21話 あたしと師匠

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 野菜を刺した串を、慶子は網の上がらどけて、肉を置く。フィオは肉を食べるため、焼かれつつある肉をじっと見守る。
「フィオ、先にお野菜よ」
 目の前に、野菜を差し出され、フィオは思わず顔をしかめた。
「肉がいいぞ」
「肉ばっか食べてると、ぶくぶくと太るわよ」
「いいもん!」
「デブな子は可愛くないから嫌いよ」
 フィオはびくりと震え、言われた通りに野菜を食べ始めた。素直で可愛い反応だ。
「ニンジンは甘くて美味しいでしょ」
「ああ」
「野菜も食べ過ぎはだめよ」
「分かったぞ」
 素直に野菜を食べる間、慶子は焼きそばを焼く。もちろん大樹と雅之は肉焼き係だ。少年たちの食欲に負けそうになりながら肉と野菜を焼く。ここは戦場である。
「そら食え!」
 大樹は並ぶ子供達に肉を押しつけ、次々とさばいていく。やるときはやる男だ。
 そんな所に、今までどこかに行っていた、昇が戻ってきた。
「た……大樹様!? そのようなことは自分がっ!」
 大樹が肉を焼いているのを目にした瞬間、彼は慌てて大樹の元へと駆けつける。彼も所詮は光の宮の手の者だということだ。
「うるさい! 引っ込んでろ! つかあっちで美子さんの機嫌でも取ってこい!」
「美子さん!? それはちょっと……」
「俺だって嫌だから素直に肉焼いてるんだろ!」
 二人はレポーターの女性を見て、嫌だ嫌だと言い始めた。光の宮関係者にとって、彼女はどんな印象なのだろうか。
「じゃあ、昇さんこっち代わってくれませんか? 私お勝手の方に行ってきますから」
「喜んで!」
 焼きそば作りを昇に代わってもらうと、慶子は台所に向かう。この焼き肉パーティは昔からの恒例なので、昇も焼きそばぐらいは焼けるのだ。


 台所に入ると、奥さんが冷蔵庫に設置されたタオルで手を拭いていたところだった。
「あら慶子ちゃん?」
「お手伝いは、必要なかったですか?」
 彼女の仕事はすでに一通り終えたらしく、流し台は綺麗に片付いていた。
「じゃあ、これ運んでくれるかしら」
「はー……はい」
 快く返事をしようとして、氷がびっしりつまったクーラーボックスと、追加のペットボトルを見て、笑顔が引きつる。重いには重そうだが、持てないほど重い物ではない。
 慶子は気合いを入れると、紐を肩にかけて、よっと言って持ち上げる。肩にずっしりと重みが来るが、問題ない。
「ありがとうね、慶子ちゃん。助かるわぁ」
「いえいえ」
 慶子はどすどすと足音を立ててクーラーボックスを運び出す。師の妻とは思えない、小柄で華奢な彼女に運ばせるわけにもいかないのは確かで、長身で体格のいい部類に入る慶子は、縁側に行くまでには何食わぬ顔で、楚々とした歩調に変えた。
「はーい、飲み物追加よぉ」
 慶子がクーラーボックスを置いた瞬間、子供達が群がる。ペットボトルに群がり、氷を奪い合って取る。
 昔なじみの友人と会話していた保は、慶子に気付きやってくる。
「慶子、どうしてにーちゃんを呼ばなかったんだ? 腰痛で悩んでるのにそんなものを持ったらダメだろ」
「腰痛でなんて悩んでない!」
「え、でも……」
「肩こり!」
「おおっ」
 慶子は兄を睨みつけてから、つんと顔をそらす。
 筋肉が多少戻っても、なかなか消えないのがこの肩こりだ。
「ごめんな、慶子。あ、そうだ、実は頼みがあるんだ」
 謝りながら頼みとはなんだと思いながらも、慶子はふてくされた顔のまま保を見上げた。
「実はさ、ちょっと美子さんの相手をして欲しいんだ」
「相手?」
 彼女とは初めて顔を合わせた慶子が、なぜ相手をしなくてはならないのだろうか。
「そう、女性向けの痴漢撃退方法を教えてくれって言うから。お前がやれば、女性の力で出来るって証明にもなるし。本当は俺がやることになってたんだけど、美子さんに教えるのは、ちょっとまずいだろ」
 言われて、慶子はああと頷く。
「別にいいけど」
「よかった。慶子テレビ嫌いだから、断られるかと思った」
「兄さんが結婚するのかとか聞かれまくるよりはマシ」
「そんなこと聞かれるのか?」
「そうよ」
「にーちゃん、まだ結婚はしないぞ」
「すればいいじゃない。美子さんタレントって欠点をのぞけば、そこそこ綺麗で家庭的そうよ」
 何より、手のかかる身内が一人減る。今時男の家族と同居などということはしないだろう。
