森の貴人
後編

 


 腕を組む。
「さてさて、とんでもないものを見つけてしまったけど、どうしようかフィロ」
 見つけたのは地図にない小さな村。村とは言っても、その住居は簡易的なものだ。その多くはテントである。
「潰しゃいいだろ」
「でも人質になりそうなのがいっぱいいるからねぇ。
 イーシェもしばらく様子を見るつもりなのかな?」
 ローシェルがいるのは、小高い木の枝の上。目立たぬように、保護色になる茶の布をかぶっていた。頭にも布を巻いてる。
 鳥がちちと鳴き、ローシェルの肩に止まる。
「君は何か知っている?」
 鳥は首をひねり、ちちと鳴く。
「……エルフがいる?」
「って、お前本当に人間か?」
 鳥と会話するローシェルを見てフィロは危うく木の枝から落ちかけ、たまらずに小さく叫んだ。声はひそめ、調子だけの叫びだ。
「鳥の言葉なんて分かるわけじゃないか。この子は鳥の姿をしているけど、妖鳥だから。多少は、ね」
「それでも変だっての」
 フィロの言葉にローシェルは笑う。
 地狼に変だと言われてしまった。
 彼にはこの小さな彼女の言葉が分からないのだろう。いや、ローシェルとて言葉は分からない。しかし、なんとなく分かるのだ。
「この村はね、どうやらエルフが仕切っているみたいだよ。明日、買い手が来るらしい」
「へぇ。で、どうする?」
「もちろん、つぶれてもらおう。きっとイーシェラが喜ぶよ」
 ローシェ大好き、それぐらい言って抱きついてくれるかもしれない。おやすみのキスをしようとすると恥ずかしがるのだが、許してくれるかもしれない。肌を見せることに抵抗はなくとも、頬にキスをされるのは抵抗があるらしい。
 子供の容姿で、中身が少しずれてはいるものの下手な人間よりは成熟している。そんな女だからこその反応だろう。
「だから、フィロ。君にちょっとお願いがあるんだ」
「お願い?」
「ああ。お願い」
 ローシェルは紙とペンを取り出し考える。
 さてさて、どうやって書こうかなと。


 努力していなかったわけではない。
 元々魔力は高かった。人の血が混じって、これほどの魔力があるはずもない。それは彼の純血の証だった。しかしそれでも『仲間』達は決してファルスを認めようとはしなかった。血のにじむような努力をして、魔道を極めようとも。いや、むしろそれがより虐げられる原因となった。彼らは怯えたのだ。いつか復讐されるのではと。
 そんなときだった。人に出会った。彼らは自分に教えてくれた。同胞を捕らえ売るという行為を。ファルスには考え付かないことだった。
 あの水妖の言ったとおり、それまではファルスも貴人と呼べる程度には物を知らなかった。世を知る気高き者など、そういるものではない。世界を知ってファルスは変わった。彼はその魔力を売り込み、その人間達についていった。そして今、ファルスはその人間達の頭となった。その当時から、二十年ほどの時がたっており、当時子供だった者達が、今では大人となり、夫婦となった者もいた。そういった子供達に魔道を教え、この組織は大きくなったわけではないが、捕獲力を高めた。今日とて、あのような水妖を捕らえた。正体は不明だが、なかなか力のある妖魔だ。気を抜けない。
「あれの魔力を封じる必要がある」
 ファルスは目の前に立つ人間達に言った。
 彼が育てた彼の友人であり、弟子達。その中でも最も出来のよかったレヴァンとレイティの二人。今は夫婦となっている。
「どれぐらい薬を使えばいい?」
「さあな。水妖は見た目によらず力も強い。その上魔力も強いのだから厄介な生き物だ。妖魔種は人よりも、妖精族よりも神に近いところにいる。それが現実だ」
 そういった優れた、そして美しい、愛されるべくしてある存在を、人に飼い殺しにさせる。それを想像すると、なんと愉快なことか。水妖の血肉は命を永らえさせるとも言われている。その効果があるのは、ごく一部の高位の水妖だ。聞いた話では、西海の王を食い、何らかの儀式を行い不死を得た男がいるということだ。
