは何も知らぬ子供達。俗物を持ち込む者は処刑され、子供達は常に清浄に保たれていた。たった一人であれば不満に思うだろうが、そういう子供が多くいたからこそ、フィオは疑いもなく過ごしていた。
 しかしそれはフィオという存在のために崩壊した。
「なぜそのようなことまでして、私達を集める必要があるんだ?」
「さあ。習慣というのは、いつか理由を忘れ去られて、それでも残り続けるものです。これは異界との交流を絶つ前からの習慣だったそうですから、私には分かりません。
 しかし、この世界に来て、魔界や妖精界について聞いて、分かったことがあります」
「何を?」
「どんなに高潔な者が上にいても、腐る場所、清涼な場所が出来るのです。しかしどんなに下劣な者が上にいても、同じ事が言えるんです。よい支配者はその割合を変えますが、良い支配者が何も知らぬ傀儡だとは思えません。おそらく、裏で手を引く者がいるでしょう。体制を続けさせた者が」
「つまりは、黒幕だな。私はその陰謀を阻止すれば、いつでも慶子に会いに来られるというわけだな?」
「その通りです」
 そのことは、密かに囁かれていた事だ。統治者、主上──神と呼ばれる者の側近の誰か。もしくはその背後に、何かがいる。それを調べた者が飛ばされた、消えた、戻ってこない、死んだ。様々な噂がある。近衛兵であるディノには遠いためにあまり耳にすることはなかった。クレハの言葉を借りるなら、ある種の都市伝説に過ぎない。しかし、最近になってそれが真実ではないかと思うようになった。
 アヴィシオル達の動きが、慎重すぎるからだ。
 何をしているかははっきりと伝わってこないが、彼らにとってフィオは体の良い人質であり協力者となる。
「フィオ様、貴方が望まれるのであれば、アヴィシオル殿とルフト殿に相談されると良い。貴方に動く気があるのなら、きっと話してくれるのではないでしょうか」
 彼らはフィオを物知らずとは思っていても、馬鹿だとは思っていない。そして、友情というのも微妙だが、彼らの信頼関係は本物だろう。
「ディノさん、それでいいの?」
「大樹殿は反対ですか?」
「いや、ディノさんが反対すると思って、何も言わなかっただけだから。
 こっちの事情も、いつもまでも世界に隠し続けるのは難しいことだしね。昔ならともかく、今は情報が早い。鬼の情報を操作するのも限界に近づいている。頭が痛いよ。
 最近は勘ぐるヤツが多くて、保って十年。早くて今日明日。
 天界のことは、本人達にやってもらいたいというのが本音。鬼の中には明神関係者以外でも、我慢して人を殺さないヤツとかいるけど、世間に知れれば差別受けそうだろ」
 彼は守られて何も知らぬ一般人よりも、鬼達のことを一番に心配しているようだ。身内なのだから当然である。
「鬼に襲われるのなんて、夜遅くふらついている若い連中だ。そう言うのは、家出で解決するけど、そればかりとは限らない。だから夜遊びする振りして、見回りしてるんだけどな。ケイちゃんは誤解するし、でも話せないし」
「いや、そうは言うけど子供の前では話せないあんな場所から綺麗なお姉さんと入ったり出てきたりしてるじゃん」
 大樹は終わった花火の柄を持って振り回す真緒の言葉に、ふっと息を吐いて髪をかき上げた。
「ケイちゃんと別れたときのあれも大きな勘違いだったし。勘違いした相手、女装したアヴィだよ。アヴィ。ちょっと女になれるからって、中身は立派に男のアヴィ。かといって、見た目は綺麗なお姉さんだったから、言い訳しようにもどうしていいのかわかんないし、言い訳無用ってケイちゃんの考えも知ってるし、切なかったよ。誘惑に負けたのは本当だし」
「ああ……あれに負けたんだ」
「おかげで今は耐性ついて、妹の方も平気だけど」
 普通、耐性がつくような類の力ではないのだが、人間というのは元来そういった力の影響を受けにくい種族なのかもしれない。何も力を持たぬ代わりのように。大樹は別のようだが、慶子はまさにその要素を凝縮したような体質である。彼女自身は何も出来ない。しかし何者も彼女に力を向けることは出来ない。
「大樹も色々とあったんだな」
「そうだよフィオちゃん。だからフィオちゃんも悩もうね。ケイちゃんは過保護だから、悩み事は全部俺に押しつけてくれるからさぁ」
「分かった。女に押しつけられるのは、男の甲斐性だとアヴィが言っていたぞ」
「ああ……日頃の夫婦生活が忍ばれる……」
 大樹が呟き、目頭を押さえる。
 妖精界で産出されるそこら辺の石ころが、他の世界では宝石と呼ばれているため、貿易に手を出しているアヴィシオルはそれはもう裕福だという。
「まあ、出来る限りは協力するけどな。うちの清良──ああ、アヴィの奥さんな。あいつも一緒に話し合うと、バランスがとれていいだろう。アヴィ達だけだと、自分たちの能力の高さを知っているから無茶な計画を練る。お前をそそのかしてみたりとか」
「そうか」
 フィオはうむと頷いた。何を考えているのか、腕を組んでしきりと頷いている。その様を見て、大樹が頭を撫で始める。
「なんだ、大樹」
「フィオちゃん、上に立つのは大変だけど、頑張るんだよ」
 これでも教育だけはされている。あとは精神的な成長と心構えと、信頼できる家臣だけだ。
 家臣、というのが難しい。フィオの護衛達は信頼できるが、その他は分からない。今思えば、上手い具合に反意を封じる人事である。
「慶子がな、言うんだ」
「何て?」
「我が儘を言えるのは子供の内だけで、大人になったら嫌なことも我慢して、仕事をしなければならないと」
「うん、そうだね」
「人は、大人になって良い仕事をしてこそ、価値があると言っていた。それがどんなものであれ、誇れるような仕事を出来る者が、立派な大人だといっていた。父は働き子が恥じることのない成果を作り、母は子の見本となるべく常に気を使うそうだ。人の上に立つのは、下に着く者の父であり母となるのだと」
 そう言えば、言っていた気がする。
 いつか帰ることを慶子なりに理解しての言葉だと、害がないのでさらりと聞き流していたが、やはり彼女の言葉はフィオにとっては大きいようだ。
 彼女には敵わないと、肩をすくめた。
 山を下りたら何をしようかと悩む。慶子が休みなので、家事からは解放される。ならばすることは一つ。
「フィオ様」
「ん?」
「いつかきっと、本物の母君を御前にお連れいたします」
 フィオは目を見開いて、こくんと首をかしげた。
 彼にとって母親はいないものである。
 ディノはきょとんとするフィオを抱き上げ、頬を寄せた。

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