29話 結婚式二次会にて

 

 慶子はもらったシャンパンの栓を抜き、グラスに贅沢に注ぐ。
 しゅわしゅわと立ち上り消える泡の美しさ。
「ケイちゃん、目が座ってる」
 大樹の言葉にはっと顔を上げる。
 今日は祝いの日だ。
 樹がシェフ付きで東堂家にケータリングを頼んでくれたので、慶子は久々に料理から解放される飲食に心浮かれていた。
 規模は小さな立食パーティなのだが、料理と酒の質は一流である。
「ええっ、ルフトが兄弟を見事蹴散らし妖精王になりましたことと兄さんの結婚を祝いまして、かんぱーい」
「かんぱーい」
 グラスを掲げ、主役である保へとグラスを向けた。
 大樹が持ってきたシャンパンで、一本とんでもない値段のが二ダース。
「けーこ、いっきまぁす」
 宣言して一気にグラスの中身を飲み干す。量が入っていないので、一気飲みでも危険はない。高いだけあり幸福感に包まれる。
「はあ〜、お酒がおいしい」
「ケイちゃん……いっぱいあるから落ち着きなよ。余っても持って帰らないから」
「当たり前よ。持って帰ったら呪ってやる」
「分かったからオヤジみたいに酒瓶持たない」
 慶子はシャンパンの瓶を置き、つまみのカナッペを口にする。
「……慶子は相変わらずだな」
 シャンパングラスを持ちながら、器用に料理を取り見苦しくなく食べているフィオが言う。昔ならもっとがっついているのに、今は品がある。
「フィオは変わったわねぇ」
 あれから六年たつのだが、彼は驚くほど成長していた。天使というのは人間よりもずっと長生きする生物らしいが、大人になるまでは人間と変わらないほどの速さで成長する。子供だったフィオは立派に大きくなった。
 本当に大きくなって、慶子は身長を抜かれた。
 そして女の子のように愛らしかった顔立ちは、どちらともつかない中性的な美しさに進化していた。
 胸は相変わらず小ぶりだが、それでも大きくなっている。
 一緒に遊びに来たセダも大きくなっていた。やはりフィオよりは男性的な顔立ちのため、並ぶとお似合いのカップルにも見える。しかし二人は友人同士でそんなつもりはないらしい。
「ほんとうに、慶子殿は変わりませんね。昔と一緒……というか、昔が老けていたんですよ、行動が」
 フィオのために新しい料理を選んでいるディノが言う。彼はというと、まったく変わっていない。彼はもう大人だったから、人間が変わってしまう感覚では変わらないのだ。さすがにずっと若いままで、見た目が若いのに老衰で亡くなることはないらしいが、人間の倍は生きるらしい。
 変わらないといえばあの男──樹も変わらない。
「式ならうちでやると言ったのに、お前は水くさい」
「いや、よく知りまくってるいっちゃんちですると雰囲気ないから。女の子には一生に一度のことだから。なぁアリシア」
 保の隣に立っていたアリシアはこくと頷く。
 フィオが出て行ってから、変わりとばかりにアリシアが東堂家に住み着いた。初めは保もフィオに接するように可愛がっていたのだが、アリシアが少しずつ素直になって行くにつれて──まあ、こうなっていた。
「……一番変わったのは、アリシア殿ですね」
「本当に素直になったな、アリシア。アリルなんかよりずっと素直だ。きっと父親の血なんだろうな」
 フィオは神妙な面持ちで呟いた。目当ての物を手に入れた後も、残って天使の振りをして男達をたぶらかしていたアリルには、色々と苦労をさせられたらしい。
 借りてきた猫のように大人しくシャンパンを飲むアリシアは本当に綺麗だ。アリルが特注で作らせたという花嫁衣装は人間界の物とは違ったが、彼女の美貌を引き立て、兄でなくともあれと住んでいれば落ちるだろうと思うほどよく似合っていた。今はお色直しをして、先ほどより少し地味なドレスを着ているのだが、これは慶子が縫ったものだ。悪魔なのに近所の教会で式を挙げ、こうして我が家で身内や親しい者だけに囲まれて祝われている。
「ルフト、あんたも飲みなさいよっ!」
「飲んでますよ。飲まずにやっていられますかっ」
 思っていたアリシアが他の男に取られた形になるルフトは、自分の祝いも兼ねているのにやけ酒に走っている。フィオよりは遅かったが、アヴィシオルよりも早くて褒めてやったのに、ちっとも嬉しそうにしないのだ。