 話半分としても、そう信じる人間がいる限り、あの水妖の少女は高値がつく。あの容姿よりも、そちらの方がよほど価値がある。
「死なない程度でいい。どうせすぐに腹を割かれる運命だ」
「なんで?」
「水妖の肝を食らえば寿命が延びるという話を聞いたことがあるだろう。少なからずあれは本当だ。若返りはしないがな」
 レイティの目が輝いた。彼女もまだ歳若い女性だ。不老に関して興味があったとしても仕方がない。
「ただし、水妖の連中は横繋がりが強い。一匹狩られれば、その一族を皆殺しにするぐらいは平然とする。そういうのを、自身で食らうのは勧められないな。こんな森に住んでいたら、逆に寿命を縮める」
「……う、それはあれよねぇ」
 人が老いるのは早い。気付けば二人とも、自分よりも年上に見えるようになってしまった。
「人の時は貴重であるからこそ文明を築き上げる速度もまた早い。それは俺たちからすれば驚異的な早さだ。それは誇るべきことだ。お前達人間が認められる唯一の点なのだから」
「褒められてるのかけなされてるのか……」
「気にすることはない。それだけ大きな隔たりがあるんだ。どれほど距離が近くとも、俺達の間には大きな隔たりがある」
 埋めようとも埋められないものがある。多くの埋められることは自分自身で体験したが、それが逆に埋められないものもあるのだという確信をもたらせた。
「寂しいこというなよ」
「そうだな……。
 俺は少しあいつの様子を見てくる」
 何をしているだろう。恐怖に怯えているだろうか。それとも、自分の力を過信して堂々としているのだろうか。


 いくつもの檻が積まれ並んでいた。その中に、何匹もの魔物、人間達がいる。
「前のときもこんな光景を見たわね」
 決定的に違うのは、自分がその中の一員であることだった。
 イーシェラは檻に触れた。曲げることは出来ない。酸化させることは出来るかもしれないが、封じられたままでは時間がかかる。
 竜の姿にはなるなと言われいるが、この場合ならローシェルもきっと許してくれるだろう。
 イーシェラはころんと横になり目を伏せた。
 ローシェルはどうしているのだろうか。フィロはどうしているだろうか。
 遅くなっているので心配しているだろう。助けに来ているかもしれないが、おそらく自ら乗り込んでくることはないだろう。
 彼がこの中の様子を察しないはずがない。イーシェラ一人が無事でも意味はない。全員無事でなければならないのだ。だから様子を見ているはず。
「みんな、大丈夫よ。助けてあげるから」
「……どうやって?」
 問うのは人間の少女。気力をなくし、青ざめ、ただただ時が過ぎるのを待っていた者達。
「そのうちわかるわ。大丈夫」
 しかし天幕に窓はなく、月の光が届かないのは少し辛いものがある。大人の姿になるほどの力があれば、この程度の檻など素手で破れるだろうに。
「…………さて。やりましょうか」
 イーシェラは起き上がり、変身するために力をためた。どちらの姿も彼女自身のもの。どちらも本当の姿。だから変わるのには多少の力がいる。
 姿を変えようとしたイーシェラは、しかしそれを中断した。
「何をしようとしてた?」
「別に」
 ファルスは人から見れば平凡な、エルフ達から見れば醜い顔を皮肉げに歪め、そしてその天幕へと足を踏み入れる。
 月の光は届かない。
「嘘をつけ」
「ただ、月の光の届く場所に行きたかったのよ」
「月の光を魔力に変えるか……。今の状態でどうこうなるとは思えないが」
 彼は天幕の入り口を閉じる。
 彼は何をしに来たのだろう。賞品を確かめに来たのか、それとも……。
「一つ聞きたい」
「何かしら」
「お前はここらの者ではないだろう。なぜこんな場所にいる?」
「私の生まれた場所が人間に汚されたからよ」
「ではなぜ人と共にいる?」
「私を育てたのもまた人間だからよ。私の中にも何人もの私がいる。貴方だってそうでしょう?