「慶子が大学卒業するまでは、ちゃんと面倒見るからな。父さんは仕送りよく忘れるし」
 慶子はモテるはずなのに、一度も彼女を連れてきたりしない兄に、べーと舌を出した。
 はいていた靴下を脱ぎ、縁側に置いてあった鞄の中に入れる。準備はこの程度だろう。
「慶子、やるのか?」
 師である武人は、慶子が裸足であるのを見て、立ち上がる。
「悪いな、慶子」
「いいえ。先生が謝られる必要はありません」
「この道場も、あまり閉鎖的だと世間から不審な目で見られてな。お前のよう一見無害な女もいると知れば、その心配も解消される」
 一見無害という言葉に疑問を覚えながらも、慶子は笑顔で流す。長い物には巻かれろというように、敵わない相手に必要もない時に噛みつく愚行を犯す必要はない。
「吉川さん、よろしくお願いします」
 慶子は兄と親しいらしい、よく分からない立場の芸能人と向き合う。
「よろしく、慶子ちゃん」
「いえ」
 それから慶子は、簡単な流れを説明された。


 慶子の動きがおかしいことに気付き、フィオは肉を食べるのをやめた。
「大樹、慶子は何をするんだ?」
「さぁ」
 大樹は肉を焼くのに夢中で、ちらと慶子を見ただけだった。フィオは大樹に助言を求めるのを諦め、自分自身で考えた。
「お前達、ためになるから見ておけ」
 慶子の師は、子供達に言う。フィオはどうしようかと悩み、拓真に手招きされて彼の元へと走る。
「こっちなら、テレビに映らないからこっちにおいで」
 保の友人なだけあり親切な男だ。フィオは彼に連れられて、靴を脱いで道場に入る。機材を抱えた男達の後方に紛れ、フィオはちょこんと正座をする。確かにここなら慶子も納得するだろう。
「痴漢に遭ったとき、一番大切なのは大きな音を出すことですね。防犯ブザー一つ鳴れば、間違いなく相手は逃げます。大きな音というのは、例え人が来なくても、後ろ暗い相手にとっては恐怖ですから。
 ただし、声を出す時は注意した方がいいと思います。夜中に『助けて』と叫んでも、誰も助けてはくれません。都会はそういう場所です」
 慶子は朗らかに、向き合う女性に説明していた。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「助けて、では対岸の火事ですから、火事だって叫ぶのが一番人が出てくる可能性があります。咄嗟にそういう言葉が出てこなければ、『助けて』だけじゃなくて、『痴漢』とも叫ぶとか。そんな具体性のある声がすれば、助けに来てくれる人は増えますよ。人殺し、だと怖がって出来てくれない可能性もありますけど。痴漢なら恐ろしい相手と言うよりも、憎むべき相手ということで、人が出てきてくれる可能性は高いです。
 もしもの時は手段を選んではいられませんので、何が何でも人を呼び出す、護身術より何よりも、そう心がけているのが一番肝心です」
 フィオはいつもいわれている言葉に、こくこくと頷く。慶子の話はためになる。
「そうですね。か弱い女性は、手段なんて選んでられませんものね」
「まあ、口がふさがれて声が出せないとか、うっかり防犯ブザーの紐をつかめないとか、そういうこともありますから、相手との距離を取るための、簡単な方法を教えますね。距離さえ取れば、防犯ブザーを鳴らして、叫んでということが出来ますからね」
「よろしくお願いします」
 慶子は小さく頭を下げて、保を招き寄せた。
「うちの兄に痴漢役してもらいますね」
「東堂保、生まれて初めてチカンし…っ!?」
 保は張り切り背後から慶子に抱きついた。刹那、保は股間を押さえてうずくまる。
「あ、ごめん。いきなり来るからつい本気で……」
「さすがは保さんの妹! 一撃必殺ですね! でも、素人にはまねできない早業なんで、できればド素人の私にも出来るようなのを一つ……っていうか、保さん生きてますか?」
「大丈夫ですよ。でも、今のは三発入れましたから、ちょっとダメージあるかも。相手のバランスを崩して拘束を弱め、次に力を抜かせて逃げ出して、最後に一撃です。まあ、基本はこんな所ですが。見ての通り、兄のような人間離れした人にも、不意打ちすれば通じますので」
 慶子はうずくまる保を指さして言う。フィオは保の気持ちが痛いほどよく分かる。あれが痛いことを、フィオは知っている。ガタガタと震えながら、彼はそれを見つめた。
 慶子は復活する様子のない保を見て、困ったわと腕を組む。それから彼女はフィオから少し離れた壁際にいた拓真に目を向けた。