「もう好きなだけ飲みなさい。分けてあげるわ。ステーキとってきてあげましょうか。美味しそうよ」
 シェフが目の前で焼いてくれる高そうな肉を指さす。
「慶子さんは、明日仕事でしょう。飲み過ぎると授業に影響が出るんじゃないですか。生徒に示しがつきませんよ」
「いいのよ。生徒達も結婚式のことは知ってるから!」
 世間的には一般人と結婚するからという名目でマスコミは完全シャットアウトだが、結婚した事は早ければ明日にでも新聞や週刊誌の表紙を飾るだろう。
「フィオさん、私達もそろそろ結婚しましょう」
「私は慶子と結婚したいぞ」
 フィオはルフトの申し出を昔の調子で断る。
「でも実際問題、慶子さんには大樹がいますし、職業柄結婚はあと数年しませんよ」
 慶子は現在、教師などしている。英語教師だ。幼い頃から父のせいで三カ国語ぐらいを普通に話せたので、授業の方は問題ない。父のおかげ、とは言えない。苦労はした。あの保でさえ、英語が普通に話せるほどの苦労をしている。その上息子の結婚には呪われていそうながらくたとハガキ一枚寄越すだけ。慶子が結婚しても同じだろう。
「お義姉さま、お注ぎしまぁす」
 リノがもう頬を赤くしてアリシアへとシャンパンを持って迫る。
「やめてくれる、そのお姉さまっての。年上に言われると腹が立つわ」
「ええ、でもでも、あこがれだったお義姉さまが」
 リノは淳に殴られ押し黙る。その足下を、甥っ子達が駆け回って可愛い。
 この甥っ子達が母親似にて可愛い子達なのだ。母親に似過ぎて少し抜けている。全部とは言わないが、半分ぐらいは父親に似た方がよかったのではないかと、将来が少し不安だ。
 二人は東堂家には生まれないと思っていた黒髪の直毛で、アヴィシオルに目をつけられたくないのか滅多なことでは連れてこないのだが、さすがに兄弟の結婚式ともなると連れてこないわけにはいかない。
 そのアヴィシオルは子供達を菓子で釣って、アリルに小言を言われている。子供達はアリルによく懐いていて、それはそれで将来が心配だった。
「なんというか、うちって変なの集まるわねぇ」
「慶子、何を今更そんなことを」
「本当に今更ですね。これだけ揃って今気付いたんですか」
 フィオとホロムに言われ、慶子はため息をつく。セダの護衛としてきただけのホロムに言われると黄昏れてしまう。
「ホロムは落ち込んでないの? アリシアのこと好きだったでしょ」
「しっ。夜中に一人で泣いていたんですから。慰めるのが大変だったんですよ」
「大人になったわねセダ君」
「おかげさまで。天界の仕事にも慣れましたし、慶子さんにはみんな感謝してます」
「みんな?」
「人間界の食べ物を持ってきてくださるからですよ」
「さきイカがそんなに好きなの?」
「私はポテトチップスが好きですね。明日はおみやげにお菓子の買い出しに行きます」
「簡単じゃないけどいつでも来られるのに」
 人間界へのゲートというのはどこの世界からも固定するのが難しいらしく、行き来はちょっと出かけてくるという感覚ではなく、こちらに来ている異界人もしくは明神家の人間に召喚して貰うのが一番早いのだ。場所がしっかりと決まっている今回はそれで来た。下手に九州や北海道など外れたところに出ると、間に合わなくなる可能性があるからだ。フィオは一つの世界の長であり、気軽に界を離れられる身分ではない。
 異界へ来るのは海外旅行に行くぐらいの感覚だと慶子は思っている。
「ジャンクフードばっかり食べないでよ」
「もちろんですよ。たまに食べるからいいんです。
 でも、慶子さんに心配していただけて光栄ですね」
 セダも言うようになったものだ。昔はもっとボケボケしていたのに、今ではすっかり口が達者になった。フィオの側で構えているうちにそうなったようで、環境とは恐ろしい。フィオも仕事中は真面目だと聞く。慶子が遊びに行くととたんにそれが崩れるらしく、その姿は見たことがないのが残念だ。
 そのやりとりを見て、ディノとホロムが似たような表情で微笑んでいる。同じ苦労を味わいましたとばかりのそれで、慶子は二人仕事を知る。
「次に来られるのは、慶子さんの結婚式でしょうか」
「ディノ!」
 ぷくっと頬を膨らませてフィオはディノに抗議する。
「いつの話よ。
 その前にアヴィが魔王になってるんじゃない。そうしたら魔界でお祝いになるのかしら」