 仲間を憎む自分、ただ受け入れて欲しいと思う自分と。人間達を見下す自分、そして人間達に憧憬する自分。
 他にも多くの貴方がいるわ。矛盾した思いを抱き、矛盾した行動を取る貴方が」
 彼の気配が変わる。苛立ち、憎しみを現した。
「お前の買い手は決めた。覚悟していろ」
 ファルスはイーシェラの檻を蹴り、天幕を出た。
 しばらくすると、人間の少女達が泣き出した。人間はすぐに泣く。女性は子供でもないのによく泣く。彼女達はまだ子供だから、泣くのも仕方ない。
「泣かないで」
「っ……次は私の番……あいつらに連れて行かれる」
「大丈夫よ。明日までには何とかなるから」
「どうして?」
 イーシェラは言葉に迷う。自分は実は竜です、とはなかなか言いづらい。
「大丈夫。私の連れがいるから。彼は腕のいい賞金稼ぎよ。助けを呼びに行っていると思うから、安心して」
「じゃあ……」
 彼女達は喜び、手を合わせて喜んだ。ただし、それは人間達だけだった。魔物たちは騒がず、エルフの少年は暗い目をしてこちらを見ていた。
「でも、あなたが来る少し前に連れて行かれてたエルフの女の子がいるの。さっきの人、エルフに対してはすごくひどい扱いをしていたから……。可哀想に」
 人間の少女は捕らえられているエルフの少年を見た。
 イーシェラはしばし考え、笑顔を彼に向けた。
「大丈夫。彼が何とかしてくれているわ」
 過保護な彼が、この側にいないはずもない。
 勘のいい彼が、見逃しているとも思えない。共にフィロもいるのだ。二人がいれば、そのエルフは上手く助けられているだろう。


 フィロは森を走っていた。
「あと少しだ」
 後ろをついてくる人間達は無言で頷いた。
 知っているユーリィとクレメントはともかく、他の者達は何とも言えず不気味に見えた。
 今はただ案内するだけだ。
 フィロは今、人間の姿に化けている。走る速度を落とさないため、妖魔としての気配は消していないのだが、それに怯える者もいない。
 慣れているのか、何も感じていないのか。
 前者であれば頼もしい限り。後者であればただの足手まとい。
 彼らは妖馬に乗って気付かれない範囲までやってきた。妖馬といっても、魔物の血の混じった外見は普通の馬である。ただ、その足とタフさが人間にたちに気に入られているようだった。
 人間達は総勢十五名。密漁団を駆逐するには少ない気もした。ただ、竜が捕らえられているという脅してしまったもので、人数が集まらなかったのかもしれない。ただし、ユーリィが言うには質はいいらしい。
「ここから一分も走ればつく」
「では別れよう。お前達、裏手に回れ。十分後に動く」
「了解」
 ユーリィの命令に男達は従う。この場に残されたのはユーリィとクレメントだけとなる。
 静かなようで実は音が溢れた森の中で、三人は走る。
「……ユーリィって、まだ子供なのに偉いのか?」
「偉くはないが、実力と経験はこの中で一番上だ」
「子供なのに?」
「生まれた時から訓練を受けていたようなものだ。俺たちが今所属している傭兵ギルド『ダリミオンの剣』は、実力がすべてだ。腕があれば上へと行ける。腕があれば、ギルドマスターにでもなれる。そういう場所であるから、俺にはやりやすい」
 色々と、大変な目に遭っている少年だ。見た目こそフィロの方が年下だが、彼もイーシェラと同様妖魔であり、成長が遅い。彼らのことは皆子供に等しく、思わず同情した。
 フィロは足を止めた。ローシェルが潜んでいた場所についたからだ。しかし彼の気配はない。何か行動をしているらしい。
「人を使いに出しといて、我慢しきれずにイーシェラ助けに行きやがったのかよ」
「何かあったんでしょうね。ローシェルは我慢強い男ですが、基本的に正義感の強い男ですからね」
 クレメントが言った。彼はローシェルとの付き合いは短くないようで、こちらの知らないことを多く知っている。
「うっそだろ? あれ正義感強いのかよ。人間の正義って、大したことねぇんだな」
「もちろん、歪んではいますよ。ただ、何かあってたとして、それが思い人でないから放置するほど、他人に冷酷ではないだけです。
 うちの組織には、他人にはどこまでも冷酷になれる人種がいますからね」
 彼はくすりと笑う。笑いごとではない気もしたが、今は現状の打破が優先である。おしゃべりは後でいい。