「拓真さん、兄の代わりお願いします」
「うへ!?」
 拓真は恐ろしいのか、一歩後ずさった。
「拓真さ〜ん、女子高生から痴漢の許可がおりましたよ。ご指名ですよ。タダで痴漢行為ができるなんて、らっきぃ!」
 美子は他人事と、いつものバラエティ番組のノリで拓真を誘った。テレビでいつも見ているが、面白い女だとフィオは思う。
「拓真、頑張れ」
 フィオは拓真を応援すると、彼は渋々と道場の真ん中にまで進む。
「……俺でいいの?」
「はい。後ろから羽交い締めにしてください」
 拓真は渋々慶子を後ろから抱きしめる。いつもフィオがすると怒るその行為を許された拓真に、嫉妬心を覚えた。
「こういう場合って、一番ありがちで、一番危険ですよね」
「そうだね。女の人じゃあ逃げるのは難しいね。口を押さえられたら声を出せないし」
「人体で一番固いのは歯です。口をふさがれたら、全力で噛むべし。爪も武器になるから、立てるべし。ハンカチを当てられていても、冷静にやれば爪と歯で相手の手にダメージを与えることは出来きます。噛みつけば相手もふりほどこうとするから、その隙に叫びながら全力でダッシュ。夜道を歩くとき、防犯ブザーの紐は常に腕に巻いておくのがいいですね」
「ずいぶんと慣れている感じですね」
「近所に痴漢が多いんですよ」
「痴漢に遭いそうなナイスバディですもんねぇ。羨ましい」
 フィオはうんうんと頷いた。抱きついても怒られない、痴漢の拓真が羨ましい。フィオも慶子に抱きつきたい。
「今は羽交い締めにされているだけなので、音を出す以外の対処法としては、先ほど見せたような、実力行使ですね」
 慶子はまず片足を上げた。
「まずは足。払って転ばせるのが理想ですが、無理だと思うので思い切り踏みます。当たるまで何度もじたばたします。ヒールだと効果大。抵抗をやめたらおしまいですから。当たらなければ、かかとでスネを蹴りつけます。そうすると体勢が変わって、腕がある程度自由になるので、相手の指を両手で掴んでぐっとひねります。無理なら脇に肘を叩き込みます。もしくは、頭蓋骨で思い切り顎をやる。で、振り返って急所攻撃。大切なのは人の急所を理解すること。スネ、みぞおち、顎は、比較的狙いやすい急所です。目、喉、股間は、入ればかなり痛い急所です」
「確かに痛そうですね」
 拓真は慶子のゆったりとした攻撃を避けることが出来ず、保同様ノックアウトされた。
 子供達から、拍手喝采がわき起こる。
「あんなにゆっくりとした動きなのに、コントみたいに全部入りましたね」
「ゆっくりでも、案外避けにくいものですよ。大切なのは、冷静沈着その一言。冷静になれば痴漢の一人や二人、地獄行きです。まあ、大切なのは夜道を歩くときは一切気を抜かないことですが」
 さらなる拍手がわき起こる。
「にぃちゃんは、何もしてないんだけどな」
「お……俺の方が何もしてないっ……」
「慶子相手だと、どうしてか避けられないんだよな」
「気の動きがほとんどないもん……なぁ。ああ、モロに腹と顎に入った」
「顎ぐらいいいだろ」
 保と拓真は仲良く嘆いている。慶子はやはり強い。二人も強いが、慶子があまりにも人と違う生き方をしているものだから、普通の生き方をしている人間を相手にすることに慣れた二人には、慶子は難しい相手なのだろう。
 慶子はあの特殊な力のせいか、その生き方があの特殊な力の源になっているのかは分からないが、生命の流れがほとんど停滞しているのだ。血とかそういう意味ではない。生き物が動くときに流れる、特殊な力だ。
 拓真の言葉を借りるなら『気』というやつだ。フィオの見た漫画を信じるなら、似たようなものだと思っていいだろう。
 また、フィオの世界の感覚では、天力と呼ぶ。
 アヴィシオルなら、魔力という。
「見たか。あの馬鹿どものように、感覚にばかり頼って闘っていると、ああいう風変わりな体質の者に一撃でのされることになる」
「はい」
「目に頼るな、とは言うが、目にも頼ることは必要だ。分かったな」
「はい」
 子供達は、慶子の師の言葉に何度も頷いた。慶子はやはりすごい。
「真剣に、感覚で頼らない訓練するか」
「付き合う」
「っていうか、慶子と組み手するのが一番だけどな」
「慶子ちゃん、痴漢撃退用の練習台にするからそれはちょっと……。普段は……すごくいい子なんだが」
「まずは二人でしようか」
「だな」
 保と拓真は仲良く練習の約束をした。仲が良さそうで羨ましい。フィオは寄ってきたオーリンを抱きしめ、頬をすり寄せた。