「でもルフトの祝いはここでしているぞ」
「本格的なお祝いはもうしたでしょ。それにこれは、結婚式の二次会のついでにお祝いしてあげてるの」
 慶子は行けなかったが、フィオは行っているはずだ。妖精王が誰になろうと慶子の生活が変わるわけでもないので、大変だねぇとしか言ってやれない。慶子はしょせん一般人に過ぎないのだ。ここで皆がこうしているのも幼なじみと、兄とたまたま拾った天使のせいで慶子には立ち入れない世界である。
「あ、いたっ!」
 突然上がった声に、皆が見上げた。
 見たことがあるような青年が塀の上にいた。誰だったか思い出せない。思い出せないということは親しくない相手なのだろう。
「アリシア様、アリシアさまぁあ!」
 塀を乗り越え、次々と男が現れた。
「何よあんたたち」
「何よとはあんまりです。知らないうちに結婚するなんてっ! しかも知ったのが発売前の週刊誌!」
 突き出されたのは保の知り合いの記者がいるという雑誌で、表紙にはデカデカと東堂保電撃入籍! お相手は白人美女! というような記事がある。アリシアは顔が広いので、その中の誰かが先に手に入れて読んでいてもおかしくない。
「別に隠してないわ。忙しくて構っている暇がなかっただけよ」
 忙しいも何も、彼女は慶子の美顔器を使ったり、エステに行ったりしていただけである。むしろ彼女だけ普段どおりの生活をしていた。
「そんなっ、俺達は片手間に連絡もいただけないほどの存在なんですかっ!?」
 掴まれそうになり、アリシアはさっと逃れる。
 火に油を注ぐような行動に、慶子はどうしたものかと腕を組む。
「触らないでくれる。ドレスが汚れるわ」
「別に汚くなんて」
「今さっき、塀に手をかけて乗り越えてきたでしょう。汚いじゃない。これは慶子の手作りなのよ」
 青年はなぜかとんでもない物を見てしまったかのように青ざめて手を振った。
「よ、汚してないっ! まだ汚してない!」
「別に怒らないわよ」
 尋常じゃない脅え方の方が腹立たしい。
 アリシアはため息をついて庭にある水道を指さした。
「祝いに来たんじゃないなら帰りなさい。そのつもりがあるなら手を洗ってきなさい。八人ぐらいなら大丈夫でしょ?」
「料理の追加は可能だ。格闘家連中はどうせよく食べるから下準備はさせている」
 樹の返答にアリシアは満足して頷く。
 この二人は仲がいい。いつの間にか仲良くなっていた。どこがどう気が合うのかよく分からないが、人を顎で使うところが似ているからかもしれない。
「そうだアリシア様、これを」
「なにそれ」
 何やら紙を差し出す青年。覗き込むと、離婚届だった。
「結婚式の日に不吉な物を渡すな」
 保が取り上げ破り捨てる。捨てるはいいが、明日掃除することになるのは慶子ではないだろうか。ケータリングのついでに片付けていてくれるのを祈るしかない。
「まだいっぱいあります。アリシア様、離婚を決意されたときはどうぞ仰ってください。新しい住居も戸籍も全部用意します。弁護士もいます」
 実力では勝負にならないから、自然崩壊するのを望んでいるようだ。
「こっちにも弁護士はいるぞ。なあ雅之」
「アリシアさん相手に何をしろというんですか。慰謝料を請求されたとかいうならともかく、彼女はそんな事しないでしょう」
 雅之は冷静に肩を叩いてきた保に返す。夢叶って弁護士なったはいいが、彼もすっかり明神という疫病神に取り憑かれ、ズルズルと明神の息が掛かった事務所で働き、樹相手に頭を痛める毎日である。
「離婚なんてしないわよ。吸血族が特別と決める相手は一人だけよ。その判断が間違うなんて、恥もいいところだわ」
「だとしても俺、アリシア様が結婚してもずっと好きです!」
「当たり前よ」
「ありがとうございます」
 今の流れでどうして感謝するのか理解に苦しむが、彼らが泣いて喜ぶのならそれでいいのだろう。
 彼らがアリシアの前ではどれだけダメ人間でも、社会人としては優れているはずだ。一つぐらいダメなところがあってもいいだろう。
「だんだん、わけの分からない集まりになってきたわね」
「いつもの事だぞ、慶子。私が住んでいた頃からこんな感じだった」
「…………」
 フィオに言われ、慶子は忘れようとぐいとシャンパンを飲む。