 ──オイラも他人事じゃないしなぁ。
 彼も危うく売られるところだったのだ。もちろん売られた後ならどうにでもなっただろう。檻がわずかにでも開けば、人間達を皆殺しにしてでも逃げていた。彼が捉えられたのは、うかつにも罠にはまったからである。そうでなくて、なぜ脆弱な人間などに捉えられようか。もちろん、中にはローシェルのようなある種の化け物もいるが、そこらじゅうに転がっているものではない。
 隣に立つ人間達も怪しいものであるが、類は友を呼ぶというので仕方がないことだ。
 ユーリィはちらと時計を見る。
「あと五分」
「どうする気なんだ?」
「まずは俺たちでイーシェラを解放する。彼女には捕らわれた者達を守っていてもらう。そこからは、殲滅だ」
 フィロはびくりと震えた。静かな表情と、幼さのある顔でそれを言われると、戦慄を覚えた。
「…………皆……殺し……。すげぇな、人間て」
 フィロがおびえの色を見せると、ユーリィは首をかしげた。
「……あ、ちがう。ええと……なんというんだ?」
「子供相手なんですから、漏れなくみんな捕まえましょうね、でいいじゃないですか?」
「そうだな。これからはもっと言葉に気をつけよう。カルには血生臭いことには関わってもらいたくないからな」
 一児の父は、離れた場所で眠っているだろう我が子を思い、腕組み一人うなづいた。
「なんだ殺さないのか。殺さないで捕らえるのは難しいんじゃないのか?」
「それが仕事だ。もちろん全く殺さないのは無理だろう。しかし、やってできないことはない。殺さずどうこうというのは苦手なのだが、この世界で生きていくためには、慣れないことには仕方がない」
 殺さないのに慣れるというのも奇妙な話である。彼は一体どんな幼少時を過ごしたのであろうか。人間とは、まこと侮りがたい生き物である。
「で、オイラは何をすればいい?」
「逃げる者がいたら、捕らえてくれればありがたい。使われるのが嫌なら、イーシェラのところに行けばいい」
「いいさ。使われてやるよ。オイラ、ああいう奴ら嫌いだから」
「ありがたい」
 フィロは獣の姿に戻る。それだけで、封じられていたもののすべてが解放される。ローシェルは、小屋の中の一つにいた。
 何をしていることやら。


 そのころ、ローシェルは悩んでいた。
 倒れた男達。そして自分にしなだれかかる美女。
 男達に手込めに去れ書けていたエルフの女性をほおっておけずに助けたのだ。その助けたエルフはローシェルに感謝し抱きついて、そのまま離れようとしない。
 正直、かなりおいしい場面である。
 イーシェラという彼の知る中でもっとも純粋でもっとも美しい少女がいなければ、ついつい手を出していたかもしれない。
 ローシェルも男である。美女に好かれて嬉しくないはずもない。
「エノーラ、そろそろ落ち着いたかい?」
「はい」
 彼女は熱を帯びた瞳でローシェルを見上げた。
 エルフにしては珍しく、肉付きのいい体をしている。そして、エルフにしては珍しく、色気のある顔をしている。
 美しくとも薄っぺらな印象のあるエルフは好みではないのだが、このエルフの少女はローシェルの好みであった。
 だからこそ、その瞳に含まれる熱に喜びながらも戸惑った。
 ──けっこう一途なつもりなんだけどなぁ。
 まだまだ未熟と言うことらしい。
「ローシェル様……」
 彼女はローシェルを知っていた。ローシェルの方は知らなかったのだから、母経由で知り合ったエルフだと思われる。
 だからこそ、よけいに複雑だった。
 運命的、なのだろう。イーシェラとさえ出会っていなければ、彼女でもいいかと考えていたかもしれない。
 ──うぅん。イバラの道を選んだのは自分とはいえ。
 なかなかもったいない気もしなくもなく。
「大丈夫。もうすぐ、仲間が来ますから」
 ローシェルは彼女の封印を解きながら言った。
 かなり脅しておいたので、そろそろ来るころだろう。


 空気が変わる。
 何かが起こる。
 そう思った時。
「イーシェ」
 耳に慣れた声が小さく響く。足音もなく忍び込んだのは、地狼のフィロ。角の生えた狼の妖魔。
「あら……ユーリィにクレメントも」
 二人は小さく頭を下げ、それからイーシェラの檻に手をかけた。
「材質は特殊でも、鍵の構造は単純か……」
 ユーリィは小さく笑い、針金の数本で檻を開けてしまう。