(私にはオーリンがいるから寂しくないぞ)
 痛みを分かち合える友などいなくてもかまわない。漫画の中は漫画、特殊なのだ。二人は漫画の中のような生活をしているらしいので、特別だ。
「今度は、美子さんがやってみてくださいね。具体的に簡単なの教えますので」
 慶子の教えは、決して簡単ではないことは、教えを受けているフィオが一番よく知っているが……。
 フィオは飽きて庭に出て、落ち着いて肉を食べている大樹と雅之の元へと向かった。
 慶子のいない内に、肉をたくさん食べておくのだ。


「前から思ってたんだがお前、本当に人間か?」
 それを言ったのは、アヴィシオルだった。
 現在、リビングにてテレビを見ている。フィオが慶子を自慢するために録画しておいたものだ。
 そして、慶子は頭を抱えていた。
「確かに、あれだけの運動量で、魔力が欠片も流れないのは、やはり異常ですよ。魔力はあるのに」
 ルフトはテレビを見て言う。
 慶子の特異体質など今に始まったことではない。大樹はぽーっとその番組を見る。
 あの時は肉に夢中になっていたが、隣でこのようなことが行われていたのだと、しみじみした。
「魔力なんてないわよ」
「魔力のない生物は存在しません。多かれ少なかれ、魔力は体内を巡っています。血液のようなものと考えてくだってかまいません」
 慶子は首をかしげた。
「気だ。アヴィに貸してもらった漫画の主人公は、気を使う者が多いぞ」
「そうそう、この世界じゃそっちの方が近いな。ここじゃ俺達のように魔道を操る者は、ごく一部の例外だけだ」
 アヴィシオルの言ったその『ごく一部』の中に、大樹の兄もいるのがファンタジー。異世界住人を召喚するという、かなり高度な魔法を身につけている。
 ただし、知り合い以外は大変危険なために、召喚したことはない──らしい。兄曰く。
「気ねぇ。つまり人間頑張れば格ゲーのように気で相手を攻撃することも可能、と」
「あ、それにーちゃんできるぞ」
 妹に自己主張する慶子兄。
 慶子は彼には視線を向けず、こくりと首をかしげた。
「頑張れば、自力で空も飛べると」
「あ、それうちの兄さんができる」
 慶子は大樹の言葉も無視した。
「慶子は空飛べる方がいいのか!? ならにーちゃんだって頑張ればきっと!」
「頑張らなくていい!」
 慶子は非常識な兄に向かい、怒鳴りつけた。
 実の兄が空も飛べるようになりますと言えば、普通気になるだろう。
「フィオも、そんなビデオばっかり見てるんじゃありません」
「そんな、ここからがいいところだぞ。慶子の入門希望者十人切りがっ」
 慶子の役に立つのか立たないのか判断できない、即席痴漢から逃れる方法コーナーの後、これまた本来は保が受け持つはずだった、武道の道を志す、色々な格闘技の有段者達の入門試験を慶子が受け持った。大の男よりも、一見穏和で保にも似た顔立ちの巨乳少女はディレクターに気に入られたらしい。
 一番の理由は、しばらく保が動く気になれないと言ったのが大きいが。
「やらせなしで全員投げ技でひっくり返すっていうのも……普通出来ないよな」
「慶子は足使いが上手いから……ん」
 突然クルミ割り人形の行進曲が鳴り響く。いかにも、携帯に始めから備わっていた音楽を着メロに使用しました、という雰囲気だ。保はポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、はい。あ、美子ちゃん」
 保の友人、タレントの美子からの電話らしい。
「え? あー、そーなんだぁ。へぇ、あ、聞いてみる」
 保は携帯から耳を放し、ウーロン茶を飲む慶子へと言った。
「慶子、それ評判良かったらしいんだけど、今度はスタジオに遊びに来ないかって」
 それ、とは現在慶子が自分よりも大柄の少年をあっさりとひっくり返しているビデオの事だろう。
「行きません」
 慶子は、きっぱりと言い切って、リモコンでビデオを止めた。
「来てもうちには入れません。私は今後一切関わりません!」
 どうやら学校で同性からラブレターをもらったり、後輩から『お姉さま』と呼ばれたりするようになったのが気に障るらしい。
 もうすぐ三年生になるため、スポーツ系のクラブから声をかけられないのが唯一の救い、らしい。中学の頃に、しつこい勧誘があったと聞いている。
 何とも、慶子らしい反応だ。

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あとがき