 人数が増えたので、慶子の飲む分が減ってしまう。料理も美味しいし、食べないと損。生徒達に超金持ちが用意した料理をたらふく食ったと自慢をする予定なのだ。
 ついでに、美味しかった料理のレシピを聞いて、顧問をしている調理部で再現する予定である。
「ほんとわけわかんないね。次の俺らの時はもう少し普通にしようね、ケイちゃん」
「や、次は樹さんでしょ」
「なるほど。三十路前には結婚しないとねぇ」
 大樹はちらとまだ結婚していない兄を見て呟く。
「あれは嫌だこれは嫌だって、選り好みしてるからよ」
「まあ、近々固まるんじゃないかって人はいるけど……」
 彼ほど変わらない人間も珍しい。いつまでも若々しいつもりでも、もうすぐ三十路。跡取りを作れとせっつかれて、いつか父親のように誰かにはめられて結婚する可能性もある。
「けーこおねーちゃん、おうちのなかでげーむしていい?」
「げーむしてい?」
 甥っ子達が慶子のスカートの裾を引く。
「どうしたのぉ?」
「あのおにーちゃんにこれもらったぁ」
 見せて貰ったそれは、ギャルゲーと呼ばれるような物に見えた。しかもイヤらしい雰囲気の、ムチムチした絵柄。ひっくり返すと、年齢制限を儲けるほどではないらしいが、子供達には触れて欲しくない絵がある。
「アヴィ……子供らに変なゲーム与えないでくれる」
「ええっ!? ただの最新作のゲームだぞっ」
「これぐらいの子には、可愛いモンスターや動物と戯れたり、配管工がジャンプするゲームが妥当でしょ!? 何考えてるの!?」
 慶子はゲームを投げつけ、子供達を抱きかかえる。
「いーい。あのおじさんはとっても汚い大人だから信じちゃダメよ」
「はーい」
 二人は同時に手をあげて返事をする。
「いい子だからデザートに美味しいケーキをあげましょうね」
「けーきすき」
「すきぃ」
 無邪気な子供達のなんと愛らしいことか。昔のフィオを見ているようだ。
「ケイちゃん、子供欲しいなら結婚しようよ」
「しつこいって」
「こどもほしぃ」
「だからしつこいって。二年目で結婚なんて早いわよ」
「じゃあ来年?」
「二十六ぐらいがいいわね」
「じゃあ、それまで待つよ」
 慶子は子供達を地面に下ろして母親の方へと背を押した。
「あんたも物好きねぇ。しょーがないからシャンパンわけてあげる」
「や、俺酒弱いし」
「私の酒が飲めないの!?」
「それ選んだのも買ったの俺」
「じゃあ一杯ぐらい飲みなさい」
「一杯だけだよ」
 もちろんそれ以上は飲ませない。弱いのは知っているし、もったいない。この男も、大学に進学したら合コン他に出まくるのかと思っていたら、意外や意外に酒が苦手なのを皆に知られたくないらしく、そうでもなかった。
 その代わりに、慶子が行く先々になぜか雅之を連れて現れたものだ。で、酒は全部彼に飲ませて、自分は飲んでいる振りをしていた。
「二十六の誕生日の日に、ケイちゃんの理想の結婚式しようね」
「まったくあんたはそればっりね」
 子供の頃から、この男のこれだけは変わらない。十八までは、大樹が十八になったら。大学にはいるまでは、卒業したら。大学に入ってからも卒業したら。
 それがどんどん繰り越されて、今に至る。
「いつもの教会で、こんな結婚式で十分」
「分かった」
「あんたんところじゃなくてもいいわけ?」
「いや、母さんがケイちゃんの結婚式は昔使ったウエディングドレスよ〜って言ってたからいいんじゃないか? 真樹が胸入らないって一言で撃沈してたけど。
 明様も女の子は自分の好きな結婚式をした方がいいっていうと思うし」
 慶子は肩をすくめて新しいグラスを取りシャンパンをつぐ。大樹の持っていたジュースを取り上げ、グラスを押しつける。
「ケイちゃん、今夜泊まっていい?」
「朝早いわよ」
「了解」
 グラスを合わせ、一気に飲む。
 変わったと言えば変わったが、大人になっても、知り合いが王様になっても、思った以上には変わらなかった。
 ただの人間の人生なんて、激動に見えてもそうではない。
 これからも、きっとこんな感じで年を取るのだろう。
 二年後を考えると、少しだけ──
 ほんの少しだけ、楽しみだ。

 

 

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