 変身までしようと思っていたイーシェラは、その見事な手際に舌を巻いた。
「器用ね」
「まぁな」
「どうしてここに?」
「ローシェルが『水竜が捕らわれている。問題が起こらないうちに助けをよこさないと知らない』とギルドマスターを脅した。だから知人の俺たちが指揮することになった。救出が俺たちなのも、無骨な男どもではお前を怯えさせるだけだろうと」
「そう。そんなことで脅せるのね。人間っておかしいわ」
 イーシェラは檻の戸が開くと、外に出て体を伸ばした。
 身体はイーシェラの意志とは関係なしに大きく──大人のものとなる。
「っ!?」
 驚いたユーリィは尻もちをついた。見上げる彼の顔が少し愉快だった。
「ああ、急に魔力が循環したからね。それで魔力が高まった時と同じ現象が起きたのよ」
 大人の姿になってしまったイーシェラは、驚く彼に手をさしのべた。思ったよりも大きな手で少し驚いたが、イーシェラは易々と彼を立ち上がらせた。
 そのとき、外で騒ぎが起こる。
「…………始まったか」
 ここはきっと血まみれになるのだろうと予感した。
「他の者はしばし待て。イーシェラ、ここを頼む。人質に取りに来る可能性が高い」
「わかったわ。ここで大人しく待っていることにするわ」
「頼む」
 ユーリィは天幕を出て行こうとして、足を止めた。
 早速馬鹿が来たからだ。それはこの組織の首領。
「あら……ファルス」
「お前はっ!?」
 大人の姿のイーシェラを見て彼は戸惑った。
「それが……本当の姿か」
「いいえ。これはもっと仮初めの姿よ。
 ファルス、投降しなさい」
「なぜ? たかが人間ごときに」
 彼は『たかが人間』をちらりと見た。彼の魔力は強い。エルフの平均からも飛び抜けて強い。そんな彼が人間を侮るのは当然だった。
「私がいるわ」
「お前は……怖いな。得体が知れない。だが、お前が私を殺すのか? 殺せないだろう、水妖のお前では」
 水妖は食べる以外には普通生物を殺さない。襲われて、初めて反撃する。力は強いが気が小さい。そんな生物だ。
 イーシェラはくすりと笑う。
 愚かしい。
「あなたはそのたかが人間にすがっていたじゃない」
 彼とイーシェラは睨み合った。そのやりとりにユーリィが小さく問う。
「あれは誰だ?」
「ここの首領、エルフのファルスよ」
「……エルフ……なのか? あれが」
 ファルスの目に暗いものが浮かぶ。
 ファルスよりもユーリィの方がよほど繊細で美しい。エルフのような美しさではないが、彼よりはよほどエルフに見えるだろう。
 小綺麗な少年に疑惑の目を向けられ、ファルスは呪文を唱えた。
 エルフ独特の言語による古い魔法。
 本当に、才能ばかりは並以上。
 イーシェラは前に出て、皆をかばう位置に立つ。
「どけ」
「嫌よ」
「死ぬぞ」
「私をその程度で殺せると思っているの?」
「お前の魔力は強いが、俺の……」
 フォルスは突然言葉を切ると、天幕の外へと走り出た。ユーリィが慌ててそれを追う。
 とっ、という音とともに、ファルスの身体がぐらついた。突然横から誰かがぶつかってきたのだ。
「レイティ、どうした?」
「ファルス! レヴァンが!」
 泣きながら彼女はファルスに訴えた。その腕の中には、小さな子供がいた。まだ言葉もろくに話せそうもない、小さな子供。
「落ち着け。チビが興奮してい……」
 どっ
 それ──矢は小さな音を立ててレイティの側頭部に突き刺さった。
 イーシェラは息を飲む。崩れる彼女の手から、子供が落ちてわけもわからずに泣き出す。
「なんてことを……」
 ユーリィはつぶやき、矢の放たれた方角を見る。
 弓を持つ男が、ユーリィをにらみつけていた。
「女子供は殺すなと、あれほど言っただろうが!」
「すまないな。俺はその男を狙ったんだが、暗いせいで目標を誤ったよ」
 彼はくつりと笑い、今度はファルスへと弓を引く。
 ファルスは倒れたレイティを見つめ、小さく呪文を唱えた。知らない術だ。しかしその魔力は尋常ではない。
 幼子がわんわんと泣く。
「やめなさい」
 イーシェラの声は彼には届かない。彼はただレイティを射た男を見つめていた。
 止める間もなくそれは完成した。イーシェラは必死になって水を操った。森には水が溢れている。それを使い、守りの力へとする。
 どっ!
 イーシェラは守りが砕けるのを感じた。威力を殺がれたそれは、進路をわずかに変えて男の後方の森へと着弾し、爆発する。爆発の範囲こそ狭いが、その範囲内にあるすべてが大地もとろも消え失せたのを見て、狙われた男は戸惑いを見せた。
「お前かっ……邪魔をするな!」
「落ち着きなさい」
 イーシェラは彼の足下に横たわるレイティの元へと歩み寄る。
「イーシェ、どうだ?」
 フィロの声に彼女は首を横に振る。
 癒してみたが、反応はまったくない。死んでいる。
 イーシェラは命拾いした男を睨んだ。子供を抱いた女を攻撃するなど、なんと卑劣なのだろうか。
「ウォルト、お前のすべきは逃亡者を出さないことだろう。死にたいのなら止めはしないが。命令に背く気がないのなら、行け」
「ちっ」
 彼は顔をしかめて闇の中へと走り去る。
 ファルスは追い打ちをかけようとしたが、その前にユーリィが立った。
「邪魔をするなら、お前が死ぬ!」
 ファルスは迷いもなくユーリィへと術を放つ。ユーリィはそれを片手ではじいた。
 イーシェラは目を丸くした。彼ならば大丈夫だと思っていたが、まさか素手で魔法をはじくとは思っていなかった。
「お前……何者っ」
「ただの特異体質だ」
 ──どんな特異体質よ。
 イーシェラは心の中でつぶやくも、それを口にすることはなかった。
「ならば防ぎようのない術をくらわせてやる」
 その言葉に、イーシェラは彼の足をつかんだ。片手に子供を抱き、そして立ち上がる。
「彼のしたことはひどいわ。でも、自業自得であることには変わりないのよ」
 イーシェラは泣く子供を抱きしめた。
 男の子だ。とても魔力が高い。人とは思えぬほど魔力が高い。
「ん…………何、この子。押さえられているけど、変な感じがするわね」
「死の精霊憑きだ」
 イーシェラは息を飲む。意味のわからぬユーリィとクレメント、そしてフィロは驚きもしない。
「ふぅん。知っているか」
「私を育てた人は魔女だったわ。よくまあ、育てていたわね」
「……あいつらの子には違いない」
 これは彼の子ではない。おそらく、イーシェラをさらった者達の子。
「あなたは……ではなぜ、他の者を不幸にするの?」
「世の中には色々とあるのさ」
 イーシェラは小さく息を吐いた。
 子供は泣きやんでいた。母の屍を眺め、うつろな目をしている。
「この子は死の意味を理解しているの?」
「さあな。俺が封印しているから、死を与えたことは数える程度にしかない」
 イーシェラはため息をついた。
 しかしこれで解決方法を思いついた。
 彼にとっては許せないだろう。しかし犠牲者にとっては彼らが許せないだろう。
 だけれども、イーシェラは提案せずにはいられなかった。この子供のためにも。
「投降しなさい。この子を盾にすれば、もう誰一人死ぬ必要はなくなるわ」
「……馬鹿か、お前」
「死の精霊を封印できる者なんて、エルフの中にでも多くいるわけではないのよ? あなたを殺しはしないわ」
「冗談じゃない。幽閉されるのをわかっていて、誰がそいつを渡すものか」
 そうだろう。世界は残酷なものだから、世界のために一人を封じるのは当たり前なのだから。
「イーシェラどういう意味だ? その子供がなぜ幽閉されなければならない?」
 話を聞いていたユーリィが問う。
「死の精霊憑きは、思うだけで人に死を与えるのよ。本人の本意であるなしにかかわらず、思うだけで人に死を与えるの。例え封印されていたとしても、その力が漏れることはあるわ。だからこそ幽閉されるの。強固な結界の中に」
 ユーリィは顔をしかめた。そのとき傍観していたクレメントが問う。
「こういう言い方はユーリィにも悪いと思うのですが、なぜ幽閉なんですか? 殺せばいいじゃないですか」
 ユーリィは小さく息を飲んだ。彼の家族は殺されたと言っていた。彼がショックを受けるのは当然。
「それはありえないわ。死の精霊というのは世界にただ一つの存在よ。殺せばまた誰か別の死の精霊憑きが現れるのよ。だから人間は死の精霊憑きを発見すると、生かして捕らえるの。できるだけ長く生かしておくの。そうすれば、その間は確実に被害は出ないもの」
 言ったクレメントもしかめ顔になる。
「でも、知っている人が、愛情を持って接する人がそばにいれば、決して不幸なだけにはならないわ。保護を頼む先によっては、ずいぶんと扱いが違うとも聞いているわ」
「飼い殺しになるのはどこも同じだ」
 そう言って、彼は倒れたレイティを見つめた。彼にとっては、彼女はよい理解者だったのであろう。家族のようなものだったのかもしれない。
 それでも、彼の気持ちはわからない。他人はどうでもいいのに、親しい者だけは大切。その気持ちはわからない。もちろん大切な人は絶対に傷つけたくない。でも他人も傷つけたくはないのだ。それが自らを蔑んだ者ならともかく、自分に何もしていない赤の他人なら。
 彼が同族を恨むなら理解できるのだが、他の多くの者を恨む気持ちはわからない。
「でも……」
 つぶやいた瞬間。
 イーシェラの横を誰かが通り過ぎた。
 小さな影。
 それは先ほど彼女が会話したエルフの少年。
 彼はフォルスへと体当たりをした。
「っ!?」
 思いもよらぬところから、思いもよらぬ存在による攻撃に、彼はまともにそれを受けた。
 血の臭いが強くなる。
 それを感じ取ったように、腕の中の子供から恐ろしい力が溢れてくる。
「くっ……」
 イーシェラはファルスに気を取られそうになりながらも、それを全力で押さえつけた。失敗すれば、触れているイーシェラが死ぬことになる。それでもイーシェラは子供を抱きしめた。
 ユーリィが駆け寄り、イーシェラの手の中にいる子供に手をかざした。
 その瞬間、まるで嘘のように力が消えた。
 本当に特異体質のようだ。
「あ……リューネ」
 ファルスがつぶやいた。リューネ。それがこの子供の名なのだろうか。
「エディ、何をしているの!? 離れなさい、そんな汚らわしい男から!」
 天幕の中から、知らぬエルフの少女が出てきた。
「だって姉さん。こいつら、この恥さらしを生かしたままにするつもりだったんだよ?」
 言って、少年は突き立てた剣を抜く。それはローシェルのものだった。その剣が使われたのをイーシェラ初めて見た。こんな形で、見たくなかった。
「お前……よくも……」
「ふん。死の精霊憑きまで飼っていたとは、恥さらしめ」
 ファルスは再び呪文を唱えようとした。
 少年は引き抜いた剣をもう一度振るう。
 綺麗に、首が飛んだ。
 イーシェラはめまいを覚えた。
 ──なんてこと……。
「だからといって、何もあなたの手ですることはないでしょ? 直接そんな混じりっ子に触れるなんて……汚らわしい」
 死を前にして言う彼女の言葉に、イーシェラは耳を覆った。
 ──どうして? どうして生まれで差別するの?
 仮にも森の貴人と呼ばれる者が。
 大切なのは、その者の人格なのだ。なのになぜ、口に出すのは生まれなのだろう。
 ファルスはひどい男だが、その生まれに罪はない。
 なのになぜ、真っ先に口にするのは犯した罪ではなく、生まれなのだろう。
「イーシェっ」
 ローシェルが見えた。生まれで差別しない彼は、イーシェラの元へと走る。それを、エルフの少女が腕をつかんで引き留めた。
「ローシェル様、あなたのような尊い方が、あんな汚れた子供を抱く女に近づかないでください」
「へ?」
 ローシェルは面食らった顔をした。
 血が流れている。
 ファルスの部下達が、倒れている。
 その中には女性の声も聞こえた。子供の叫ぶ声も。
 イーシェラは目の前にいたユーリィへと子供を押しつけ、叫び、人の姿をとることをやめた。
 ただ、こんなことはやめて欲しいから。


 頭上にある大きな影は、月明かりに照らされ美しく輝く。
 突然、大粒の雨がユーリィの顔を打った。
 竜だと聞いていたが、実際にその姿を見るとさすがに驚いた。
「りゅ……竜!?」
 エルフの男を殺した少年が驚愕の声を上げる。
「うーん。そうとう怒ってるなぁ」
 ローシェルがのんきにつぶやいた。まるで他人事である。
「ほっといていいのか?」
「たまにはこういう風に怒ってもいいんじゃないかな。彼から目を離した僕も悪かったしね」
 ローシェルは血に濡れた剣を少年から取り上げる。彼は呆然とイーシェラを見上げた。
「君はね、彼女の逆鱗に触れたんだよ」
「な……なぜ」
「当たり前だろう。せっかく生かそうとした相手を殺したんだから」
「なぜ……あんな奴を」
 ユーリィは子供を見つめた。
 水竜に目を奪われる、呪われた生を受けた幼い少年。
「やめなさい」
 イーシェラの声が響く。
 皆彼女の強い魅了の力に身動きが取れなくなった。誰一人、争う者も逃げ出す者もいなかった。
「眠りなさい」
 彼女の言葉に、突然皆はばたばたと倒れていった。
 腕の中の子供も含め、皆眠る。
 最後に残ったのは、ユーリィとローシェルただ二人だけであった。


「本気?」
 イーシェラの言葉にユーリィは頷いた。
「本気でその子を育てるの?」
「ああ。俺の責任だから」
 翌日。眠った仲間だけを起こし、なんとか全員を捕縛し終え、護送用の馬車に皆を詰め込んだ。その後、最も近くにあった町まで行くと、突然ユーリィがリューネを育てると言い出したのだ。
「幸い、この子のことを知っているのは俺たちだけだ。もしもいい封魔師を知っていたら紹介して欲しい」
「封じるなら私ができるけれど……大丈夫なの?」
「一人も二人も変わらない。大切な者を奪ってしまったのは俺の責任だ。せめてあの母親が最も恐れた事態にならないようにしてやるのが、せめてもの償いだ」
 まじめな彼の発言にローシェルはあきれた。もっと他に道はあるだろうに、面倒を自ら背負うとは、なかなかよい心がけの男だ。
「幸い、俺は魔力というものに対して強くできている」
「確かにあなたは彼のそばにいるにはとてもよい体質だけれど……」
 イーシェラは眠っている少年の顔をのぞき込む。
 三つかそこらの小さな子供だ。偶然にも髪の色が黒いので、彼の身内としても通じるだろう。
「……意志は、固いのね」
「ああ」
「じゃあ、私が強い封印を施すわ。でもやっぱり時々封印の上掛けをしなくちゃならないの」
「どれぐらいの頻度だ?」
「月一が理想だけど……」
 その封印をかけられる者が、そう滅多にいないというのが問題だ。
「そうね。魔力の補助を与えて……一年ね」
「一年も?」
「私の力を込めたものを身につけさせると、一年は確実に保つわ。
 …………あまり気は進まないけど、仕方ないわ。みんな、ここから出て行って」
 彼女は悩んだ結果、皆を部屋から追い出した。
 部屋の前で男四人が並んで待っていると、中から「いつっ」という悲壮な声が聞こえた。膝をつく音が聞こえ、しばらく悶絶する気配がした。
「な……何をしているんだ?」
「痛がっていると言うことは……鱗でもはがしてるんじゃないかな?」
「う、うろこ?」
 ユーリィはちらとローシェルを見上げた。
「こういうのも何だが、お前、鱗のある女でもいいのか?」
 失礼な男である。
「鱗は関係ないだろ。鱗は。普段はないんだし。ひょっとして、中で竜の姿になってると思ってる? 半竜化してるだけだと思うよ」
「でも……」
「それに、今回のことでちょっと身にしみたから」
「何を?」
「女は、やっぱり性格だよ。うん」
 見た目が多少好みでも、やはり性格が合わなければいつか破綻することが身に染みた。イーシェラのように差別心のない女性の方がいい。そう、身に染みた。少なくとも差別はよくない。
「確かに……あの女性には引きましたねぇ」
「オイラもああいう恐い奴ら苦手。やっぱり、優しくて可愛い方が好きだなぁ」
「まったくだな。リューネとカルはあんな風にならないように、きっちりと教育せねば」
 リューネを父親の目で見つめるユーリィを見て、ローシェルは思わず笑ってしまった。
 ──僕に子供ができるのは、何年先の話やら。
 年単位でないことだけは確かだ。
「い……いいわよ」
 イーシェラの許しが出て、四人は部屋へと入る。涙目で喉を押さえる彼女を見て、ローシェルは驚いた。
「逆鱗を!?」
「痛かったわよ。もう二度とやらない」
 彼女はぐずと鼻をすすり、ガラスのような鱗を差し出した。
「ひもで縛って、その子に身につけさせて」
「あ……ああ」
「大切にしてよ。それ自体は一生力を持っているから、とても高価よ。本当に高価だから、絶対に竜の鱗だなんて知られてはだめよ。もう二度とはがすつもり、ないんだから」
 あの我慢強い彼女がここまで言うとは、よほど痛かったようだ。
「す、すまない。大切にさせる」
「色を塗っておくといいわ。真っ黒にしておけば、子供がただ綺麗だからと持っているように見えるから」
「わかった」
 ユーリィは小さく、強く頷いた。
「一年したら、また会いましょ。ちょうど一年後」
「そうだな。一年後」
 ローシェルがイーシェラの頭をなでた。髪に指を絡めるように、優しく。
 とても優しく。
 ──子供扱いして。
 それでも、彼らが好きだ。笑って共にいる。リューネも彼らがいる限り、本当の意味で不幸になることはないだろう。
「じゃあ、夕飯でも食べに行かないか。そろそろリューネも腹を空かせるんじゃないかな?」
 リューネは周囲の騒動のせいか、先ほどからしきりと寝返りをうっている。
 これからが大変だろう。まだ幼いとはいえ、母親が目の前で死んだのだ。心の傷になるかもしれない。そして見知らぬ大人達に囲まれて、きっと戸惑うに違いない。
 しばらくの間はイーシェラがいるから、その心を落ち着けられるだろうが、それから先、彼らが帰る時には、きっと大変だろう。
 それでも、一度イーシェラを海に連れて行く。
 仲間を知らぬ彼女に、教えてやりたいのだ。
 本当の意味で通じることのできる存在を。
  

  

 

back   目次   next